30 next stage 幻影1
ゆらり、ゆらりとほの白い光の玉が揺れている。
果てしない暗闇で、一つ、また一つと増えていく。ずっとその場から動けなかった私の足元を、もう恐れて立ちすくんでいなくたっていいんだよ……と教えてくれているようだった。
導かれるようにその光に指先が触れると、ふっと優しく瞬いてその色は白から燃えるような鮮烈な赤へと変わる。
炎の固まり、けれど熱くはない。包むような抱きしめられるような温かな温度に私の瞳からは涙が溢れた。
その炎は私の背に回り、前へ押し出すように触れてきた。
『これからはさ、思いっきりぶち壊していけよ、花森。行く手を阻む障害は全部壊せる。今のお前ならもう、できるんだ。……それでも無理だと思うのなら』
どこからか彼の、一ノ瀬君の声が響いてきた。体の中心から、私の心臓から熱い光が迸る。
『俺も一緒に壊してやる』
風と炎が逆巻く。暗闇を打ち払い、私の目の前には一本の道が切り開かれていた。
走れ、走れ。
闇を蹴り飛ばし、私は走り出した。道の先の先、光の中で誰かがこちらに背を向けて佇んでいる。
光の中で輝くのは艶やかな銀色の髪。記憶にある姿よりもずいぶんと背丈が高くなっていたけれど、私には『彼』が誰なのかすぐに分かった。あれほど綺麗な銀髪を持つ人を私は他に知らない。
会いたかった。ずっとずっと、本当は会いたかった。
罪悪感に苛まれて、嫌われてしまったからと言い訳して、離れたまま近づこうとしなかった。近づいて、彼の口から『嫌いだ』と言われるのが怖くて。
今でも正直、彼と向き合うのは怖い。だけど私が彼を傷つけた分、私も同じ覚悟をしなければいけないと思う。忘れようと思っても、この心の中にあるあの日の彼は消えてくれないから。
私はもう一度、彼と『友達』になりたい。
彼の元へ力一杯走った。話をしよう。たくさん、話をしよう。あの日に言えなかった、聞けなかったことを全部。
そうしたら聞かせて欲しい、貴方のヴァイオリンを。見せて欲しい、貴方の笑顔を。
ねえ、『雹ノ目君』……私ね、こんなに素直に笑えるようになったんだよ。貴方の優しい笑顔に比べたら霞んでしまうかもしれないけど、ちゃんと心から笑えてる。それとね、一ノ瀬君を貴方に紹介したい、絶対仲良しになれると思う。
だから、だから――――
彼に向かって私は縋るように手を伸ばした。もう少しで触れられる、そんな距離。彼がゆっくりと振り返って。
――――ドスン!!
背中に走った痛みに飛び起きた。
「痛っ……あれ?」
よく見れば見知った寮の自室で、ベッドからずり落ちた自分がいた。掛布団は反対側に飛んで、パジャマも乱れて腹が出ている。
私どれだけベッドで大暴れしたんだ……。
いつもならこんなことにはならない。寝相は良い方だ。
寝ぼけた頭でむっくりと起き上がると落ちていた掛布団を引っ張ってベッドの上に戻す。目覚まし時計を見ればまだだいぶ早い時間だった。外はまだ暗い。けれど二度寝する気にはなれなかった。
あの夢はなんだったんだろう。
ベッドに腰掛けて、静かに瞑想した。
『魔法使いが見る夢には意味がある』、初等科六年の時に習った魔法基礎学でそんなことを先生が言っていた。もちろん何の意味もないものも多いが、起きてもはっきりと覚えていたり、その夢の中で魔力を感じたりすると予知であったり、なにかの暗示だったりすることがあるらしい。
私の先ほどの夢はどうだろう。ウォークラリーで優勝し気持ちが吹っ切れたことで見た自身の願望が見せた幻か。それとも……。
しばらく考えたが、こういうことは専門じゃない。いくら考えても答えは出なさそうだった。私は頭を切り替える為、着替えて顔を洗い身支度を整えた。しかし着替えたのは制服ではなくジャージだ。
外は晴れている。久しぶりに朝靄の中を走りたくなった。
準備が出来て外に出る頃には朝日が顔を少しだけだし、辺りが明るくなり始めていた。しっかりと準備体操をして、いざ走ろうとした時だ私は人影を見つけて驚いた。
私と同じジャージを着て、肩にタオルをかけた人物はよく知っている顔だったのだ。
「よう、花森早いな。おはよう」
「お、おはよう一ノ瀬君……。一ノ瀬君こそ早いね?」
「俺は日課のジョギング。もしかしてお前も走るのか?」
頷けば彼は嬉しそうに歯を見せる笑顔を浮かべた。
「一緒に走ろうぜ! こっから森林公園突っ切ってぐるっと回って戻って来る一時間コースだけど、あ――久しぶりに走るんなら三十分コースにするか?」
