33 next stage 幻影4
二時限目の授業中なのでA組に誰もいない可能性もあったが、運がいいことに一人だけ静かに本を読んでいる生徒がいた。
彼が言うに木塚君はたぶんどこかの魔法実験室にいるはず、だという。木塚君は授業がない時間は一人実験室に籠って薬品の調合などをしているようだ。
しかし困った。この校舎には一年生が使用可能なものだけでも両手を使っても足りないくらいの数の魔法実験室がある。私と一ノ瀬君は三時限目に授業が控えているし、しらみつぶしに探したとしてもその間に木塚君が移動してしまう。
どうしたものかと悩んでいると、A組の彼が助け船を出してくれた。
「オルフェウスなら知ってると思うけど」
「オルフェウス?」
「A組御用達の転送肖像画、彼なら木塚がどこに行ったか知ってると思うよ。使っただろうし」
なるほど。確かにどの魔法実験室に行くにしてもここから歩いて行くのでは時間がかかる。転送肖像画を使用した可能性は高いだろう。
A組の彼にお礼を言って、私達はオルフェウスがいる廊下へ出た。
オルフェウスは中世に活躍した魔法使いで、その類稀なる美貌で婦女子に大変人気のある男性だ。金髪碧眼のまさに絵に描いたような王子様といった出で立ちだが、魔法の腕もさることながら、乗馬技術や剣術にも優れていたという。
私利私欲に走った外道魔法使い達から人間を守ったことでも有名で、あの『アヴァン戦記』でもフィクションながら主人公アヴァンの互いの背中を預ける戦友として活躍する姿が書かれているほど人間の間でも人気が高い。
しかし史実は悲しいもので、人間を守ったことで見せしめに家族を殺され、恋人であったあのD組御用達の転送肖像画でもあるマリアンヌを戦火で失い、悲しみにくれながらも必死に人々の為に戦ったが金に眩んだ仲間に背中から斬られ、人を信じられなくなった彼は、最期に魔法大戦の引き金になったとされる魔樹の大木ごと争っていた魔法使い、人間、善、悪関係なくすべてを燃やし尽くし、『欲深き人よ、すべてを失うがいい』と呪いの言葉を吐くと自らの手で喉を掻っ切り自害したという。
悲しみと憎しみに染まった彼の血は黒く、流れた黒血を吸った大地は死に、二度と再生できなくなった。そして彼の呪いかどうかは分からないが、年々女性の魔法使いが減り、先天性の魔法使いが生まれにくくなった。女性の魔法使いがいなくなれば、純粋な魔力を持つ強い魔法使いは生まれなくなる。魔法使いの権威がどんどん地に落ちていくのだ。
人間もまた、強力な魔物に対する魔法使いが減り己の命が危険にさらされることが多くなった。
もしかしたらいつかの未来、オルフェウスが呪ったように人はすべてを失うのかもしれない。
オルフェウスの物語は仲間に裏切られる前の勇敢で心優しい美青年としての面が強く押し出されて書かれている為、彼の壮絶なる最期は意外と知られていなかった。
「オルフェウス……あのアヴァンの戦友か」
なんだか一ノ瀬君の目がキラキラしている。憧れのヒーローに会えると興奮する子供のようだったので一応、釘を刺すことにした。
「一ノ瀬君、フィクション、フィクションだからね。アヴァンは実在しないし、アヴァン戦記のオルフェウスの話も創作だよ」
「わ、分かってるって。でもオルフェウス自体は昔に活躍した魔法使いなんだろ?」
「まあ、そうね」
私が薦めた『アヴァン戦記』は読んでくれているようだが、歴史書の方は読んでいないようだ。魔樹消失は魔法使いにとっては大事件なのだが年代を重ねるごとに簡略化されたらしく教科書には詳細が載っていないので知らないのも無理はない。
一ノ瀬君が言うように彼が『活躍した』ことは事実なので頷いておいた。
A組から少し先に行った廊下の壁に掛けられた転送肖像画のオルフェウスは、マリアンヌの魂の記憶からオルヴォン伯爵が抜き取ったものの為、物語に描かれているのと同じように勇敢で心優しい美青年だ。一ノ瀬君がガッカリすることはないだろう。
「オルフェウス、木塚君がどこに行ったか知りませんか?」
一ノ瀬君が感激のあまり喋らないので私が聞いた。その気持ちは分かる。私もマリアンヌを最初に見た時は心の中では同じ反応だった。
オルフェウスは絵画の中で朗らかに微笑んだ。
「おや、彼に会いたいとは珍しいですね。ご友人ですか?」
友人かと問われると答え難いが、ここは頷いておく。
「彼は魔法生物と魔法薬学研究室が隣接する西塔五階の第十二魔法実験室に行っています。転送しますか?」
「お願いします」
