53 phantom 理由
「ユース!」
バンッ! と立てつけの悪い戸が勢いよく開け放たれ、確信を得る為に家名を聞こうと耳をそばだてていた私は驚いて体が跳ねた。
ユリウスさんは不愉快そうに眉根を寄せながらカップを脇に置く。
「騒々しいですね。あまり乱暴にしないでください、せっかく手に入れたばかりの我が家が壊れます」
「そんなことはどうでもいい。なぜ君がここにいるの」
鋭い眼差しでユリウスさんを睨みつける青年に私は恐る恐る視線を向けたが、そこで「あ!」と声が漏れてしまうほど驚いた。
彼の顔は卯月さんに瓜二つだったのだ。
ユリウスさんの事に気をとられて私の存在に気付かなかったのか、声を上げた私に向かって彼は訝しげに眼を細めた。
「…………なにこいつ」
「女性に向かってこいつとはなんですか。彼女は森の中で怪我をして彷徨っていたので家に来てもらったんですよ」
「ど、どうも……」
顔は卯月さんに似ているが彼から放たれる威圧感は全身に重りを乗せられているかのように重苦しい。心臓が冷えた心地になり、自然と体が縮こまった。
「それはおかしな話だね。俺はこんな小娘、先見では見なかったけど」
「薫、貴方にどんな高い能力があろうと、そうやすやすとすべての未来は覗けませんよ。貴方の見る未来が確かなものとは決して誰にも言えないのですから」
「それは分かっているよ。見た通りの動きをする未来なんてそっちの方が稀だ。けど、突然なんの前触れもなく現れる人間なんていない」
戸口に立っていた薫と呼ばれた青年は、風を切るように素早く私の前までくると私の瞳を覗き込むように顔を近づけた。
私の瞳に薫さんの顔が映り、薫さんの瞳には困惑する私の顔が映る。
「……魔法使いか。微量だけど霊力を感じる」
すっと顔を離して今度はユリウスさんの方へ向き直った。
「相変わらず変な現象にばかり巻き込まれる人だ」
「性分です」
「……で、その性分ゆえにこんなところまでわざわざ来てしまったんだ、ユースは」
最初は怒り任せに入って来た薫さんだったが、ユリウスさんと話しているうちにだんだんと気分が落ち着いてきたらしく、呆れた様子で溜息を吐いた。
ユリウスさんのことをユースと呼んでいるようだし、親しい間柄なのかもしれない。
「まさかとは思うけど、鈴白に会いに来たわけじゃないよね?」
鈴白、という思いがけない名前に私は跳ねるように薫さんを見た。しかし薫さんはユリウスさんの方を凝視していてそんな私の様子には気づかなかったようだ。
そのまま彼の言葉を待つ。
「そのまさかですが」
「…………ユースはやっぱりバカだね。あんなの放って置けばいいのに。君がここにいると知ったら必ず殺しに来るよ」
「でしょうね。嫌われていますから」
そう言いながらなぜかユリウスさんの顔は笑顔で綻んでいる。殺しに来るほど嫌われている人に対してする表情ではない。
そんな顔をするユリウスさんに薫さんはこめかみを抑えた。
「ユースと会話をしていると頭が痛くなってくるよ。いいかい、ユース、鈴白はすぐにでもここに来る。君の臭いを彼が忘れるわけがない。必ず、その首を絞めに来る」
「そうでなければ困りますよ。私は彼に会いに来たんですから」
「会ってどうするの。俺が幻狐を封じた時、君は何もしなかった。その後すぐに現れた鈴白も襲われた癖に殺さなかった。その力があったにも関わらず、だ」
薫さんの顔が悔しそうに歪む。
そういえば、この薫さんってもしかして九十九君のご先祖様である九十九薫さんだろうか。『俺が幻狐を封じた』と本人がはっきりと口にしているし、何より顔に九十九家の血を感じる。
鈴白が彼に対してゲス野郎と吐き捨てるように言っていたのを思い出した。実際目の前にしてみればそれほど嫌な人には見えないけど。
「俺だったらあんな暴れ狐、釜茹でにしてじわじわいたぶりながら殺してやるのに」
……前言撤回。危ない人だった。
「おやおや、里の皆に頼られ慕われる陰陽師が口にする台詞じゃありませんね。薫が彼を陰湿なまでに嫌う気持ちは分からなくもありませんが、私は彼もあのままにしておきたくないんですよ」
「とかなんとか言って、ユースが鈴白と対峙して軽く捻った後、音沙汰なしで出て行ってから何年経ったと思う?」
