22 Hope 一ノ瀬 勝8
私は拳を強く握った。爪が手のひらに食い込んで痛かったが込められた力が抜けない。フツフツとこの内から湧くような熱はなんだろう。
痛くて、熱くて、苦しい。
立ち上がってなんになるの。負けたって死にはしない。立ち上がれば立ち上がるだけ痛い目をみるだけだ。
頑張る必要がどこにある。
苛々する。
彼を見ていると、時折そういう風に感じることがあった。馬鹿で能天気によく笑う。負けず嫌いで、諦めを知らない頑固者。
苛々する。苛々する。
私の神経を逆なでするなにか。
一ノ瀬君は、袖で額から流れる血を拭った。
『見た目ほど酷い怪我じゃなさそうだけど……続けるんだ?』
「当たり前だろ! 俺はまだ倒れてねぇっ」
声にはまだ張りがあるが、目に見えて魔力は低下している。体力だってもう限界のはずだ。透明君は目を眇めたが、彼が攻撃の手を休めることはなかった。
透明君の攻略法が見いだせないまま、何度も床に倒れ込むがその度に起き上がってくる。まるでゾンビのような打たれ強さと負けず嫌いの精神に、怒りと呆れを通り越し、怖くなってきた。
鼻血まで垂らして、目の焦点もあっていないように見える。
『ね、ねえ一ノ瀬君! 遠回りになるけど棄権するわけじゃないし、ギブアップしたらどうかな!? このままだと後々大変に……』
さすがに先輩も焦ったのか、ギブアップを薦めてくるが一ノ瀬君が首を縦に振るわけがない。
「……もう少し……もう少しだ……」
ブツブツと呟くさまは不気味だ。制服もボロボロであれは取り換えないといけないだろう。染み込んだ血は洗ってもなかなかとれない。
後先のことを何も考えないなんて、本当に馬鹿な奴だ。
「……透明君、お前はすげぇーなぁ。こんな痛い思いしたの久しぶりだ」
『どうも……久しぶりってことは、こんなボロ雑巾みたいになったこと前にあるんだ?』
「ああ、負けにぶち当たった時は、必ずこうなる。だってそうだろ、勝てなかったことを勝てるようにするには、すごい努力が必要なんだ。痛くても苦しくても構わない。負けたままでいることが、俺には耐えられない。悔しくて、悔しくて眠れなくなる」
確かに負けは悔しいだろう。誰でもそうだ、だが一ノ瀬君はそれがかなり極端だ。勝利へのこだわりといよりもはや執念のようになっている。
『……はっきり言うけど。僕、一ノ瀬君が怖い。あと何回、君に魔法をぶつけたら倒れてくれるんだろう』
「俺が諦めたら、倒れるだろ」
『……それ、絶対倒れないって宣言にしか聞こえないし。その勝利への怖いほどの執念はどっからくるの……』
「なんだ、透明君は知らないのか?」
静かな狂気を含んでいた一ノ瀬君の表情が、一瞬にして無邪気な子供のように晴れやかになった。
「誰よりも上に、頂点に立った時の快感を!」
ゴウッと炎の竜巻が上がった。先ほどまで消える寸前のようだった一ノ瀬君の魔力が爆発的に上昇していく。
『――っく!』
熱に耐えかねて、透明君が後方に引いた――――瞬間。
「見つけた!!」
一ノ瀬君が思いっきり拳をつき出し透明君の腹にめり込んだ。今度は、水にならない。透明君は吹き飛ばされるがままに飛ばされ、壁に当たってようやく止まった。
ずるりと壁に背をあずけて座り込み、ピクリとも動かない。
「――鈴木君!!」
慌てて瀬戸さんが椅子から立ち上がり、彼の元に駆け寄った。何度か揺すったり顔を覗き込んだりしてから、瀬戸さんは素早く立ち上がる。
顔が真っ青だ。
「ギブアップします! 彼を早く保健室に運んでくださいっ!」
彼女の悲鳴に近い声にカウントをしていた先輩が慌てて転送陣を発動させた。白い光に包まれ二人とも同時に保健室へと転送されたようだ。
水の玉から解放された私は、透明君を殴った姿勢のまま倒れ込んだ一ノ瀬君の元まで行くと、彼の顔を覗き込むように屈んだ。
「…………生きてる?」
「……なんとか。透明君には悪いことしちまったな……手加減できなかったから――肋骨何本かやっちまったかも」
「保険医は、治癒魔法の使い手だからすぐに回復はすると思うけど……けど、あそこまでして勝ちたかったの?」
相手は魔物でもなければ犯罪者でもない。無茶をし過ぎる場面でもなかった。
「勝つ。俺はだたそれしか考えてない」
「…………目先の勝利ばっかり見てると最終的な勝ちは逃すよ。その体でこの後どうゴールまで行くつもり?」
「…………花森、おんぶ」
ゴスッ!!
