23 Hope 一ノ瀬 勝9
対峙したペアを視界に捉えた瞬間、気絶しそうになった。
目の前にいるのは、昔の記憶から少々大人びた仏頂面の木塚君。そして高等科に入って更に身長が伸び、モデルと言っても過言ではないほどのイケメンぶりを発揮する七瀬君。
よりにもよって、なんでこのペアと当たるのか。
瀬戸さんといい、私は運がなさすぎる。
木塚君とは一番気まずい。喧嘩をしたわけじゃないけど、すっきりとした別れ方ではなかった。……すべては私が望んだことだったけれど、それはもうこうして真っ向から会うことがないと思ったからだ。
七瀬君とは自然消滅みたいに話さなくなっていっただけだが、やはりこうして面と向かうとどういう言葉をかければいいのか見当もつかなかった。
私に気が付くと、木塚君の眉間に皺が寄った。彼の感情は読みにくいがあれは明らかに不快感を滲み出している。七瀬君は私と目を合わせない。
二人とも声をかけてこなかったので、私も黙っていることにした。
「…………お前らどうやってここまできたんだ?」
重い沈黙の中、さっぱり空気を読まない呑気な声が上がり、私どころか木塚君や七瀬君まで目を丸くした。言葉を発した一ノ瀬君は、気にせず首を傾げて二人を観察している。
「二人ともまったく攻撃的な力を感じねぇーんだけど?」
「……えーと、誰君。ゴメン俺、女子の顔と名前はすぐに覚えるんだけど、ヤローはどうでもよくってさぁ」
相変わらずの七瀬君節に、木塚君が無言で彼の足を踏んづけた。
「一週間ほど前にD組に編入してきた一ノ瀬 勝だな。確かに君の言う通り、俺は治癒魔法、七瀬は防御魔法に特化していて攻撃手段がまったくない。しかし、知のチェックポイントは俺がいれば問題ないし、シャボン玉の所は七瀬の防御魔法でコーティングした石を投げて通過、糸堂先輩の試練は防御魔法を纏って通ればまったく問題ない。シャッフルバトルは相手ペアが俺達の顔を見た瞬間ギブアップした」
「…………彼らきっと木塚君が怖かったんだろうなー」
「何か言ったか、七瀬」
「なんでもないです」
木塚君には相手を物理的に倒す力はないが、どうにかしてねじ伏せてしまう驚異的な知略の持ち主である。普通に睨まれても凄味があるし、戦いたくないと思ってしまう子達も多いだろう。私も嫌だ。
「ふぅん……色んなやり方があるな……」
感心しきりの一ノ瀬君は置いておいて、私は柳生先生の方を見た。
早く始めてください。そして早く帰りたいです。
無言の訴えが通じたのか、柳生先生は咳払い一つで注目を集めると、マイクに向かって声を張り上げた。
「優勝争いをするのは、A組木塚、B組七瀬のペア対D組一ノ瀬、同じくD組花森のペアだ。最終試練は、障害物競走! 一番最初にゴールした奴のペアが優勝だぞ! ちなみにここでも魔法使用可だ。妨害もOKだから考えて動けよー」
パチンと先生が指を鳴らしたかと思えば、先ほどまでなにもなかった徒競走用トラックに様々な仕掛けがほどこされた障害物が現れた。
ここでも魔法の使用は許可され、妨害も可能。だが一ノ瀬君はボロボロだし、魔力もスッカラカン。私もここまで来る間にだいぶ魔力を使ってしまっている。
対する木塚君、七瀬君ペアは両方とも魔力を十分に残しているようだ。シャッフルバトルで不戦勝になったことも大きいだろう。
しかし彼らは攻撃魔法を使えない為、妨害をするにもあたりの弱いものになるはずだ。木塚君がどんな手で来るか怖いが、勝負は五分五分になりそうだった。
「一ノ瀬、少しいいか」
動きやすいように長袖半ズボンのジャージに着替え運動靴を履き、スタート地点につく。一番外側に七瀬君、内側に向かって一ノ瀬君、木塚君、私で一列に並んで合図を待っていると、木塚君が一ノ瀬君の襟を掴んで引っ張った。
「え? なんだ」
「そんな体で満足に走れるわけがないだろう。身体に過度な負担をかけて、取り返しのつかない損傷をしたらどうする」
「…………」
