第93話 凶報は後ろへ
何とか前回よりも早く出せた。
第93話 凶報は後ろへ
第29・48の合同師団による第2次攻勢作戦が失敗してから数日が経過していた…………
都市マロナイナ
護衛の兵士等と共に輸送トラックの荷台に揺れられて漸く都市マロナイナへとレーナ達従軍治癒婦師は到着した。
最初は揺れる硬い床の荷台から解放された喜びから、彼女達のあいだで空気が弛んでいた。
だが、都市の門を潜り抜けた彼女達は都市を支配する重苦しい空気感を感じ取り、不安の声が各輸送トラックの荷台から盛れ出た。
「なんか、変な感じじゃない?」
「思った?街の人達が暗いよね。」
それはレーナのいるトラックでも同じだった。そんな彼女達の不安の最高潮は、ジュニバール帝王国軍が接収した区画に入った時だ。
「嘘…………どういうこと…………」
トラックの荷台をから身を上げて街中を見ていた1人が、声を詰まらせた。
「なんてこったい…………一体前線で何が起こったんだ…………っ!」
出発時からいままで陽気に彼女等の会話に混ざっていた運転手の男も、その先に広がる光景に動揺を隠せないでいた。
彼女たちが目にした光景は世界に名だたる我等がジュニバール帝王国が誇る精鋭の軍人たち、ではなかった。
街道を進むトラックに乗った彼女達が見たのは果敢に敵を撃破した男達の姿ではなく、命からがら逃げ延びて、持っていた武器も失い、血で滲む包帯を痛々しく身体中に巻いて、建物の壁にもたれ掛かるように項垂れていた。
歩道にも関わらずその場に力なく横たわり、隣にも同僚と世間話をする様子もなく、ただ時が過ぎていくのを虚無にも等しい表情の男達。それが彼女たちが現在進行形で目にしている現実だった。
まるで死人。それが多くの負傷者を癒した経験のある治癒魔術師である彼女たちが抱いた感想であり、また一部事実でもあった。
混乱と困惑が思考を支配するが一向に答えの出ない彼女たちの視線の先で歩道を歩いていた負傷者の1人が倒れたのを目にする。
「大丈夫ですか!?」
「レーナ!」
ちょうどレーナの目の前を通り過ぎた時に起こったのを目にした彼女は迷わずトラックから飛び下りるようにして駆け出す。突然の行動に同郷であり親友でもあるハリアナ・マナが声を出す。
それに構わずレーナは倒れた兵士の元まで駆け寄り、横向きになった彼の肩を握り、その重傷具合に目を見開いた。
「酷い傷…………っ!」
腹部に大きな裂傷があるのを確認し、杜撰な包帯の巻き様に困惑する彼女。
レーナはそこで肩を握った彼の身体から生気が抜けているのを理解する。既にこの負傷者は事切れていたのだ。
すぐに付近にいた比較的軽傷であった士官が近付き呼吸の有無を確認して部下へ指示をする。
「…………息がない、駄目だ。コイツも運べ。」
「はっ。」
「そんな…………!」
淡々とした彼等の対応を前にレーナは悲痛な表情をする。それを見た士官は死体を担架に乗せる部下達を背景に冷酷な表情を変えず口を開いた。
「君は従軍治癒師だな? ならあの車列に戻って治療所へ向かってくれ。本当の地獄はそこにあるんだからな。」
「え?」
意味ありげな士官の言葉の真意を聞くよりも前に、士官は死体を担架に乗せ終えた部下を連れて去っていく。
レーナはその後ろ姿を見送る事しか出来なかった。あの時言った意味は分からない彼女だが、すぐに士官の放った言葉の意味を理解することになる。
何故、ここの負傷者達は治療所から離れているのか? 何故、あの士官達はこうも手馴れた動作で死体を運んでいったのか? あの言葉の意味とは?
その答えはレーナがトラックに戻ってから、ほんの数十分程度も進んでから入った臨時の治療区域にある1棟の建物の敷地で簡単に理解できた。
「これは…………!」
敷地内の1角に停車したトラックから各々の荷物を手に降りていった彼女達はその先の光景を前に絶句し、レーナはあの時抱いた疑問の答えを理解する。
何故、彼等は治療所に行かなかったのか、答えは簡単だ。もう既にそこは負傷者で溢れかえっていたのだから。
敷地内には何十もの列にして並べられた血塗れのシーツに広げられた簡易ベッドに横たわり苦痛の呻き声を上げ続ける無数の兵士達。その間を師団所属の治癒魔術師達が休む暇もなく動き周って低位の治癒魔法を行使し、体内に銃弾が残っている者には傷口から鉗子を使って弾丸を取り除き、魔力の限界に近い者は倉庫から持ってきた包帯と治療薬を手に負傷者達の治療を行っていた。
そんな光景を前に呆然としていた彼女達の元へ師団の治癒魔術師長が、怒号に等しい声でレーナ達に言った。
「お前達!何をボサッとしている!? これが見えないのか! 早くこっちに来て手伝わんか!」
そう疲労に汗を全身を纏う治癒魔術師長の言葉と共に、レーナ達の上官である治癒婦長が冷や汗を頬に流しながらも指示を出した。
「み、皆さん。直ちに治療を行ってください!重傷者を最優先にお願いします!」
婦長の指示に、これまで硬直していた彼女等は戸惑いを表に出しつつも動き出した。持ってきた私物の入った荷物袋を宿舎に預ける間もなくその場に置き、既に治療に当たっていた師団治癒師等の指示のもと動く。
「外の治癒にそんなにはいらん!高位の治癒魔法を使える者は中に入れ!」
「……!っ、畏まりました…………貴方達、ついてきなさい。」
レーナとマナ達が乗っていたトラックの治癒婦師達は建物内部の負傷者達の治癒を任され、治癒婦長が先導する。
彼女達が入った建物内も実に凄惨な有り様であった。臨時の病床とも言えない床に直置きされたシーツで通路は殆ど塞がれ、横たわる彼等を踏まないよう歩くにも一苦労であるほどだ。
「何よこれ、酷い…………」
建物内に入ってすぐにマナが口元を手で抑えて絶句する。区切られた幾つかの部屋では外の負傷者達よりも更に大きな傷を受けた者達が入れられていたからだ。
「がぁ!…………」
「殺してくれ…………頼む!…………誰か…………!」
「ぁああ!…………っ…………うぅぅ…………」
マナ達が見たのは、ここにきて漸く簡易ではあるが、ベッドに寝かされた負傷者達だ。
だがその部屋で寝かされた彼等の全員が四肢欠損は当たり前で、文字通り身体中を血濡れた包帯で巻かれ、叫び同然の呻き声を喉が掠れるまでひたすら上げ続けていた。
軽傷者ですらも両目を喪い手を虚空に上げて何かを掴む動作をする者。酷い者であれば四肢を全て喪い、側で治癒する治癒師達は苦難の顔を浮かべて隣の同僚へと首を振り、別の負傷者へと移動した。
余りの光景にレーナ達が立ち竦んでいるとこの部屋の治癒班長らしき壮年の男が近付いた。
「君達が従軍治癒婦師達だね?」
その質問に同行していた治癒婦長が代表して応える。
「そうです。彼等を治癒すれば良いのですね? 私達にお任せください。私と後ろの者達であれば『四肢治癒』を使える者達です。」
治癒婦長は自分達含めて治癒魔法でも欠損した四肢再生に特化した高位である『四肢治癒』を使える事を伝えた。
しかし治癒班長は苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振った。
「えぇ是非ともお願いしたい…………なのだがね。彼等に施す治癒魔法は低位のもので構わない。傷口を塞ぐだけでいい。『四肢治癒』を使う必要はない。」
「な、何故ですか!?いま施さねば彼等の腕や足は2度と還らないのですよ!?」
治癒班長の言葉に治癒婦長は目を見開いて聞いた。これにレーナ達も同じ反応をする。
四肢欠損は重大な怪我であるが、治癒魔法を行使する治癒魔術師でも高位の魔法を行使可能な者であれば魔法1つで解決する。
しかし、それを行わずに1度、低位の魔法で傷口等を塞いでしまえば、より高位の特殊な治癒魔術でも使わねば再び喪った四肢を再生させる術はない。
そしてそんな高位の治癒魔法を行使できる者など、列強諸国においてもほんの一握りの者しか存在しない。更にそんな高位術師は国の要人のみにしか付かず、ただの兵士達に過ぎない彼等からすればもう戻る可能性は絶たれたと言っても過言ではない。
それを知る彼女等の質問に、治癒班長の隣にいた治癒師が激昂した様子で言い放った。
「そんな事我々が知らぬ訳がなかろう!貴様達は周りが見えないのか!?
この部屋だけでも一体どれだけの重傷者がいると思っている!? ここだけじゃない! 他の建物にもいるんだっ!それなのに治癒師達はこの都市の治癒師や神官共を徴用させても全くと言ってもいい程手が足りん!