「ううん、一時間コースで平気。昔は二時間とか余裕で走ってたから、体力は落ちたと思うけど一時間くらいな大丈夫」
「お、頼もしいな。じゃあ、行くか」
背中をポンと軽く叩かれて、私達は走り出した。背中を押される感覚に私は今朝の夢のことを思い出した。あの闇を照らしてくれた光はきっと一ノ瀬君だったに違いない。そう思ったら彼にあの夢の話を聞いてもらいたくなった。
「あのね、一ノ瀬君。変な話、してもいいかな?」
「変な話?」
「うん、今朝の夢のことなんだけど……」
夢の内容はハッキリと覚えているが、口で伝えるには難しくて曖昧な言い方になってしまったが、彼は黙って話を聞いてくれた。話し終えれば一ノ瀬君は難しい顔で唸ったが、降参とばかりに両手を上げた。
「なんか印象深い夢だが、俺にはそれがどういう意味なのかさっぱり分からねぇーな」
「だよね……」
「でもそういうの詳しそうなのなら知ってるぜ。同じクラスに九十九っているだろ、あいつ確か占い系の授業とってたはずだから何かいいアドバイスくれるかもな」
さすが誰とでもすぐに仲良くなれる一ノ瀬君はクラスメイトのとっている授業内容も把握しているようだ。
それにしても九十九君か……。彼は水属性の特性をあますところなく持ち合わせた不思議な人である。水のように掴みどころがなく、何を考えているのかその穏やかな微笑みを絶やさない顔からは判断がつかない。
彼と直接会話をしたことはないのだが、何かを探していると必ずと言っていいほど彼と目が合い、そして彼が指さした方向に行くと不思議と探し物が見つかるのだ。
そんな特殊能力を兼ね備えた九十九君ならば、もしかしたら夢について何か聞けるかもしれない。
「九十九君か……私、話したことないから取次ぎ頼んでもいいかな?」
「おう、任せとけ」
彼の返事に私は安心して、久しぶりに走った朝靄の風を楽しむことが出来た。
その日の朝、さっそく登校してきた九十九君に一ノ瀬君が声をかけようと口を開きかけたがその前に九十九君の方から声が上がった。
「うん、それじゃあ魔法実験室に行こうか」
なにが「それじゃあ」なのか分からない。こちらからはまだ何も言っていないのだが。戸惑って動けないでいる私達に九十九君はいつもの柔らかい笑みを向けた。
「僕に聞きたいことがあるって顔に出てるから。二人とも一限目は授業無いでしょう?」
九十九君はもう悟っているということに気が付いた私達は、ようやく彼の背を追いかけて教室から出た。
魔法実験室は沢山あるが一年D組がある中央塔四階東側から一番近いのは三階北側にある。D組を出てすぐ左手に飾ってる肖像画『清純乙女マリアンヌ』と九十九君は向かい合った。私と一ノ瀬君は彼のすぐ後ろに立つ。
「おはよう、マリアンヌ」
『おはようございますですわ、薫君、それと李さんと勝君。さあ、どこへ行きたいんですの?』
そこかしこにかけられている肖像画の一部はマリアンヌのように生命が吹き込まれたものがある。彼らは一様に転送魔法が使え、広すぎる校内を効率よく移動できるよう配置されていた。元々はこの城の主オルヴォン伯爵の弟子や友人の魔法使い達で、死後彼らは自分の魂の一部を肖像画に宿らせ、気が遠くなるほどの長い間生徒達を見守っている。
九十九君が目的地を告げると、マリアンヌの透き通るような美しい歌声に合わせて転送魔法陣が出現した。生前のマリアンヌは湖上の歌姫と称されるほどの歌魔法を得意としていた魔法使いだったらしい。オルヴォン伯爵の弟子として彼に熱心に師事し、多くの人々を救ったそうだが、魔法大戦に巻き込まれ若くして命を散らせたようだ。
マリアンヌ・アヴェンストラトのお話は中等科の第二図書室の歴史コーナーとファンタジーコーナーでよく見かける名前だ。もちろん図書室に入り浸っていた私はほとんどの話を読破している。彼女の物語には何度も涙を浮かべたくらいだ。
歴史的な人物と魂の一部とはいえ会話ができることが、とても不思議でそして物語に入り込んだような興奮がある。とりわけ私はマリアンヌが好きなので彼女がD組生徒御用達であると知った時、心の中で踊り狂ったことは誰にも話すまい。
眩しい光の中、目的地へと転送された私達は魔法実験室の扉を開き、適当にイスを引っ張って円になるように座った。
「それで花森さん、僕になんの話?」
「えっと、今朝見た夢の話なんだけど」
ジョギングの時に一ノ瀬君に話したようなたどたどしい話を九十九君もまたしっかり聞いてくれた。話し終えると、彼は数秒黙って思案したようだがすぐに私と目線を合わせた。珍しい事に彼の顔から微笑みが消えている。鋭く刺すような眼差しに私の背筋は冷えた。