木塚君の鋭い指摘に、一ノ瀬君は押し黙ってしまった。やはり、彼は棄権させるべきだろうかと考えたが、一ノ瀬君を見る限りやはり引きそうにない。
ここは私がギブアップをして無理やりにでも……。
「座れ、一ノ瀬」
先生に棄権の合図を送ろうと手を上げようとした時、木塚君が一ノ瀬君を乱暴に倒して尻もちをつく形で座らせた。
「ハンデだらけの勝負ほどつまらんものはない。少し待て、俺が回復させてやる」
木塚君が手をかざすと、ほの白い光が広がり一ノ瀬君の体に染み込んでいく。どんどん傷が綺麗に消えていき、一ノ瀬君は驚きに目を瞬かせながら傷一つなくなった自分の体を見た。
「…………どうだ?」
「――すげぇっ! 痛みがまったくなくなった!」
「失われた体力と魔力までは回復しないが、痛みがなくなった分、動きやすくはなっただろう」
ぐるぐると腕を回して何度も確認しながら、一ノ瀬君は木塚君に頭を下げた。
「サンキューな、敵に塩を送るなんて良い奴なんだな!」
「馬鹿を言うな。言っただろう、ハンデが嫌いなんだ俺は……」
木塚君は無愛想に言い放つと、立ち上がって何やら七瀬君に耳打ちした。耳打ちされた七瀬君は驚いた顔をしたが、すぐに苦笑に変えてハイハイ、と頷く。
何か打ち合わせでもしたのだろうか。
二人を気にしながら、私は一ノ瀬君に向き直る。
「…………本当に大丈夫なの?」
「おう平気平気。痛みが消えたから走ることは可能だ」
「でも相当疲れてるよね?」
「平気だ!」
ダメだこりゃ。確かに走れはするかもしれないが、すぐに息切れしてしまうだろう。
……この勝負、もう負けは見えたかもしれない。
「位置についてー」
準備が整い、スターターピストルを構えた柳生先生の合図に合わせ構える。立ったまま構えているのは私と木塚君。両手を地面につける本格的な構えをしているのは一ノ瀬君と七瀬君だ。
二人とも運動神経はいいだろうし、ピストルが鳴った瞬間引き離されるんだろうな。
木塚君は確か、あまり早い方ではなかった気がする。前に追いかけられた時、『普通の女子の速さ』で走って追いつかれなかった。本の虫だし、運動が得意にはお世辞にも見えない。
「よーーい」
パン! という高い音と同時に私は右足を前に踏み出し、いつものように全力で走るふりをした。
予想通り、一ノ瀬君と七瀬君は身を切るような素早いスタートダッシュを決め、あっという間に前方に行ってしまった。驚いた事に、七瀬君は走り方も本格的で腕を九十度に曲げる力強いフォームで走る。一ノ瀬君ほどじゃないけど、しっかりとした体つきをしていたので何かやっていたのかと思ったが、もしかしたら陸上だったのかもしれない。
一ノ瀬君も頑張ってはいるが、七瀬君には敵わずどんどん引き離されていく。
…………早い……な。
走っている七瀬君はとても楽しそうで、これが競争であることを忘れてしまっているかのようだ。彼の走りは風を味方につける。私の中の風の力が彼に引っ張られているのが分かる。
本来なら地属性と風属性は相性が悪い。なのにそんな相性の悪さを吹き飛ばすほど、風が彼に惹かれていくのだ。
私はどうだったろう。どうやって走っていた? 彼のように笑って走っていたのだろうか。
いけない……私は頭を振って、七瀬君から視線を反らした。
もう、あんな風には走れない。走らない。今でも足が震えているのに、過去の栄光を思い返したって意味はない。
私は私の決めたペースで終わりまで走るだけ。
声援も私じゃなく一ノ瀬君や七瀬君に向けられている。静かにひっそりゴールすればいいや。
ペースを崩さず黙々と走っていると、
『おーーい、木塚ーーどうした具合でも悪くなったか?』
柳生先生のマイクの声に、私は後ろを振り返った。最後尾で走っていると思っていた木塚君がいない。ずっと後方、スタート地点のすぐ先で彼は立ち止っていた。それどころか、トラックを離れて歩き出してしまう。
なに考えてるんだろう……。




