41 vanish 神隠し1
「卯月さんがまだ帰って来てないんですか?」
相変わらず濃く漂う朝靄の中、朝食を運んできてくれた青い顔色をした日向さんに卯月さんがまだ帰ってきていないことを知らされた。
それに加え九十九君のお父さんもまだ町長さんの家から戻らないそうだ。
「電話とかしたんっすか?」
「はい……けれどずっとどなたも出られなくて。お弟子さん達が何人か町長さんの家を訪ねたのですが、誰もいなかったと」
「それって、九十九君のお父さんや卯月さんだけでなく町長さん一家も行方不明ということですか……?」
一睡もしていない様子の日向さんは唇を震わせながら「はい」と小さく答えた。
予想外の深刻な事態に私達は押し黙ってしまった。こういう時、九十九君の冷静でいて堂々とした言動が欲しくなってしまう。しかし彼はいまだ寝込んでいて助けを乞うことはできない。
私達だけでなんとかしなくちゃ。
「とりあえず、俺達だけで町長さんの家に行ってみようぜ」
「ええ」
現場検証は大事だ。そこで何があったか、きっちりと把握しなければならない。魔障事件の検証は授業でさわり程度しかやっていないから、私達にどこまで出来るか分からないが。
「……一応警察の魔法科の人に知らせを出した方がいいよね」
「そうだな、日向さんお願いできますか?」
「はい、すぐにでも。……あなた方もお気をつけて」
朝食をしっかり食べ、鋭気を養った私達は素早く準備を済ませて九十九邸を後にし、日向さんに貰った地図を頼りに町長さんの家を目指した。
岩城君は九十九君に魔力供給をする為、残ってもらった。運命石に選ばれた者同士は、石の共鳴によって互いに魔力を分け与えることができる。
魔力を一気に失った九十九君の事を考えるとこうした方が回復は速くなるだろう。
バスには町長さんの家の前まで行くルートがあるが、今からだと結構またなければいけない為、徒歩だ。
「霧も深いし、地図だけでたどり着けるかちょっと不安になってきた」
「仕方ないだろ、家の人達は当主がいなくなって八方走り回ってんだから。それに修行で少々術が使えるからって何か起こってるかもしれねぇーとこに連れてくのは危険だ」
「それもそうだね……」
確かめに行ったという人達が無事だったのは良かったが、また無事に戻れるとは限らない。出来るだけ魔障現象に対応できる者が行くのが望ましい。
土地勘のなさが少々不安だが、迷子にならないように一つ一つ地図を確認していく。一ノ瀬君の勘はすごく当たる為、意外と信頼できるのが救いだ。
だが、あともう一歩という所で……。
「…………道がない?」
「おかしいな、地図にはここにちゃんと道があるはずなんだが」
間違えずにこれたはずだったのだが、地図が指し示す場所に道がない。
「俺の勘がこっから先にあるっつってんだけどなぁー」
一ノ瀬君自身も自分の勘に自信があったのか、不思議そうに首を傾げている。彼の勘が外れてしまったのか、所詮は勘であるし外れるのも仕方がないがなんとなく違和感を感じた。
注意深く辺りを見回す。
「…………ねえ、一ノ瀬君。霧……また濃くなってない?」
「ああ、そうだな。隣にいるお前の姿すら見えにくくなってる」
思えば町長の家に近づく度に一層霧が濃くなっていっている気がする。
地図上には存在する道が途絶えた先を見れば、霧が分厚い壁のように立ち塞がって見えた。
「私達、拒まれてるのかもしれない」
「……そのようですね」
「――えっ!?」
私の言葉に返事をしたのは一ノ瀬君ではなかった。静かで涼やかな少女の声音だった。
驚いて振り向けば、いつの間にいたのか上品な赤い着物を纏った漆黒の髪の少女が佇んでいる。
「だ、誰だ!?」
