「選べない決断」
水路は冷たく、暗かった。
セレアは息も絶え絶えだった。
走り続けていた──九つの小さな命を、
身体に縛りつけ、
帯と毛布と長年の習慣だけで支えながら。
エイデン・リリア。
追放された貴族。
彼は驚愕していた。
赤ん坊の数にではなく──
彼女に。
「……普通は無理だ」
彼は呟いた。
「自分が壊れずに、それをやり遂げるなんて」
セレアは震えながらも、
誇りを失わず顔を上げた。
「選べなかったのです。
一人でも手放したら……
全員、死ぬから」
エイデンは尊敬と憐れみを込めて彼女を見た。
彼女は狂っていない。
ただ、生き延びているだけだ。
セレアは岩の上に広げた毛布へ、
九人をそっと並べていった。
エイデンは慎重に近寄る。
九人の赤ん坊を見るのは初めてだった。
だが、彼らは「数が多い」だけではない。
均衡。
役割。
気配。
すべてが違っていた。
✦ ダエル
泣かない。
輝いている。
皆を落ち着かせる灯。
✦ ノア
サヤに触れるだけで泣き止ませる。
均衡。
✦ リンカ
小さく唸り、ダエルを警戒させる。
火花。
✦ ウラ
低く鼻歌を歌い、空気を整える。
調和。
✦ コマ
静かに観察する。
方向。
✦ カイレン
癒やす。
守護。
✦ サヤ
温もりを求める。
感情。皆を動かす核。
✦ マイア
闇の中に色を見る。
創造。
✦ ルミ
震えている。
だが耐えている。
儚い心──しかし、皆を結び付ける絆。
エイデンは後ずさりした。
「……九人は偶然じゃない。
一つの身体の“九つの器”だ。」
セレアは安堵して小さく息を漏らした。
「そう……その通りです。
彼らは互いが必要なのです。」
エイデンは膝をつき、ひとりずつ触れていった。
「もし二人や三人だったなら──
この均衡は成立しない。」
ダエルの光に触れ、
「彼は灯だ。」
ノアの手に触れ、
「彼女は静める。」
ウラの歌に耳を澄まし、
「彼女は繋ぐ。」
コマを見つめ、
「彼女は導く。」
カイレンがリンカの傷を癒やすのを見て、
「彼女は守る。」
サヤが泣くとノアが寄り添い、
マイアは誰も見えない点を指差し、
ルミが震えると全員が寄り添った。
その光景を見て、
エイデンは息を呑んだ。
「まるで……
互いが互いを補完している。」
セレアは疲れた微笑みを浮かべた。
「そうでなければ、生き残れませんでした。
誰か一人でも欠けたら……
全員が感じ取るのです。」
エイデンはようやく理解した。
日本の読者が求めていた
“九人である意味”──
その核心を。
彼は深く息を吸い、立ち上がると、
剣を抜いた。
セレアは怯えて後ずさる。
「な、何を……!」
だがエイデンは自分のマントを広げ、
そっと九人にかけた。
「守るためだ。
数が多いからでも、特別だからでもない。」
小さな手が互いを掴む。
「彼らはすでに“家族”だ。
分ければ死ぬ。」
セレアの目に涙がこぼれた。
エイデンは続けた。
「そして……
彼らが一緒にいるなら──
私もまた、そうあるべきだ。」
剣を納めた。
「今から私は彼らの後見人だ。」
セレアは言葉を失った。
さらにエイデンは静かに付け加える。
「あなたは乳母。
私は剣。
そして彼らは──
もっと大きな何かの中心になる。」
ダエルが光る。
ウラが歌う。
コマが頷く。
ルミが息を吸う。
──それは「受け入れ」の合図。
エイデンは九人を見つめた。
「九は混沌の数字ではない。
輪だ。
閉じて、満ちた数字だ。」
そして力強く宣言する。
「誰一人、見捨てない。
全員を終わりまで連れて行く。」
セレアの胸に、深い安堵が満ちた。
赤ん坊たちもまた──
その言葉を理解していた。
「こうして、〈淵〉の縁で――
十人のキャラバンが誕生した。
ひとりの貴族、ひとりの乳母……
そして、二度と無視されることのない九つの魂。」




