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VS(ヴァーサス)!!  作者: 白露 雪音
VS 高等科編~幻狐の章
59/101

56 phantom 愚か者






「貴方の願いを叶えようと思います」

「……あぁ?」


 野菜尽くしの昼を終え、お茶を飲んでまったりしているとユリウスさんが徐に切り出した。鈴白はいつの間にか狐から人型に戻っている。


「おや? そのつもりで私に会いに来たのだと思っていましたが違いましたか?」

「―――ふん、半々だな。半分は本気で殺しに来てたぞ」

「そうですか。でもまぁ無理でしょうから素直に私の好意に甘えておきなさい」

「…………」


 上から言われてむっすりと黙り込んでしまった鈴白はそれでも反論はしなかった。ただし持っていた湯呑がカタカタ揺れてはいたが。

 今にも湯呑が砕け散って熱いお茶が手にかかってしまうのではないかとハラハラした。


「え、えっと……鈴白……さんの願いって?」


 空気が重いので疑問に思っていたことをおずおずと切り出すとユリウスさんが鈴白の様子などどこぞ吹く風で朗らかに答えた。


「彼は外に出たいそうです。鈴白は力ある妖ゆえに九十九の一族から目をつけられていますから里とその周辺の山以外の場所に行くことができないのですよ」

「…………忌々しい結界だ。薫の奴さえいなけりゃ他の九十九の一族なんざ片手で捻ってやるのに」


 鈴白は心底忌々しそうに舌打ちした。

 現在の鈴白は千葉刑事という監視者付きではあるか外に出ているようだったのでその願いは確実に叶えられるのだろう。


「だが急になんだ。五十年前に言った時は無理だとぬかしやがった癖に」

「五十年前は本当に無理でしたよ。今、ようやくできるようになったんです」


 鈴白が訝しげに眉を顰めた。その反応にユリウスさんは苦笑する。


「私をなんでもできる魔法使いと勘違いしないでください。私にだってできないことくらいありますよ。確かに少ないですけど」

「じゃあその数少ないお前のできなかったことってなんだよ」

「……薫です。彼が今、多少なりとも丸くなってくれたので可能になったんですよ。私だって本気の彼とぶつかれば死ぬかもしれませんから」

「あいつか……そういやあ、俺が現れるといつも一番にすっとんできて術の一つもぶっ飛ばす癖に今回は来やがらねぇーな」

「昨日忠告に来ましたよ。それで勝手にしろと怒って行ってしまいましたから」

「……お前が何言ったかなんとなく分かるから嫌だ……」


 鈴白が頭痛を抑えるようにこめかみを強く押した。ユリウスさんは何故か薫さんや鈴白に対しては当たりが強いように思える。というより体面を全部取り払っているように見えた。私や里の人達には綺麗な笑顔しか向けないのに。


「で、俺を出してくれるってんなら今から結界でも壊しに行ってくれんのか?」

「それはもう少し後ですね。まずはその言葉遣いからなんとかしましょうか」

「は?」

「は、じゃありませんよ。は、じゃ。そんな汚い言葉遣いに大柄な態度でこの世の中渡って行けると思ってるんですか? 甘い、甘いですね鈴白。井の中の蛙とはよく言ったものです」

「妖の俺に人間社会を学べってのか!?」


 憤慨した鈴白は立ち上がった勢いで床を踏み抜いてしまった。ユリウスさんの顔が不愉快そうに歪む。


「また人の家を壊す……。その力加減もどうにかしてもらわないといけませんね。人に危害を加えるようなことがあれば里に外に出した私が迷惑被ります」

「知るか! だいたい、俺はこのしけた里を出たいだけであって別に人の世に降りるつもりはねぇーよ!」

「人間なんてどこにでもいますよ。この先どんどん広がる。それは止められない事実です。人と折り合いを付けられないのなら、残念ですがこの話はなかったことに」

「――ったく分かった! 分かったから俺を外に出せ!」

「はいはい、人にお願いする態度じゃまるでありませんが仕様がありませんね。とりあえず……はいどうぞ」

「? なんだこれ」


 ――――リィーン。


 これ、この音は……。


「ってこれ首輪じゃねぇーか!」

「そうです、鈴付きですよ。これでどこにいても分かりますね」

「冗談じゃねぇ、俺は犬じゃないんだぞ!」


 まるで飼い犬のように鈴の首輪をつけられてしまった鈴白は顔を真っ赤にして怒っていた。今にも長い爪をユリウスさんの喉元に突こうとする鈴白にユリウスさんは緊張感なく笑う。


