35 next stage 幻影5
「最初に一つ、君の認識を改めさせてもらう」
木塚君と向かい合うようにして座った私に彼は開口一番そう言った。
「認識を改める?」
「そうだ。君は雹ノ目の入院していた病院はどこかと聞いたが、そもそも魔法使い専用の病院は『一定の場所には留まらない』」
「……どういうこと?」
「病気とか怪我で動けない魔法使いなんて、かっこうの魔物のエサなんだよね~。だからあんまり同じ場所に留まると魔物の襲撃を受ける恐れがあるんだ~」
のんびりとした口調で榊原さんが私の質問に答えてくれる。
「だいたい一月単位で場所が変わるんだ。だから朔良君がいた場所は今は更地になってるね」
「あれ……時任君、雹ノ目君のこと知ってるの?」
「郁ちゃんに付き合って何度か会ったことがあるんだ。大人しくて物静かな印象だったけど」
「まぁ~、それは私達が彼と『そんなに親しくない』からなんだけど」
確か柳生先生もそんなことを言っていた。だから私が雹ノ目君に会うのを反対しているのだ。
「すーちゃんは、さくちゃんに会いたいの?」
榊原さんはどうも人の事をあだ名で呼ぶのが好きなようだ。すーちゃんとは私の事だろう。すーちゃんは初めて言われたな。
「うん……話さなくちゃいけないことが沢山あるの」
「ふぅ~む、すーちゃんとさくちゃんは仲良しなんだね~……」
ぽやっと優しく微笑んでいた榊原さんの表情が急に少々険しくなった。まずい、このままだと柳生先生の二の舞だ。
どう説得しようかと頭を高速回転させていると、木塚君が榊原さんの頭を小突いた。
「花森は俺との勝負に勝っている。余計なことはするな」
「うぅ~~」
「郁ちゃんどうどう、花森さんが心配なのは分かるけど彼女がふかみどり君と正面切って勝負するくらいなんだから決意はすごく固いよ。俺達が協力してあげなきゃ」
「とき君はものわかり良すぎ~」
「ふっ、惚れ直したかな?」
「残念~、最初っから惚れてませ~ん」
漫才みたいな会話にこっそり笑ってしまった。木塚君もこの二人と一緒だと少し気が緩むみたいだ。光属性は一年ではこの三人しかいないし、同じ医者を目指す者同士だからそれなりに気も合うのだろう。
「……話を戻すぞ、つまり同じ場所に行っても無駄ということだ。雹ノ目に関する手がかりなどその場にはもう残っていまい」
「それでも構わない。場所を教えて」
「…………たとえ移動した後でも正確な場所は教えてはいけない決まりになっている。近くの町村の名前くらいしか答えられないが」
それでもいいのかと目で問いかけられた私は、真っ直ぐ彼を見て、そして頷いた。木塚君は静かに目を閉じて息を吐く。
たぶん、木塚君は本当は教えたくないんだろう。柳生先生や榊原さんが心配したように、木塚君も少しは心配してくれているようだ。
数泊の後、木塚君は意を決したのか口を開いた。
「……茨城県の北方、森林地帯が広がる傍にある幻狐町だ」
「風よ、血と共に巡りて清浄をもたらす力となれ! ――――アルカヌム!」
木塚君から情報を聞き出せた私は、その日の放課後、魔法実験室で大量の調合を行っていた。調合しているのは薬品類だ。
「おーい花森、もういいんじゃねぇーの?」
「多すぎて困るもんでもないでしょ。何があるか分からないんだから備えは十分に確保しておくべきよ」
「そうだけどよ……」
私が調合した薬品を一ノ瀬君がせっせとリュックに詰めていく。あのリュックは魔法道具の一つで中身が四次元になっている為、なんでも入る。
「魔力不足を心配してるなら大丈夫よ。木塚君からマジカミンK貰ってきたから」
マジカミンとは魔法使い専用の栄養剤である。RPG的に言うとMP回復アイテムである。これは木塚君お手製なので後ろにKがつく。専門医からの認可、例えば神城先生などからこれは服用可能な薬であると認められれば、まだ医者の資格をとっていない生徒が作ったものでも他人が使用することが可能になるのである。
許可をとるのがちょっと面倒臭いのだが、購買で購入するより安く済むのだ。
「いや、もう日もだいぶ傾いて暗くなってるから。明日、早いだろ」
「……そうね、ここまでにしましょう」
私がようやく切り上げると一ノ瀬君は安心して息を吐いた。残りの薬品をリュックに詰め、背負う。
片づけと戸締りをチェックすると、私達は静まり返った校舎からようやく寮へと足を向けた。
