42 vanish 神隠し2
遥か古の物語。
この地には人が根付くよりも前に強大な力を持った狐の妖とその同胞が暮らしておりました。その妖は安住の地を求めて彷徨っていた人々を、
『狐の同胞と仲良く暮らすのならば』
と快く迎え入れたのです。
その狐の妖の名は『幻狐』。人の夢の中に現れ、その人に起こる危険を警告する妖でありました。多くの危険から守ってくれる幻狐をいつしか人々は守り神として祀り、同胞である狐達も大切に扱っていたのです。
しかし長い時を経たある時、この地に一人の貴族がやってきます。彼の身に危険なことが起こることを予知した幻狐は彼の夢に現れ警告を促しましたが、それを無視。結果、大怪我を負う事となった彼は、これはあの狐の妖の仕業に違いないと怒り狂い、幻狐の同胞である狐達を手当たり次第に撃ち殺してしまったのです。
その所業に怒った幻狐はその男を喰い殺し、同胞を弔う為、殺された同胞と同じ数の貴族の付き人達を生贄としました。
人間を喰い殺した幻狐に恐れを抱いた村人達は陰陽師に幻狐を討伐してもらうよう依頼し、それを受けたのが我が九十九家の祖でありました。
祖は幻狐と戦いましたが、長い間、同胞と同じように仲良く暮らしていた村人達に刃を向けられた幻狐は人間に幻滅し、憎しみを抱いた事で『悪狐』へと堕ち、祖の力では倒しきることが出来ず封印するに留まることとなったのです。
長い間、守り神と崇めていた幻狐を裏切ってしまった村人達は、なんとか赦しを得ようと幻狐の像を建て、祈り続けましたがいまだ幻狐の赦しは得られていない……そう、伝わっております。
花月さんの静かな声音で語られたこの『幻狐町』にまつわる狐の妖の物語。私は駅の裏で見た怖い狐の像の事を思い出した。
「もしかして狐の像の顔が全部怖いのは……」
「……村人達の幻狐への恐怖心の表れでしょう。幻狐を封じた我が祖も、村人達の懇願によってこの地に残ることとなったのですから」
自分達を守ってくれていた存在を恐怖心から裏切り、そしてまた報復という恐怖から逃れようと赦しを乞う……か。気持ちは分からなくもないが裏切られた幻狐のことを考えるとやるせない。
「薫兄様は、もしかしたらこの幻狐が今回の件に関わっているのではないかと考えているようです」
「でも幻狐は封印されてるのよね?」
「……そのはずなのですが」
花月さんは歯切れ悪く言い淀んだ。
「九十九家の力も月日が経つにつれて衰え、幻狐を封じた祖のような霊力を持つようなものは現在ではほとんどおらず……薫兄様が唯一の例外なのです。ですが薫兄様は今は勉学の為、町を離れているのでお父様がお一人で管理されているはずなのです」
「封印はどうなってるか分からないけど、弱まっていることは確実ってことね?」
「その通りです……」
「んー、なぁ……幻狐が封印されてる場所っていけねぇーのか?」
「場所は把握していますが……行くことはできないでしょう」
「どうして?」
「……結界があるのです。通るにはお父様、九十九家当主の許しが必要になります」
「じゃあ親父さん、なんか言ってなかったのか? 封印のこととか」
「いえ……特には何も窺っておりません」
無表情ながらもシュンとしてしまった花月さんの佇まいに私は優しく頭を撫でた。驚いたように見上げた目が大きく、くりっとしていて可愛らしい。そして羨ましい。
「お父さんも卯月さんも行方不明になっちゃって心配だよね。……大丈夫、ここからは私と一ノ瀬君がなんとかするから。お話、教えてくれてありがとう」
出来るだけ優しく微笑んで見せた。笑うという事を今までほとんどしたことがないので不自然極まりなかったかもしれないが、花月さんは私の顔を見て安心してくれたのか、静かに息を吐いて肩の力を抜いた。
「……お父様と卯月兄様をどうかよろしくお願いします」