「はい、お座り」


 ――――リィン。


「――ぐがっ!」


 鈴が鳴ると同時にがくんと体制を崩した鈴白は床に転がった。強かに頭を打ったらしく後頭部を抱えて蹲った。


「なにしやがったっ」

「貴方の事ですから了承しても途中で暴れそうなので安全措置です。暴れなければ何もしませんよ」

「ちくしょう」

「すみませんね、薫も丸くなったとはいえこのくらいはしないと納得してもらえなさそうなので……」


 さすがに悪いことをしていると思ったのかユリウスさんが鈴白を起こそうとした時、


「術士様!!」


 勢いよく戸が開けられたと思ったら誰かが転がるように中に入って来た。突然の事に激しい怒りを燃やしていた鈴白も怪訝に入って来た人物を見た。


「こ、ここに当主様と同等のお力を持つという高尚な術士様がいらっしゃると――ひっ!」


 入って来た人物はまだ年若い女性だった。長い黒髪を振り乱し、足は土で汚れていた。腕には一人の小さな子供を抱えており、その子をぎゅっと強く抱きしめている。

 彼女は異形の姿である鈴白を視界に捉えると引き攣った悲鳴を上げ、子供を守るように蹲ってしまった。


「――ちっ、これだからニンゲンは」


 不愉快そうに舌打ちすると鈴白の体は白い光に包まれ、次の瞬間には白い狐の姿になって私の後ろに隠れた。人間へ悪態をつきながらも気は使ってくれるようだ。


「高尚かどうかは怪しいですがその術士とは多分、私のことですね。どうしましたか?」

「あっ、その……この子が」


 鈴白の姿がなくなったことで気を持ち直した女性は腕に抱えていた幼子をユリウスさんに見せた。ユリウスさんは首を傾げながらも彼女の元まで歩み寄り屈んでその子を覗き込んだ。


「とても衰弱しているようですが」

「はい、先ほどまでは元気に外で走り回っていたのです。なのに急に……」

「えーっと、それは早急に医者に診せては――」


 なにかの病にかかったのであれば医者に診せるのが普通だ。なぜ魔法使いであるユリウスさんの元へ彼女が駆けて来たのか分からない。魔法使いは魔力を糧に精霊に力を借りて魔法を使うことができるものだ。体力を回復させる治癒術を扱うことができるものもいるが、病気は専門外だ。

 案の定、ユリウスさんは困惑した態度を見せた。


「お医者様では治せません! この子は、この子は幻狐様の呪いにかかってしまったのです!」


 一際大きな金切声で女性は叫んだ。

 その台詞にユリウスさんは驚いて瞳を大きく見開いたが、すぐにすっと冷めるように細めた。後ろで鈴白の尾がバシンと強く床を叩く。


「この子は、あろうことか幻狐様の像を壊してしまったのです! 嗚呼、きっと幻狐様はお怒りになられたのです。お許しを乞おうと様々な捧げものを備えたのですが効果はなく。九十九様のお屋敷にも参りましたが当主様は診られぬと……ですから、貴方様だけが最後の希望なのでございます! どうか、どうかこの子の呪いを解いてくださいませ!」


 悲痛な叫びだった。嗚咽を漏らし、弱弱しくなっていく愛しい我が子を抱きしめる彼女の顔は涙に濡れていった。

 だが、ユリウスさんは静かにその場を離れた。

 ハッとした彼女は縋るようにユリウスさんの裾を掴む。涙に濡れる彼女の顔はユリウスさんを見上げたが、彼の翡翠の瞳と目が会った時、その冷たさに彼女もそして私も体が震えた。