少女の姿を目視した一ノ瀬君は咄嗟に私を背に庇った。鋭い威圧感のある睨みを受けているはずの少女は至って涼しい顔で一ノ瀬君の視線を反らさずまっすぐに見つめ返していた。
少女は大きな黒い瞳に白い肌を持つ整った容姿をした美少女なのだが、その顔にあまり表情を浮かべていない。
笑ったら可愛いだろうに、もったいないな……。
そこまで思ってふと何かが頭の中をよぎった。
笑ったら? あの子の笑顔を想像して何か一瞬、誰かの顔と重なったような。
「……驚かせてしまってすいません。こんな時にこんな場所に現れたら警戒しますよね。配慮が足りませんでした……それでは改めまして私、九十九 花月と申します。薫兄様がいつもお世話になっています」
と、ぺこりとお辞儀をした。
妹! そうかこの子、九十九君に似ていたんだ。
正体が判明したことで一ノ瀬君は一応の警戒は解いたが、私からぴったりくっついて離れない。彼女とも一定の距離を保っていた。
そんな一ノ瀬君の様子にも彼女は表情を変えない。不快に思っているのか、そうでないのか判別できないが一ノ瀬君が許す距離を守っている所を見ると気を使ってくれているのかもしれない。
「……この霧は普通の霧ではないのかもしれません。向こう側から何か『力』を感じます」
そう言われて私は閉ざされた道の向こうに聳える霧に向かって精神を集中させた。
……確かに何か『力』のような気配を感じる。だが、今まで感じた事のない種類のものだ。恐らく、魔法ではない。
「あなた方は西洋の魔法使い。異界の穴より生じる魔のモノの気配には敏感でも、東洋に古くから住む荒魂や妖の存在には気づきにくい。……この先より漂う『力』は力ある妖のもののようです」
「そんなことが分かるの?」
「……私は魔法使いではありませんが、九十九家に代々流れる陰陽師としての血が囁くように教えてくれるのです」
彼女は道があったはずの場所の前に立つと、懐から一枚の符を取り出した。
「薫兄様ほどの力はありませんが……」
何事か小さく詠唱すると符は光に包まれ、その符を彼女は霧に向かって投げた。光が爆ぜ、あまりの眩しさに閉じてしまった目を開けた時には。
「道が……ある」
日向さんが書いてくれた地図通り、そこには先ほどまでなかった道が現れていた。
「ここにあるのは目くらましの術のようです。解除できましたので地図通りに進んでいけば町長さんの家に着く筈です」
「あ、ありがとう」
「いいえ……私は所詮人間、ここから先はお手伝いすることが出来ません……。薫兄様に教えて貰えるまで、私はこの霧のことだってすぐには気づけなかった」
「九十九君に教えて貰った?」
おかしいな。九十九君は私達と一緒に屋敷に帰って来たのだ。その時、彼女は確か学校に行っていて二人は顔を合わせていない。
「……式神ですよ。薫兄様が心配して私にお願いをしてくれたのです。東洋の術にはお二人とも慣れていらっしゃらないだろうからって」
そうだったのか。確かに彼女に言われるまで分からなかったし、たとえ気づけても術を解除することはできなかっただろう。西洋魔法と東洋魔法は似通っているとはいえ術式には違いがある。熟練した魔法使いならともかく私達にそれを解くのは難しい。
「それとお二人にこの先に行く前にお話ししなければならないことがあります」
「俺達に話さなきゃいけないこと?」
「はい。……これは薫兄様の勘で、予知でもなんでもないそうですがどうしても引っかかっていることがあるから……と」
九十九君は心を見透かす力も、予知で未来を視る力も確かにすごいが、彼の洞察力もまた特殊能力に負けず高い。そんな彼の『勘』を無視することはできない。
「まずはこの町『幻狐町』にまつわる古の伝承……幻狐という妖の話をしなければなりません」
彼女は静かに語り始めた。町の名の由来ともなった『幻狐』の話を。




