45 vanish 神隠し4
長い事、歩いていたように思う。(実際に歩いたのは一ノ瀬君だけど)
携帯で時間を確認してみれば十時過ぎ、二時間ほど歩いているようだ。霧深過ぎて太陽が拝めないので時間の感覚が分かりづらい。
「一ノ瀬君、結構登りきつくなってるし、降りるよ」
「へ? 大丈夫だってこんくらい。親父なんか米俵担がせて急勾配の道を何十往復もさせんだぜ。それに比べたら……」
「ずいぶんとスパルタな……」
いまどき珍しい扱き方だ。
「将来何になるにしても体は資本、体力はあるだけあった方がいい――ってのか親父の持論だからな」
「ああ、それは分かるかも」
丈夫であることに越したことはない。普通のサラリーマンになったとしても体力がないとすぐに潰れてしまうし。
うちのお父さんも残業残業でいつも死にそうな顔してたなそういえば。
魔法使いになった時点でそういう普通の職業にはまずつかないだろうけど。体力を使わない仕事なんてないんだから。
「にしてもどこまで歩きゃいいんだ?」
「ちょっと待って――」
右手を前に出し、指先に神経を集中させる。
反発し合う力の存在をまだその先に感じた。ただ、確実に近くなっている。
「このまま真っ直ぐ、たぶんもうすぐ着くよ」
「んじゃ、もうひと踏ん張りするか」
「や、ちょっともういいから降ろしてって!」
降りようとする私を一ノ瀬君は黙って制して、そのまままた歩き出してしまう。
山道に歩き慣れてなくてペースが遅くなるのは分かってるけど、このままっていうのもちょっと困るんだけどな……。
あともうちょっと、あともうちょとと呪文を唱えつつ大人しく背負われていることにした。
それから三十分ほど時間が経過した頃、私達は開けた場所に出た。なぜかそこだけは不思議と霧が晴れており、穏やかな日差しが天から降り注ぎ幻想的な空間を作り出している。
私は一ノ瀬君の背から降りると、警戒しつつ彼と共にその空間の中に足を踏み入れた。
日差しの中は陽だまりに包まれるように温かい。
周囲を見回せば、丁度中央の辺りに小さな岩がある。
……あれ? 私、ここどこかで見た事が。
既視感を覚えた瞬間、私の記憶を呼び覚ますように
――――リーン――――リーン――――
どこからか鈴の音が響いてきた。
「鈴白!?」
ハッとして辺りを見回したが夢で見た彼の姿はない。
「鈴白!? ねえ、いないの!?」
叫んでみたが誰かが答える様子はなく、広い空間に私の声だけが木霊した。一ノ瀬君は私の様子を見て訝しげに首を傾げる。
「鈴白?」
「夢で見たの、絶対ここよ!」
「夢って、あの雹ノ目のか?」
そういえば一ノ瀬君には鈴白の夢の話はしていなかった。悪い夢ではなかったし、九十九君も悪い人ではないと言ってくれたから安心していて伝えるのを忘れていた。
「昨日、私仮眠をとらせてもらったじゃない? あの時に不思議な夢を見たの。霧深い森の中を彷徨って、鈴の音を頼りに歩いて行ったらこの場所に出て、そして……」
「鈴白って奴に会ったのか?」
「そう、丁度あの小さな岩に腰掛けてて。怖い感じはしなかったし、九十九君も悪い人じゃなさそうって言ってたから」
性格は悪そうとは言ってたけど。
「なるほど。鈴白ってのがどんな奴か知らねぇーけど、花森が力を辿って着いた場所が夢の場所と同じ光景ってのは、やっぱ意味あんのかな」
「分からない……けど無関係とは思えない」
彼は次は現で会おうと言っていた。なら、今がその時ではないのか。私がここに辿り着くことを悟って夢に現れたのではないのか。
「とにかく一度、この辺りを調べて見ましょ」
「おう」
私達は手分けして辺りを調べ始めた。この場所だけは太陽の光が届いて明るいので手元が覚束ないということもない。見落としも少ないはずだ。
しかし文字通り草の根分けながら八方調べたが特に何も見つけられない。
しゃがんでいた体勢から立ち上がると、ふらりとよろめいた。
いけない、立ち眩み。
あれだけ一ノ瀬君に背負われて楽をしたというのに体力がなぜか削られている。なんでだろう、と思ったがすぐに思い至った。
鈴白が夢に介入してきたからだ。気が付かないうちに体力を持っていかれている。よろめいて手が出た先は夢の中で鈴白が腰掛けていたあの小さな岩だった。上の方は丸みがあってイスのように座っても問題なさそうだったので、そのまま腰を降ろした。
鈴白はこうやって向こうから来る私を待っていたのかな。
森の中は相変わらず濃い霧に覆われており、すぐ近くまで誰かが来ても分からないぐらいだ。
――――リーン――――
また聞こえた、鈴の音。夢の中で鈴白が鳴らしていたものと同じだとハッキリ分かる。けれど彼はここにいない。
では一体、誰がどこでこの鈴を鳴らしているのか。耳をすませてもすぐそばで聞こえている気がしてならないのに。
鈴白は私になにを話していったっけ。彼は私と一対一で話がしたかったと言っていた。私の纏う風が気に入ったから私のこの先を案じてくれた。
……いや、案じるというよりはどちらかというと……。
「――花森!」
物思いにふけっていると突然、一ノ瀬君が私を呼んだ。慌てて顔を上げれば一ノ瀬君がこちらへ急いで走って来るのが見える。
すぐさま私の隣まで来た一ノ瀬君は私の手を掴んで立ち上がらせた。
「なに!?」
「誰か来る」
一ノ瀬君は両手を武装し構える。私も腰に吊っている鞭を手に取った。魔力感知は私の方が上だが気配察知は一ノ瀬君の方が上だ。
徐々に一ノ瀬君が感じ取った誰かの気配を私も感じられるくらいまで近づいて来てる。もしかしたら鈴白かもしれないとも思ったが、気配は二つある。
望みは薄い。
痛いほどの殺気を一ノ瀬君が霧の中へ向かて発していると霧の中から黒い影がぼやっと現れ、この場所に入った瞬間それはくっきりと人の形を成した。
「あー、待った待った。怪しいもんじゃねぇーよ」
一ノ瀬君の殺気に気圧されたのか現れた男は両手を上げて降参ポーズで歩み寄ってきた。怪しいものじゃないとか言っているが、よれよれのトレンチコートに不精髭を生やしたおっさんほど怪しいものはない。
「一茂さん、あなた見た目からして怪しいんですから先に身分証明した方がいいんじゃないですか?」
現れた男の姿に警戒を解けないでいたが、私は続けて聞こえて来た声に耳を疑った。聞いた事のある声だ。
不思議と聞くと落ち着く。言ってることは失礼極まりないのに。
驚きに目を見開いていると、声の主が姿を現わした。
白髪の長い髪を後ろで一本に括り、黒いスーツを着ている若い男性だった。夢の中では和装だったが、あの背の高さといい声音といいやはり。
「……鈴……白?」
呟いた言葉に一ノ瀬君は驚いた顔をして、彼の方を見た。小さな呟きだったがスーツの男にも私の声が届いたようだ。
私と視線を合わせると黄金の瞳を細めて微笑んだ。
「こんにちは、現の世界では初めまして……ですかね、可愛い魔法使い……花森 李さん」




