17 Hope 一ノ瀬 勝3
アホか私。
借りてくるはずだった本を投げっぱなしにしてきてしまった。
……あんなことされて、さすがに一ノ瀬君も怒ったよね。
もう口も利かないかもしれない。三年間、気が重くなるけど単位さえ取れればそれでいい。
私は…………それで、いいんだ。
「花森、本借りんの忘れてるぞ」
とかなんとか思ってたのに、当の本人は何事もなかったかのような顔をして私が借りるはずだった本を机の上に置いた。
気まずいの、私だけ?
本を置いて、隣の席に座った一ノ瀬君をちらりと窺うと、彼はこちらを見ていなかった。観察は諦めた? のかな。
しかしなんだか一ノ瀬君の様子がおかしい。
その後、魔法薬学の授業と魔法生物の授業で一緒になったが、彼はどこか上の空で薬品を爆発させたり、マンドラゴラを手順を踏まずに素手で引っこ抜いて先生に大目玉をくらっていた。
うぅ……マンドラゴラの悲鳴がまだ頭の中でガンガン響く……。
私はズキズキする頭を押さえながら、ふらつく足を引き摺ってひとまず保健室に向かっ
た。幸いにもこの後には授業が入っていない。休んで足がしっかりしたら帰ろう。
「すみません、ベッドを一つ貸して欲しいんですけど……」
「え? 君も? 今日は満員御礼だなぁ」
保健室に入って来た私を見て、先生が目を丸くした。確かに、よく見れば十個あるベッ
ドのうち九つはカーテンが引かれて使用されているのが分かる。
「……もしかして皆マンドラゴラ被害者」
「そうそう、じゃあ君もか。あれはすごい声出すからね、三半規管が弱い子は特に症状が
重くなるから気をつけないと」
私は残り最後のベッドに横になり、波打つような頭痛の中、少しでも寝ようと目を閉じ
た。
◆ ◆ ◆ ◆
「なあ、よっしー先生。人を笑わせる方法って何があると思う?」
「なんだやぶから棒に」
魔法生物の授業後、一ノ瀬は一緒に授業を受けた生徒達に謝罪して回ってから、職員室でくつろいでいた柳生先生の隣にイスを引っ張ってきて座った。この学校に来た時、色々なことを教えてくれたのは柳生先生だった。何かを相談しようとした時、真っ先に彼のことが浮かんだので一ノ瀬は、まっすぐここに来たのだ。
「花森のこと。色々考えてみたけど、普通の方法じゃ無理なんじゃねぇーかって思うんだ」
「……あー、今日バカどもが撃沈してたあれか? あれは芸が悪かたんじゃないか?」
「確かにあれは酷かった……でもそれだけが原因とは思えねぇーっていうか……」
一人で本を読んで、常に人を寄せ付けない雰囲気を出す。まるで孤独を好む人種であるかのように見えるが、一ノ瀬にはそれになんとなく違和感を覚えた。
本当に独りを望む人間は、人に興味を示さない。寄って来ようが非難され去られようがなんとも思わない。
けれど花森は違う。人に声をかけられると無表情な瞳の奥に少しの怯えが見える。
今日の図書室の時もそうだ。
『友達なら』と言った時、花森は激しく動揺したのだ。まるで友達を作ることが罪な事のように拒絶し、怯えた。
「花森が笑わない理由……ねぇ」
「よっしー先生はここの卒業生なんだろ? 花森とは会ったことないのか?」
「花森がアルカディアに編入したのは初等科五年だ。その時、俺は高等科だしまったく接点ねえよ……。あの頃、初等科の行ったのは一回だけ……」
そこまで言って、柳生先生は何か引っかかったのか、物だらけの汚い机の上に乱雑に置かれていたファイルを慌てて捲り始めた。そしてあるページで先生の手が止まる。
字を追う彼の目が険しくなった。
「どうしたんだ?」
「成績と略歴しか見てなかった……どっかで見たことあるとは思ってたんだよ」
「だから、なに?」
「俺は花森と会ったことがある。あっちは覚えてないだろうが……彼女は魔力暴発事件の被害者の一人だ」
当時の事を知らない一ノ瀬は、なにそれと首を傾げる。
「今から四年くらい前、当時初等科五年だった雹ノ目というSランク保持者の男子生徒が魔力暴走を引き起こした。酷いもんでな、辺り一面氷漬けにされて何人もの生徒が巻き込まれた。幸い死者はでなかったが」