オルフェウスは歌うように呪文を唱えた。この流れるような詠唱は恋人であるマリアンヌの影響を受けている。彼が初めて彼女の詠唱を聞いた時、涙を流すほど美しい旋律に心揺さぶられ、彼は努力を重ねてその詠唱をものにしたのだ。
この詠唱を聞いていると悲恋に終わった二人の姿が浮かんできて、少し涙ぐんでしまう。死した二人は、死後の世界でも会うことはないとされている。清らかな人生を送ったマ
リアンヌは天使として天上へ迎え入れられ、この世のすべてを呪ったオルフェウスは悪魔に身を落とし深淵に送られたからだ。
『オルフェウス=魔物の王』とする学者もいるくらいで、魔物の生態についても詳しく
分かっていない現在、多くの憶測が飛び交っている。
実際のところはどうなのか分からないが、二人の結末が幸福でなかったことは確かだ。
「…………花森? おい、花森」
「え、なに?」
「なにってお前、魔法実験室通り過ぎちまうぞ」
よほどボーっとしていたらしい。一ノ瀬君に呼び止められて気が付けば目的地を過ぎてしまう所だった。
「あんま根を詰め過ぎんなよ。D組の連中も協力してくれてんだし」
どうやら雹ノ目君の事について考えているのだと勘違いされたようだ。本当のことを言うわけにもいかず私は曖昧に笑って誤魔化して、木塚君がいるであろう魔法実験室の扉をノックした。
しかし返事がない。
一ノ瀬君と顔を見合わせる。
もう別の場所に移動してしまったのかと気落ちしたが、一ノ瀬君が確かめてみようと言うので彼が開けた扉から中を覗き込んだ。
光の魔力の流れを感じる。
幾重もの光の筋が伸び、一つの場所に集約していた。その中心で木塚君は詠唱しながら薬剤を混ぜ合わせている最中だった。
魔法の途中であったし、よほど集中しているのだろう入って来た私達には気づいていないようだ。
私と一ノ瀬君はそっと部屋に入り扉を閉める。流れ出る魔力を実験室内で留めないと想定していたより魔力を失ってしまうし、魔法にも影響が出る。
木塚君の集中を削がないよう注意し、彼の魔力が消えるのを待った。
「…………それで、俺に何の用だ」
数分後、調合を終えた木塚君は一呼吸吐くと鋭い瞳で睨んできた。かなり不機嫌そうだ。やはり集中の妨げになってしまったらしい。
「ごめん、木塚君。でもどうしても聞きたいことがあって」
「聞きたいことだと?」
木塚君は訝しげに眉を顰めたが、私を見て興味深げに黒縁メガネをクイッと上げた。
「…………ふん、言ってみろ」
「木塚君、雹ノ目君って知ってる?」
雹ノ目という名に木塚君の目が大きく見開かれた。だが、すぐに元の不機嫌そうな目に戻る。
「初等科四年の時に同じクラスではあったな。ほとんど来ていなかったが」
「彼が初等科五年の冬に魔力暴走事件を起こして入院したことは?」
「知っている。精神を患ったと聞いているが」
「……それじゃ、雹ノ目君が入院している病院はどこか知ってる?」
沈黙が落ちた。
私を見る木塚君の目が厳しい光を宿している。これ以上踏み込むな、そう言われているような気がしたが、私は頑として視線を外さなかった。
木塚君は知っている。雹ノ目君が入院していた病院を。そして彼が消えてしまったことも、おそらく。
「お願い、どうしても知りたいの」
「…………黙秘」
「木塚!」
「黙秘だ。お前達が雹ノ目になんの用があるのか知らんが、あれは今、面倒なことになっている」
「知ってるわ」
「なら諦めろ」
「…………そう言われて諦めると思う?」
「…………………ふん」
木塚君に負けないくらい強く睨むと、なぜか木塚君は小さく笑った。嘲笑するような鼻で笑う笑い方じゃない。何かを期待するような、楽しげな笑顔だった。
「驚いたな花森、君にそんな顔ができるとは。……それでは一つ勝負をしようか」
「勝負?」
木塚君は小さな鍋とかき混ぜ棒を寄越してきた。机に上がっていた様々な種類の魔法薬の材料が入ったビンを爪で弾く。
「どちらが正確に、かつ高品質の薬液を作れるか勝負だ。効能や種類は自由」
「…………あ」
この言葉を昔、私は聞いたことがある。
魔法薬学の授業で木塚君が、私に挑んできた内容とまったく同じだった。あの時、私はこれ以上木塚君と関わり合いになりたくなくてわざと負けて逃げたのだ。
木塚君は、私との再戦を望んでいる。
「負けに逃げた君にさして興味はなかったが、気が変わった。今の君なら、俺と『真剣勝負』をしてくれるだろう?」
挑むように口角を上げて見詰めてくる木塚君に、私も同じように笑った。
今度は逃げたりしない。




