36 D組の見送り
『幻狐町』、茨城県北部の森林地帯にある小さな町である。この町には古来より、狐の妖怪伝説が伝わっており、狐の町とも呼ばれていた。町のいたるところに狐の像が祀られ、稲荷神社も多いらしい。
そんな伝説が残る場所だからか、この町は昔から魔物の被害を受けることが多く、定期的にアルカディアや魔法警察の支部の方に依頼が届けられる。
昔はその町に古くから存在する陰陽師の家が魔物退治を引き受けていたそうだが、魔法使いが減っている昨今ではその家も衰退を始め、魔物を退治できるほどの魔力(陰陽師の流派で言えば霊力)を持つ者が少なくなっているようだ。
「しょうがないよね、今魔法が使えるのはたった三人で、しかもその一人がアルカディアに入ってるんだから」
昨日の夜ネットで調べた情報を一ノ瀬君に教えている所で通路を挟んで左側に座っていた九十九君が割り込んできた。
ただ今、バスに乗って最寄りの駅に向かっている最中だ。先ほどアルカディアの敷地から出たので後数十分で駅に着くだろう。
それにしても。
「まさか九十九君の地元が幻狐町だったなんてね……」
「しかもきっちりついて来てるしな」
「実家から話は聞いてたんだ。緊急性が高いから僕にお願いしたいって。でも二人だけじゃちょっと心配な依頼内容だったからね」
ちらりと九十九君は後ろの席を見た。一番奥の席は五人ほどが座れるシートなのだがその真ん中に一人で座っているにも関わらず窮屈そうに見えるほどの巨躯を持つ岩木君がいた。厳つい顔でニコリともしないし、表情は硬くて変化がないので何を考えているのかさっぱり分からない。おまけにとても無口である。
D組のクラスメイト、岩木 剛君。彼が九十九君のパートナーである。
「朝の見送りにも驚いたがD組の連中が帰ってこねぇーと思ったら、みんなして学校泊り込みで調合してたのにも驚いたな」
「花森さんのことだから薬品類の準備はバッチリしてるだろうし、僕は皆に協力を仰いで呪具と法具の調合をお願いしたんだ。アホでも魔法使いだからね、猫の手の足しくらいにはなると思って」
酷い言われようだ。
だが九十九君の言葉は間違ってはいない。呪具も法具も調合法が難しく実際に調合したのは九十九君と羽田さんくらいで他の皆は魔力を提供しただけらしい。それと細々とした他の調合を手伝ったりとか。
私は朝の光景を思い出した。
朝靄の中、バスの到着を待っていた私と一ノ瀬君の前に九十九君と岩城君を含むD組全員が駆け足でやって来たのだ。……透明君もいた、と思う。
数名を覗いたほとんどのメンバーの目の下にクマができ、疲れ果てた表情だったが妙な連帯感が生まれているのか足並みは異様なほど揃っていた。
ゾンビみたいなんですけど。
「お、おい……お前ら大丈夫か? どうしたんだ、昨日帰ってこなかったみたいだし」
「ハハハハ、学校にお泊りしたのさ勝」
「そうそう、皆で楽しくお泊りだ」
「同じ釜の飯食ってわいわいしながらお泊りだぜ、羨ましかろう」
「……毎日寮で同じ釜の飯食べてると思うけど」
「花森さんナイス突っ込みー」
夜中のテンションならぬ、朝のおかしなテンション。
目の焦点が合ってない!
