31 next stage 幻影2
「なあ、一つ確認しときたいんだが」
出て来た魔法実験室から一番近い転送肖像画『黄昏の詩人メルティウス』に職員室の前まで転送してもらい、扉をノックしようとした時、その手を止めるように一ノ瀬君が聞いてきた。
「なに?」
「お前が夢で見た、再会を望む人ってもしかして……雹ノ目って奴か?」
私は驚きに目を瞬かせた。どうして一ノ瀬君が雹ノ目君の名前を知っているんだ。まるで接点がない。
「当たりか。じゃあ、ますますよっしー先生に会いに来た意味があるな」
どういうことか聞き返そうと思ったが先に一ノ瀬君がノックもせずに職員室の扉を開けて中に遠慮なく入って行ってしまったので、私は慌てて彼の後に続いた。
もちろん私はちゃんと『失礼します』と断りをいれて。
一限目の授業中なこともあって職員室にいる教員はまばらだったが、柳生先生はのんびりと汚い自分の机でコーヒーを飲みながらくつろいでいた。
一ノ瀬君が慣れた手つきで近くのイスを引っ張ると(誰か他の先生のイスだろう)柳生先生の目の前まで持って来て座った。私は気が引けたので彼の後ろで立ったままだ。
突然やってきた私達に柳生先生は驚いたようだったが、いつになく一ノ瀬君の表情が神妙だったからか、コーヒーを置いて向かい合ってくれた。
「なんだお前ら。一限目は休みか?」
「雹ノ目って今、どこにいんの」
柳生先生の軽い問いは無視し、一ノ瀬君は開口一番に切り出した。一ノ瀬君の口から思いもよらない名前が出たからか、先生は驚きに顔を染めたがすぐに苦虫を噛み潰したような渋い顔をする。
「なんで今、お前がそれを聞く。……花森がいる前で」
気遣わしげな視線をよこされて私は首を傾げた。どうしてそんな顔をするのか。柳生先生が私と雹ノ目君の関係を知っているとは思えないのだが。
そんな私の胸中を察したのか、先生は深く息を吐いた。
「実はな、四年前の魔力暴走事件で雹ノ目を取り押さえたのは俺だ」
その言葉に私の頭は一気にあの時の光景をフラッシュバックさせていた。今でもはっきりと思い出せる、雹ノ目君の昏い笑顔の涙。選択を間違えた瞬間。消えない罪。
私達を隔てたのは突然巻き起こった突風だった。
誰かの風の魔法だろうということは分かったが、あの時は考える余裕はなくて、全部夢にして欲しくて、私は意識を手放した。
雹ノ目君を捉えたあの風は柳生先生が操っていたのか。
「俺の勘だから間違えてたら悪いが、花森、お前雹ノ目と仲が良かったんだろ?」
どこで分かったんだろう。柳生先生はあの場でしか私達を見た事がなかったはずなのに。
私は静かに頷いた。
「友達……でした。お昼休みの間だけでしたけど」
「え、なにそれ。なんで限定的?」
一ノ瀬君が訝しげに聞いてきた。先生も同じような顔をしている。まあ、普通はそういう反応だろう。
「周囲にバレるのは煩わしかったので」
「……花森らしいっちゃ、らしいけどな」
「先生すごく心配だ。D組には慣れたのか? 友達はちゃんといるのか?」
なんだか二人にすごく悲しそうな顔をさせてしまった。柳生先生なんて涙まで浮かべている。
「大丈夫です。一応存在は薄めていたのでイジメにも幸いあってませんし。……今は一ノ瀬君も、騒がしいくらいのD組メンバーも死ぬほどかまってきますから」
元々、人好きのする人間が多く集まっているのだろう。人を突いて嘲笑うような者はD組にはいない。皆で騒いで馬鹿して怒られる。他のクラスからはアホクラスと呼ばれているようだが、私はそんなアホクラスが、結構好きだ……と今ならちゃんと言える。
「そうか、ならいい。俺も初めてもったクラスがああいう連中が集まったクラスで良かったと思ってるよ」
ニヤ付きながら言う先生は心底嬉しそうで、こっちもなんだか嬉しなってしまう。
和やかな空気が流れたが、私は慌てて咳払いした。こんな話をしにきたんじゃない。
「それで先生、雹ノ目君が今現在どこにいるかご存知ですか?」
「…………知ってるっつーか、知らねぇーっつーか」
どっちだ。
歯切れの悪い先生に私は畳み掛けるように問う。
「あの事件の後すぐに聞いた話だと魔法使い専用の病院で精神治療を受けながら勉強しているという話でしたが」
「その話は本当だ。うん、本当」
「今でも同じ病院で同じ治療を受けているんですか?」
「…………受けてる」
「なんでそんな消えそうな声で言うんですか」
目も泳いでいるし、とても言い難そうにしている。雹ノ目君の今の状態は私の耳に入れたくないほど何かがあるのか。夢を邪魔した存在のことも引っかかり、私はだんだん不安になってきた。
「よっしー先生、先生が花森を心配する気持ちも分かるが、今は正直に話した方がいいと思うぜ」
「――う、けどな……」
「……花森、先生にも夢の話してやれよ。九十九が言ったことも」
促されて私は頷くと、今朝の夢の話とそれを解釈してくれた九十九君の話をした。最初は不思議そうに聞いていたが、九十九君の解釈の話に入ると、だんだんと表情が険しくなった。話し終える頃には、眉間に皺を寄せて怖い顔で考え込んでしまう。
「先生、ちゃんと話してくれよ。雹ノ目は今どうしてるんだ」
「…………詳しくは知らない。っていうか知りようがない」
「どういうことですか?」
「雹ノ目はあの後、病院で精神治療を受けていた。それは事実だ。つい先日まで治療を受けていたのは分かってる。けど一か月ほど前に突然行方が分からなくなったそうだ」
行方が……分からない?
