52 phantom 彼の名は
幻狐の里に入った私達は村人達の好奇な視線にさらされた。
彼のような異人も珍しいのだろうし、私のような黒ローブの少女も背負っている。見るなという方が無理だろう。
私はその視線に耐えられなくなって顔を彼の背にくっつけて見ないふりをした。彼はというと「困りましたね」と一言呟いて苦笑したくらいだった。
こういう好奇な視線を浴びることはもしかしたら慣れているのかもしれない。
村人達の視線から逃げつつ、私は里を眺めた。幻狐に見せられたあの幻の世界での幻狐の里とほぼ一緒の風景で、この道を行けば今にも崩れそうなお地蔵様がある。そう思い出せばその通り、そこにはお地蔵様があった。
多少違う所はあれど作りは同じ。
幻狐に落とされたことは確かなはずだからあの里とまったく同じ場所である可能性は低い……かな。
私一人では出られなかったのに、彼と一緒だと森から出られたのも不思議だ。
幻狐の意図がさっぱり分からない。
「とりあえず里長の所へ行きましょうか。私の家が用意されているはずなので」
やはりというかなんというか里長は幻狐に見せられた幻の里長とまったく同じ顔をしていた。優しげなまったりとした喋り方も同じだ。
しかし里長の方は私に覚えがないようで、まるっきり初対面の対応をしてきた。なので私も合わせて初対面のふりをする。
実際この里長とは初対面なのだろう。
里長の奥さんのお婆さんが背負われた私を不思議そうな眼差しで見ていたが痛々しいほどに腫れている右足に気が付いて「可哀想に……」と若い女の子が傷を作っちゃ大変だと、棚の奥から薬草を取り出し患部に塗ってくれた。その上綺麗な包帯でぐるぐると巻いて固定までしてくれる。それだけでだいぶ痛みが治まった。
「お婆さん、その薬草高価なものでしょう? 包帯も……後で治療費を払わせてください」
「いえいえ、魔法使い様いいんですよ。薬草も包帯も使う時に使わなくちゃーねぇ」
彼の言葉に私はハッと右足を見た。そんなお高い物をあっさりと塗ってくれたのか。人の好い笑みで微笑むお婆さんに、私は精一杯の感謝の言葉を述べて頭を下げた。
うう、とってもいいお婆さんだ。
その後、軽い食事を貰い、彼と私は案内された小さな藁ぶき屋根の家に辿り着く。
外見はボロボロで戸は立てつけが悪くガタガタいったが室内に入れば、里長達がマメに掃除をしてくれているのかそれほど悪くはなかった。
狭そうだが一人で暮らすのなら十分な広さがある。台所も備え付けられていた。
彼は荷物と私を降ろすと、
「とりあえず、お茶でも飲みましょう」
と、荷物の中から筒を取り出した。
蓋を開ければ緑茶の良い匂いがする。
「日本人なら緑茶に限りますよねー」
いや、あんた絶対に日本人じゃないだろ。金髪碧眼が何をぬかしているのか。思わず胡乱げな眼差しをしてしまった。
「あれ? もしかして別のが良かったですか?」
ああ、なんだ『日本人なら』の日本人は私に向けての言葉だったようだ。
「緑茶で良いです。緑茶大好き」
「よかった。一度食器を洗ってきますので待っててくださいね」
そういうと彼は荷物の中からカップを二つと棚に置かれていた古そうな鉄製の鍋のようなものを持って外へ出て行った。
台所には水道がない。里の人達の風貌を見てもどう考えたって現代日本ではありえないだろう。里の範囲内のみでの判断になってしまうが、大分古い時代背景のような気がする。
それがいつごろの時代なのかはまったく分からないが。
やることもなくただぼーっと彼の帰りを待ちながら、今後のことを考えた。
里に用事があるとか適当なことを言ってしまった手前、なにかそれらしいことを考えておかなくては怪しまれてしまう。それに今夜泊まる場所もないし、ご飯のあてもない。ポシェットにはお守り五つのみでお金は入っていなかった。
まぁ、いくらかあったところでここでは意味をなさないんだろうけど。
森から出られたのはいいけど、どうやったら戻れるのか。そもそも戻る手段があるのかどうかも分からない。
……いけない、暗くなっちゃダメ。私は下へ下へとものを考えすぎるから少しは楽天的にならないと。
「なんとかなるなる、なんとかなるさ」
呪文みたい。でも言っているとなんだか本当になんとかなりそうな気分になったので、歌うように口ずさんでいると、
「面白い呪文ですね。……歌魔法ですか?」
「――ごふっ!!」
いつの間にか彼が戻ってきていた。
慌てて戸に目を向ければ水に濡れた手と食器を持って彼は笑っていた。
恥ずかし過ぎる!
