39 fog 深い霧の中で3
「…………花森さんってさ、人外に好かれる体質みたいだね」
「――は?」
あの白い夢から覚めたのは周囲が真っ赤に染まる夕暮れ時で、ぼうっとした頭でゆるゆると布団から出た私を待っていたのは九十九君だった。
障子越しではあったが、彼の声ははっきりと聞こえる。
「『何か来た』気配がしたから警戒したけど、悪いものじゃなかったみたいだね」
「……うん、悪い人じゃないと思う」
「『人』ね……まぁ、九十九家の結界がまるで反応しないから大丈夫だとは思うけど。……花森さん、この屋敷に入った時、何か感じたよね?」
「え? ああ、うん。よく分からないけど、落ち着かないような魔力が震える感じがして」
「そうか、花森さんにはそう感じたんだ」
九十九君は何か考えるように黙ってしまった。こういう時は口を挟まない方がいい。私は手櫛で適当に髪を整え、身なりを確認してから障子を開けた。霧は赤く染まり廊下には障子にもたれ掛って座っている九十九君の姿がある。
静かに隣に腰掛けた。
「実は僕は何も感じなかったんだ」
隣に座った私に一瞥もくれることなく九十九君はそう言った。正視線は正面の赤く染まる霧に向けられている。
「花森さんが気づいたから、間接的に気が付けたんだ。おかしいよね、花森さんより僕の方が魔力も感知能力も上なのに」
そうだ、魔法使いとしてすべてを自分より上にいく九十九君が私に後れを取るわけがない。
「僕だってまだ修行中の身だし、各上が相手だった場合出し抜かれる可能性はゼロじゃないけど、それでも花森さんにしか分からなかったというなら最初からアレは花森さんに用があったってことかな」
確かに彼、鈴白は私と二人で話がしたいと言っていた。もしかしたら私にだけ存在を知らせていたのかもしれない。九十九君に見つかれば邪魔をされると思ったのだろう。
「それにしても悪いのじゃなさそうなのに、僕を騙して花森さんから遠ざけるとかちょっとばかり性格は悪そうだなぁ……」
「騙した?」
「そ、一応あの後、花森さんが感じた違和感を追いかけたんだけど全部、偽物でさ。おかげで散々家の中を歩きまわされたよ」
鈴白は全力で九十九君を引きはがしにかかったらしい。優しそうな雰囲気だったが目的の為には意外に手段を択ばないタイプなのかも。
「なんかコケにされたみたいで腹が立つから、花森さんこれ持ってて」
九十九君が懐から白い紙を取り出して渡して来た。手のひらサイズの人型で中心になにか文字が書かれているが読むことはできない。
「悪いのじゃなくても人様の夢の中に勝手に入り込んでごちゃごちゃやっていくなんて、不作法だよ。それにそう何度も夢に侵入されたら花森さんの体力が持たないからね」
「え?」
「体調……そんなによくないでしょ」
じっと瞳の中を見詰められた。
体は少し怠いと思っていたが夢見の悪さや旅の疲れのせいだと思っていたのだ。
「力ある夢への介入は体力を削られるんだ。異質なものを外に出そうとする自己防衛が働いてね。アレに悪意はなくても人に対する配慮は欠けてる。容易に踏み込まれないようにそれを肌身離さず持っていて」
私は頷くとその人型の髪を制服の内ポケットに入れた。
「それじゃ、そろそろ夕食の時間だし隣の部屋に行こうか」
そう言って立ち上がった九十九君の袖を私は掴んだ。不思議そうに見下ろす九十九君に私は真剣な面持ちで言った。
「あの人……鈴白は近いうちに来ると思う。こっちの現実の世界で」
九十九君は一瞬驚いた顔をしたがすぐに心底面倒くさそうに溜息を吐いた。
「それは……嫌なお客様が来るね」
いつの間にか彼の周囲には様々な形をした白い紙が浮遊していた。その一つをぐしゃりと握りつぶす。
「まあ、それならこっちには借りがあるし、ちゃんとしたおもてなしをしてあげないとね」
そう言って九十九君はにっこりと微笑んだが……なんだかちょっと怖かった。実は負けず嫌いであることがババ抜きでも分かったので、散々出し抜かれたのが悔しかったのだろう。
鈴白、貴方なんてことしてくれたの。
そんな九十九君に戦々恐々していると、廊下の奥から激しい足音を立てて走ってくる人影が見えた。
「薫! いないか、薫!?」
九十九君の下の名前を叫んでいるところからみて親族の方だろうか。九十九君は急いで私を立たせると、走って来た人物を出迎えた。
「卯月兄さんどうしたの?」
「ああ、よかったいてくれて。緊急事態だ、町に魔物が現れた」
「魔物!? それは依頼に出ていたやっかいな能力を持っているという魔物のことですか?」
「いや違う。奴は森からは出ていない。別の二体目の魔物だ」
九十九君の表情が険しくなる。依頼とは別に魔物が新たに出現してしまったらしい。しかもそれは町中にいて危ない状況になっているようだ。
「おーい、九十九どうした?」
外に騒ぎに気付いたのか一ノ瀬君と岩城君が部屋から顔をのぞかせた。
「依頼とは別の魔物が現れたみたいだ、二人とも急いで準備して!」
いつになく鋭い叫びに一ノ瀬君と岩城君は頷くと急いで部屋に戻った。九十九君は卯月さんに向き直る。
「……卯月兄さん、兄さんがわざわざ僕を探したってことは、父さんや花月とは連絡がつかないんだね?」
「ああ、父さんは町長の家に行ったはずだが誰も電話にでなくてな。花月は町の外にある学校に行っていてまだ帰っていない」
「そう……分かった。魔物は僕らでなんとかするから兄さん達は町の人に被害がでないように結界の方をお願い」
「ああ!」
九十九君の指示で卯月さんは急いでその場を後にした。緊迫した雰囲気の中、足が止まってしまっていた私に、
「花森さんも急いで準備して!」
という九十九君の言葉に準備をしなければと慌てて障子を開け放った。
えっと、薬とお守りを忘れずに――!
