38 fog 深い霧の中で2
今にも分解しそうなおんぼろバスに揺られること十五分。私達は九十九君の実家へと辿り着いた。霧が深くて見えにくかったが幻狐町は田園が多く、民家はまばらのようだ。九十九君の話によれば年寄りばかりで若者の少ない寂れたド田舎町らしい。
「景色は牧歌的でなかなか風情があるんだけどね。霧が晴れれば」
残念ながらその景色を拝むのは難しそうだ。
バスから降りた私達の目と鼻の先に九十九家のお屋敷が建っていた。それもそのはず、『九十九邸前』というバス停で降りたのだから。
「自分家にバス停あるとかすげぇーな」
「まあ、このド田舎町で用事があるとしたら町役場かうちくらいだろうし。効率良いんでしょ」
そう言い終わると同時に九十九君はチャイムを鳴らした。旧家のお屋敷で古そうだがインターホンはついているようだ。しばらくすると返事があった。
九十九君が帰ったことを告げると、慌てた様子で門の扉が開かれる。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「ただいま、日向さん。父さんから聞いてると思うけど魔物退治の件でクラスメイト三人と一緒だから、部屋まで案内お願い」
「かしこまりました」
仕立ての良い着物姿の女性が深々と九十九君に頭を下げている。
お金持ち、というよりは伝統ある家柄といった風だがお坊っちゃんなんだな、九十九君。
日向さんという女性に促され門を潜った瞬間、ざわっと何かが身の内でさざ波のようにざわめきたった。
…………なに?
注意深く周囲を見回したが霧が深くてよく分からない。ちらりと九十九君を見れば、静かに首を振られた。彼も何か感じたらしいが、今は放って置けと目で言われた。一ノ瀬君と岩城君は何事もなかったかのように屋敷へ入っていく。
二人とも魔力が低いし、感知能力もあまり高くないから気が付かなかったようだ。
ひとまず、九十九君の言う通りに私は少し気になりながらも日向さんの背を追った。
九十九邸は優しい木の匂いがする木造建築の広い家だった。補修の跡が所々に見られる。相当古い建物のようだ。
長い長い廊下をずんずん進んでいくと日向さんがゆっくりと立ち止まった。
「廊下を挟みまして左右がお泊り頂くお部屋になります」
日向さんが襖を開けるとそこには畳の敷かれた広い一室が見えた。壊したら弁償が怖そうな調度品も置かれている。
むやみに触らないようにしよう。
「日向さん、依頼の間は自室じゃなくて皆でここで寝泊まりするから。食事もここに運んでくれる?」
「はい、かしこまりました」
「ここで食べるのか? 居間とかねぇーの?」
「あるけど一族が一同に会して食べるし、居心地悪いと思うよ。知らないおっさんやおばさんに色々話を振られても面倒でしょ」
だだっ広い屋敷だとは思ったがここには九十九君の家族だけじゃなく親戚も多く暮らしているようだ。寮の食堂ではそれなりに対応するようにはなったけど、私はあまり他人と食事をするのは得意じゃないので、なるべくなら遠慮したい。
「そうだな、家族団らんの中に突然入って行っても迷惑だろうし、ここで食おうぜ」
一ノ瀬君の言葉に岩城君も大きく頷いた。一ノ瀬君なら一緒に食ってもいいと言い出すと思ったのでちょっと意外だ。
ふと彼の顔を見ると丁度目が合った。すると一ノ瀬君はにっこり笑って軽く私の頭を叩いてきた。
……あ、気を使ってくれたのか。
だいたいは大雑把なのに時折鋭いから驚く。
「日向さん、父さん居るかな? すぐにでも話が聞きたいんだけど」
「……それが、用事があるからと町長さんのご自宅の方へお伺いしていまして。お帰りは夜になるかと」
「そう……それじゃあ帰ってきたらすぐに知らせてよ」
「かしこまりました。……それではごゆっくり」
日向さんが退室すると、九十九君も足を廊下に向けた。
「ちょっと家族に挨拶してくるよ。なんか飲み物とかも持ってくるから、くつろいでなよ。あ、でもこの一角からは出ないでね。迷子になられても困るから」
確かにここから出たら戻ってこれなくなりそうだ。私達は素直に頷いて、九十九君が行った後、体力と魔力を枯らさない程度に電車でのリベンジとババ抜きを始めた。
