21 Hope 一ノ瀬 勝7
ちょっと流血あり。
正直勝つのは難しいと思う。
先輩のコールで、ようやく対峙した私と一ノ瀬君ペア対瀬戸さん、透明君ペア。
私のランクはCで普通、特出したものもない。ミスは少ないが、これといって決め手の技を持っているわけでもない。そして一ノ瀬君は一撃の攻撃力には目を見張るものがあり、武装魔法での格闘術は卓越したものだと思う。だが彼は魔法使いとしてはまだまだ素人で扱いも雑だ。坂上先生も言っていた『当たらなければ意味がない』と言う言葉通り、それなりのコントロールを得たといっても所詮一般レベルだ。避ける方法はたくさんある。
対する瀬戸さんは、ランクAの実力者だ。無属性の彼女はあらゆる属性と能力を兼ね揃えた精霊を召喚し、巧みに彼らを操る。接近戦に持ち込まれると弱いが、こちらが懐に飛び込む前にダウンさせられる可能性が高い。ゆえに迂闊に近づけない。
透明君の能力は記憶がないため不明だが、ミラージュという力は対人戦の場合厄介だ。こうして対峙してみると実感するが、本当にそこにいるのかどうかもあやしく思えてくる。ふと気を抜けば、彼の存在を忘れてしまうのだ。この状態で攻撃をしかけられたら防ぎようがない。
さて、どうしたものか。
私は最初から言っているが、単位が貰えればそれでいい。ここで負けて遠回りさせられても時間内に着けば問題ない。
問題ないのだが……。ちらりと隣を見ればやる気満々の一ノ瀬君の姿が映る。気を抜いたことがバレたら後で煩そうだ。
ここで頑張るのと後で一ノ瀬君に絡まれるのとどちらがマシだろうか。
数秒考えて、私は結論を出した。
頑張ろう……。一ノ瀬君の方が面倒そうだ。
「一ノ瀬君、正直勝つのは難しいと私は思う」
「…………んー、あいつらやっぱ強いのか?」
「透明君の方は悪いけど記憶ないからはっきり言えないけど、瀬戸さんの方は断言できる。ものすごく強い」
「だろうな、素人目でもはっきり分かる。強い魔力の圧だ。けど、正直俺が怖いのは透明君の方だな」
一ノ瀬君も彼の名をもう忘れてしまったようで、私の仮称を使うことにしたようだ。
一ノ瀬君はずっと瀬戸さんではなく、隣の透明君の方を見ていた。戦いたくてウズウズしている様子なのに、その中に少しの怯えも見える。
「どうして? 分かり辛いけど少なくとも瀬戸さんより魔力は低いと思うけど……」
「圧倒的な実力差を見せつける奴よりも、俺はまったく底が見えない得体のしれない奴の方が怖ぇーよ。うっかりすると見失うし」
確かにはっきりとした強さのある瀬戸さんの存在感は大きく、勝つことは難しいが戦う手段がないわけじゃない。色々作戦だって練れるだろう。だが、透明君の場合はそれがまったく通用しない。でたとこ勝負で挑むしかなくなる。それがどれほど怖いか、多くの試合を経験してきた一ノ瀬君だからこそ強くそう思うのだろう。
「しかも透明君、たぶん水属性だ」
「……それは相性悪いわね」
火属性と水属性は相剋関係にある。火属性の一ノ瀬君は水属性の攻撃に対して抵抗が低いのだ。
「けど勝算はある! なんたってお前が風属性だからな」
勝算などと言えるほどのものじゃない。
確かに風属性は火属性の魔法使いに大きい力を与えることができるが、もろ刃の刃でもあるのだ。なんと言っても私と一ノ瀬君は一度も協力魔法を使ったことがない。突貫で使用しても二人には勝てないだろう。
「……なぁー花森。念のために聞いとくけど、勝つ為の努力はしてくれるんだよな?」
少し低い声が耳朶を叩いた。一ノ瀬君は時々、こうして冷たさを含んだ言葉を吐くことがある。慎重に窺って、そして私を疑っている。
当たり前だ。私に信用なんてない。そういう風に接していないのだから。いつも、私は私が優先。傷つかない方法を常に探している。
私は自分が思った以上に静かに言った。
「努力はするよ」
「そうか、なら今はいーや。…………お前の本心がどこにあってもな」
本気で勝負に勝つことを望んでいない。彼にはそんな私の心の声がしっかりと聞こえているのだろう。
一ノ瀬君は笑顔を見せなかった。
静かに目を閉じて、息を吸い…………吐く。
坂上先生との試合で一度だけ一ノ瀬君が先生に拳を当てられた瞬間があった。その時もこんな風にビリビリとした空気と緊張感が漂い、彼から笑顔が消えたのだ。
『真剣勝負の顔』だと坂上先生は言っていた。勝負を楽しむ為じゃなく、勝負に貪欲に勝ちにいく顔だと。
