46 vanish 神隠し5
「あーゴホン、改めて俺の名は千葉一茂。魔法科所属の警察官だ。依頼を受けて来たんだが緊急っつーことであんま詳しいことは俺は聞いてねぇーんだが」
こいつはどうか知らねぇーけど。と、千葉刑事は自分の隣で微笑んでいる鈴白をじろりと睨みつけた。
睨まれているというのに鈴白は意にも介さず私の方だけ見ている。
「あの……依頼を受けたにしては来るのが速すぎると思うんですけど」
幻狐町は田舎だ。魔法使いが在籍しているような警察署はこの近くでは三時間ほどかかる場所にある。あれから日向さんがすぐさま連絡してくれたとして、どんなに急いでもこんな森の奥までこれるわけがないのだ。
「ああ、それはな。元々俺達は別の用件で幻狐町に向かってたんだ。今回の件は追加依頼ってぇことだな」
「別の用件ですか?」
「そうだ。あまり詳しくは話せないが、こちらの方が緊急性が高そうだからな。で、ここはどうなってやがるんだ? 周囲は霧だらけだっつーのに、やけに見通しがいいじゃねぇーか」
穴が開いたかのように霧が晴れ光が注がれるこの一帯を、千葉刑事は訝しげな顔で見回した。
「この場所は特別なんですよ」
と、ようやく現状を一番知っていそうな鈴白が口を開いた。
「幾重もの結界によって手厚く守られている場所。ここにまやかしは存在できず、ゆえに霧も進入することが敵わない」
「……結界?」
私は首を傾げた。
結界を通ったのなら何かしら気づくと思うのだが。そもそも私も一ノ瀬君も何にも引っかからずにたやすくこの場所に侵入できてしまっている。結界の意味がない。
「今は解けてしまっています。ただ名残がある為、霧の侵入だけは防いでいるようです。仕方がないですよね、結界を構成している人間が行方不明となってしまったのですから」
そこまで聞いて私はようやく思い至った。
行方不明になった結界を構成できる人物は一人しか思い当たらない。
「もしかしてここが…………幻狐が封印された場所?」
花月さんが言っていた。幻狐が封印されている場所には結界があり、結界を張っている九十九君のお父さんでないと道は開かれないと。
「その通りです。ちなみにあそこにある小さな岩が憑代ですね」
鈴白が指さしたのは中央にあるあの小さな岩だ。
えーっと私…………あの岩によっこらしょしたんですけど……。
「ええぇっ!? あれ憑代だったの!? わ、私思いっきり座っちゃったけど! 尻で敷いちゃったんだけど! 祟られない!?」
一気に青ざめた私は鈴白の襟元を掴んで強く揺さぶった。
悪い妖といえどその身に代わるものを尻で敷いてしまうなんて、祟られても文句は言えない。
しかし焦る私とは対照的に鈴白は涼しい顔だ。
「大丈夫じゃないですか? お留守のようですし。……そもそも貴女は、幻狐に別の理由で憎まれてるじゃないですか」
さらりと言われて私の動きはピタリと止まった。
今、重大な話を聞いた気がする。
「……お留守ってことはつまり……幻狐の封印は解かれちまってるってことだよな?」
いち早く立ち直った一ノ瀬君が恐る恐る鈴白に問いかけた。なんだか静かにしているなと思ったが、一ノ瀬君はさっきから鈴白と一定の距離を保っている。
近づくのを拒否しているような気がした。
「そうですよ。……君はあまり賢くなさそうですが、嗅覚の鋭い馬鹿は嫌いじゃありません」
褒めているのか貶しているのか分からない言葉を一ノ瀬君に返すと、鈴白は面白そうに一歩、彼に近づいた。
すぐさま一ノ瀬君は一歩下がる。
「一ノ瀬君?」
「なんだ坊主、鈴白が怖いのか?」
私も千葉刑事も一ノ瀬君の様子に首を傾げた。
一ノ瀬君の顔が青い。
「確かに鈴白は人間じゃねぇーし、得体のしれないところはあるが無暗に人を殺すことは―――」
千葉刑事は話の途中で言葉を止めてしまった。眉間に皺が寄り、相貌が険しくなる。私はなんだか嫌な予感がして、一ノ瀬君の傍についた。
「なんだろうね? さっきからすごく懐かしいニオイがするんだ。ここに帰ってきたから思い出してきたのかとも思ったんだけど……」
ゆっくり近づいてくる鈴白が妙に威圧感があって怖い。顔は笑っているのに、瞳に剣呑さが混ざっている。
「懐かしい……ねぇ。おい、鈴白たぶんそいつはお前の知り合いじゃねぇーぞ。子孫かなんかだろ」
「…………子孫? いいえ、違いますね。そう、『彼』はその後に続くものを何一つ作らなかった」
そっと鈴白は一ノ瀬君に向かって右手を伸ばした。
「思い出しましたよ、私に言葉遣いを教えた人を。私が最後まで殺そうと思っても殺せなかった魔法使い……逢えて嬉しいです――――――ユリウス」
その名を呼ぶ鈴白の声音はどこまでも優しかった。
優しい響きだった……のに、なぜ!?
「―――がっ!?」
「鈴白!? 止めて、放して!!」
伸ばされていた鈴白の右手が一ノ瀬君の首を締め上げた。細腕なのに私と一ノ瀬君が抵抗してもびくともしない。
「―――っは!!」
掛け声と共に強烈な蹴りが鈴白の胴体を捉え、衝撃で鈴白は横に薙ぎ倒された。蹴りを入れたのは千葉刑事だ。
掴まれていた一ノ瀬君も一緒に横倒しになってしまったが、鈴白の手からは解放され、咽ながらも起き上がった。
「一ノ瀬君! 大丈夫?」
「げほっげほっ……だい、じょうぶだ」
息苦しそうだが声が出せるならひとまず安心だ。
だが、よく見れば彼の首には鈴白に絞められた指の跡がくっきりと残っている。
「鈴白、てめぇの頭のねじが一本どっか吹っ飛んでんのは知ってるがな、牢に放り込まれるようなマネだけは勘弁してくれよ」
「……………すみません、一茂さん。あまりにも…………嬉しくて、つい」
歓喜して首を絞めるなんてどういう了見だ。
鈴白は倒された状態のまま動かず、『少し頭を冷やすので時間を下さい』と言うのでとりあえず私達は鈴白から少し離れたところで腰を落ち着けた。
「んでだ。坊主、お前の名前、外人風のカタカナなのか?」
「まさか、俺生粋の日本人で埼玉県民っす」
鈴白は確かに一ノ瀬君を見て『ユリウス』と呼んでいた。しかし一ノ瀬君はどう見ても日本人だ。
「親戚にユリウスって人はいないの?」
「いねぇーよ、親も従兄妹も他の親戚にも外国人はいなかったはずだ」
それではなぜ、鈴白は一ノ瀬君のことをユリウスだなんて呼んだんだろう。誰かと間違えた? でも彼を外国人と見間違えるには相当無理がある。
一体、どういうことなの?