「最初のシーンは『吉兆』だと思う。花森さんは過去の暗いものから最近脱出できた」
「……うん」
九十九君は私の抱えてきた過去を知らない。先日のウォークラリーでの優勝で私の心が変わった事など分からないだろうが、彼は確信を得ているかのようにきっぱりと言った。
「これから花森さんは迷っても必ず前へ進めるようになったんだと思う。道が出来たんならそういう事」
「んじゃ、良い夢なんじゃないか。なんでそんな怖い顔するんだよ」
「問題はその後、光の中に見えた人って花森さんの知り合いだったんだよね?」
「うん……色々あってずっと会ってない人なんだけど。それがどうしたの?」
「普通は、そういう吉兆の中で見る懐かしい人は再会の予兆であることが多いんだけど」
『再会』と聞いて胸が高鳴った。もしかしたら会えるかもしれないと、あの夢を見て思っていたから、九十九君の口から聞いてその可能性が上がって嬉しく思ったのに。彼の表情は晴れない。
「触れられそうで触れられなかった、そして顔は逆光で見えない。声も聞けていない。……それだけならその部分だけは花森さんの『願望』ととれる」
願望、確かにそうかもしれない。目の前に道が出来た時、私が真っ先に会いに行こうと思い描いたのはきっと彼だったはず。それが夢として現れてもおかしくない。
「つまり、その人と再会できるって予兆じゃないってこと?」
肩を落としながら聞くと、九十九君はなぜか首を振った。
「それだけならって言ったでしょ。一番の問題は夢から覚めた瞬間だよ。花森さんって普段から寝相悪い? 悪くないよね」
聞いておいて断言。私は黙ってうなずいた。
「はっきり言うけど、花森さんから別の誰かの魔力を感じるよ」
「え!?」
私は咄嗟に精神を集中させて自分の中にある魔力の流れを調べた。
…………わずか、普通なら気が付かないほどの小さな魔力の断片があった。これは私の魔力じゃない。誰かに魔法をかけられた覚えもないからこれは不自然だ。
「本当ならその夢、その人に会える吉兆の夢だった。けど誰かがそれを強制的に邪魔をして流れを断ち切らせたのかなって」
「なんだそれ、なんで花森とそいつの再会の邪魔をするんだ? しかも現実じゃなくてわざわざ夢を」
「一ノ瀬君は習わなかった? 『魔法使いの見る夢には意味がある』って。力のある夢は現実を引き寄せる。正夢にするんだよ。だから夢の邪魔は魔法使いにとっては威力のある妨害になる」
私と雹ノ目君の再会の妨害? 誰がなんの為にそんなことをするというのか。される理由も覚えもない。そもそも私と雹ノ目君が友達同士であったことすら当人以外、誰も知らないはずだ。
「ううん、一人だけ知ってたよ。鈴木君が」
心の声がそのまま読めてしまうのか、それとも私が分かりやすい顔をしていたのか九十九君が否定した。鈴木君が一瞬誰だか分からなかったので首を傾げたが、彼が『透明君』と言い直したので一人の人物に思い至った。
「え、なんで透明君が?」
「偶然見ちゃったみたいだね。彼は口軽くないし、引っ掻き回すのも趣味じゃないから誰にも言わなかったみたいだよ。良かったね」
まさか見られていたとは露にも思わなかった。しかし透明君の能力を考えれば近くにいても気づかなかったのは納得できる。
しかしなんというか水属性というのはつくづく、こちらの予想を超えてくる。
「鈴木君は怪我をしてるし、そもそも誰かの夢を遮断できるくらいの魔力を持ってないから彼は白。一応聞くけと心当たりは?」
あるわけない。大きく首を振った。
「だろうね……花森さんへの攻撃性は感じられないけど、気を付けはした方がいいかもね。誰がなんの目的でそうしてるのかまではさすがに分からない。君が再会を望むその人と関わるというなら慎重になった方がいいよ」
九十九君に静かに告げられた私は、力強く頷いた。誰が何の為に邪魔をしているのか分からないけど、雹ノ目君と会える吉兆が出ていた以上、私は諦めたくなかった。
一ノ瀬君が私の背を力強く叩く。
「よーし、じゃあ作戦会議だな。ってことで今度は職員室行こうぜ」
なんで? と首を傾げれば、一ノ瀬君は自信満々で親指を立てた。
「よっしー先生なら安心だろ」
「うん、そうだね。あの先生、見た目と言動はチャラくて羽より軽そうだけど実力は折り紙つきだし。その魔力の元も追えるかもね」
九十九君の柳生先生に対する酷い評価はさておき、私は先生の力を借りるべく九十九君と別れて、職員室へ向かった。