1人1人にそんな魔力消費の激しい治癒を施して見よ!あっという間に魔力切れを起こして、本来救える筈の命がどれだけ減ることか!」
顔を真っ赤にして言い終えた治癒師に、治癒班長が静かに、そして重々しく口を開いた。
「止さぬか…………すまない。君達の言いたい事は充分に分かってる。彼も、私も、周りの者達も苦渋の決断なのだ…………どうか理解して欲しい。」
治癒班長の言葉に残酷な現実を突き付けられたレーナ達は事の深刻さを改めて理解した。それも誰よりも早く理解した治癒婦長が意を決してレーナ達の方へと振り返る。
「…………貴方達。すぐに取り掛かりなさい。1人でも多くの命を救うのです。」
治癒婦長はそう言うと治癒班長と同行して一際重い重傷者の方へと歩く。その後ろ姿をレーナ達は見つめる。
「さぁ、君達も動きたまえ!時間は待ってくれないんだ!急いで!」
先ほどまで激昂していた治癒師が手を叩いて指示する。それに感化されたようにレーナ達は重い足を動かす。
戸惑いを露にしながらも、彼女達は四肢欠損者の寝るベッドの横に立ち、低位の治癒魔法を使っていく。
片腕を喪い、苦しそうに息をする兵士。急拵えで巻いた包帯でこれ以上の出血を防いでいた傷口を癒すために慎重に包帯をほどいて治癒を施すレーナ。
「ぐあッ!…………はぁはぁ…………あぁ………!」
包帯をほどく最中に傷口が刺激されたのだろう。そう苦痛に顔を歪めて呻き声を上げる兵士にレーナは励ましながら包帯をほどく。
「すみません!もう少しの辛抱ですから耐えてください…………『治癒』…………」
治癒の行使が終えると共に、痛々しい傷口から露出していた骨と肉は蒼白い光で小さく覆われ、そこから新たな皮膚が再生されていく。
そうすると治癒を施した彼から次第に苦しんでいた顔から生気が僅かに取り戻していく姿をレーナは見つめる。
「もう大丈夫ですよ。」
傷口を塞いだとはいえ、いまだ完治してはいない為にまだ身体中に走る痛みで息が荒い彼も、少しの余裕を取り戻したのか、息を整えてもう戻らない腕へと視線を動かす。
「…………腕が…………」
そう小さな声で呟く兵士。小さかったがすぐに前にいたレーナの耳に入るのには充分な声量だった。堪らず彼女は激しい罪悪感に襲われる。
「っ、…………すみません…………貴方の腕を…………」
そう謝るレーナを前に、身体中を包帯で巻かれていた彼は小さく首を振った。
「いや…………いいんだ…………お陰で楽になった…………ありがとう…………」
彼はそう言うと目を閉じた。そんな彼にレーナは何かを言おうとしたが、先ほどの治癒師が肩を掴んだ。
「ボサッとするな。早く次の患者へ行け。いまこうしている間にも次々と死んでいってるんたぞ。」
その言葉にレーナは道中で遭遇した士官達との記憶を思い起こす。
「っ!…………っ、わかりました。」
レーナはそう言って寄り添っていたベッドから身を起こして隣の患者へと移動しようとするが、再びあの治癒師が肩を掴んで言った言葉にレーナは再度、驚愕することになる。
「そいつは駄目だ。もう間に合わん。」
「そんな…………!ま、まだ間に合います!現にこの人はまだ息を…………」
レーナはそう言って、隣の病床で横になっている兵士を指差した。治癒師はその兵士を見てレーナも視線を合わせる。
身体中から流れ出た出血のせいで真っ白であったシーツは白い部分を探すのが困難な程に真っ赤に変色するベッドの上に1人の兵士が小さく振るえながら寝ていた。
首から下を掛け布で覆われているが、酷い状態なのはわかる。レーナは再び口を開いた。
「まだ間に合う筈です!私は魔力が他の人達よりも多い! ですからっ…………」
なおも続けるレーナを他所に治癒師はその兵士の掛け布を勢い良く剥がした。
「な、何をっ!?」
治癒師の行動にレーナは声を荒げるが、それの治癒師は静かに言い返す。
「良く見ろ。彼の身体を…………」
「ーーッ!?」
その言葉にレーナは掛け布で隠された兵士の身体を見て小さな叫びを漏らした。
2人が見たのは胴体から下が、まるで千切れたように引き裂かれた兵士の姿だった。
「っ!そんな…………」
「なんであんな事に…………」
レーナの小さな叫びを耳にした他の彼女達は動きを止めてしまう。
そんな彼女達を他所に治癒師は静かにレーナへ説明した。
「…………彼は敵の砲撃を受けて下半身が吹き飛んだ。だが幸か不幸か、付近に治癒師がいて高位の治癒を受ける事が出来たのだが、その最中に治癒師も砲撃を受けて死んだ…………彼はいまも尚、その時の治癒効果が続いているんだ。」
「…………え?」
「お前も知ってる筈だ。治癒の途中で止めれば再びその治癒師が魔法を止めない限りその効果は長時間に渡って継続されていく…………効果は微弱なものだがね。
問題はその治癒師以外の治癒魔法を施してもその効果が反映されない。しかしその治癒師は死んだ。誰も彼の傷を癒す事が出来ないんだよ。」
治癒師の残酷な言葉にレーナは言葉を発することが出来なかった。
つまり彼は下半身を喪った際の地獄のような苦痛をいまも受け続けていたのだ。それがどれ程の生き地獄である事か、とてもレーナでは想像出来るものではない。
「じきに効果も切れる。我々に出来る事は何もせず、彼の苦しみが解放されるのを待つだけだ。そこにお前が出来る事はない、分かったら早く行け。それと…………これを見ておけ。」
見せられた物をレーナは見る。それは緑色の布切れと灰色の布切れの束だった。灰色の布切れはあの兵士の腕にも巻かれていた。
だが意図が分からず治癒師の方を見つめた。彼は今度は優しく応えてくれた。
「治療の優先順位を目視でわかるようにしているんだ。緑色は治癒が可能な者の腕に巻く、そして灰色の布切れが巻かれた者は…………彼と同じだ…………後はわかるな?
間に合わないと判断した者には何もするな。」
「ッ!…………」
治癒師の言葉にレーナはただ無言で小さく頷くことしか出来なかった。
それを見た治癒師はその場から離れて他の患者へと向かう。言葉を失っていたレーナは無言でその隣の患者へと移動する。
ーーーーー
…………あれからどれだけの時が経っただろうか?
途切れる様子の見えない横たわる重傷者達の姿を前に、レーナ達従軍治癒婦師はこれまでの人生で経験したことの無い疲労と心理的衝撃を受けていたが、次第にその感覚は鈍化していってこの地獄の環境に慣れていった。
現に彼女達は全身を負傷者達の血で汚していたが、もはやそれを気にする様子を見せる事すらなかった。
レーナ自身も何人もの緑色の布切れに巻かれた腕の重傷者をに治癒を施し、それよりも多くの灰色の布切に腕を巻かれた者のベッドを通り過ぎていく。
その動きは慣れた様子を見せる一方で、どこか彼女の機械的な感情の無い表情をも見せていた。
やがて限界の推移まで魔力切れを起こす彼女等治癒婦師達が現れていく。そんな彼女達は魔法の行使を一旦止めて、師団治癒師が銃弾を取り除く作業で暴れる患者を抑えるのを手伝ったり、まだ治療待ちである負傷者達の包帯を巻いたり、血で汚れた包帯を交換していく作業へと移行していた。
そんな一連の流れを何十と繰り返していたレーナ達のいる部屋へ、ある士官の声が響き渡った。
「誰か!魔力に余裕のある治癒師はいるか!?すぐに来てくれ! 近くの川で佐官と上級軍曹の2人が流れ着いたんだ!」
その報せに、疲労の汗で溢れていた治癒班長と治癒師が顔を見合わせ、治癒師が疲労の色を隠せずに言う。
「…………申し訳ありません、私はそろそろ限界に近いです。」
「そ、そうかね。だが私も不味い…………そちらの方で余裕のある者は?」
治癒班長の言葉に治癒婦長がレーナの方を見た。
「レーナ。貴方はどうですか?」
この場にいる従軍婦師の中で自身を除けば、最も治癒魔法に秀でた腕を持つ事を知る治癒婦長がレーナに言う。
それにレーナは額に流れた汗を血で汚れた裾をよけて拭って応えた。
「は、はい!問題ありません!」
「ならここは私達に任せて向かってください。」
「わかりました!」
治癒婦長の言葉にレーナは疲労でよろける身体を駆使して、声をあげた士官の元へと駆け寄る。
「わ、私が向かいます!」
レーナの言葉に周囲を必死の形相で走り回っていた士官の表情が緩んだ。
「おぉ、そうか!どの建物でも余裕のある者はいないと門前払いを受けていたんだ!実に助かる!さぁ、こっちだ、ついてきてくれ!」
幾つもの建物を走り回っていた士官は息も絶え絶えながらも駆け足でレーナを案内していく。
案内された建物は、どうやら士官以上の指揮官階級の者達が収容されている治療所だった。
しかし現場はレーナが担当していた所と同じように悲惨な状態であった。
治癒が間に合わず、シーツで完全に覆われたベッドを幾つもの通り過ぎていく。
まだ患者の全体数が少なく治癒師も優先的に回されている筈の彼等ですらもここに運ばれてから死んでいく者が何人もいる、その事実が只でさえ消耗されているレーナの精神力を更に削っていった。
そんな案内されている建物の1番奥の部屋の前で何人かの男達が揉めていた。その声はレーナの元まで聞こえてくる程の大声だ。
「治癒師はまだ来ないのか!?早くしないと大佐殿とカーネル上級軍曹が危ないというのに!ここには治癒師はいないのか!?一体何日もの間、あの2人が行方不明だったか!」
「落ち着いてください!ここにも治癒師はいますが、どの治癒師もあれ程の大怪我を癒せる程魔力に余裕のある者がいないんです! いま他の治療所から向かわせていますから下がっててください!」
「そう言ってもう何分経ったんだっ!もうこの師団にはまともな佐官はスロイス大佐殿しかいないのだぞ!」
どうやら流れ付いた2人の名はスロイスとカーネルというらしい。レーナが見たところ、あそこで大声を上げているのはその直属の部下なのだろう。
その口論を聞いた案内役の士官が男達へ声をかける。
「失礼します副官殿!第2治療所から治癒婦師をつれてきました!」
その報告に先ほどまで口論をしていた副官と呼ばれた男が振り返ってその後ろにいるレーナを見た。
「やっと来たかっ!さぁ早く2人を診てくれ!」
「あ、あの!」
副官はそう言うと有無を言わさずにレーナの腕を掴んで部屋へと入らせた。
部屋に入ったレーナと副官はすぐに2台の医療ベッドで横になる2人の軍人が視界に映る。
「酷い怪我…………」
ある程度は身体を清めた様子もあったがそれでも全身を血と土で汚し、痛々しい青色の痣を身体中に見せ、顔の輪郭も痩せ細っていたスロイス大佐とカーネル上級軍曹がその目を瞑ったまま小さな呼吸を繰り返していた。
彼女から見れば、生きているのも奇跡というレベルの深刻な容態だと一目で分かった。
「何日もの間、川に流され続けていたらしい。栄養失調もそうだが、何よりも打撲と出血が酷い。すぐに頼む。」
副官はそう言うと部屋から出た。
意識の無い患者2人とレーナだけとなると、彼女は深呼吸を繰り返して、身体中の魔力を意識的に循環させる。
やがて2人の横に立つと、最初にスロイス大佐の腕を掴んで自身の魔力を彼に送り込んで自身で最大の治癒魔法を唱えた。
『大治癒』
治療を終えたスロイス大佐とカーネル上級軍曹が目を覚ましたのはその2週間後であった。
スロイス大佐とカーネル上級軍曹が目覚めてから2日後…………
都市リバーテ
ジュニバール帝王国 バリアン大陸司令部
バリアン大陸に展開するジュニバール帝王国の陸軍・空軍・海軍の3軍を纏める最高司令部が設置された大邸宅。
その大邸宅の大広間にて急遽、設けられたジュニバール帝王国3軍統合緊急戦略軍事会議が行われようとしていた。
バリアン大陸西部における実情の全てが遂に後方の司令部に詰める彼等の元まで届いたのだ。
この会議に出席するのは今回の日本出兵の第2軍団において要職に就く軍高官達が勢揃いしていた。
バリアン大陸に展開する陸軍の各師団長及び師団参謀長そして参謀本部の高級参謀に全体の兵站管理全般を担う戦務参謀将校が。
空軍には各航空師団長とバリアン大陸方面司令官と副司令官が、海軍には第2軍団をここまで輸送・護衛を担当していた第3地方艦隊の提督と艦隊参謀長に各艦隊長の錚々たる面子が上座から末席にまで着席していた。
数十名の軍の要職に就く者達が一同に参加するこの会議室で最も上座に座る若き最高司令官たるジョスブン・レイ・ジルヒリン元老院議員、その次の上席に座るシャップス軍団参謀次長が会議の始まりを告げた。
「定刻となりましたので会議を始めます………まずは緊急の召集にも関わらずお集まり頂きありがとうございます。
今回の議題はバリアン大陸西部戦役における交戦とその結果についてです。それではお手元の資料をご覧ください。」
シャップス軍団参謀次長の言葉に彼等はそれぞれの手元に配布された資料の1ページ目に目を通していく。
だが最初の数行目に目を通しただけで彼等の表情は一気に歪んでいった。
最も酷い反応を示したのは当然ながら陸軍側であり、その次に空軍が、そして海軍側の彼等も暗い反応を示すが、同時に良い攻撃材料を得たと心の内では算段を立てていた。
しかし最高司令官であるジルヒリン議員の前のため、そのような感情は一切面に出すこと無く神妙な表情を維持した。
「…………陸軍は2個旅団と第29師団と第48師団の両師団がほぼ壊滅状態、大陸西部にある1つの都市が陥落し、挙句の果てには現有戦力では都市カバーラの戦線維持能力無しと判断し、独断で先の都市を放棄。
より東にある都市マロナイナまで戦線を後退させた…………これは事実上、敵は大陸西部を完全に掌握したという訳だね?」
海軍側の第3地方艦隊の提督がシャップス軍団参謀次長へと問う。
「概ねその認識で合っております………しかし都市カバーラは未だ日本軍も占領はしておらず、ここは空白地点となっております。」
「そんな事はどうでもよい!問題は何度も陸軍は2度も大敗を喫してばかりか、2つの都市を喪っているという事だ!
