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VS(ヴァーサス)!!  作者: 白露 雪音
VS 高等科編~運命のチームメイト
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27 memory 風に愛された少女1(七瀬視点)

七瀬視点です。

 俺は茫然と立ち尽くしてしまった。

 風が全部持っていかれた。一緒に走っていたのに全部、彼女に。

 可愛い女の子達を横から掻っ攫われたような感覚に、一瞬、怒りにも似た感情が湧きあがったが、惹き寄せ返した彼女の……花ちゃんの横顔を見て、俺は全身に熱いものが駆け巡った。

 気が付けば俺は彼女の背を見詰めて、見送ってしまう。


『取られたら、取り返す!』


 彼女と同じクラスになった二年間。その間では決して聞くことができなかった、透き通るような凛とした声。挑むような真っ直ぐな瞳。

 そして何より、彼女は…………。



 湧き上がる歓声で、俺はようやく自分が立ち止まっていることに気が付いた。

 ゴールテープを切った彼女にD組の連中が群がって勝利を祝っている。花ちゃんは勝利の実感が掴めていないようでぼーっとしていたが、一ノ瀬君と木塚君の登場でようやく実感できたのか、朗らかに笑ってみせた。


 ――――花ちゃんが、あの花ちゃんが笑った。


 それは衝撃的な光景で……俺は勝手に『花森李』という女の子は『笑わない、一人が好きな子』だと思い込んでいた。たぶん、彼女自身もそうなるように振る舞っていたに違いない。

 理由なんか分からない。俺はただ、女の子という種類でしか彼女を見ていなかったのだから。だから一度失敗して守れなかっただけで、敬遠した。役立たずと思われて、そういう目で見られるのが怖かったから先に離れたんだ。


「……情けない」

「本当だな」

「うわっ!?」


 独り言のつもりだったのに返事があったので俺は飛び上がるほど驚いた。振り返れば仏頂面の木塚君が立っていた。


「負けたとはいえゴールくらいしたらどうだ」

「あ……そ、そうだね……。木塚君、怒らないの?」

「なぜ?」

「その……負けたし俺」


 木塚君が怖くておずおずと言う俺に彼は大仰に溜息を吐いてみせた。


「お前、手を抜いて走っていたのか?」

「ぜ、全力で走らせていただきました!」

「で、負けたんだろ?」

「負けました!」

「ならいい」

「ごめんなさ――へ?」


 口走った謝罪の言葉を途中で止めて、俺は首を傾げてしまった。男に興味がなかった俺はずっと木塚深緑という男の存在を知らず、一週間前に初めて彼を認識したくらい付き合いが浅い。どうして運命石は俺と木塚君を引き合わせたのか、今もってまったくの謎だが、木塚深緑という男は、変わりやすい秋の空と比喩される女心よりも不可解な男だ。

 なにを考えているのかサッパリ分からない。


「間抜け面が。互いに全力を出し合った真剣勝負で出た結果をとやかく言うつもりはない。さっさとゴールして、閉会式に出るぞ七瀬」


 背中をガツンとグーで叩かれ(骨の出っ張った所が当たってめっちゃ痛い)、前へ押し出された俺は、ゆっくりとゴールへ……楽しそうに勝利を分かち合っている彼女の元へ向かって走り出した。


 ドクン、ドクンと心臓の音が耳の奥で煩く鳴っている。走って心肺が上がっただけじゃない。俺は思い出していた。勝利を祝う仲間達に囲まれて嬉しそうに笑う彼女の姿を俺はどこかで見たことがある。