「花森がそれに巻き込まれた……で、それと花森が笑わないのと何か関係あるのか?」
「……これは俺の勝手な想像だが、その魔力暴走を起こした雹ノ目と花森は友人同士だったんじゃないかと思ってる。あの他人とはあまり関わりたくありません、って態度の花森があの危機的状況の中、外に出てあまつさえ暴走している奴の前に出て行ったんだ、無関係とは思えない」
確かに、それなりに親しくなければそんなことはしないだろう。
彼女は特に強い正義感を持っているわけでもなさそうだった。一ノ瀬も柳生先生の考えに頷いた。
「その雹ノ目って奴は今、どうしてるんだ?」
「精神を患って特別病棟にいたはずだが……」
なにやら歯切れが悪い。訝しんで柳生先生を見たが、先生は目を反らした。
言いたくないらしい。
「…………根が深そうだな」
「なんだ、諦めるのか?」
珍しく弱弱しい台詞を吐いた一ノ瀬に、柳生先生はからかうように言った。
半年ほどの付き合いだが、互いに互いをどんな人間なのか、なんとなく分かっている。
「まさか、難しい……が、やってやれないことはない。ってか俺、ああいうの放って置けないタチなんだよ」
にぃっと口角を上げる笑みを見せる。
諦める、という選択網はそもそも一ノ瀬の中に存在しない。
「だろうな」と、柳生先生は苦笑しながら一つのファイルを一ノ瀬に渡した。
「花森のここに来る前の学校での記録だ。見て見ろ」
「見て見ろって、個人情報見ていいのかよ……」
「こんくらい、いいだろ。見るのはここだけだ、ここ」
トントン、と指さされたのは、ある一つの項目。
それを見た瞬間、一ノ瀬は驚愕に目を見開いた。
「は? これ、嘘だろ?」
「嘘じゃねーよ。……で、これが今現在最新の記録な」
渡されたのは、つい数日前に行われたばかりの計測テスト結果だった。
その結果と、先ほど見た記録が…………まったく合わない。
「……これ、明らかに手ぇ抜いてるよな」
「そうだなー、止めてるんだとしてもこれは明らかに手抜きだ」
「注意とかしないのか?」
「あくまで計測で重要なのは魔力数値だ。他はおまけなんだよ。魔力はごまかしようないし、体力テストは面倒くさがって本気出さない奴も多いからな」
一ノ瀬は二つの記録用紙を握りしめて、じっと見つめた。花森が考えていることなど本人から聞くしか真実は分からない。
けれど花森は絶対に言わないだろう。
ならば、
「戦いの後ってのは、友情が芽生えるもんだよな、先生」
拳を合わせるしか道はない。
昔、一ノ瀬でも気に入ったけれど友達になるのに苦労した奴はいた。そいつらとはそうやって戦って友情を築いてきたものだ。
もちろん女子相手に本気で拳で殴りあったりはしないが、戦いはなにもそれだけではない。
「そうだな……でも、それ男同士での話なんでない?」
「女でも芽生える、きっと!」
「……お前のそういうとこ、先生好きだけどさー。女子相手にそれはどうかと思わずにはいられない……。同性に好かれても、彼女出来ない典型的なタイプ――」
「よっしー先生、相談乗ってくれてサンキューな!」
柳生先生の話を最後まで聞かず、一ノ瀬はやる気満々で職員室を飛び出して行ってしまった。
「ったく、ちょっとは落ちつきを持てっての……って一ノ瀬、記録持ってくんじゃねえぇぇーー!!」
◆ ◆ ◆ ◆
……えー私、生まれて初めて『挑戦状』なるものをいただきました。
なんだこれ。
いまだズキズキする頭を抱えて登校してみれば、私の机の中に一通の手紙が入っていた。
白い封筒の表に、『挑戦状、花森へ』とびっくりするほどの達筆な筆文字で書かれており、封を閉じていたのは猫のキャラものシール。可愛い。
開けるのがもったいなく感じながらも猫シールをはがして中身を取り出してみれば、これまた達筆な筆文字で、
『花森に挑戦を挑みたく、この手紙を送らせていただくこととなった。なお、拒否権はないのでそのつもりで。
挑戦内容、今日出席するすべての授業が対象となる。どちらがよりよい成績をとれるか、勝負だ! ――――一ノ瀬より』
一ノ瀬君だった!