「さて……何年でしょう? こう長生きだと時間を忘れてしまって」
「……五十年だよ。ユース、君は五十年もの間、ずっとほったらかした。なのになぜ今になって蒸し返そうとする。鈴白も今はそれなりに森の奥で静かにしているのに」
五十年ぶりの再会。ということはこの薫さんも見た目二十代前半ほどにして五十歳以上の実年齢なのか。
実に羨ましいほどの若作り。
ユリウスさんは脇に置いていたカップを手に取ると徐にお茶を啜った。すでに温くなっているであろうに、飲むスピードが遅い。
たっぷり間を開けて彼から帰ってきた答えは。
「我儘……ですかね」
「はあ?」
薫さんが眉根を潜めて首を傾げるようなものだった。
「私がしたいことは全部終わったんです。それで残りの時間、なにをして過ごそうかなと思っていたら、ふと君達のことを思い出しまして」
「…………つまり暇つぶしじゃないの、それ」
「そうともいいますね」
悪びれた様子もなく言うユリウスさんに、薫さんの表情は一気に無表情になった。怒った顔よりもよほど迫力があるその姿に私は両手を交差させて肩を抱きしめた。
なんだか酷く寒気がした。
「そう、よく分かったよ『ユリウス』。もう好きにすればいい」
そう言い捨てると薫さんは足早に家を出て行った。
静まり返った室内で私が動けないでいると、お茶を飲み終えたユリウスさんが立ち上がり戸を閉めた。
「まったく不作法な人ですね。戸くらい閉めていって欲しいものです」
ね? と微笑まれて私は曖昧に微笑み返した。
突然の出来事で頭がまだ追いついていない。
「……花森さんのお茶、冷めてしまいましたね。すみません」
申し訳なさそうに謝るユリウスさんに私は慌てて首を振った。
「いえ、冷めても美味しいですよお茶!」
と一気に残りのお茶を飲んだ。うん、美味しい。
そんな私を微笑ましそうに優しい眼差しを向ける彼と目が合って恥ずかしさでカップで顔を隠した。
ユリウスさんと一緒にいると長年離れ離れになっている家族を思い出す。両親とも仲は悪くないし、それなりに甘える幼少期を過ごした。魔法使いになってからは正月とか決まった日に少ししか実家に戻れないからだんだんと家族の温かさを忘れてしまってきているような気がしていた。
彼はその温かさを思い出させてくれる。私に似た娘がいると言っていたから、彼は彼でその娘さんと私を重ねているのかもしれない。
「そ、そういえば私に似てるっていう娘さん、今はどこにいるんですか?」
何か話題が欲しくて口にしたが、言ってすぐに後悔した。ユリウスさんの整った綺麗な顔が涙を堪えるように辛そうに歪められたから。
「……どこにも。魔法大戦で随分前に亡くなってしまいました」
彼から発せられた言葉に私の心臓は刃で貫かれたかのような痛みを発した。どうして彼が娘に似ているという私を見てあれほど慈愛に満ちた表情を浮かべたのか、それはもうどこにもいない人への儚い愛情だったのだ。
「ごめんなさい! 私、無神経なことを」
「いいんですよ。もうずっと昔のことです。それにあの子は自ら望んで戦場へ立ったのですから」
「自ら戦場へ? 女の子なのに?」
「ふふ、そう女の子なのに小さな時から本当にお転婆で勇ましくて、とても手を焼かせてくれましたよ」
その光景を思い出したのか、ユリウスさんは声を立てて笑った。娘と過ごした日々は彼にとって何よりも幸福な日々だったに違いない。
『魔法大戦』、魔法使いである私はこの言葉をよく耳にする。この争いによって沢山の命とそして魔法が失われた。歴史上最悪と呼ばれる戦。アルカディア高等科の転送肖像画となった彼らの多くはこの魔法大戦で亡くなっているのだ。私の好きなマリアンヌもそう。
ユリウスさんもこの戦いで大切な娘を失くしていたのか。
そうするとやはり、ユリウスさんはオルヴォン伯爵ではないのか。文献が間違っている可能性もあるが……。
そういえば鈴白はユリウスはその後に続くものを何一つ作らなかった。と言っていた。薫さんが言う鈴白があの鈴白なら彼が言っていたユリウスとはこの人のことなんじゃないのだろうか。なら、娘がいるこのユリウスさんとはまた違うユリウスさん?