この作戦に全世界が注目しているのだぞ!だというのに陸軍がこんな大失態を侵して、どう責任を取るつもりか!」
「左様。この資料によればハマ山岳攻防戦と2度による攻勢作戦での損害は少なくとも15000人以上、喪った車両も1000両を越える上に上記の師団の指揮官連中に至っては全体の8割以上が戦死もしくは行方知れず…………我が国のみならず上位列強全体においても、こんな醜態を晒した例は無いぞ。」
渡された資料の束を指で軽く叩くようにして言う。
「そればかりか、バリアン大陸に存在する日本軍はそちら側よりもずっと少数と聞いている。だというのに何度も敗北を喫するなど帝王国の威信に傷をつけたことは自覚しているのか?」
海軍の要職達が次々と陸軍側を非難していく。これに彼等は苦渋の表情をする。そこへ空軍側も追撃するように舌を動かした。
「我々空軍としても陸軍に対して強い言葉で非難したい所ですな。
陸軍は我々にまともな情報を寄越さずに配下の第91飛行大隊の隊員が無惨にも殺されました。彼等は日本軍ではなく、陸軍によって殺されたのです。
話に依れば当初の作戦では我々空軍が大々的に投入される様ですが………直前に貴方達陸軍が変更したようですな?
最初から我々空軍がいれば容易に日本軍を殲滅出来たでしょう。」
海軍・空軍の両軍事組織からの非難に陸軍側はひたすらこの苛烈な攻撃を受ける事しか出来なかった。
「諜報部も外務省からも日本軍は大した軍事力は保有していないと調査結果が出ているし、貴方達陸軍側からも1月以内で大陸の日本軍を平定可能と試算していた筈ではないのかね?」
「こんな失態を犯して一体、本国にどう報告せよと言うのか。ガーハンス鬼神国を出し抜いた事に成功したというのに、陸軍がこのような体たらくでは我々も安心して地上を任せられないではありませんか。」
そう口々に一方的に批判する彼等に我慢の限界に近付いてきた陸軍側の師団長の1人が立ち上がろうとした時、これまで沈黙を貫いていたジルヒリン議員の腕が上がる。
それを合図に大広間は沈黙が支配した。数秒の沈黙の後にジルヒリン議員の声が響く。
「…………陸軍の責任の所在について追及するのは結構。与えられた仕事をマトモに果たす事の出来ない無能をそのポストに置いておく程、私は寛大ではないのだからな。
だがそれよりも先に話すべきがあるのではないのか?…………シャップス軍団参謀次長、君はどう考えるかね?」
ジルヒリン議員の言葉に一同の視線が唯一立ったままの人物であるシャップス軍団参謀次長に集まる。
「た、確かに…………ジルヒリン議員閣下の仰る通りであります。我々参謀部はバリアン大陸西部に存在する日本軍に対しての次なる攻勢作戦を考案致しました。資料3枚目をご参照ください。」
シャップス軍団参謀次長の言葉に一同は資料を捲っていく。それを確認した彼は内容の要点を纏めて言う。
「日本軍が拠点とするノル・チェジニ軍港ですが、諜報部及び我が国に亡命をしたオーマバス神聖教皇国要人からの情報によれば、この港の物資の輸送能力は我等が利用する港湾都市リバーテと比べると大きく劣るとの事です。
故に日本軍が上記の都市を占領しなかった最大の理由は補給の難点から長期の占領は困難だと推測出来ます。それはつまり、日本軍は貧弱な補給線を背面に戦線を敷いているという事であります。
よって参謀部は、都市マロナイナを中心とした戦線を再構築し、都市ナルーマ、パッガミタに駐屯している第55師団・第61歩兵師団を主力とした第3次攻勢部隊を編成し、継続的な攻撃を行い、日本軍の弱体化を狙います。
また、都市マロナイナまで後退している第48・29師団の残存戦力はこの攻勢部隊の準備が整うまで大規模な攻撃を行って貰い、日本軍の消耗を強いて…………」
「ちょ、ちょっと待って頂きたい!」
シャップス軍団参謀次長の言葉を遮るように陸軍側の要人が声を上げた。その人物は説明で挙げられた第55師団の師団長であった。
彼はその表情を焦りを含んだ様子で言う。
「先の攻勢で疲弊している第48と29師団を動員するつもりか?」
「はい。そう申し上げていますが?」
それが何だと言わんばかりの表情で応えるシャップス軍団参謀次長。これに師団参謀長が言う。
「軍団参謀次長殿。この両師団の損害率はご存知の筈です。少なくとも全体の半数が再編成が必要なまでの損害を出しており、その部隊を指揮する士官までもが圧倒的に不足している状態です。
そのような状態の両師団を戦場に送り出せばどうなるかは、貴方もわかるでしょう?」
前線が大混乱となりますよ?そう師団長は最後に言うが、当のシャップス軍団参謀次長の反応は極めて冷淡であった。
「それが何か?」
「………軍団参謀次長殿。貴方はご自身の発言を理解しておられるのか? それは彼等に死ねと言っていると同意義です!」
「全く…………」
溜め息を吐き、呆れとも言える表情で顔を横に振るシャップス軍団参謀次長。
「何か勘違いされているようですが、私は何もそういう意味で発言している訳ではありません。
彼等には次攻勢までの間、日本軍に対しての時間繋ぎに過ぎません。そう説明したと思ったのですが…………」
「その組織的な軍事作戦が不可能と言っている!師団長以下、師団参謀要員までもが壊滅した彼等の何処に作戦遂行能力があると判断したのだ!一体誰が指揮をとれる人物がいる!」
「確か…………第48師団にスロイス大佐という連隊長が存命だと報告を受けております。彼を混成師団の最先任指揮官として師団の指揮を取らせます。
また、階級に関しましては彼を部隊生還の功績を評価しての限定的な権限を持たした准将に昇格…………師団級指揮官の席としては申し分ないかと。それにこれで将官としては最年少記録となります。これによって各部隊の士気向上も間違いないでしょう。」
「スロイス大佐?…………あの青年将校の事か!貴様は未来有望な指揮官を死地へ送るつもりか!貴様には罪の意識を感じないのか!」
陸軍側でも上座に近い席に座る第22重師団 師団長が怒りを露にする。それにシャップス軍団参謀次長がその方向へと視線を向けた。
「フローヴァイル中将殿。よもや貴方のような陸軍の英雄がそのような弱音を吐かれるとは予想外ですな。ユガン島の豪傑と呼ばれた男も、その程度という訳ですか。」
「口を慎め!たかが一介の大佐に過ぎぬ参謀如きが何と無礼な口ぶりを!」
フローヴァイル第22重師団 師団長の隣に立つ側近がシャップス軍団参謀次長に言う。しかし本人は涼しげな態度を崩さない。
「私は軍団参謀次長です。階級こそ大佐ですが、この軍団の指揮上では貴方達に命令を出す身であります。」
「貴様…………!」
席を立って腰に下げた軍刀に手をかける側近に、フローヴァイル中将が宥める。
「よい。所詮は戦場を知らぬ若僧の戯れ言だ。気にするな。」
その言葉にシャップス軍団参謀次長が初めて眉をピクリと動かした。
「それは心外ですね…………これでもユーゴ半島上陸戦に参加しておりますし、ハンプス丘陵戦では中隊を指揮しておりましたが?」
次々と参加した戦争の名を挙げていくが、フローヴァイル中将は嗤う。
「ほう。それは初耳だ。ユーゴ半島上陸戦は海軍の砲撃で終結してと聞いておるし、ハンプス丘陵戦では私の甥が最前線で活躍したと聞いている…………確か貴官の指揮したと言う中隊は後方支援部隊と聞いているが?」
その言葉に周囲から失笑の声が相次いで聞こえた。それにシャップス軍団参謀次長が明確な怒りを発言者たるフローヴァイル中将に向けた。
「フローヴァイル中将殿…………何が言いたいのです?事によっては軍団参謀次長への侮辱と受け取りますが。」
「真実を言ったまでだ。これを侮辱と捉えるとは、貴官の器を問われるぞ?」
両者は睨み会う。刃傷沙汰になっても可笑しくない空気が会議場を支配するが、再びジルヒリン議員の声が響き渡った。
「そこまでだ。」
その言葉に両者及び会議に参席する一同の視線が集まる。
ジルヒリン議員は紅茶を嗜みつつ静かに口を開いた。
「この作戦に変更は認めず。既に作戦書には私の署名が記載されているのだ。貴様等は黙って命令に従え。それが出来ぬのならば、私の権限を行使して軍法会議を開かねばなるんが、それを望んでいるのか?」
ジルヒリン議員の言葉に陸軍側は押し黙る。それを見た彼は更に続けた。