寮ではあまり出ない高級そうな和菓子を堪能し、おいしい緑茶をいただきつつまったり九十九君のお父さんが帰って来るのを待っていたのだが、電車での疲れなどが溜まっていたのか眠くなってきてしまったので、ちょっとだけ仮眠をとらせてもらうことにした。
いつもベッドで寝ているので畳の上で布団を敷いて寝るのはかなり久しぶりだ。実家でもベッドだったし。
少し落ち着かない気もしたが睡魔には勝てず、布団に入ってすぐに私は眠りに落ちた。
――――――――リーン――――リーン――――――――
どこからか鈴の音が聞こえる。
また、夢だろうか。昨日も今朝も意味深な夢を見ているので身構えてしまう。
今回は真っ暗闇ではなく、真っ白な空間にいた。深い深い霧が立ち込めている。自分の姿すら薄れてしまうほど濃い霧。幻狐町に広がっている霧と同じような気がした。
――――リーン――――リーン――――
やけに高く聞こえる鈴の音に、呼ばれているような気がして私の足はゆっくりと音の方へ向かって歩き出した。
なんでだろう、勝手に足が動く。
ふと、周囲を見ればいつもならついてくる光の玉の姿がない。暗闇ではないからか、それがとても寂しくて心細い。
音に向かって歩き続けていると、いつの間にか足元は緑に覆われ森の中を突き進んでいた。鳥の声も虫の声も聞こえず、ただ鈴の音だけが耳に響く。
心細くても不思議と恐怖は湧かない。その鈴の音はとても優しい音をしていた。
しばらく進むと開けた場所に出た。深かった霧が徐々に薄まり、その場だけはぽっかりと穴が開いたように視界が開ける。
……誰かが座っていた。丁度腰掛けられる程度の小さな岩の上に座ってこちらを見ている。
腰まで伸びる髪は真っ白で、装束は着物だった。頭の上からすっぽりと衣をかぶせている為、顔が陰り相手の表情は窺い知れない。
――リーン。
鈴の音が鳴った。よく見ればその人の手に鈴の紐が握られている。音がなる度に私の足は、一歩、また一歩とその人に近づいていく。
間違いなく、私をここに誘ったのはこの人だ。
何度目かの鈴の音の後、私はついにその人物のすぐ前に辿りついた。
「こんにちは、可愛らしい魔法使い殿。会えてとても嬉しいですよ」
男の人の声だった。導いてきた鈴の音と同じくどこか安心感のある低い声。なんとなくだが雹ノ目君に近いものを感じた。
大丈夫、この人は『彼』じゃない。
「無理やり引き込んですみません。どうしても今、貴女と話がしたかったのです。誰にも邪魔されずに、二人で」
「…………どうして、私なの?」
「貴女が一番、『彼』に会いたがり、そして『彼』に目をつけられてしまったからです」
『彼』とは、雹ノ目君と夢で邪魔をしてきた彼の事だろう。
「なぜ知っているの? 貴方は誰?」
「私は…………そうですね、鈴白とお呼びください。私が貴女を知っているのは『彼』が貴女を知ったからですよ」
意味が分からない。眉根を寄せて睨むと、鈴白と名乗った青年(多分)は困ったように頭を揺らした。
「この際、私の正体などどうでもいいことですよ。なぜなら貴女は私が貴女の敵ではないと知っている」
静かに紡がれる彼の言葉に私は自然に頷いていた。敵じゃない、彼は敵にならない。なぜか知っている。
「貴女は聡い人です。だから気が付ける、知ることができる。『私』を正確に視れる。それはとても重要で必要不可欠な力」
すっと、彼が立ち上がった。背丈は一ノ瀬君よりだいぶ高く、180cm以上ある柳生先生と同じくらいかもしれない。
「これから貴女がしようとしていることは、貴女が思う以上に困難で危険なものとなります。けれど流れは貴女に向いている。前を向いて前に進むことを選んだあの瞬間より、風は貴女の味方です」
私と彼の間を風が吹き抜けた。いつも感じている傍にいる風の気配。私を守るように包んで吹く。
彼はそっとその風に触れて自分に引き寄せた。
「貴女と貴女を守る風はとても心地が良い。これほどまでに風に愛される貴女を私はただ、このまま放って置けなかっただけなんですよ……」
先ほどの問いの答えを少しだけ貰えた気がした。
彼は私の良く知る風に似ている。私を守り助けてくれる風と。
「また会いましょう。今度は現の世界で――――」