「どういうことだよ、そりゃ」
「病院から忽然と姿を消したそうだ。普段は大人しくて病院を抜け出すようなことはしない奴だったらしいが、監視はちゃんとついてた。けど雹ノ目は消えた。あいつはS級のうえに両親とも魔法使いの先天性魔法使い。なにかありゃ大事になりかねないと、魔法科の警察も動いてるがいまだに見つかってない」
私は動くことも言葉を発することもできずに固まってしまった。彼が入院している場所が分かれば、なんとか会いに行けると思っていたのだ。
考えが甘かった。
「手がかりとかねぇーのか?」
「…………看護師の一人が少し気になる独り言を聞いてた。『もうすぐ友達に逢える』ってな」
「友達? 花森以外に友達がいたのか?」
「少なくともあいつを見舞いに来たのは親戚が数人だけだったらしい。友達らしい友達は見た事がなかったと言っていたな」
『友達』、か。その単語に私の心臓は抉られるような痛みを覚えた。あの頃の雹ノ目君は寂しさから友達を欲しがっていた。両親と共に世界中を飛び回って演奏するのは楽しいと言っていたけど、やはり友達ができないことを悩んでいたのだ。
あの事件の後、精神を病んだというならその状態で友達ができることはあまりないように思える。
雹ノ目君が呟いた『もうすぐ逢える友達』とは、私のことなのか。彼はまだ私を友達だと思ってくれているのだろうか。
「花森の夢は、雹ノ目との再会が暗示されていた。だとしたら雹ノ目の方からこっちに来るかもしれねぇーってことか?」
「だとしたら門の警備と結界に引っかかる。あいつは一か月も行方くらませてんだぞ。花森に会いに来る目的なら、とっくに来ていてもおかしくない……が、奴はここに来ていない」
「じゃあやっぱり、誰かが邪魔してるとか」
「そうだな……夢の話を聞く限りその可能性は非常に高い。が、俺としても雹ノ目が花森に会うのは阻止したい」
「はあ!?」
柳生先生の思いもよらない言葉に、私と一ノ瀬君は口をあんぐりと開けて間抜け面を晒してしまった。
「なんでだよ。ダチ同士で会うだけだろ」
「通常の精神状態なら俺だって歓迎したさ。けど実際はそうじゃない。雹ノ目は治ってないんだ」
「……精神を患ってるって言ってたが、そんな重症なのか?」
「重症というより根が深い。一つの事柄に関して異常なまでの反応を見せるタイプの精神異常者だ。その他に関しては普通の人とそう変わらない会話ができたらしい」
「一つの事柄……ですか?」
「そう、『親しい人間』に関してのみ雹ノ目は異常な反応を示す。だから心配なんだよ」
心配そうに見つめてくる柳生先生の目から逃れるように私は視線を反らした。私はそんな目で見られるような人じゃない。
雹ノ目君のその心の一部を深く根が張るくらい壊してしまったのは『私』だ。
「いいか二人とも、よく聞け。雹ノ目のことは警察に任せてお前らはあいつに関わるな。依頼で外に出ることもあるだろうが、もし出会っちまっても近づくな。絶対に」
「……なんだよそれ。花森は雹ノ目に合いたがってるんだぜ」
「今は諦めろとしか言えないな。なまじ会えたとしてもまともな会話にならねぇーよ」
強い否定の言葉に私はぐっと押し黙った。仲直りの機会もないというのか。
あの後の雹ノ目君の状態を知らない私には、まともに話ができない彼の姿を想像できなかった。話せなければ分かり合えない。
私は……どうしたらいい?
答えを教えてくれると期待した先生からは、絶望的な回答しか得られなかった。私は鉛のように重くなった足を引き摺って、黙ったままの一ノ瀬君と共に職員室を後にした。
彼が私の手をしっかりと握っていてくれなかったら、私は膝から崩れ落ちて泣くことしかできなかっただろう。
私はぎゅっと彼の手を握り返した。彼の背中が言っている。諦めてない。だから私も諦められない。いくらそれが危険だとしても、私は探そうと思う。
雹ノ目 朔良を。




