49 phantom 幻狐の里2
草履を履いて私はのんびりと散歩することにした。
お日様ポカポカ、のどかな陽気である。
父と兄は働きに出かけました。……えーっと何の仕事だったかな。兄は力仕事系だった気がする。父は難事件を解決する系だった気がする。
そんな設定だった気がする。
…………設定?
――――疑問はするりとかき消される。
私は里の長に散歩がてら野菜を分けてもらえる話を貰っていた。うちにも畑はあるが、この間、私がうっかり枯らせてしまったので里長の情けである。
なぜ枯れたのかは謎である。
枯れないと里長の所へ行くイベントが起きないから…………イベント?
――――疑問はするりとかき消される。
なぜ枯れたかは永遠の謎なのである。
「里長ー、お野菜分けてもらいにきましたー」
「おお、ハナモリちゃんいらっしゃい。婆さん、ハナモリちゃんに野菜を分けてやっておくれ」
お婆さんから新鮮な野菜を分けてもらい、明日もこれで生きていけるとお礼を言って意気揚々と帰ろうとすると、私が開けるよりも先に戸が開いた。
「やあ、君も来ていたのか」
「卯月さんこんにちは!」
戸を開けたのは優しげな風貌の青年だった。この里を悪い妖から守る陰陽師、九十九家のご長男だ。
「……ハナモリ君か、一茂殿は健勝かね」
「元気ですよ。相変わらずぐーたらしてますが」
卯月さんの後ろからもう一人、中年の男性が現れた。彼は九十九家のご当主で卯月さんの父君、水無月様だ。
…………? あれ、そうだよね。この人、水無月様だよね?
前々から面識があるはずなのになんだか初対面のような気が…………。
――――違和感はさらりとかき消される。
「お二人とも里長にどのようなご用事で?」
「打ち合わせだ」
「打ち合わせ?」
卯月さんは困ったように微笑んだ。
「君、もしや忘れてしまったのか? もうすぐ幻狐祭だろう」
『幻狐祭』その単語を記憶から引っ張り出す。
確か、この里を守護する幻狐様を祀るお祭りだったはずだ。もうそんな季節だったか。
「去年も兄君に手を引かれてはしゃいでいたじゃないか」
「そうでした……」
去年は兄も祭りの準備に加わっていたのでなかなか遊んでもらえず拗ねていた覚えがある。祭りの当日も忙しくしていて父も警備かなにかでいなかったような。
色々思い出らしきものが浮かんでくるがどうにも断片的で現実味がない。
今年も兄も父も忙しいだろうから相変わらずぼっちで祭り見物だろう。去年は最終的に兄が最後の最後、一緒に祭りを回ってくれたので私の機嫌はうなぎ上りして年甲斐もなくはしゃいでいた姿を卯月さんに見られていたようだ。
会合の邪魔になるだろうと私はそのまま退散し、野菜籠を大事に抱えて家に向かった。
『幻狐様、幻狐様、今日も一日無事でした。
明日も明後日も私達に良い夢を。
怖いことがあるのなら、いつでもいらして、夢の中。
あなたの守りに感謝します』
歌のような祈りのような言葉が聞こえた。
小さな沢山の子供達を連れた母親が口にしているようだった。
幻狐様は、この里を守ってくれている古の狐の妖。夢に現れ、人々に危険を知らせてくれる善き妖様。
今日この一日を無事に過ごせるのも幻狐様の加護があるからだ。
幻狐様は里の人達に愛されている。
――――愛されている?