一ノ瀬君の鳩尾に拳を叩きこんでやった。私の力でも今の彼には効くだろう。案の定、呻きながら腹を抱える彼に、深いため息を吐いてから手を差し出してやった。
どういう形の勝利であれ、勝ったのであれば先に進まないといけない。
「私一人じゃ、一ノ瀬君を背負っていけないから……私の補助と、風の力を貸すからなんとか立って」
「……おう、助かる」
一ノ瀬君の体に風を纏わせ、ふわりと浮かせる。長時間は無理だが制御しながら彼に肩を貸して歩けばなんとかなるだろう。
『一ノ瀬君大丈夫? 次に行くなら転送陣出すよ』
「大丈夫なので、お願いします」
風の力を使ってはいるが体格のいい男子一人を女子が支えるのはなかなか重労働だ。心情的にも肉体的にも重い足取りで私は一ノ瀬君を引き摺って転送陣をくぐった。
第四チェックポイントは西塔二階の視聴覚室。様々なデータや映像を閲覧できるスペースである。そこでは再び知の能力テストがあった。
今回は一人で挑戦可能(本当は二人で協力して解くタイプのもの)だったので、動けない一ノ瀬君を先輩にお願いして、私は問題に取り組んだ。ちょっと難易度の高い中等科レベルの問題だった。一ノ瀬君がいてもまったく役に立たなかったと思うので彼がいなくてもまるで問題ない。
少し悩む問題もあったが、比較的スムーズに合格を貰い、私は再び一ノ瀬君を引き摺って次の最終チェックポイントを目指した。
先輩に簡易的な治療を施された一ノ瀬君の頭にはぐるぐると白い包帯が巻かれている。
少し休憩ができたからか、先ほどよりは足取りがしっかりしていた。
「次で最後だな」
「うん、最後は校庭に行くみたい」
地図を確かめながら校庭へ行く道を間違えないよう歩いていると、ピピッとホイッスルを鳴らされた。
音に驚いて立ち止まると目の前にA、Bと書かれた二つの扉が唐突に現れた。
「最終チェックポイントへ行く前にちょっと運試しをさせてもらうよ! このAとBの扉、どちらかが校庭へ転送する転送陣になってます。間違えると第三チェックポイントの視聴覚室まで戻されるから注意してね! ちなみに君たちが正解を引くと優勝争いになるから優勝狙ってるなら慎重に選んでね」
優勝争い!?
私は驚愕に目を丸くした。最初で躓いたが、その後はそれなりに順調に来たし、近道もしてきたから順位は上の方かもとは思っていたけど、まさかそんな上位にいたとは思わなかった。
「ここまで来たら狙うは優勝だろ! 花森、Aに行くぞ」
「……なぜ」
「勘!」
きっぱりはっきり言われたが、野生児である彼の勘はすごくあたる。それはもう怖いぐらいに。
私は別に勘がいいとは言わないし、自信もない。どちらでもいいので、素直にAを選ぶことにした。
「さあ、どこに行くかは陣に乗ってからのお楽しみだ!」
Aの扉を開け、私達は光の中に吸い込まれるように入っていた。
眩しい光の中、ゆっくりと目を開くと……。
「…………校庭」
「よっしゃっ!」
さすが野生児、正解を引き当てた。
私達が立っていたのは、背に大きく荘厳な城がそびえ立つ、広々とした校庭。
それに……。
「おおー、お前らが優勝争いするのか!? すっげぇーな!」
「さすが花森さん! 勝、花森さんの足引っ張るなよーー」
「そうそう、花森さんの美脚、引っ張っちゃいかんぞー」
この間抜けな声援は、D組のアホトリオ、東君と千葉君と中野君だ。周囲を見てみれば大勢の生徒でトラックの外側が埋まっている。
いるのは一年生だけでなく、二年、三年もいるようだ。
試練で散々苦しまされた先輩達の顔もある。
「勝、なんだお前、よく見たらボロボロじゃん!」
「ちょっと無茶を……けどお前らどうしたんだこんなトコで」
「いやー俺と千葉、どうしてもチェックポイントクリアできなくて棄権したんだ。だから、ここで優勝争い見学!」
「俺も佐和っちと出たけど糸堂先輩にコテンパンにされちゃってさー」
彼らは糸堂先輩の所で棄権させられたようだ。確かにあれは結構怖かった。
「花森さんー、俺らここで応援するからな! ビデオ撮影は任せろ!」
「ばっちり思い出に残すからな!」
「余すことなく、その美脚撮っておくから!」
運動会に来た父兄か。
そしてもう美脚の話題はよして欲しい。
「中野、お前、花森の変なとこばっか撮ってたらお前ごと火葬するからな」
「…………あらやだ勝ったら怖い…………ちょ、マジな顔しないでちゃんと健全に撮りますから!」
……中野君は一ノ瀬君に言われなかったら私の脚ばかりを撮るつもりだったのか。後で保険医の神城先生に訴えに行こう。彼女は数少ない女子のなんでも相談できる先生だ。
「おーーい、花森、一ノ瀬! 早くこっちに来い、優勝決定戦始めるぞ!」
こちらに向かって手を振っているのは柳生先生だ。
棄権してしまったD組生達の声援を送られながら、私は一ノ瀬君を引き摺って柳生先生の所まで足を運ぶ。
声援。あんまり聞きたくない。
嫌なことを思い出す。期待と興奮と、諦めと失望。
私は頭を振って、湧き出そうになった記憶を必死に押し込めた。