一ノ瀬君の両拳に魔力が集まっていく。炎の魔法元素が彼の魔力に従い大きく力を増していく。空気が張りつめ、肌に刺さるかのように痛みを感じる。
空気が変わったことに気が付いたのだろう、瀬戸さんと透明君もどんどん魔力を上げていく。力の奔流がひしめき合い、ぶつかりうねりと圧力が増していく。
息をするのが辛い。
力の重みに負けたら、そこで立っていることすらできなくなってしまう。
私はぐっと、指先と足先に神経を集中させた。人によってどこを集中の起点とするかは違う。私の場合は先の方に集中した方が魔力をかき集めやすかった。
――集え、集え、私の中の風の力。ヴェントゥスを介して、この足先へ流れ、指先に巡れ。回れ、回れ、渦を巻け。
イメージしろ。風の逆巻くさまを。
猛り狂うさまを。
努力すると言った手前、こんなところで膝をつくわけにはいかない。できるだけ相手の魔力に押されないように、隙を見て一ノ瀬君の援護を。
「一ノ瀬君なかなかいい魔力ね。量は少ないようだけど力の圧が並みじゃない」
「当たったら痛そうだね」
「ええ、そうね。そういうわけで、一ノ瀬君の相手は任せたわよ鈴木君」
「はいはい、痛い目見るのはいつも僕なんだから」
瀬戸さんと透明君は二手に分かれた。一対一で勝負をする気のようだ。確かに個人的に力量が劣る私達を分断させられれば、勝率は一気に跳ね上がるだろう。
しかし、私達もそう簡単に分断されるわけにはいかない。
「花森!」
「――分かってる! 繋げ風の鎖よ、豪風の輪となれ――ヴェントゥス!」
風が私と一ノ瀬君を包むようにうねる。私達は背中合わせになって目の前の相手を見た。
私の前に瀬戸さん、一ノ瀬君の前に透明君。
私達は一緒に動く必要があるから、攻撃をする相手は一人に絞らないといけない。どちらを集中攻撃するべきか。
瀬戸さんの召喚魔法は強力だが、瀬戸さんを相手にすると透明君を確実に見失う。
やはりここは透明君を先に――
「開け『ポルタ』我が声と魔力に応え、姿を現わせ。――麗しの声を響かせなさい。水妖精レミューア!」
水の力が宿る魔力石が砕け散りその力が迸った。高等科に入って暴発防止の魔法陣を敷かずに直接召喚魔法を使えるようになった瀬戸さんの詠唱は早い。
砕けた魔力を糧に人魚のような姿をした水妖精が現れる。召喚精霊の中ではDランクと力は低いが、この精霊には特殊な能力がある!
「一ノ瀬君、耳を塞いで!!」
私は叫ぶのと同時に両手で耳を塞ぎ、風の音を高くした。
水妖精の歌声に魅入ったら操られる。もし耐えたとしても魔法の威力が極端に下げられてしまう。
「あら、さすが花森さん。レミューアの能力を知ってるのね。でも、耳を塞いだだけじゃレミューアの歌からは逃れられないわよ!」
美しい旋律が脳髄を掻き乱す。酔わされるように狂っていく。
まずい……風が乱される……。
どんどん、私達を守っていた風が力を失っていくのが分かった。心震わせる旋律に集中力が失われていく。
頭が痛い、だけどどこか心地よい。酔うとはこういう感覚なのか。
足元がふらつきそうになった瞬間――――ドガンッと地響きが鳴り、足元の床がひび割れた。
ハッとして振り返れば、一ノ瀬君の右拳が床にめり込んでいる。
「チクショウ……頭ガンガンしやがる。おい、花森大丈夫か?」
「な……なんとか」
彼の放った衝撃のおかげで水妖精の呪縛からは逃れられた。それにしてもなんて威力だ。魔法特訓室は強力な魔法が放たれても損傷しないように頑丈にできている。防御結界だって厚いのだ。
その床に拳をめり込ませ、ひび割れさせるとは。
…………あれ、一ノ瀬君の背が若干震えているように見える。嫌な予感がした。
「ねえ……手、大丈夫なの?」
ビクリと彼の背が跳ねた。ギシギシと音を立てて一ノ瀬君がこっちを見る。
すごく引き攣った笑顔。
「アハハハハ、ダイジョウブダイジョウブ」
「片言だけど」
「痛くない、痛くな――――っすげぇ痛ぇんだけど!? なにこれこの床なんでできてんだよっ!?」
やせ我慢しようとしたらしいが、やはり痛みに耐えきれず拳を抱えて蹲ってしまった。鋼鉄のグローブを装備していても頑丈な床だ、痛みは骨まで伝わったのだろう。
のた打ち回るさまを見て、私は呆れて溜息を吐いた。
「魔法特訓室なんだから頑丈に決まってるでしょう。木とか普通の石材と同じにしてたら校舎壊れてるよ……」
仕方なく一ノ瀬君を介抱しようと彼に近づこうとした瞬間、私達の間の床から轟音を立てて水柱が上がった!