「泊って何してたんだ? なんかあったっけ?」
「ふふふ、お前らが雹ノ目探しに外に行くっていうから俺らは全力を挙げてサポートすることが放課後緊急で開かれた学級会で決まったのさ」
放課後……そういえばその時間、私達は今日の準備の為、実験室に籠っていたのでD組の皆が何をしていたのかは知らない。
にしても急に決まったことだったのに、情報早いな。
「僕らが同じ依頼を受けているからだよ、花森さん」
普通に心を読んできた九十九君に返答され心臓が跳ね上がった。不意打ちはよして欲しい。
「同じ依頼?」
「そ、だから僕と岩城君も一緒に行くからね」
「聞いてないけど!?」
「言ってないから。驚かせようと思って」
驚かせる意味が分からないが、九十九君はなかなかいたずら好きなところがあるから今回のもその一環だろう。
依頼をこなす仲間が増えるのは嬉しいが、面子がちょっと頭痛を誘いそう。岩城君なんか巨大で厳つい上に無口でとっつきにくい。もちろん会話をしたことは一度もない。
「大丈夫だよ、害はないから。黙ってるなら黙ったままでも気を悪くするような奴じゃないし」
さすがパートナーをしているだけあって、九十九君は岩城君の事を良く知っている。心を読めるのだから言葉はあまり必要ないのかもしれない。
「は、はなもりひゃ~ん……」
依頼の進行過程を素早く頭の中で組み立て直しているとゾンビの群れからヘロヘロと須藤さんゾンビが前に出て来た。あまりにも覚束ない足取りだったので私は慌てて彼女の腕を掴んでしっかり立たせてやる。
「ありがとー……」
「いいけど、須藤さんヘロヘロじゃない」
「えへへー、徹夜だったからね~。私、調合とか得意じゃないし……でも頑張ったよ、羽田さんにも褒められたんだから」
「徹夜!? で、調合って一体何を作ってたの!?」
「九十九の注文がうるさくてな。手古摺ったがまぁ、問題ない出来栄えだろう」
目の下にクマを作っていない数少ない一人である羽田さんが渋い顔をして言った。一体何を作らされたんだろう。
「須藤君、花森君に渡すものがあるだろう?」
「あー、そうだそうだ。忘れちゃいけないのを忘れる所だったよ!」
寝ぼけ眼だった目をくわっと見開いて須藤さんが慌ててポシェットから何かを取り出して、いそいそと私に差し出して来た。
「お守り! 女子組で作ったんだ」
須藤さんの手の中にあったのは神社などでよく見かける赤い袋のお守りだった。五つある。D組の女子は全員で六人だから私以外の女子が一人ずつ、お守りを作ってくれたらしい。
ううっ、どうしよう嬉し過ぎて泣きそうだ。
震える手で須藤さんからお守りを受け取った私は一つ一つ丁寧に見ていく。
交通安全、無病息災、厄払い、守護結界…………普通の神社に置いてある定番ものから魔法使いらしいものまであるが。
「…………さすがに今『安産』のお守りはいらないんだけど」
「えぇ!? あ、ほんとだっ。もう誰よ安産のお守り作ったの!」
「え~ダメ~?」
「…………榊原君、君の仕業か…………」
とぼけた様子でゴメンねーとか言っているがあの顔は絶対、ワザとだ。彼女なりのお茶目な悪戯だろう。昨日は彼女の意見を跳ね除けてしまったし、とても心配しているようなのは重々承知している。
私はありがたく榊原さんの『安産のお守り』を含む五つのお守りを大事に鞄にしまった。
朝靄の中からバスがやって来るのが見える。
「んじゃ、勝、花森さん、九十九、岩木、気を付けて行って来いよ!」
千葉君の言葉を皮切りにD組の皆が見送りの言葉をかけてきた。
私達はバスに乗り込み、皆が見えなくなるまで彼らに向かって手を振り続ける。こんな賑やかな出発は初めてだった。
「あいつら今日の授業大丈夫か……?」
「ダメじゃないの? 魔力すっからかんになるまで扱き使ったし」
「おいおい、それで単位落としたら俺達の責任じゃねぇーか」
「今日一日使い物にならないくらいなら平気だよ。後で補習がんばれば取り戻せるでしょ」
そうかもしれないけど苦労は倍に増えるよ、それ……。
「……花森さん、あいつらのことを心配するよりまず自分の心配じゃない? またするよ、あの気配」
「――っ!」
やっぱり九十九君にはバレているようだ。今朝の夢に現れた『彼』の魔力の残骸があることを。
「な、なんともないのか花森!?」
「うん、平気。起きがけにまたベッドから落ちたけど……」
「今回はどういう夢だったの?」
「……暗闇の中で雹ノ目君が……たぶん現在の姿で立ってて、近づかないでっていう言葉を無視して近づいて、傍まで行ったら『彼』が現れたの。姿は雹ノ目君だったから本当の姿は分からないけど、『彼』は近づくなっていう『警告』をしに来たんだって言ってた」
「警告……ね」
『警告』の言葉に九十九君が反応した。なにか思い当たることがあるのだろうか。
「ちょっとあるよ。だけどそうかはまだ分からないかな……。まあ、詳しい事は現地についてからだね」
にっこり微笑んだ九十九君に今は教えてもらえないことに気が付いて私は外の流れる景色を見ながら到着を待つことにした。
幻狐町に現れた魔物、突然消えた雹ノ目君、そして夢に現れ警告した『彼』。それぞれへの不安に潰されそうになる気持ちを手のひらに乗せたお守りをぎゅっと握りしめることで堪えた。