深々と頭を下げた花月さんに最初は警戒気味だった一ノ瀬君も力強く肩を叩いた。
「まかせとけよ、全員見つけて帰ってくっからさ!」
「――――っ」
「こら一ノ瀬君! か弱い女の子の肩を強く叩かない! まったく、馬鹿力なんだから」
「わ、悪い……」
「……いえ、大丈夫です。励ましてくれてありがとうございます」
いい子だ! いい子だよっ、そして猛烈に可愛い。
……お持ち帰りしたいけど九十九君に笑顔で真っ直ぐに鋭い罵声を浴びせられそうなので心の中だけにしておこう。
霧深い中、一人で引き返してもらうのは心配だったが、彼女には九十九家に仕える式神がついているらしく、そう心配はいらないらしい。
花月さんから九十九君に託されたという品をいくつかもらい、私達は切り開かれた道を進んで町長さんの家に向かった。
足元が覚束ないほど見通しが悪いので急く気持ちを抑えて慎重に歩みを進める。
恥ずかしかったが何が起こるか分からないので念の為、一ノ瀬君と手を繋いでおく。
そういえば数日前も手を繋ぎっぱなしにしていてD組の皆にからかわれたんだったな。最初は恥ずかしいと思っているのに、繋いでいると妙に安心してしまって繋いでいる事すらまったく意識しなくなってしまう。
……あれだ、お父さんと手を繋いでいる感覚だ。
『私は守られてる』。そういう無償の安心感を一ノ瀬君はくれるのだ。考えてみれば一ノ瀬君は私に何か危険なことがありそうな時は、さりげなく庇ってくれるし、一歩先を進んで安全を確認する人だ。
私がパートナーだからかもしれないが私を身内みたいに扱ってくれることが嬉しい。ウォークラリーの時はそんな優しさの中にいくばくかの疑心を孕んで冷たい目をされたこともあるが、あれは私がいけないのだ。
彼はきっちりと、疑うべき相手と信頼する相手を見極める。優しいけれど優し過ぎない。それを意識的にやっているのかは分からないが、意外に彼は賢いと私は思う。
勉強の方は全然だけど。
「なあ、花森」
「なに?」
地図を確認していると一ノ瀬君にふいに話しかけられ、すぐ隣にいる彼を見上げた。一ノ瀬君は前を見たまま難しい顔をしている。
「幻狐の話、聞いてて気になったことがあるんだ」
「…………幻狐は元々、夢で危険を警告する妖だって話?」
「なんだ、気づいてたのか」
「私の夢の話だもの……目的は違ってるかもしれないけど夢に現れて『警告だ』って言ったんだから」
雹ノ目君の姿を借りた『彼』は確かにそう言っていた。危害を加えるのは『彼』自身だと思うが、警告をしに夢に現れるという点は一致する。
「もし封印が解かれてて、雹ノ目のことや、九十九の親父さん、卯月さんが消えたことに幻狐が関わってるんだとしたら」
重い沈黙が流れた。
花月さんには大丈夫だと言ったが、もしも本当に幻狐が関与しているとしたら本気でこられたらこちらにはなす術がない。相手は古の大妖怪。学生ごときが相手をできるほど弱くないのだ。
「とりあえずやるべきことをはっきりさせとこうぜ」
「そうだね……。まずは、現状の把握。最低限町長さんの家に辿り着いて状況を把握できるような手掛かりを見つけ出す事。もしも町長さんの家に皆いて、なにか出られないような状況になっていた場合、私達の出来る範囲で対応。できなければ外に応援を頼む。無茶しない」
言いながら私は一ノ瀬君の手を強く握った。
彼がはっきりさせたいと言ったのはきっと自分を戒める為だ。いざという時、一ノ瀬君は頭に血が上って無茶をしがちだから。
「日向さんが魔法科の警察官を呼んでくれているはずだから、大丈夫。九十九君が私達にって託してくれた……D組の皆が協力して錬成してくれた法具がある。大丈夫」
繰り返す。落ち着くように、冷静に対応できるように。
私は空いている右手でポケットに入れていたお守りを握りしめた。私と一ノ瀬君だけじゃない。『みんな』がいるから、大丈夫。