「ふむ。理解したようだな? 第48・第29師団には直ちにこの命令を送れ。師団の半数が再編成が必要だと?違う。まだ半数がいるではないか?再編成も必要ない。ただ目の前にいる敵を殺し、敵の陣地へ足を踏み込む、それだけの事をこなすだけだ。
そもそも…………ガーハンス鬼神国は既に北部を中心に日本軍への攻勢準備が整っているではないか?ここに来て奴等に標的を奪われて良いわけがない。」
ジルヒリン議員はそう言い終えると席から立ち上がる。
「話しは以上だ。後のことはシャップス軍団参謀次長。貴官が続けよ…………貴様等、よく覚えておけ。彼の言葉は第2軍団最高司令官たる私の言葉と知れ。」
彼はそう区切ると側近を連れて会議場から出た。一同は一斉に敬礼で見送るが、フローヴァイル中将はシャップス軍団参謀次長が密かに口元を笑みで溢したのを見逃さなかった。
「さて、作戦概要の説明を続けさせて頂きます。現在バリアン大陸近海付近にて後続であるバイガン特将閣下が率いる第3軍団の先見艦隊が到着されるため、都市リバーテにいる第3地方艦隊は大陸南部にある半島を経由し、港湾都市リュートへと本拠地を移して…………」
側近を連れて会議場から退出したジルヒリン議員は先の反発したフローヴァイル中将を思い返して、不機嫌な表情を表した。
「全くあの男は………ガーハンスの老人といい、軍人というのは歳を取ればああも頭が固くなるものなのか?」
ジルヒリン議員の呟きに側近等は応える事は出来なかった。しかし彼はそれを気にも止めずに隣を歩く秘書に言う。
「数日のうちにバイガン特将閣下等がご到着される。歓迎式典の準備は整っているな?」
問われた秘書は眼鏡に指をかけて応える。
「勿論でございます、議員閣下。特将閣下等がお連れしているその奥方達への歓迎準備も万全でございます。」
「そうか。ならば良い。バイガン特将閣下にはなるべく大陸情勢から耳を遠ざけたいが、難しいな…………」
軍団間の定期連絡では誤魔化しは効いたものの、第3軍団の先見部隊が上陸すればそれも終わる。
数日のうちにバリアン大陸の情勢が変わる事は無いのは流石に軍事に疎いジルヒリンでも理解していた。
だがバイガン特将閣下経由で未だ植民大陸の軍港ジェロバにいるファルジニ上級大将、そこから首都の元老院ひいては帝王へと凶報はもたらされるてあろう。
そしてそれはジルヒリン議員の評判を大きく落とす事になるのは避けられない。ならば出来る事は避けられぬ損失をどれだけ抑えれるかだ。
何としてでも最小限に留めたい。その為には誰かを生け贄にせねば。それがジルヒリン議員の考えであった。
そんな思惑を考えていた時、そこへ別の一団が近づき、それに気づいたジルヒリン議員は最大の面倒後がやって来たと気付く。
「ジルヒリン!ようやく私の前に現れたか!この詐欺師め!」
ジルヒリン議員をそう呼び捨てする男。そんな事が出来るのはこの大陸においてたった1人だけである。彼はその名を言う。
「やぁお久し振りですね………ボーン中将閣下。」
そう名を呼ばれたガーハンス鬼神国の陸軍中将ガジル・ミホット・ボーン前線司令官は息子相当の若きジュニバール側の司令官へと詰め寄る。
「あれは一体どういうつもりだ!?我が軍へ偽りの情報を送りつけるなど!お陰で我々は居もしない敵を追い掛け回して大混乱となった!
これは我が国に対する侮辱と同じだ!」
ジルヒリン議員へ詰め寄りそう怒鳴るボーン中将を遮るように護衛の側近が前に出る。
「…………確かに我が軍の連隊がそちらへ情報を提供したのは事実です……しかしながらあの情報は誤報だったのです。
決して意図的に流したものではないのですよ。」
「それが通じるとでも思っているのか!?」
尚も詰め寄ろうとするボーン中将。しかしジルヒリン議員は淡々と応える。
「そうは言いますがね。録に確認も取らなかったそちらにも非はあるのでは?貴国の情報部は仕事を放ったらかしですか?」
「貴様っ!」
護衛が何とかボーン中将を抑えようとするが、ガーハンス神鬼国側からも側近達が対抗するように動き、大きな騒ぎへとなる。
それを横目にジルヒリン議員は去っていく。
「それでは私は忙しいので失礼しますよ。」
両勢力の護衛達が大きく揉める最中、ジルヒリン議員は秘書を筆頭とした側近を連れて先程の会議場とは別の広間へと向かった。
その大広間へと通じる廊下には、この大邸宅内でも特に装飾が飾られ、その先にある大広間がただの部屋では無いことが容易に想像できる。
その大広間に入る為の大きな両扉に立つ儀仗兵達がジルヒリン議員の入室に合わせるようにゆっくりと扉が開かれ、目的地である大広間の光景が広がった。
中へと入った大広間には既に数多くの人々がおりどうやらパーティーの真っ最中のようであった。だが壁際や天井には溢れんばかりの豪華絢爛な調度品や絵画が飾られており、そこが只のパーティー会場ではないことは容易に想像できる。
会場に飾られている調度品には希少な装飾用の鉱石で作られ、本国ジュニバール本土でも一流のデザイナー達が作り上げた逸品物で壁や備品に置かれ、その壁の隙間や天井には偉人となった彫刻家や画家の遺した遺作が、会場に佇む人々を魅了させるようにその遺業を見せつける。
そしてそんな会場に参加する者達もそれに劣らない身分と服装を身に付けており、彼等は近くにいる知人や初めて会う者とにこやかな表情で談笑を楽しんでいた。
「おぉ。これはこれはジルヒリン議員閣下。いや、最高司令官殿とお呼びするべきですかな? もう軍議は終わったのですか?」
側近を連れたジルヒリン議員の入室に気付いた1人が彼へと歩み寄って声をかける。
本国より特別に輸送されたジュニバール産の高価なワインの入ったグラスを片手に、他の者達と劣らない数多くの宝石やアクセサリーをその肥満気味の身体を覆うように着る服に身に付けた男性の言葉に、ジルヒリン議員は先程までの負の感情を一切出さずに優雅に応えた。
「えぇ。お待たせしてしまい大変申し訳ない。ここからは皆さんとの大切な時間を過ごさせて頂きます。」
その返答に、周囲にいた他の者達も彼へ話をしようと囲むように動いた。
「いやはや。司令官殿が率いられる無敵の帝王国軍のお陰で我々も安心してこの大陸で事業を展開できます。」
「全くですね。我が社は既に大規模な鉄道の敷設準備が終わったところです。近日中には大陸を横断する鉄道網の着手ができるでしょう…………そうなれば、軍の皆さんのご負担も軽減できる筈。」
「はっはっはっ。流石はランブル鉄道社は仕事が早い。これは我々もうかうかしてはいれませんな。」
「左様。しかし私も既にこの大陸の農業開発の準備が終わる頃…………次の輸送便では大量の設備が到着します。その際にはお手数を御掛けしますが現地人の徴用に是非ともご協力頂きたく…………」
次々とジルヒリン議員へと売り込むをするように口を開く彼等。優雅にそして泥々とした欲望をぶつけあう彼等の正体は、ジュニバール帝王国の実業家達であった。
彼等はジュニバール本国でも最高の資産家達であり、今回の日本出兵を聞いて商機を見出だしてこの出兵に参加したのである。
無論、彼等が戦闘に参加する訳ではない。彼等の目的は日本の持つ経済圏の利権であり、植民大陸は勿論のこと、日本本土の利益を貪り喰らうのが目的だ。
既に彼等はジュニバール帝王国が支配する植民大陸や島々の多くにその利権を掌握しており、次なる獲物を探していた時に未だ未開発の多い日本の経済圏の獲得に並々ならぬ熱意を持っていた。
そんな彼等の売り込みに耳を傾けていくジルヒリン議員の元へ、別の一団が近付いてくるのを確認し、それの一団の先頭を歩く男性を見た彼は表情を大きく明るくした。
「これはお久し振りです。ラーマット殿。」
「此方こそジルヒリン議員殿。暫く合わない間に随分と凛々しくなられた。まさに軍団の最高司令官に相応しい風格をお持ちですね。」
ラーマットと呼ばれた男性はそう応え、固い握手を交わした。
「此度の出兵。我々も、本国の重鎮達も期待を高めている話です。来る日本本土攻略後の再開発には力になりますよ。」
握手を終えたラーマットが言った言葉にジルヒリン議員はにこやかに返す。
「勿論ですとも。じきにこの大陸に縮こまる日本軍を掃討した後に、貴方のお力をお貸し頂きますよ。」
「お任せ頂きたい。話に聞けば日本には1億を越す人口がいるのだとか?