一体何人いるのユリウス……。
推測するのに疲れてきた。なんだか何かパズルのピースが一つ欠けている気がしてならない。が、それがなんなのかさっぱり分からない。
彼の家名を聞けなかったのは痛いが聞き直す雰囲気でもなくてその日は彼の布団を借りて眠ることになった。
床で寝ると言ったのに、女の子にそんなことさせられませんと家主であるのも関わらずユリウスさんはゴロリと床に寝転がって眠ってしまったのだ。
なんだかこういう紳士的な所、一ノ瀬君に似てるな……と思いつつ、彼に詫びながら布団を使わせてもらった。
目を閉じて眠りに落ちそうになりながら、今更ながらに疑問が浮かぶ。
どうして彼は私がここに来た理由を聞かなかったんだろう。
ユリウスさんなら私の話を真っ先に聞いて、用事を手伝いそうなのに。そう考えつつも睡魔には勝てずいつの間にか深い眠りに落ちていった。
◆ ◆ ◆ ◆
――――夢を見た。
最近見せられた誰かが介入してくるような夢ではない。それはなんとなく分かった。これは私の夢じゃなくて、もしかしたら無意識に私自身が誰かの夢を覗き込んでいるような。
だって私、この場所を知らない。知らない場所で知らない人の知らない光景は見られない。こんなにはっきりと見ることは出来ない。
どこか見知らぬ川のほとりで一人の少年が蹲って泣いていた。顔は見えない、顔を膝に埋めて漆黒の髪を揺らして震えていた。
どこからともなくもう一人白髪の少年が現れて、彼の背中を蹴とばした。
ころんと、毬のように泣いていた少年は転がって草のしげる地にうつ伏せに倒れた。
『こんなところでいつまで泣いてやがる』
『うっ――ひっく……だって』
『だってじゃねぇーよ、てめぇーがそんなだから俺が苦労する』
『――――君は、強いからいいじゃないか。僕は……嫌われたらどうすればいいのか分からないよ』
白髪の少年はうつぶせたまま泣く黒髪の少年の髪を掴むと引っ張って顔を上げさせた。黒髪の少年は痛さに悲鳴を上げる。
『嫌われたなら嫌えばいい。煩わしいなら殺せばいい。俺はそうする』
『僕は……できないよ』
弱弱しく言う黒髪の少年に白髪の少年は握り拳を作って彼の頬を殴った。そのままの勢いで黒髪の少年はまた地を転がる。
『じゃあお前はずっとそこでそうやって泣いてろよ。俺は行く、こんな辛気くせぇとこ出てってやる!』
そう言って白髪の少年は走り去り、その場には黒髪の少年だけが残された。
少年はずっと、泣き続けた。白髪の少年が走り去った森へ向かって手を伸ばしながら。