しまった、豪風の輪の力が弱まっているのを忘れてた。これではたやすく敵の魔法を侵入させてしまう。
咄嗟に後ろへ飛んで水柱から距離をとった。水柱は今度は左右にその勢力を伸ばし、まるで壁のように私と一ノ瀬君の間に立ち塞がる。
完全に分断されてしまった。
「花森さん、悪いけどちょっと拘束させてもらうわよ!」
瀬戸さんの声が聞こえたと思った瞬間、私の体を水が包み込みあっという間に水の玉の中に閉じ込められてしまった。水の玉はふわりと宙を浮き、私は一ノ瀬君の頭の上が見えるくらいに高く昇ってしまう。
心配そうな顔で一ノ瀬君に見上げられた。
水の中にいるような浮遊感があるが、濡れてもいなければ息苦しくもない。魔法で作った水だから平気なのだろう。術者の意志によって安全は左右されるだろうが。
「安心して良いよ。声は届かないけど花森さんに危害を加えるつもりないし。……痛い目見るのは男子だけ」
「つまり、俺とお前だな」
こちらの声は届かないようだが、あっちの声はハッキリ聞こえる。
瀬戸さんは二人から離れた所で静観するようで、精霊を送還しどこからか持ってきたパイプ椅子に座っていた。時々こちらを見上げるので、おそらく私の見張りも兼ねている。
この後、どんなチェックポイントがあるか分からないし、瀬戸さんは魔力を温存するつもりなのだろう。ただでさえ召喚魔法は魔力を消費する。用意している魔力石もそれほど多くないはずだ。
「僕が一ノ瀬君のダウンをとられたら。花森さんにも悪いけど強制的に床に伏してもらってダウンとらせてもらうよ」
「とれるもんなら、とってみろ!」
床を蹴り一気に間合いを詰める一ノ瀬君。だが、透明君の懐の入る寸前で、透明君の姿が霞む。
「!?」
『――残念』
一ノ瀬君の拳が透明君の体を突き抜ける。バシャンという音が鳴り、一ノ瀬君の拳が水に濡れていた。透明君が水の固まりとなり形を崩して床に零れ落ちる。
水で作られた偽物だ。
確かにさっきまで話していたのはあそこに立っていた彼だと思っていたのに。
「……へぇー、すげぇな。気配を移せるのか」
『一ノ瀬君って野生タイプだよね。目に映るものより、感覚で捉える方が得意』
ご名答。
どこからか聞こえてくる透明君の声に私は同意した。一ノ瀬君はとにかく野性的だ。静かに後ろから近寄っても絶対に気づかれる。突然飛んできたものにもすぐさま反応して対応する。
目で捉えるより感覚で捉える。目に見える情報より、感覚で感じる勘に従う。
だからこそ、この状況は非常にマズイ。
一ノ瀬君はグルリと身をひねり反転すると勢いよく、拳を突き出した。
またバシャンという音と共に水に濡れる。
「くそっ」
偽物だ。と分かっても反射神経の良すぎる一ノ瀬君は体が先に動いてしまう。素早い反応と攻撃速度は普通なら武器だが、ミラージュで本体の気配を完全に消し、水に存在感を出させることでその武器を弱点としてしまう。
透明君の魔力は並みだ。力も、運動能力もそれほど高いとは思えない。だが、魔法の使い方が非常に上手い。
なにより常に一ノ瀬君との的確な距離を判断し、水の擬態を生み出す場所も考えられている。
必要最低限の魔力で、的確に急所を狙ってくるのだ。
どこから来るか分からない水球に一ノ瀬君の体は叩きのめされていく。いくらタフといえどもこれだけくらえば体が音を上げる。
一ノ瀬君も対抗しようと拳に炎を纏わせ武装魔法で攻撃してはいるが、まったく当たらない。
どんどん体力も削られていく。
ついに頭に水球をくらってしまった一ノ瀬君は床に滑り込むようにして倒れてしまった。
……ここからでも分かる。額から血が流れている。
思わず両手で目を覆ってしまった。死なない程度の怪我は日常茶飯事であると、中等科三年の終わりに聞いていた。なるべく避けようとは思っていたが、それなりに覚悟をしたはずだった。
けど、さすがに目の前で血を流して倒れている姿は見ていられない。
『一ノ瀬君ダーウン!! カウント始めます!』
真っ暗な視界の中、聴覚だけがはっきりしている。十秒のカウントが終われば、負けだ。私は強制的に床に倒されてカウントをとられ、身動きできないまま終わる。
けどそれでいい。五時まではまだ時間は十分ある。一ノ瀬君が回復したら歩いてゴールまで行けばいい。
いいのに、それでいいのに。
『うおぁー、一ノ瀬君立った! え、ちょっと大丈夫なの!? 血、出てるよ!』
カウントを八秒数えた所で驚いた先輩の声が響いた。
まさかと恐る恐る手をどければ、だらだらと額から血を流した一ノ瀬君が、中腰ではあるが立ち上がっている。
肩で息をして、足元がおぼつかない様子は痛々しい。
――――どうして、なんでそんなボロボロなのに彼は立ってしまうのだろう。