それだけの労働者がいれば我等がバルトバス中央貿易会社も歴史上にない大きな進展を得ることでしょう。」
バルトバス中央貿易会社。これはラーマットという男性が重役を務めるジュニバール帝王国でも最大の会社であり、幾つもの植民大陸の利権を掌握する巨大事業を担っていた。
既に軍の上層部との密約で日本本土を占領した際には、彼等バルトバス中央貿易会社がそれに関する事業を一手に担う予定となっていた。
そんなラーマットという男性の後ろに控えていた別の豪華な衣装を着た男が言う。
「しかし日本には資源が僅かと聞きます。農業も細いというのに真にそれだけの人口がいるのでしょうか?
我が社が出資した額に見合う利益を得れるとよいのですが…………」
「なぁに。仮にもオーマバス神聖教皇国を打倒した国。それだけでも他の辺境の国々とは隔絶した技術を持っている。
そうでなくとも噂の別世界の国だ。それだけでも物珍しい技術や特産品を持っているのは確かだ。ここだけの話、日本人共を本国まで連れていって見物にするだけでも充分だ。世界中から観光客が来るであろうな。」
そう口々に事業話に花を咲かす彼等にジルヒリン議員は笑みを溢さずにいたが内心では僅かな焦りを感じていた。
バリアン大陸に到着してから既に充分な時が経っているというのに未だに平定出来ていないこと、目の前の実業家達は大まかな準備を終えているのに、これ以上時を浪費すれば彼等の不満は確実に自身へ向けられるであろう。
何としてでも早期に大陸に閉じ籠る日本軍を片付けねば…………
ジルヒリン議員はそう決意する。
バリアン大陸
軍港ノル・チェジニ
かつては濃緑色の天幕が列をなして設置されていたバリアン大陸に駐屯する日本国防軍の前線司令部は今やコンクリート造りの建物へと置き換わり、その平野一面を埋め尽くすように建てられていた。
付近には2本の滑走路と航空司令塔が並び、そこに並ぶ6棟の大型倉庫には空軍から派遣された統合航空団の航空機・戦闘ヘリコプターが収容されている。
その反対側に視線を送れば港があり、そこから貨物用クレーンが24時間体制で引っ切り無しに到着する船の荷卸を行っていき、そのクレーンから下ろされた荷物は次々と輸送車両へと載せ変えられ複数に設置かれた倉庫群へと運ばれていく。
バリアン大陸最西部に位置するノル・チェジニ軍港は、立派な日本国防軍の国外拠点となっていた。
その拠点の中央部にある司令部にあるとある1室にて、バリアン大陸日本駐屯部隊の指揮官達が勢揃いしていた。
港のクレーンから輸送艦の物資を港内にある集積区画へと下ろしていく光景が映る窓を背景に、鬼導院中将は口を開く。
「バリアン大陸西部から敵の排除は達成できた。ここから次の段階へ移行する。」
その言葉を筆頭に、部屋に置かれた椅子に座る各戦闘団の団長等は手に持つタブレット画面を注視する。
「だが、その前に先日到着した部隊指揮官を紹介する。第7師団 第11普通科連隊及び第7特科連隊連隊長の円藤大佐と富司大佐だ。
そして第10師団 第14普通科連隊同35普通科連隊及び第10飛行隊の安賀多大佐、須上大佐、最後に芳本大佐だ。」
主力部隊の先遣隊となる各連隊の指揮官が席をたち各々軽い挨拶をする。
5つの連隊級の部隊が援軍として到着した事になる。連隊の数としてはこれで倍となったのだ。心強いことこの上ない。
「これにより、これまで展開されていた戦闘団の再編成及び、新たな戦闘団の増設を行う。」
鬼導院中将の説明を追い掛けるようにタブレット画面が切り替わる。それに各戦闘団団長はめをやる。
「大陸に展開する戦闘団は5個戦闘団から8個戦闘団へと変更する。また、我々バリアン大陸駐屯部隊はこれよりバリアン方面隊へと呼称を変更。同方面隊の総監は私となるが、第7師団 師団長が到着次第に彼へと変わる。それまで諸君等、戦闘団の総指揮をとることになる。君達の活躍に期待させて貰う。」
そう鬼導院中将は新たな戦闘団団長となった各大佐達は応える。
「はっ。微力ながら我々もバリアン方面隊のお力になります。」
「かの鬼の師団長殿の指揮下に入れるのはある意味で光栄であります。どうぞ我々をこき使って頂きたい。」
「そう言って貰えると助かる。」
鬼導院中将はそう区切ると再び説明へと入る。
「話を戻すが、我々バリアン方面隊は各戦闘団主に第2戦闘団・第3戦闘団・第6戦闘団・第7戦闘団を中心とした地上部隊を運用して大陸西部に展開する戦線を維持する。
その後方を第5戦闘団、第8戦闘団が予備役として配置し、大陸西部全域を第4戦闘団が担当することになる。」
タブレット画面の詳細には、池田大佐及び貴戸大佐のような装甲科・普通科が主力の4個戦闘団が前線を担う。その後方を特科連隊が主力の2個戦闘団が守り、それら上空を増強された航空戦闘団が制空権を維持するものだった。
それらの説明は聞いていた時、頻繁に欠伸をしていた池田大佐が手を上げる。
「地上は良く分かりましたが、海はどうなんですかい?海軍は何時になったら敵の海軍と戦うんです?」
鬼導院中将はそれを聞くとタブレット画面の共有モードから、数枚の衛星画像を映す。そこには多数の船が海に浮かんでいた。
「都市リバーテ近海だ。そこに映る艦隊を見ろ。」
一同は画像を見て、池田大佐が口に出す。
「…………ジュニバールの国旗が多いですが、見慣れない国旗もありますね?」
「チューニバル法国です。恐らくは民間の輸送船でしょう。彼の国が支援しているとは聞いていましたが…………」
貴戸大佐が補足し、一同は理解した。
「それが理由ですかい?」
「そうだ。大陸反対側にいる敵艦隊への攻撃には、現在中立を表明するチューニバル法国の船を選別して攻撃せねばならん。
だが、現時点で明確な選別方法には限りがあり、我が艦隊の対艦ミサイルの射程距離外であること、敵艦隊が都市リバーテから動いていないのも含まれる。」
「近いうちに敵の増援が来ますぜ。それを海軍は指を咥えて見てるって訳ですか?」
「それは無い。」
鬼導院中将はそうハッキリと言う。
「本国にいる統合司令部は増援の先遣隊は敢えて見逃す。だが、その後続である主力艦隊及び輸送艦隊群はこのノル・チェジニ軍港にいる第2護衛大群とは別の第1護衛大群がオーマ島を経由して対処する。ここにいる第2護衛大群はその警戒任務にあたる。」
「第1護衛大群をですか?本国の守りは?」
第5戦闘団の品田大佐が言う。その話が事実ならば現在、本土の守りに不安が出る。
「第3護衛大群・第4護衛大群の他に新設された第5・第6護衛大群が担当する。」
「第5と第6護衛大群ですか?確かに艦数上では艦隊を組めるでしょうが、能力面では………」
「果たして上手くいくでしょうか。」
書面上では護衛大群を名乗れる分の艦隊の増艦しているが、どの艦も進水してから長くても1年程度が殆どだ。艦隊訓練だって未経験だって珍しくない艦隊が果たして万が一の状態で期待できるであろうか。
そんな不安が部屋を支配する。しかし池田大佐は違った。
「んな事を遥か先にいる俺等が気にすんな。俺等だって同じもんだろ? 増援の主力を退けるっても兵力差は歴然。そもそもの話、補給もままならねぇ。
海軍も同じように俺等に不安を抱いてるだろ。」
池田大佐の言葉に鬼導院中将を除いた一同は窓から見える港へ視線を移す。
港に寄港した輸送船の甲板から次々と物資が港の貨物クレーンで下ろされるが、港近海にはその順番待ちの輸送船が列をなして待機していた。
彼等の最大の問題は人員不足や練度不足でもなく深刻な補給不足である。
先の攻勢を退いたが、あの先にあった都市を占領し、維持する分の物資が各戦闘団にはなく後退するしかなかった程に物資が枯渇している。
施設科の尽力によって大型の輸送船でも寄港可能な港の増設に成功したが、件の貨物クレーンの増設はまだ出来ていなかった。
「…………貨物用クレーンの増設はまだ出来ないのですか?」
青井大佐の質問に兵站全般を管理する加藤大佐が申し訳なさそうに応えた。
「申し訳ありません…………本国からの貨物用クレーンの運搬もですが、何よりも港の敷地に限界がありまして。
敷地を拡大しようにも付近の埋立から始まってる状態です。埋立用の土砂を得ようにも掘削する為の設備不足、硬い岩盤に魔獣の出現で完成予定日が先延ばしの連続です。」
軍港ノル・チェジニがある湾は狭く、更に地質学上の問題で埋め立て及び掘削作業が難航していた。
「打開策として鬼導院中将より、強襲揚陸艦による荷卸案を元に現在準備中であります。」
「第1護衛大群の強襲揚陸艦ですか?」
「はい。また、海征団の揚陸艦にも依頼をしています。後は輸送ヘリコプターによる荷卸も実施中です。」
「たかが知れてるが無いよりはマシか。」
池田大佐がそう評価する。その最中、部屋へと入室する幕僚要員が入室した。
「失礼します。鬼導院師団長。統合作戦司令部よりご報告があります。」
幕僚はそう言うと鬼導院中将の側までより報告する。
統合作戦司令部。転移から数年が経過した時に設置された常設の指揮組織であり、国防大臣の直轄組織であった。
「偵察衛星から今から1時間前に都市リバーテ近海に展開していた敵艦隊に動きあり。大陸南部方向へ向けて出港を開始しました。」
その報告を聞いた一同は互いに見合わせる。
「艦隊の内訳は?」
「はっ………戦艦3隻。重巡洋艦5隻。軽巡洋艦6隻。駆逐艦12隻からなる計26隻からなる艦隊であります。」
「空母はいねぇのか?」
「はっ。空母3隻及び護衛の駆逐艦6隻はそのまま近海にて待機状態であります。」
「…………どうやら海軍の仕事は向こうから振ってくれそうですな?」
「…………統合作戦司令部は何と?」
「統合作戦司令総監及び国防大臣、総理大臣の連名で作戦書がこちらに。」
幕僚はそう言うと脇に抱えていた書類を手渡す。1時間の間に書類を完成させるとは、本土にいる彼等は実に働き者である。
中身を読んだ鬼導院中将は言う。
「…………了解した。第2護衛大群はこれより南下する敵艦隊の殲滅に向かう。」
その言葉と共に別の幕僚が入室した。その姿は慌てていた。
「失礼します!前線の第3戦闘団より報告!北部のガーハンス神鬼国及び都市マロナイナにいるジュニバール帝王国の敵地上部隊に動きあり!空白地帯であった都市を再占領しました!