どこからともなく溢れる疑問。
――――かき消せ、かき消せ。
幻狐は愛される存在。人々を守護する存在。決してやっかまれてなどいない。
必死に訴える声。違和感。頭の中がごちゃごちゃする。
『――――祭りだ。祭りを始めよう』
景色が一変した。
夕闇に染まる里、賑やかな祭囃子が鳴り響き、浮き立つ人々によって広場は足の踏み場もないほどになっていた。
里中の人々が集まる『幻狐祭』が始まった。
始まった? あれいつの間に。
「おーーい、ハナモリ」
兄が人混みの中手を振ってやって来る。右手には棒についた水飴を持っていた。
「お兄ちゃん? どうしたの、お手伝いは?」
「去年一緒にあんま回れなかったろ。おやっさん達が今年はいいからって……ほら」
兄は持っていた水飴を私に渡してくれる。
甘いものが大好きな私は大喜びで受け取った。すぐに齧る。
「おいひー」
「そうかそうか、いつもは甘味なんか買ってやれねぇーからな。親父からいくらか貰ってきたし、今日は好きなもん買っていいぞ」
「やった!」
お祭り最高。幻狐様、ありがとうございます。
流れるように差し出された手に、自然とその手をとって繋いだまま私達は賑やかな祭りの中へと入って行った。
自然に手を繋いだ。去年も繋いだし、兄妹だし普通だよね?
…………なぜ徐々に気恥ずかしくなってくるのだろう。私もお年頃というわけだろうか。
それからは私は兄の手を引いてあっちにこっちにと目移りしながら祭りを楽しんだ。うちが貧乏なのは知ってるから好きなものを買っていいとは言われたけど結局買ったのはお面と七色の飴玉だけだ。
それでも楽しかった。一人じゃないだけでお祭りはこんなにも楽しいものなんだな。
兄がいて良かった。
一人は寂しくて、ずっと欲しくて母におねだりを。
…………いやいや、何言ってるの私。母親におねだりしても兄は生まれないから、私がいる時点で下しか生まれないから。
頭が混乱している。
「ショウ! おーい、ショウいいところに!」
「なんだよ、爺さん」
「ちょっと道具切らしてな。取りに行ってもらいたいんだが」
「妹と祭りに来てるんだ。今日は勘弁してもらいた――」
「おじいさん困ってるよ。私はいいから手伝ってきなよ」
「けど……」
「私だってもう子供じゃないんですからね。ちょっとくらいお兄ちゃんがいなくたってへーきだもん」
兄は少し迷ったようだが、私の頭をぽんと優しく叩くと。
「少し待ってろ、すぐ戻るからな!」
足早におじいさんの所へ走って行った。兄はとても優しくてよく色んなことを頼まれている。頼りにされているのだ。ちょっと使いっ走りにされてる気はしなくもないけどね。
しかし兄の人望のおかげで毎日つつがなく生活できているといってもいい。
お裾分け、重要である。
喧騒から少し離れた木陰で飴を頬張りながら兄を待つことにした。
夜も更けてそろそろお祭りも最高潮といったところか。だいたいは見て回ったし後は父へのお土産を選んで帰るだけになりそうだ。
ぼーっと祭囃子を聞いていると、ふと一組の兄妹が目に入った。お兄さんの方はうちの兄と同じくらいで妹さんの方は十歳前後の少女だった。
なぜ目を引いたかといえばそれはお兄さんの容貌があまりにも綺麗過ぎた為だ。まず銀色の髪なんてこの辺りでは見た事がない。それだけで人目を引くが宝石のような青い瞳に透き通った白い肌、まるで野良仕事などしたことがないと言った風な容貌でこの里にはあまりにも不釣り合いだった。
都の人かな?
『幻狐祭』は都の方でも知名度がそれなりにあるようで、里の外の人達も多く参加しているのでそれでも不思議はない。
ざわり、と胸がさざ波立った。
なぜだろう、彼らから目を離せない。
楽しそうにお祭りを眺めている兄妹。ありふれた情景。それでも何かが私をここへ引き留めさせた。目を離してはいけない。見失ってはいけない。
どうしてかそう思った。
だから喧騒の中へと消えていく二人を私は慌てて追いかけてしまっていた。
――――何かがひび割れる音が小さく鳴った。