 今までの彼女と一致しなかったから、ずっと思い出せないでいた。


 あの笑顔を俺は知っている。

 あの真っ直ぐに前を向く横顔を知っている。

 あの風と共に駆け抜ける走りを知っている。


 確かな確信と共に俺は奥底で眠っていた記憶を掘り起こした。

 ――あれは七年ほど前の夏の日。俺がまだ普通の人間だった頃の話だ。




          ◆    ◆    ◆





 七年前の八月某日。

 うだるような暑さの中、俺は九月に行われる運動会のアンカーとして活躍すべく太陽が天中に居座る昼休みに校庭で走り込みをしていた。

 暑い、死んじゃう。


「いっ君、なにもこんなクソ暑い日中に練習せんでも……放課後やれば?」

「放課後無理! 用事ある」


 いっ君とは俺のあだ名だ。

 家がお隣同士で幼稚園の頃から仲の良い親友、たっ君こと川波(かわなみ) 卓也(たくや)は、渋い顔を作った。


「またなんかお小遣い貰える手伝い増やしたのか? 朝もやってるだろ、そろそろ体壊すぞ」

「たいちょー管理には気をつけてるよ。今月またピンチなんだ、赤字なんだよ赤字!」


 俺が小まめにつけている家計簿が真っ赤なのだ。母さんの給料日まで持たない事実がすでに判明してしまっている。


「お前……算数苦手なのによく家計簿つけられるよな」

「電卓という文明機器があるのです」

「そういうのに頼るからずっとできないままなんだぞ」


 そんなこと言われても、頭のできの悪さはどうにもならない。電卓の方が早くて正確だから頼ってしまうのも仕方ないだろう。


 真っ赤な家計簿を見て、母さんがまた自分のものを売ろうと考えてるのも知っている。母さんの大事なものがまた減るのは嫌だ。

 まぁ、実際子供が稼げるわけもなく、お金よりも現物支給の方が多いんだけどね。それでも家計の足しになってありがたい。


「お前ん家の事情は知ってるけど、やっぱこっちとしては心配なんだって。そうだ、今日の夕飯カレーだって母ちゃんが言ってたし、おすそ分けするから取りに来いよ」

「マジ!? たっ君のお母さんが作るカレー好きなんだよね、野菜たっぷりゴロゴロカレー。ありがと、たっ君、愛してる!!」

「……愛はいらねぇー」


 親愛のタックルをかまそうと思ったら思いっきり避けられた。ヒドイ。


「にしてもお前がんばるな。そんな練習しなくても速いだろ足」

「なにを言うかね、たっ君。アンカーで一位を確実にとろうと思ったら練習はいくらあっても足りないのだよ!」

「なにその変な口調。運動会で燃えすぎだろうとは思うけどそんなクラスの為に一位を――」

「運動会で燃えずにどこで燃えるんだ! 勉強できない俺が女の子の黄色い喝采を浴びられる唯一の行事だってのに!」

「それが目的か! ちょっと見直して損したわ!」


 グーで殴られた。なぜ、女の子の黄色い声は活力そのものなのに。男は女の子の気持ちが向いてこそ頑張れるんだよ? たっ君、君は男じゃない!

 反論してやりたかったが、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ってしまったので諦めて教室に戻った。






 放課後、俺は元々高い運動能力を活用し、誰よりも速い走りで目的地へと向かっていた。ランドセルは背負ってない。たっ君に託して、カレーを貰いに行く時に持って帰る約束だ。急いで走るにはランドセルはすごく邪魔なのである。

 俺は古びてボロボロになっているがま口財布を握りしめ、小学校から自宅のボロアパートまでの中間あたりにあるスーパーに向かっていた。普段から庶民に優しい低価格が売りのスーパーだが、水曜日の四時ジャストからの十五分間の間に更に値引きされた激安タイムセールが行われるのだ。

 それをこの俺が、家計の財布を握っているこの俺が見逃すことはありえない!

 走れ俺、全力で! 早くしないと百戦錬磨の主婦達に先を越されてしまう。


 『小学三年生男子とは思えない』とたっ君にお墨付きを貰った主婦魂にかけて、必ず激安商品を手に入れるのだ。


 スーパーに突撃した俺は、タイムセールに群がる主婦の壁を見た。ひるんではいけない、一瞬でも気を抜けば弾き飛ばされる。俺は小柄な体を利用して主婦の隙間に入り込み、目的の肉と野菜とトイレットペーパーを掴みとった。