既に北部に展開する第3戦闘団を中心に小規模ではありますが交戦中であります!
また、偵察機からは都市リバーテ付近より敵航空機の発着も確認しています!」
その報告に一同は一瞬で戦闘態勢へと思考を切り替えた。
「どうやら敵も此方の物資不足に感付きましたかな?」
池田大佐の茶化すような言動に貴戸大佐が言う。
「やはりあの都市を占領しなかったのを怪しみましたね。」
「大規模では無いのが不幸中の幸い。速やかにドローン部隊を中心に迎撃します。」
各戦闘団団長の言葉に鬼導院中将は今回の会議を切り上げる。
「会議は中断。各戦闘団団長はこれより配布する命令書を元に迎撃態勢をとれ。
また、一部戦闘団団長には追加の命令を発令する。担当の者はこれを遂行せよ。以上だ。」
その言葉と共に池田大佐が真っ先に部屋から出る。それに続いて貴戸大佐、青井大佐と続々と出ていく。
幕僚も出ていき1人となった鬼導院中将のもとへ部屋の奥にある机に置かれた受話器から呼鈴が鳴る。
ジリリリリ………ガチャっ
取った受話器からはすぐに相手の声が入る。
『やぁどうもお久し振りです師団長殿。』
その声から相手が誰なのかを察する。
「君か。その様子では準備は整ったと捉える。」
『えぇそうです。お陰様で楽に侵入できました…………しかし流石は悪名高き池田大佐ですね?見事な采配であの大軍を返り討ちにしたものです。無論、貴方の観察眼も素晴らしい。普通はあんな悪評の目立つ男を重要な局面に立たせませんよ。』
「世間話をする程度にはそこの場所は安全だと理解した。要件は何だ?」
『おや?噂通りに連れない方だ。やれやれ………その様子ではそちらにも情報は伝わっていますね。
我々はこれより本格的な潜入を開始します。今後は三日月毎に連絡しますので、よしなに。』
「わかった。そちらの成功を祈る。」
鬼導院中将はそう言いうと受話器を戻した。
ガチャッ。そう衛星電話機から切れた音が耳に入った。これに男は苦笑いをする。
「やれやれ…………本当にそう思っているのかね。」
男はそう呟くと外套を纏って部屋から出て階段を下りる。
階段を下りた男はそのままカウンターにいる店主へ声をかけた。
「また部屋を空けるけど明日になったら戻るから部屋はそのままで。」
男はそう言うと店主のいるカウンターに数枚の銅貨を置いた。1日の宿代である。
それを受け取った店主は言った。
「構わねぇが、頻繁にどこ行ってるんだ?」
店主の質問に男は小指を立てて言った。
「女漁り。」
それに店主は意地の悪い表情をする。
「へっ…………精々頑張んな。何せどこの女も列強人共の相手で大忙しよ。お前さんみたいな優男じゃあ、相手にされねぇよ。」
「意外と物好きもいるもんよ。」
男はそう言うと宿である建物から出て道路を歩く。
街中を歩けば其処ら中にジュニバール・ガーハンスの軍人達がいた。そんな彼等に店の人間達は1日の稼ぎを豊かにしようと懸命に客呼びをしていた。
そんな彼等を他所に、男はここからでも見える丘に建てられた大邸宅を見上げた。
その大邸宅は実に立派な建物だ。まるで王城のように高い城壁に囲まれ、そこからはみ出して見える建物の屋根からはジュニバールとガーハンスの国旗が風にのって靡いていた。
それを見た男は再び呟く。
「流石は都市リバーテ。至る所で軍人が一杯だ。」
そう男…………いや、特殊作戦群の隊長は肩を竦めて言い、人混みの中へ消えていった。
都市マロナイナ
士官用に設けられた臨時治療所の1室でベッドで横になるスロイス大佐の元に彼がよく知る男が入室した。
「お元気そうで安心しましたよ大佐殿。」
その言葉にスロイス大佐は心の底からの笑顔を浮かべる。
「そっちこそ同じ日に目覚めたと言うのにもう歩けるのか。大した体力だ。」
そう言われた男、カーネル上級軍曹は自身の胸を軽く叩く。
「これしきのこと。ヒューバゴン戦に比べれば大したことありません。幸いにも貴方の部隊も比較的損害は軽微です。
私はこれから副官殿て共に部隊の再編成を行いますので大佐殿はゆっくりとお休みください。」
「そうさせて貰おう…………治癒を受けても身体の倦怠感は抜けないか。」
「出血が酷いと治癒魔法の魔力が効率よく体内に入りませんからね。今は兎に角身体を休めること。それが一番です。」
そう2人で会話をする時、扉が開いて2人の女性が入った。
「失礼します大佐殿。定期検診です。」
従軍治癒婦師長と従軍治癒婦師のレーナであった。彼女はあの治癒を切っ掛けにスロイス大佐の担当を任されていた。
あれから日数も経過した故か彼女等、従軍治癒婦師達にも幾らかの余裕が出ていたのもある。
これにスロイス大佐は歓迎する。
「あぁ、今日も頼むよ。」
重傷者だった故に定期的に軽度の治癒魔法を附与して貰い身体の完治を目指していた。
治癒婦師長が治癒魔法をスロイス大佐に附与している間、隣に立つレーナは簡単な診療を行いつつ軽い世間話をした。
「外の様子はどうだ?」
スロイス大佐の問いにレーナが応える。しかし彼の瞳からは彼女の表情は暗く感じて、その後の回答に彼は納得した。
「今日も大勢の方が自害をしました…………」
それにスロイス大佐は静かに瞳を閉じる。
「そうか…………」
あの地獄のような戦場。今まで圧倒的に有利な状況下で大勝利に慣れていた彼等にあの戦場は耐え難いものだろう。
日数が経過しようとも彼等は想像を越えた敵の攻撃が何度もフラッシュバックして自ら死を選択する者が相次いでいるとスロイス大佐も副官を通じて耳にしていた。
「最初はあれだけ生気に満ちたあの方達があそこまで追い詰められるとは…………敵はそれ程までに強いのですか?」
治癒婦師長が問う。これにスロイス大佐は瞳を開けて、暫く考え込んでから答えた。
「彼等は…………強いよ。今まで相手にしてきた連中とは全く別次元にある強さだ。
本国は決して敵に回してはならない相手を敵にした…………我々が経験したのは地獄そのものだ。あれ以上の地獄があるならば、そこはもうこの世にあるものでは無いだろうね。
それ程の相手だ。」
「そんな…………っ。」
スロイス大佐の答えに2人は絶句する。
「リバーテにいる司令官達は今後どうするつもりなのでしょうか?私はもうこれ以上、あの人達の死を見たくありません。」
レーナの言葉にスロイス大佐とカーネル上級軍曹は口ごもる。2人には上層部の考えが粗方予想できていたからだ。
「十中八九、この地獄は暫く続くだろうね。上は何も理解していない。自分達が戦っている相手の本当の姿を。」
「本当の姿ですか?」
レーナが不思議そうな表情をする。
「彼等の戦い方は…………我々の戦い方と全く違うんだ。兵士と戦車がその大地を踏み進め攻撃するのでは無い。
彼等は人ではない無人の兵器を空に飛び立たせて、遠くから一方的に攻撃する。直接兵士達が互いに見合って戦うのではない。
我々は他の列強との戦争を想定していたが、我々と彼等との戦い方そのものが根本的に違っていたんだ…………だが何よりも恐ろしいのは彼等は極めて高度な技術力を持ち、それに相応しい練度も持ち合わせている。」
スロイス大佐の言葉に室内は沈黙が支配した。この場にいる者達全員が日本軍の力を認識したのだ。
そんな最中突如として扉が再び開かれた。早足で入ってきたのは副官であった。彼は血相とした最大の焦りを感じた表情をしていた。
「大佐殿!リバーテにいる司令部より命令です!」
「司令部から?内容は?」
スロイス大佐の問いに副官は息も絶え絶えに応える。
「第55師団並びに第61歩兵師団を主軸とした第3次攻勢をかけるそうです!」
「やはりか…………」
スロイス大佐とカーネル上級軍曹は失望を隠すことが出来なかった。しかし一同は更なる失望と大きな絶望を感じることとなる。
「わ、我々第48師団及び第29師団にも残存戦力を纏めて速やかに失陥した都市を再占領した後に…………に、日本軍への大規模な攻勢を…………第3次攻勢部隊が到着するまで続けよ…………との事です。」
「なっ!?それは確かなのか!」
「間違いありません。司令部は頑なに命令を変えませんでした…………」
副官の言葉に一同は驚愕した。絶対に有り得ない命令を受けて大きな衝撃を受けている。
「そんな馬鹿なっ!…………正気とは思えない………こんな状態でどう攻撃を行えと言うんだ!司令部は何を考えている!」
カーネル上級軍曹がそう怒鳴り、近くの壁を叩いた。それにレーナが僅かに肩を震わした。
「大佐殿。既にこの都市マロナイナにいる指揮官はもはや大佐殿しかおりません。司令部からは大佐殿が最先任指揮官として限定付きの准将に任命。混成師団部隊を率いて前線に出るようにとの事です…………なまじ大佐殿が意識を取り戻したと報告したのが裏目に出ました。」
これに治癒婦師長が口を開いた。
「そんなっ!大佐殿はまだ安静にしなくてはなりません!そんなの治癒師として看過できません!」
治癒婦師長はそう強く言い切る。だがスロイス大佐は首を横に振って言う。
「駄目だ…………司令部への命令は絶対だ。それに抗えば即刻、軍法会議に掛けられる。」
そして軍法会議は死刑を意味する。最後にそう付け足して口を閉ざすスロイス大佐。
やがて彼は意を決したようにベッドから立ち上がり壁に掛けてあった上着を手にとった。
「行くのですか?…………っ」
レーナがそう声をかけた。スロイス大佐は彼女の方を振り返るが、彼女の瞳は自身を心配していると分かった。
「あぁ私は軍人だ。命令に従わない理由はない。君には世話になった。礼を言う…………カーネル。準備は良いか?」
「いつでも行けます。」
スロイス大佐とカーネル上級軍曹そして副官は互いに頷きあい、部屋から出た。