十分足らずで準備を終えた私達は、卯月さんから教えてもらった魔物が出現した場所へ急いで向かった。
バスもないし、車で急いで走るには視界が悪すぎる為、自らの足で走っていくことになったのだが、どうしても足の速さに差が出る。私は前に出過ぎるし、九十九君は若干遅れ気味になった。
「時間が惜しい、花森さんと一ノ瀬君は先行して」
「つっても俺、全力の花森に追いつけねぇーぞ」
「武装魔法があるでしょ、風の武装魔法を足にかければ速く走れる」
三人の視線を受けた私は力強く頷いた。複数に武装魔法を同時にかけるのは負担が大きいが二人だけならなんとかなる。それに一ノ瀬君に合わせて走るのなら自分にかける量は少なくて済む。
「疾風のごとく走り抜ける力を――――ヴェントゥス!」
風が私と一ノ瀬君の足を包み込む。
「行くよ、一ノ瀬君!」
「おうっ!」
同時に思い切り地面を蹴る。その一蹴りで後方の二人が一気に小さくなった。
この町の地理はまったく分からないが、私の襟もとに必死にしがみついている九十九君の式神が道案内をしてくれるので問題ない。
九十九君は魔法に類似した陰陽術も扱える。元々日本の魔法といえば陰陽術だったので形式は変わっても中身には類似点が多い。式神も瀬戸さんが使うような召喚魔法と似たようなものだ。
式神の場合は精霊ではなく日本に古くから住まう鬼神を呼び出すものとなっている。
夜が迫り霧で視界が最悪の中、式神の力を借りてなんとか迷わずに目的の場所へ辿り着いた。そこは開けた広場になっており民家も多くあったが民家の中に人の気配はまったくない。無事に避難が完了しているようだ。
広場には数人の男の人達が真っ黒な姿をした魔物と対峙していた。戦っているというよりは動きを封じて動けなくさせているように見えた。
魔法というには微力な術で、彼らは魔法使いではなく霊的な修行をつんだ人達だろう。
「この拳に灼熱の炎を纏わせろ――――イグニス!」
鋼鉄のグローブを装備した両拳を打ち鳴らし、一ノ瀬君は武装魔法を発動させた。風で強化された俊足の足と、炎で強化した拳が合わさり強力な威力となった彼の一撃が魔物の胴体に命中した。
轟音を響かせ吹き飛んだ魔物は地面を抉るようにして転がった。
「よっしゃ、当たった!」
あまりにもの威力に茫然としていた彼らだったが一ノ瀬君の声にハッと我に返って後ろに後退した。怪我を負っている人もいるらしく、手を借りながら退く人達もいる。
「すまない、後は君達に任せる」
「はい、怪我人を早く運んであげてください」
見るからに重傷を負っている人も見えた。全身血まみれで滴り落ちた血が広場の地面に線を描いている。目を反らしたかったが、そんな事は許されない。
実戦なんだから、怪我は当たり前。血を見るのも当たり前。
恐怖に支配されたら、血に塗れるのは自分自身になってしまう。
ダンッと一度、私は右足で地面を叩いた。震えそうになる膝に喝を入れたのだ。
腰ベルトに吊っていた鞭を手に取り、一歩で一ノ瀬君のすぐ後ろまで辿り着く。
「なんかちょっと手ごわそうだなこいつ……」
「みたいね」
むっくりと起き上がってきた魔物を見て私達は冷や汗をかいた。風で威力を増していたはずの一ノ瀬君の拳の一撃をまともに食らったにもかかわらず、魔物はふらつく様子もなく立ち上がって来た。
「今回は四人チーム、九十九君と岩城君が来るまで――なんとかするわよ!」
「よぉーし、任せろ相棒!」
私達は打ち合わせることなく同時に反対方向へ跳んだ。
一ノ瀬君と共に戦うのはシャッフルマッチ以来だが、あの時とはまるで違う。彼の考えていることが手に取るように分かるのだ。
どうやって戦おうとしているのか、次に何を仕掛けるのか。
きっと、一ノ瀬君にも私の考えは伝わっている。
この時、初めてまともに使えた。運命石が繋ぐ協力魔法の一つ『思考共有』が。




