44 町外れの森の中(鈴白視点)
くすくすくす――――。
『彼ら』が楽しげに笑っていた。
嘲笑ではない、小さな子供がお菓子を待ちわびていたように待ってましたと言わんばかりの勢いで私の周りに集まり、笑っているのだ。
『お帰りなさい。お帰りなさい』
『ずいぶん帰りが遅かったね。ずっと待ってたよ』
わらわら、わらわらと。
私の周りに纏わりついて動かしていた足を止められてしまった。
やれやれ、これから急いで行かなくてはいけないところがあるというのに。
私は足元に纏わりついてきた『彼ら』をできるだけ優しく見下ろした。本当に久しぶりに帰って来たから、怒るのは無しにしよう。
『彼ら』は狐の姿をしてはいるが、普通の狐ではない。気が遠くなるほど昔からこの森に住んでいる妖である。
みんな、『幻狐』の眷属だ。
「そんなに私は長い間、ここに帰っていませんでしたか?」
『うん、とてもとても長かったよ。人間なら一回は生まれ変わってるくらいさ』
『そうそう、ざっと千年!』
千年、その単語に私は今更ながらにずいぶん戻っていなかったことを自覚した。不老に近い身だと時間の感覚があいまいになっていくから困る。
以前親しくなった人間と久しぶりに再会したと思ったらその人の子孫だった……とか、ざらだ。
「君達は変わらないですね」
『そりゃー妖だもん。……ねぇ、それにしても君の方はどうしたのさ』
「ん?」
『喋り方だよ。ここに居た時とはずいぶん違う感じになったね』
どうだったろう。
そういえば人間社会に混じるようになってから、言葉遣いがなってないとか言われてしつこく正された気がする。
「人の世はとても面倒臭いんですよ。能無しにも媚びへつらわなくてはいけないし」
『媚びへつらったの!? 君が!?』
『よくそんなところに千年もいられたね! 君が!』
「……君達は私をなんだと思ってるんですか……」
と言いながらも私は昔の自分を、いや自身の本性を思い出した。そういえば私はそう気の長い方ではなかった。言葉遣いを正そうとした人を何度殺そうと思ったかしれない。
ただその人が私よりも上手で強かったからできなかっただけだ。
誰だっただろう。大昔すぎて思い出せない。
『君が殺せないなんてずいぶん強い人の子だったんだね』
『すごいね』
「そうですね……とてつもない人だったと思いますよ。記憶は曖昧ですけど。まあ、昔は今よりも霊力の強い魔法使いが多くいましたからね」
それなりに手こずった魔法使いはいた。彼はその中でも桁外れの霊力を持ち、まるで赤子を捻るかのように私を退けてみせたのだ。
……ああ、徐々に思い出して来たかもしれない。その人は男性だった。それにそう、明るい金髪だ。
異人の西洋魔法使い。
名前は……名前は……。
『鈴白、鈴白』
「なんですか?」
『誰か来るよ。知らない人』
彼らが警戒心を顕わにして毛を逆立たせるので私も気配を探ってみたが、私としてはよく知る人のものだったので唸る彼らを安心させるように撫でてやった。
「私の知己ですよ。大丈夫、君達に危害を加えたりはしませんから」
しかし、彼はどうやってここまで来たのだろう。道を教えたりはしなかったというのに。
草木を掻き分けてここまでやって来たのは四十代前半ほどの壮年の男だ。不精髭をはやし、ヨレヨレのトレンチコートを着ている。彼は年がら年中このコートを着ているのだがトレードマークらしい。
夏に彼を見ていると暑苦しくて蹴り飛ばしてやりたくなったが、ぐっと我慢して……やるわけがないので思い切り後頭部に回し蹴りを喰らわせてやった。
うん、やっぱり私、短気だ。
「一茂さん、よくここまで来れましたね」
「……根性と経験でな。それよりお前、俺はてめぇの監視も務めてんだよ。勝手に一人でウロウロするんじゃない」
「ああ、そうでしたね。ご苦労様です」
一茂さんはなぜかこめかみをひくひくさせた。
「物腰丁寧そうに見えて性格悪いな、お前」
「そうですか? 人の基準はよく分かりませんね」
「……人の何倍も生きてるくせに、人のことなんも覚えねぇーよな」
今度は頭を抱えだした一茂さんに私は微笑んで見せた。答える気もない。
「とりあえずとっとと町長の家に行くぞ。こう霧が深いと時間もかかって――」
「町長はいませんよ」
「あ?」
「どうやら霧に呑まれたようです。アルカディアの生徒達が事件究明の為に動いているようですよ」
「なんでアルカディアの生徒がこんなとこにいる?」
「少し前にこの辺りに出現した魔物討伐の依頼を受けて来たようです。……しかし彼らだけでは厳しいでしょうね」
「…………ったく、なんか色々知ってるみたいだが、きっちり話して――」
一茂さんの携帯のバイブが鳴り、会話が中断されたことに舌打ちをしながら彼は電話に出た。
「なんだ、今取り込み中だ」
『追加任務です、千葉警部。幻狐町にて町長一家と数名の町民が行方不明となりました。原因究明と事件解決の為、至急現場に向かってください』
「……了解。で、現場っつっても町長の家じゃねぇーよな?」
『はい、警部には陰陽師として有名な九十九家のお屋敷に向かっていただきます』
「九十九……ああ、薫の実家か。分かった、こっちのことは任せておけ」
一茂さんは電話を切ると溜息を吐きながら煙草を取り出し、一本吸った。
「ったく、面倒が増えやがる」
「そうですね、でもそうでもないかもしれませんよ」
「……なんだ、まだなんかあんのか」
「さあ? 私だってなんでもかんでも見えているわけじゃありませんし。けれど『彼』が見ているものについてはなんとなく察しがつきますから」
「ふぅーー、お前の言うことはいつもチンプンカンプンだな」
「そうですか? そういう割には普通に私についてきますよね一茂さん」
「有能だからな。んじゃ、行くか……とっとと片づけて、本来の仕事に戻らにゃならん」
人里の方へ降りていく一茂さんの背中を眺めながら、私は足元にしがみ付いてる彼らを見下ろした。いくら有能な魔法科の警察官でも彼らの姿を目視することは難しい。
『行っちゃうの?』
「そうだね、それが私の仕事ですから」
『鈴白は、ここが嫌い?』
不安げに見上げてくる彼らに私は笑顔を作った。
「ええ――――大嫌いですよ」