その後ろ姿を治癒婦師長とレーナは見つめることしか出来なかった。
「彼等の無事を祈りましょう。必ず帰ってくると。」
治癒婦師長はそう優しくレーナの肩を掴んで言った。彼女はそれに静かに頷くことしか出来なかった。
この日、司令部への命令を受けた第48・第29師団の混成部隊は都市マロナイナに負傷者を残して4度目となる攻勢作戦を実行した。
ジュニバール帝王国軍が空白地帯にある都市を再占領した報せを受けたと同時にガーハンス鬼神国が北部からの進攻を開始。
バリアン方面隊は第3戦闘団を中心に展開して迎撃態勢をとる。
大陸北部から西部へと通じる街道に沿ってガーハンス鬼神国の部隊が着々と進みつつあった。
そんなガーハンス鬼神国の一部隊が街道から僅かに逸れた場所に、村を占領をする様子が見える。
100人程度の人が住む閉鎖感ある寂れた農村に突如として小銃を手に持つガーハンス鬼神国兵士が現れ、農具を持って農作業をしていた村人達を集める。
強引に家から出され、女性とその他の村人で分けられていく。
そして銃口を自分達へ突き付けられながらも互いに身を寄せあいながらその表情を恐怖に歪めていく。
そんな哀れな村人達をガーハンス鬼神国兵士達は哀れむどころか、嘲笑の笑みを浮かべて楽しんでいた。
やがてこの村にいる村人全員が集まるとこの部隊の指揮官が小銃を構えている兵士達に一言だけ命令を発した。
その命令を受けた兵士達は女性以外で集められていた男達の村人等に向けて発砲する。
叫び声や泣き声が周囲に響き渡り、逃げ惑う村人達を兵士達はゆっくりと確実に射殺していく。その様子を目の当たりにしていた女性達は助命の懇願をするも銃口を彼女達に向ける見張りは嗤うだけだった。
ほんの数分も経つと足を撃たれて這いずり回る最後の村人の背中へ銃剣を突き刺し、この農村の占領が完了する。
「ここを我が軍の補給物資所とする。すぐに後方の部隊に連絡しろ。お前達はこの死体を片付けておけ。女共は適当な建物に閉じ込めておけ。」
村人の排除が完了したのを確認した指揮官がそう指示をし、力無く崩れ落ちていく女性達は建物へと連れていかれた。
その1時間後には村に次々と輸送トラックが到着する。
輸送トラックが村にある中央の広場に停車すると、待機していた兵士達が荷台に積まれた荷物を下ろして村の倉庫だった建物へと運んでいく。
運ばれていく荷物の中身は弾薬や糧食、輸送車や戦闘車両に使われる魔法石の液体燃料の入った容器等、戦闘に使われるものから軍の維持に必要なものが揃えられていた。
倉庫に物資が運ばれていく最中、村の離れでは排除した村人の死体を適当に掘った大穴に捨てている別の兵士達の姿も見えた。
持っていた小銃を隣の家の壁際に立て掛けて携行品のシャベルに持ち変えて掘っていた穴を更に大きくする同僚の隣を2人掛かりで無造作に村人であった死体を放り投げる。
特別豊かに暮らせては居なかったが平穏な日常を送っていた村人達は一瞬にしてその日常を奪われていった。
そして、そんな光景を見下ろす存在がいた。それは高度18000mという彼等の肉眼では捉えれない上空を飛行していた日本国防空軍無人偵察機グローバルホークが、その機体に搭載された高解像カメラでその光景を撮影し、画像処理装置によって更に高精度に解像された航空画像を第3戦闘団本部にリアルタイムで送信していた。
グローバルホークから送られてきた航空画像を受信した第3戦闘団本部は直ちに付近に待機する戦闘部隊へ指令を通達する。
『本部よりT区域に待機する部隊へ、タカ01が該当区域の村、目標Vにて中隊規模のエネミーを発見。現在、補給拠点の設営を行っており、目標Vにいた民間人が殺害された。付近の部隊は向かい、到着次第に報告せよ。尚、目標Vには生き残りの民間人を確認している。民間人への被害は出してはならない。』
戦闘団本部から送られた指令は正確に付近で待機する普通科部隊へと送られ、完全武装した隊員達が急行する。
第3戦闘団に所属する普通科部隊が現場へと到着し村の南側、東側、西側の3つの方角より小隊ずつの部隊に別れて方位するように展開をする。
西側で待機をする小隊は村を見下ろす位置にある丘で本部からの指示を待った。
「トラ01より本部へ、02、03各小隊が目標Vの配置についた。指示を乞う。」
丘の草むらに隠れるようにして匍匐状態で小隊長は無線機を片手に本部へ繋ぐ。
返答はすぐに返ってきた。
『本部よりトラ隊へ、目標Vの中央にある一際大きい建物が見えるか?』
本部への通信に小隊長は同じく隣で匍匐状態で待機していた副小隊長より双眼鏡を受け取って先に見える村へと覗き込む。
小隊長はすぐに村の広場と思われる拓けた場所の大きな建物を発見する。
「トラ01より本部へ、確認した。」
『その建物に指揮官らしき人物が入っていた。今画像を送信する。』
すると軍で支給される小隊長の携帯から画像を受信した。小隊長はすぐにその画像を確認する。
画面には濃茶色の軍服と軍帽を被った顎髭を生やす男が映っており、肩には何かの勲章を下げていた。
『可能であればその指揮官は捕縛せよ。また、その建物には数名の村の女性もおり、その隣にも残りの女性が隔離されている。付近の爆発物の使用は許可出来ない。最大限の注意をはらって目標Vの敵部隊を排除せよ。』
「トラ01より本部へ、了解。これより行動に移る。」
小隊長はそう無線を切ると、双眼鏡を副小隊長へ返して、背後の小隊員へ指示する。
「聞いてたな?これからあの村にいる敵部隊を排除する。あの大きな建物には指揮官と民間人数人がおり、その隣の建物にも人質がいる。
我々はその民間人を回避しながらの交戦となる訳だ。つまり、最小限の銃撃が求められる。」
その言葉と共に小隊員達は一斉に頷く。それに満足した小隊長は再び無線機を起動させて別の小隊長へと繋ぐ。
「トラ01より02・03へ、村の状況は先の無線の通りだ。
01が先にある窪地まで進んで村に侵入する。02はその場で援護射撃を、交戦時に出てきた敵を排除してくれ。
03は我々の交戦と同時に村へと突入。」
『02、了解した。』
『03、こちらも了解。』
各小隊長の返答に彼は満足し、作戦を開始した。
村の境界線にある柵の内側を巡回する兵、更に各場所に周囲を警戒する歩哨がいる為、村の付近にある窪地まで01小隊は慎重に進んでいく。
度々柵の内側を歩く巡回兵だが、村の外は一面が麦畑であり、匍匐で移動する小隊達の姿を見つける事は無かった。
窪地まで無事に到着した01小隊のもとへ、高台で見張りをしていた02小隊より無線が入る。
『02より01へ、中央広場にいた敵が建物から民間人を連れ出している。』
見張っていた02小隊の目には、敵が村の中央広場に女性達を外に出している光景が映っていた。
「なに? 連中は何をしているんだ?」
『1列に並ばしている。多分、品定めをしているな…………いま敵が1人ずつ女の腕を掴んでそれぞれの家に入っていった。』
01の小隊長はその内容に怒りを覚えた。妻子を持つ彼としては到底許しがたい行為があの村で行われようとするのだから。
『中央広場に隣接する家に次々と連れ込んでいる。』
『つまり外周の建物は敵だけだろ?俺の小隊はいつでも行ける。』
「できる事なら最大限まで隠密でいきたい。まだ待て。」
小隊長はそう言うと無線を切って、窪地から頭を出して村を見る。
ここから見える歩哨は1人だけ。だが、柵の内側に立つため、背後からナイフ等で隠密で制圧するのは難しい。
そう判断した小隊長は腰ポケットから消音機 所謂サプレッサーを取り出して20式自動小銃に取り付ける。
最新の20式に対応するサプレッサーは問題なく装着出来、小隊長は柵の内側で周囲を見渡す歩哨に照準を向けて、小隊員に言う。
「周囲に巡回兵はいないな?」
「いません。先ほどの巡回からまだ経ってないので暫くはこないでしょう。」
その言葉に小隊長は息を吐いて、引き金を引いた。
空気が抜けたような音と同時に柵の内側にいた歩哨の頭部が一瞬にして弾けん飛んで倒れた。
「ここからは時間が命だ。村に入るぞ。」
小隊長の指示と同時に34名の小隊が村の柵を乗り越えて侵入を開始した。迅速に死体を隠して付近の建物の壁際に立つ。
『こちら02、灰色の建物両脇にある通路から2人組の敵が近付いて来てる。』
その知らせを受けた小隊はすぐに息を殺すと近くまで近付いていた2人組の会話が聞こえた。
「録な酒も無いとはシケた村だな。本当に貧相な場所だな。バリアン大陸は。」
「こんな端っこの大陸だぜ?当たり前だろ。期待するなら日本軍の拠点位だろ。腐っても列強なんだからマトモな物を置いてる筈だ。」
2人組の会話を聞いていた最も近い場所に立つ小隊員は持っていた20式自動小銃からナイフへと持ち構え始める。
そこへ小隊長がハンドサインで指示した。意味は『まだ待て。』である。
その間も2人組の会話が続く。
「早く日本人共を殺して故郷に帰りたいぜ。その前に日本人の女を一通りヤッてからか。ここまでの道中で女共の面を見たけど別嬪揃いだったもんなぁ。」
その言葉に一同は互いに顔を見合せ、彼等の会話に耳を傾ける。まさかという思いをのせて。
「確かに日本人の女は顔が整っているのが多いみたいだな? まさかお前ヤったのか?」
「いや、無理無理。大陸で捕まえた日本人共なんてすぐに後方に送られるからな。多分、大隊長クラスでも隠れてヤるのは無理じゃないか?」
「何だよ…………日本本土まで行けば俺等もヤれるのかな?」
「そんなの当たり前だろ。このまま順調に本土まで行けば、ドサクサに紛れてヤれるに決まってる。現にいまうちの隊長達がこの村の娘共とヤってるだろ?