「……すみませんが、私もその子を診ることはできません。お引き取り下さい、そして今すぐ医者に」

「幻狐様! 幻狐様! どうぞお許しください、お許しください、お許しください」


 彼女はユリウスさんの言葉のすべてを聞かなかった。何かにとりつかれた様に許しを乞う言葉を吐き続け、泣き叫びながらいずこへと走り去っていく。

 私はその光景を茫然と見ているしかなかった。







「……愚か者が」


 彼女が去ってしばらく、狐の姿から人の姿へと形を戻した鈴白が一言、吐き捨てるように言った。


「何が幻狐の呪いだ。あいつは今、封印されてんだぞ、んなことできるかよ」

「え……それじゃ……」

「あの子供、病にかかってしまっているだけです。術士に病は治せません。だから私も薫も『診れない』のです」

「馬鹿みてぇに何の意味もない幻狐の像に許しを乞いに行ってガキを死なせるんだ。素直に医者に行きゃあ助かるってのによ」

「の、呪いじゃないってあの人に伝えないと――!」

「聞きませんよ。彼女は幻狐への恐怖で頭が一杯だ。そしてそれはこの里の人々も同じこと。きっと今頃はまた薫の所は大変な騒ぎになっているでしょうね」

「そんな……」


 私は情けなくもその場に座り込んでしまった。確かに彼女のあの取り乱しようを見れば素直にこちらの言葉を聞くとも思えない。かといってこのままにしていたらあの子供は死んでしまう。


「だからここは嫌いなんだ……」


 歯を食いしばるようにして言った鈴白の言葉は、どこか苦しそうだった。




 居た堪れなかった私は家を出て、あの親子を探してみた。探してどうにかなるとも思えなかったが何もしないでいることもまたできなかった。

 親子はすぐに見つかった。里の人々が騒いでいたし、彼女自身が奇声を発しながら一つどころに留まっていたからだ。

 彼女がいたのは立派な祠が建てられている場所で、その両脇には幻狐町で見た身の毛がよだつほどの恐ろしい形相をした狐の像がある。

 あれは幻狐だ。

 彼女は祠に向かって額を地面に擦り付けるようにして頭を垂れ、『お許しください、お許しください』と呪文のように唱えていた。



 違う。それは呪いじゃない。幻狐は何もしていない。

 そんな言葉が届くような精神状態ではないことは火を見るより明らかだ。だが、彼女が抱きかかえる子供はぐったりとしていて今にもこと切れてしまいそうだった。


 あの人をどうにかするよりお医者さんをここに連れてきた方がいいのかな。

 だけど連れてきてもまともに診せてくれないような気がする。何もできない歯がゆさに自分が情けなくなった。こんな時、医者を目指す木塚君ならどうするんだろう。無理やりにでも診ただろうか。

 ……一ノ瀬君だったらまた別の方法を考えるんだろうか。


 分からない。私はどうするべきなのか。


『赦して』


 ……え?


 どこからか誰かの声が聞こえてくる。今にも泣き出しそうな悲しい声が。


 『赦して』『赦して』『赦して』


 ――――『もう、僕を赦してお願いだから』。




 ぐらりと視界が歪んだ。

 視界だけじゃない、立っていた地面も空もその空間自体が歪み始めていた。ぐちゃぐちゃに混ざっていく中、流れるように彼らの声が聞こえた。



 『鈴白、約束だ。お前をここから出してあげるよ』

 『お前との約束じゃねぇーよ……』

 『そうだね。でも仕方がない、ユースはもうどこにもいない。彼は……死んだんだ』

 『……お前ももうすぐ逝くのか……薫』

 『こればかりは仕様がないよ、鈴白。少しの間くらいは面倒見てやるから、ありがたく思え』

 『ニンゲンは勝手だ。勝手に約束して、勝手にいなくなる』



 誰かが泣いている。静かに、静かに泣いている。

 泣いているのは鈴白か、私か、それとも別の誰かか。混ざり合った空間には悲しみが満ちていた。



 『羨ましい。彼には大切な鈴がある。彼には大切な言葉がある。それがあれば彼は一人ぼっちではなくなる。でも僕は? ねえ、僕を置いて君はどこへ行くの……』



 『赦されない、愛されない僕はどうしたらいい?』









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