表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/39

「ぬるい水、新しい衣——生まれはじめる家」

夜明けの光が、ひび割れた天井の隙間から差し込み、青い光が石床に揺らめいた。

セリーアは誰よりも早く目を覚ました。


身体が痛い。

腕が震える。

けれど、記憶にある限り初めて——


血の匂いもしない。

汗と閉塞の臭いもしない。


湿った葉の匂いがした。

澄んだ空気の匂いがした。


ゆっくりと身を起こす。


周囲には、九人の赤子たちがエイデンの周りにぎゅうっと寄り添い、

まるで小さな生きた盾のように眠っていた。


ルミは胸の上。

ダエルは脇に。

リンカとサヤは脚に抱きつくように。

コマは腰に寄りかかり、

ウラとマイアは手をつなぎ、

ノアとカイレンは静かな見張りのように横で眠っている。


セリーアは思わず微笑んだ。


——まるで……家族みたい。


その言葉が胸の奥に奇妙な痛みと温かさを呼び起こした。


この避難所には地下の泉があった。

岩の間から湧き出る温かな水。

青いホタルが照らす、神殿のような自然の湯。


セリーアは目を見開いた。


「……これ、聖浴場みたい……」


娼館では、赤子を世話しながら水に触れることすら難しかった。

手を洗うことすら贅沢だった。


破れた服を脱いだとき、

セリーアは生まれて初めて“恥ずかしい”という感情を抱いた。

外の世界を知ってしまったから。


そして、水へ——。


温かさが全身を包んだ瞬間、胸の奥がほどけていき、

泣きそうになるほどの息が漏れた。


「……人間……みたいだ……」


殴られた日々も、眠れぬ夜も、飢えも罵声も、

その湯に溶けて消えていく気がした。


髪を洗い、

肌を洗い、

自分ではない子を抱き続けてきた手を洗い——。


そして湯から上がったとき、目の前に置かれていたのは——


服。

新品の、柔らかい服だった。


淡い緑のワンピース。

しなやかな革のブーツ。

ふわりとした掛け布。


エイデンが倒れる前に用意したものだった。


セリーアは胸に抱きしめた。


「……ありがとう……」


エイデンはまだ眠っていたが、呼吸は落ち着いていた。

セリーアは温かい水と布、新しい服を手に彼のそばへ向かった。


九人の赤子がすぐに集まり、心配そうに取り囲む。


ルミは涙目で見上げる。

まるでこう言っているようだった。


「いためたりしない?」


セリーアは優しく頭を撫でた。


「大丈夫。助けるだけだよ。」


汗を拭き、

首と肩、胸元をそっと清めていく。


赤子たちは息を呑んだようにじっと見守っていた。

まるで儀式を理解しているかのように。


破れた衣を外すと、ルミが不安そうに泣いた。


「しー……着替えさせるだけ。」


柔らかな白いシャツ。

簡素なズボン。

軽い上着。

そして失った腕の跡に新しい包帯。


着替えが終わると、エイデンの表情がわずかに緩んだ。


セリーアは小さく息をついた。


「……起きたら、いろいろ話してもらうからね。」


赤子たちは一斉にプニャッとした声を出し、賛成しているようだった。


エイデンが安定したのを見て、セリーアは少し探索を許した。


リンカは石を叩き、太鼓のような音に驚く。

マイアは古い壁画を指さし、

ウラの鼻歌にランプがふっと光り、

ノアはサヤの手を引いて水たまりを越え、

コマは壊れた窓へ向かって這い、セリーアが慌てて止め、

ダエルは廊下を照らして自分の影にびくっとし、

カイレンが床の紋様に触れると光が広がった。


ルミだけは、ずっとエイデンのそばにいた。


避難所は——


拒まない。

傷つけない。

彼らを受け入れていた。


まるで、何年も待ち続けていたかのように。


疲れた赤子たちをエイデンの周りに寝かせ、

セリーアは腰を下ろして足を伸ばした。


——生きて、呼吸できる場所なんて

一日だって持てると思わなかった。


九人それぞれ違う寝相。

違う息遣い。

違う過去の影。


小さな人格たちがそこにいた。


そしてエイデン。


貴族は善にも悪にも無関心にもなる。

けれど——彼は違った。


名もない赤子のために腕を失い、

命を捨てる覚悟で動き、

光や泣き声に反応する不思議な避難所の仕組みを知っている。


彼はいったい——。


眠る横顔を見つめる。


「エイデン……あなたは本当は、誰?」


そのときだった。


青い森が震えた。


ギィ……。

木が揺れ、

遠くで金属が引きずられるような音。


セリーアは即座に立ち上がった。


獣の気配でも、風の音でもない。


“誰か”が、ゆっくりと避難所に近づいてくる。


赤子たちがざわめく。

ルミが泣き、

ダエルが不安の光を放ち、

ウラが震える声で鼻歌を漏らした。


セリーアは長い棒を武器代わりに握りしめる。


震える声で、しかししっかりと呟いた。


「エイデン……早く起きて。

ここ……思ってたほど安全じゃない。」

面白かったら、評価 やブックマークをいただけると嬉しいです。

感想も一言でもいただければ、今後の創作の励みになります。


もし気に入っていただけたら、共有や紹介も大歓迎です。

どうぞよろしくお願いいたします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