顔を真っ赤にして身を縮こまらせた私の前を通って、彼は水の入った鍋を台に置いた。下には薪をくべる空洞があるのでかまどだろう。
かまどの脇に置いてあった薪をいくつかいれて彼は火を起こした。傍に火打石が置いてあったが魔法使いである彼はそんなものは使わない。詠唱する声が聞こえなかったから無詠唱で火の魔法を使ったようだ。
すごいな。
普通、無詠唱だと加減ができなくて予期せぬ威力が出たりするものだが、彼の魔法は安定して静かな炎を起こさせた。
全属性だし相当高位な魔法使いなのかもしれない。
しかし、気になるのは彼が全属性魔法使いなど吐いて捨てるほどいると言っていた事。現代では考えられない。
やはりここの時代設定はそうとう古いものなのだろう。
全属性魔法使いが沢山いた時代はいつだっけ。正確な年数は分からないが数百年単位で古いだろう。魔法使いの絶対数が減り始めたと騒がれたのは確か五百年くらい前からの話だ。だからそれ以上昔ということになる。
この舞台設定の日本は今、何時代なの!?
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ふわりと湯気が立ち上る緑茶を貰い一息つく。
緑茶って飲むとすごく落ち着くんだよね。眠気を飛ばす為によく無糖コーヒーを愛飲してるけど紅茶も好きだ。
ほのぼの気分で緑茶を楽しんでいるとなにか視線を感じて横を見れば彼がじっと私の方を見ていた。
「なにか?」
「…………いいえ、とても美味しそうに飲むなぁと思いまして」
「すごく美味しいですよこの緑茶」
「そうですか、良かったです」
そう言って自分も飲むと、「本当だ、すごくおいしいですね」と感想を言う。まだ飲んでなかったのか。
再び緑茶に口をつけたのだが…………やはり見られている。すっごく、穴が開くくらい。確か前にもこんな風に見られたことがあるような、なにこれデジャヴ。
「あのーー、私に何かついてます?」
「え? なにも」
「……じゃあ、なんでさっきからずっと見てるんですか」
彼は一瞬キョトンとしたが、すぐに何かを懐かしむように優しく微笑んだ。
なんだ、なんなんだ。
そんな綺麗な笑顔に騙されないぞ、私は。免疫ないからちょっとドキドキしてるけど、決して流されませんよ。
不審な眼差しを返せば、彼は困ったように眉尻を下げた。
「……すいません、少し……その、知り合いに似ていたもので」
「お知り合いにですか?」
「ええ、とても大切な…………娘に」
「――ぶふっ!」
彼の突然のカミングアウト発言に緑茶を盛大に吹いてしまった。やだ、もったいない。
ごふん、ごふんと咽ながら心の中で「いやいや、娘って自分の子供とかじゃなくて女の子のことでしょう、恋人とか!」と言葉を巡らせたが、
「大丈夫ですか? 私に子供がいることがそんなに驚きですかね……」
娘が自分の子だと言いました! はっきりと!
喉を傷めつつ、じっと彼を見る。視界が霞むほどの美貌を持つ王子様風の金髪碧眼青年はどう見積もっても十代後半辺りにしか見えない。
十代後半で結婚して子供をもうけたとしても娘さんは大きくても三歳前後? 似てるとか似てないとか分かるのか。
「お、お若く見えるのでつい……えっと、娘さんはおいくつなんですか?」
「年ですか? えーっと……確か、十八」
「十八!?」
まさかの年上。
まて、まてまて落ち着いて私。おかしいから、明らかに歳が合わないから!
混乱しすぎて持っているカップがガタガタ揺れる。私の理解が追いついていないことに気が付いたのか、彼は事情を説明してくれた。
「強い魔力を持っている魔法使いは極端に老化が遅い……というのは知っていますか?」
「え? あ、はい」
知識では知っている。ただし、現代にそんなに極端な老化の遅れをするような魔法使いはいないので実際はどうなっているのか分からない。
「私の実年齢、二百を超えています」
「へぇ……―――――ええぇっ!?」
緑茶をすすりながらさらりと言ったので素通りするところだった。この外見で二百歳以上!? 人間的にありえるのかそんな年齢。
と、ふと思い出した人物が一人。
ユリウス・オルヴォンという名が自然と湧いた。彼は二百年近く生きたはずだ。二百年以上生きたのかは不確かだが、それくらいの生を生きた人物は一人はいたことになる。
ありえない話ではない……のか?
「す、すごい……ですね。他の魔法使いの人もそんなに長生きなんだ」
「……いえ、二百年なんて非常識な年数を生きているのは私だけですよ」
彼の言葉に私は驚いて横を見た。どこか寂しそうな眼差しにぎゅっと心臓が握られたように痛む。
全属性が吐いて捨てるほどいる時代。きっと彼くらい生きる人も他にいるのだろうと勝手に思った。けれど違っていたようだ。
それでは彼、『ユリウス・オルヴォン』の存在はどうなっているのだろう。
彼は自分一人きりだと言っている。
いくつかの矛盾はあったが一つの憶測が浮かび上がり、そしてそれを確かめるかのように私は口を開いていた。
「そういえばまだ名乗っていませんでした。私……花森李って言います。……貴方の名前は?」
「…………私は―――――――――ユリウス」
『ユリウス』――――貴方はどこのユリウスさん?