なに考えてるんだろう。っていうか挑戦状って……それにしても字上手いな。
挑戦状を受け取って、一番衝撃を受けたのがそれだった。彼のイメージからはほど遠すぎる字の上手さだ。
私が頭痛と格闘しながら手紙を読み終えると図ったように一ノ瀬君は現れた。
「手紙は読んだな!」
「…………読んだけど」
「逃げるなよ!」
「…………授業だし」
受けなきゃ単位が貰えないのだから、出ないという選択網はない。
そうして私は、彼の挑戦を受けざるを得なくなったのだが…………。
――――放課後。
「泣くな、勝! 傷は浅いぞ!」
「ほーら、俺のアメちゃんあげるから、な」
「花森ぃー、やめてぇーもうやめてあげてーー!!」
結果は私の圧勝。
真面目優良生徒をなめるな。
惨敗した一ノ瀬君は教室の隅で膝を抱えながら小さくなっていた。
「すっかり忘れてた……俺、体育以外の成績ヒドイんだった……」
「大丈夫だ、勝。俺なんて一般教養の点数一桁だ!」
『それはヒドイ!!』
慰めようとして放った彼の一言が、クラス全員に貶されて彼は一ノ瀬君と一緒に落ち込んでしまった。男二人が隅っこで膝を抱えてメソメソしないで欲しい。
私は本を片づけて鞄に手をかけた。もう、付き合ってられない。
その様子に、一ノ瀬君は慌てて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待て花森!」
「なに、挑戦はもう終わりでしょう?」
「――うぐ、い、いやあと一つ! 俺の得意な体育で勝負してくれ!」
「いや」
「なんで!」
「確実に負けるから。不戦勝で一ノ瀬君の勝ちでいいよ」
本を詰め終わり、私はいよいよ帰ろうと席を立つ。だが、一ノ瀬君はがっちり腕を掴んできた。
……彼は本当に、堪えない人だ。
癇癪を起されて本を投げられ、これだけ会話をぶつぎりにされ、木っ端みじんに負けても齧りついてくる。その根性、どこからくるのか。
そして、なんの意味があるのか。私にはさっぱり分からない。
「放して」
「再挑戦させてくれ。次は必ず勝つ」
「…………勝ってどうするの?」
「勝ったら、俺とお前は友達に……いや、心友になる!」
「…………一ノ瀬君、先に保健室行こうか?」
「頭は正常だっ!」
いや、異常だ。
挑戦状を送り付け、勝負をし、勝敗を決してどうしてそうなる?
心友ってナニ。
本気で頭痛がしてきた。マンドラゴラの後遺症は関係ない。これは彼に対するイラつきだ。私が力一杯腕を振るえば、さすがに一ノ瀬君も怯んで手を放した。
「……また明日」
帰りの挨拶はしておく。
そのまま逃げようと扉に手を開けたが――
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
柳生先生と鉢合わせしてしまい、思いっきり先生の胸に飛び込む形になってしまった。すぐに離れようとしたが、なぜがぎゅーっとされた。
目を白黒させつつ、見上げれば柳生先生の整った顔が嬉しそうに微笑んでいる。
「禁断の恋もウェルカム! 女子からこられて拒むことなどありえない。こうなったら免職もあまんじて――」
思いっきり柳生先生の足を踏んづけてやった。
「…………セクハラ、ノーウェルカム」
「~~~~っ! ――――スイマセン。い、一ノ瀬っ、お前もその固めた拳を下ろせ!」
よく見れば、私の後ろで一ノ瀬君が右拳を引いて戦闘態勢だった。いつでも右ストレートが打てる。
「命拾いしたな、よっしー先生。花森がやらなきゃ俺がやってたぜ」
「…………うん、ほんと。お前に殴られたら俺の自慢の顔、抉れちゃうからね」
涙目で一ノ瀬君に嘆く柳生先生を尻目に、廊下に出ようとしたがすぐに先生に手を掴まれた。
「あー、待った待った! ちょっとクラスで話があるんだ。おーい、D組諸君まだ全員残ってるかー?」
『全員暇なので、残ってまーす』
「若者よ、何かやることないのか……。ま、全員いるならちょうどいい、正式な発表は明日されるが、フライングで話しちまおうかと思ってな」
思わせぶりな柳生先生の態度に、各々自由にしていた生徒達が自分の席についていく。
仕方なく、私も席に戻った。隣を盗み見れば一ノ瀬君も席に戻っている。
先生は一度、もったいぶったゆっくりとした動作でクラスを見回すと、コホンと咳払いして、実に楽しそうに言った。
「一週間後、新一年生全員参加の校内ウォークラリーが開催されることに決まったぞ!」
――――この時は、イベントに湧くクラスメイト達に冷ややかな目を向けて、私はいつも通り適当にやろうと思っていた。
このウォークラリーが今後の私の人生を大きく変えることになるとは、想像もできなかった……。