木塚君から聞き出した雹ノ目君が消えた日に病院が存在していた場所『茨城県の幻狐町』に行く為、三時限目の授業が終わると同時に依頼斡旋室へ直行した。
私達アルカディアの生徒達が外へ出るには依頼を受けるしか方法がない。柳生先生も外へ依頼に行くことは止めないだろう。
近くで出されている依頼がないか探してみると、運のいいことに幻狐町から魔物退治の依頼が入っていた。
受付で聞いてみれば、すぐにでも来てほしいという緊急性の高いものだったので私達は明日の早朝、アルカディアを発つことになり、こうして遅くまで準備をしていたというわけだ。
明日の為に、英気を養おうと食堂のお肉たっぷりの夕食を選んで席につくと、怪訝な顔をした一ノ瀬君が相席してきた。
「珍しいね、一人なの?」
彼はいつもD組の誰かと一緒に食事をとっている。私はわいわい皆と食べるのが苦手だったので逃げていたのだが、ウォークラリー以降は誰かの相席を断らなくなった。そういえばよく誘いに来る千葉君や東君の姿が見えないような。
「D組の連中誰もいねぇーんだよ。部屋にも行ったんだがまだ帰ってきてないみたいだな」
「まさか! 予習や復習の為に学校に残るなんてことしないよね?」
羽田さんならありえるが、D組の皆がそんなに真面目なら平均点を著しく下げたりしない。彼らはさっさと寮に帰って元気に外で遊ぶ連中である。
不思議に思いながらもその夕方、彼らが帰ってくることはなかった。
深い深い暗闇の中、私はパジャマ姿の裸足で立っていた。
なんとなく分かる。ここは夢の中だ。
ふわりと淡い光を灯す玉が一つ、私の周囲を舞うように飛んでいる。一人で取り残されたようなのに孤独に感じないのはこの玉のおかげだ。夢の中でも常に私は一ノ瀬君という光と共にあるらしい。
歩き出せば玉も一緒についてくる。明かりがあるから進む道に困ったりしない。
ずんずん、ずんずん進む。夢の闇の中に果てがあるのかは分からないが、立ち止まっているだけではもう、気が済まなくなった。
今日もまた会えるだろうか。昨日の夢が意味あるものなのだとしたら、今の夢はどちらだろう。
進めていた足を私は止めた。
誰か、いる。
闇の中でポツンと一人、こちらを見詰めて佇んでいる人影。昨日見た印象とはずいぶんと違って暗く沈み込んでいる。
「雹ノ目君?」
呼んでみれば人影がふらりと動いた。玉の発する光が人影を照らし、眩しく光る銀髪がさらりと揺れた。静謐な青い瞳は昔見た彼のものと寸分と違わない。
身長は一ノ瀬君より少し低いくらい。透き通るような色白の肌と長い睫毛の息を呑むほど美しく整った顔立ちは、四年の年月を経て幼い少年から青年へと変わりつつあった。
一歩、前へ出ると雹ノ目君は同じくらいの距離で後ずさる。もう一歩出れば、彼もまた一歩下がった。
「……来ないで……来ないで」
最後に聞いた声よりも若干低い音程ではあったが、あの静かで落ち着く声は変わらない。けれど彼から出る言葉は拒絶であった。
その言葉に多少怯んだが、私は前へ進み出る足を止めなかった。私の進む速さと彼が下がる速さに勝った時、私は雹ノ目君の傍まで辿り着いた。
「私は会いたい、雹ノ目君に。そして話したいことが沢山あるの」
「……僕は、会いたくない。君と話す事なんて何もない」
泣きたくなった。だけど、泣かない。腹に力を込めて立ち続ける。ここで逃げたら、同じだ。離れたまま、近づけないまま、なにも分からないまま終わる。
「私は、会いに行くよ。待ってなくても追いかけるよ」
覚悟しておいて。そう言おうと思ったが、その言葉が口から出る前に私の声は塞がれた。
「――――!!」
首を絞められている。雹ノ目君に!
「言ったのに、来ないでって言ったのに」
昏い昏い声が落ちる。青かった瞳が黒く染まっていく。
そうか、これは雹ノ目君じゃない。彼の姿をした『別の誰か』だ。昨日の夢を邪魔したのも『彼』か。
ギッと私は雹ノ目君の姿をした誰かを睨んだ。『彼』もまた睨み返してくる。
「これは『警告』だ。……雹ノ目朔良に近づくな」
「い……や――!」
ミシミシと音を立てながら首を絞められても私は絞り出しように拒否の言葉を発した。すると彼は億劫そうに眼を閉じる。
「そう……なら、仕方がないね」
彼の手が私の首から離れると、私は底のない闇の中にまっさかさまに落ちて行った。
『……意味なんてないのに、どうしてそこまで君はするのかな』
彼の声が闇の中に落ちる私の頭の中で響いていた。