 いくら安くても余計なものは買わない。産地をちゃんと確認する。賞味期限ももちろん確認。野菜も傷みの少ないものを買えた。

 会計を無事済ませた俺は、清々しい顔でまだ高い空を見上げた。


 ふっ……今週も激戦を潜りぬけてやったぜ。

 母さん、今週もなんとか生きていけそうです。

 戦利品を手に、意気揚々と帰路についたのだった。




 戦利品をいったん家に置いてから、魚屋のおっちゃんの手伝いをして売れ残りの小さい魚を貰った俺はその足でボロアパートお隣の一軒家である川波家のインターホンを鳴らした。


「たっ君、カレー!」

「ドア開けていきなりソレかよ。準備してっけど……母ちゃん、いっ君来た!」


たっ君が呼べば、彼に瓜二つの母親が現れる。長身のボーイッシュな服装が良く似合う綺麗なお母さんだ。

 たっ君のお母さんは、鍋ごと俺にカレーを渡す。


「ちょっと重いけど、持てる? おばさんが持ってこうか?」

「平気! おばさん、カレーありがとう!」

「いいのよ、この間さっちゃんから可愛い編みぐるみ貰ったしね」


 さっちゃんは、俺の母さんのことだ。七瀬沙織でさっちゃん。たっ君のお母さんと俺の母さんは幼馴染でそれこそ俺達みたいに幼稚園の頃からの長い付き合いらしい。

 ランドセルを背負い、ちょっと重いカレー鍋を持って俺は隣のボロアパートに帰った。一階だからそんなに苦じゃない。

 立てつけの悪いドアがギィギィ煩い音を立てて閉まると、母さんがその音を聞きつけて駆けてくる。


「おかえりなさい、いつき」

「ただいまー、母さん、たっ君のお母さんからカレー貰ってきたよ!」


 ほら、とカレー鍋を見せると母さんは嬉しそうに微笑んだ。とても綺麗な顔なのにこけた頬が目立って微笑みも掠れてしまう。

 胸がぎゅっと縮むように痛んだ。


「いっぱいあるから、お腹いっぱい食べようね!」

「そうね、お腹いっぱい食べましょう」


 時々こうしてたっ君のお母さんから大量のご飯を貰うけど、毎回貰うわけにもいかない。俺には給食があるからいいけど、母さんがちゃんとお腹いっぱいご飯を食べられる日は、あまりない。

 『お母さんはお腹、空いてないからいいの』なんて言うけど、お腹が空かない人間なんかいないんだよ、母さん。

 久々のご馳走(カレーでもご馳走!)を二人で食べていると、隣の部屋から赤ん坊の泣き声が二重奏で聞こえてくる。

 母さんが慌ててスプーンを置いて隣の部屋に入った。あやす声が聞こえてきて、ゆっくりと泣き声が止んだ。

 俺にはまだ赤ん坊の双子の妹達がいる。母さんは家計の為にパートに出ているから日中はたっ君のお母さんに預けていた。託児所に入れるお金はもちろんない。

 奈央と梨央がもう少し大きくなったら食費はもっと増えるだろうし、幼稚園にも入れないといけなくなる。


 ……どう考えてもお金、足りない。


 父親は一年前に突然蒸発していらい行方は分からないまま。母さんはいつか帰ってくるとか言ってたけど、帰って来たとしても俺は嬉しくない。

 悪い記憶があるわけじゃないけど、良い記憶もない。遊んでもらったりかまってもらったりしたことがないのだ。遠くからじっとこっちを見て、俺が近づくと遠ざかる。そんな父親だった。

 いなくなった理由もいまいち分からないし、お金は欲しいけど父親はいらない。


 俺はカレーを黙々と平らげると、さっさとお風呂に入って眠った。







 赤字に悩まされながらも、周囲の人達のおかげで食いつなぐ毎日の中、俺に転機が訪れたのは同年の十月。運動会で練習のかいあり、女の子達の視線と黄色い声を一身に集められた俺は上機嫌だった。

 だから先生が言った『今度の陸上大会、七瀬出てみないか?』と誘われて、普段なら手伝いもあるし断る所だったが、俺は『はい』と返事をしていた。


 今思えば、何かに導かれていたのかもしれない。

 そこで、俺自身を大きく変える出会いが待っていた。









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