あれと同じ感じで日本では良い思いが出来るから期待しといて損はないぜ。」
もうじきに2人組が通路から出てくる頃合いで、待機していた小隊員達のもとへ、小隊長が再びハンドサインをする。その意味は『殺すな』だ。
やがて建物両脇の通路から姿を表した2人組を、建物の壁際にギリギリまで隠れていた隊員達が複数人掛かりで押さえ付ける。
「そういうもんか…………っ!?」
一瞬にして身体中と口元を押さえられ、何も出来なくなった2人組は突然の出来事に混乱する。
隊員達は地面に抑え付けるとそこから姿を表した小隊長が2人組に声をかける。
「今からお前達に質問をする。だから静かに答えろ。少しでも騒げば…………分かるな?」
いきなり数十人の敵に囲まれ、小隊長の隣に立つ副小隊長がナイフをちらつかされた2人は今にも泣きそうな表情で勢いよく頷いた。
それを確認した小隊長は口元を抑えていた隊員を下がらて次々と拠点に関する質問をして、2人は静かに答えていった。
一通りの情報を集めた小隊長は最後に重要な質問をした。
「よし…………最後の質問だが、さっきお前等は日本人が後方に送られたと言っていたな?それは事実か?」
「そ、それは…………」
今さら口ごもる1人に隊員が抑えていた腕を強く曲げる。
「イタタタタっ!言います言います! はい!ここまでに占領した都市に日本人がいまして、ソイツ等は後方に送れと指示を受けました!」
「一体どこに送った?」
「多分リバーテです!詳しくは知らないですけどそこしか無いと思います!本当です!」
「た、助けてください!お願いします!」
これ以上の情報は無いのか、2人は命乞いをしてきた。小隊長は静かに言う。
「黙れ。」
これに2人は黙り込む。その目は既に涙を流して身体を震わしていた。下半身を地面に抑えていた隊員は手から湿り気を感じて反射的に抑えていた手をずらす。
「落とせ」
小隊長がそう指示する。2人は何の意味か分からず頭に?が思い浮かんだがすぐにそれどころでは無くなる。
「ぐぇ!」「ぎぃ!?」
上半身を抑えていた隊員が腕を首に回して締め上げたのだ。気道と血管が集中する首を絞められた2人は苦しそうな表情で意識を落とした。
気絶した2人を適当な場所に拘束した小隊は分隊単位で別れて村の東側を徐々に制圧していく。
時折、村の建物間を巡回する敵をナイフや消音機を取り付けた銃器で殺傷し、建物内にいるであろう敵には扉をノックして外におびき出してから始末し、そのノックに警戒してきた敵には反対側の開いた窓などから侵入して音を出さずに始末していく。
実に見事な手際と正確さで10棟の建物を制圧し終えた時、彼等の順調振りはそこで終えることとなる。
とある建物を制圧し終えた分隊の1つが次の建物を制圧しようと慎重に扉を開けた時、遠くを歩いていた敵とかち合った。
「っ!」
「?…………な!?」
敵は最初、ここに日本軍が居ると気付くのに遅れたがその数秒後に漸く気付いて持っていた小銃を構えだす。
扉を開けた隊員も覚悟は決めていたがそれでも突然の敵との遭遇に固まってしまい、その異常を察知した後ろの分隊長が速やかに彼を引っ張って建物内に引き込む。それとほぼ同じくして、村から1発の銃声が響いた。
『こちら02!銃声が聞こえたが無事か!?』
小隊長の無線機から待機していた小隊長の無線が入る。
「01、別の分隊で見つかったようだ。02と03は作戦通りに頼んだ!」
『了解!』
無線を終えると再び村の何処からか銃声が鳴り響いた。それも複数発、連続でだ。
「場所的に伊能の分隊だな。ここからは銃撃戦に移行する。各員、気を引き締めろ。」
小隊長の言葉にこの場の小隊員は応える。それと同時に彼等のいる建物の窓から敵が慌てた様子で別の建物から外へと出てくる様子が見えた。
すかさず小隊長が窓から20式自動小銃を飛び出すように構えて発砲する。
「伊能分隊と合流する!一気に外へ出ろ!」
扉に立っていた同僚が分隊長の手によって建物に引き込まれたと同時に外から銃弾が飛んできた。
目の前で同僚が後ろ向きで倒れる。最初は襟首を掴んで引っ張られた慣性で倒れたと思ったが床に広がる血溜まりと血の臭いで、それだけが理由では無いと察した。
「吉城が撃たれた!板東は小隊に報告!白木は吉城の容態を確認だ!残りは窓に張り付いて敵を撃て!22時方向に敵だ!」
分隊長がテキパキと指示をする。それに分隊員は一斉に動く。すると外から罵声に等しい声が聞こえる。
『敵襲だ!日本軍共が侵入してるぞ!!』
「糞っ!吉城の容態は!?」
分隊長の声に板東が応える。
「脚に当たっていて出血が激しいです!恐らくは大動脈を傷付けたかと……」
そう言う板東の手は吉城の太股付近をガーゼを挟んで強く抑えていたが、傷口と思わしき場所からは尚も血が滲み出ていた。既に床一面に血溜まりは形成され、最悪の場合は出血死の可能性もある。板東はもう片方の手でバックパックからリンゲル液の入った袋を取り出して吉城の腕へと針を刺して点滴のように注入していく。
それを見た分隊長はすぐさま無線で小隊長に報告する。
「こちら伊能分隊。敵に発見され、現在交戦中! 吉城が被弾しており出血が激しい!」
『了解。すぐに衛生兵を連れてそっちへ向かう。伊能分隊はそこから動くな。』
「了解…………吉城、意識はあるな?」
「は、はい…………身体が痺れてきてますが…………」
分隊長の問いに吉城は掠れた声で応える。そこへ窓に張り付いていた隊員の声が響く。
「3時方向より敵複数!」
「12時方向からも向かってきます!」
その報告に分隊長は窓へと振り向く。各方向を見れば、鉄帽を被ってボルトアクション式の小銃を手に、全速力で向かってくる敵の姿が見えた。
「この持ち場を守れ!すぐに小隊長等が戻ってくる!」
分隊長の言葉に分隊員等は勢い良く応える。
この村の村長のものだった家で気に入った村娘とお楽しみ中であったガーハンス鬼神国軍の指揮官は突然の銃声に驚く。
「何だ!?」
ベッドの上で尚も抵抗する村娘の両腕を片手で掴んでいた上裸の指揮官は荒々しく立ち上がる。
そこへ家の外で待機していた部下が勢い良く扉を開けて入ってきた。
「失礼します!隊長! 拠点に日本軍が侵入してきました!」
「何だと!…………敵の方角は!?」
掛けてあった軍服のボタンを急いでかける指揮官の問いに部下は答える。
「はっ!東側からです!」
「よし分かった!直ちに第2小隊を向かわせて殺せ!」
折角の性の発散機会を奪われた指揮官は苛立ちを胸に抱いてそう命令し、自身も机に置いてあった小銃を持って外へと出た。
「日本軍め!小癪にも私の拠点に侵入するとはふざけた事をする! 奴等を1人残らず殺して今夜は宴だ! 容赦するな!」
広場に待機していた部下達にそう命令するが、そこへ先程とは別の部下が報告にきた。その表情は酷く焦っている。
「隊長!西側からも敵襲です!小隊規模の日本軍が侵入してきました!」
「ぐっ!反対側からもきたか…………貴様等は西側の日本軍を迎え撃て!一刻も早く奴等を血祭りにあげて…………!!」
指揮官はそう怒鳴るように指示を出すが、その時、彼の頭部を銃弾が飛来して脳漿を地面にぶちまける。
「そ、狙撃だ!」
近くにいた部下が後退るが、その彼の胴体にも銃弾が命中して倒れ、広場にいた兵士達は慌てて小銃を周囲へ構えて、まだ広場に並べさせられていた女性達は悲鳴をあげながらその場で伏せる。
「きゃああ!」
「女共を黙らせろ!目障りだ!」
「あっちの方向から音がしたぞ!誰か撃ち殺せ!」
近くの遮蔽物に身を隠した彼等は反撃の体制を整えて身体を停車中のトラック等の遮蔽物から出して撃たれた方角へと銃口を向けた。
だがその直後、日本側の機関銃による弾幕が彼等を襲う。
1発毎に手動で装填する必要のあるボルトアクション式の彼等では、全員が連射可能な数十丁のアサルトライフルと何丁もの機関銃を保有する日本国防軍からでは、圧倒的な差があった。更に日本側は村全体を見下ろせる高台を陣地にしており、更に有利な状況となっていた。
「奴等、あの丘から撃ってきてやがる!」
「誰か回り込んで奴等を黙らせろ!」
撃ち抜かれた同胞の死体を横に、生き残りの兵士達は遮蔽物に隠れるが、そこへ西側の敵と戦っていた同僚達が戻ってきた。
「助けてくれ!アイツ等装備が違い過ぎる!」
そう悲痛な叫びをあげて戻ってきた同僚達に対して罵声をあげた。
「馬鹿野郎共!日本軍相手になにやってんだ!?」
「みんな殺られちまった!奴等、桁違いに強いんだ!助けてくれ!」
そう情けない声を上げる彼等に再び罵声をあげようとしたが、その背後から現れた隊員が20式自動小銃で次々と背中を撃ち抜く。
「新手だ!」
逃げてきた同僚等の背後に立つ建物の影から現れた日本軍の隊員を発見した広場の仲間がそう周囲に知らせるように言う。
その声に他の者達も気付くが、数百m離れた丘の上から狙い撃ちをしてくる別の隊員達への牽制射撃の前に動くことが出来ずにいた。
『02より03へ、広場の敵は停車中のトラックの影に隠れている。また、中央付近に民間人も多数混ざっているため注意しろ。』
「了解。引き続き援護を頼む。」
02小隊が丘の上から援護をする隙に西側より侵入を果たした03小隊はその勢いで広場の敷地内へと入る。
その時、広場に停車中のトラック等の遮蔽物から身を出して発砲してくる敵を発見する。
すかさず03小隊の前衛にいた隊員が20式自動小銃を発砲する。弾倉1個分を撃ち尽くすと一声上げる。
「装填する!」
空になった弾倉を捨てて防弾チョッキのポケットから満杯の弾倉を取り出して装填した時、別の場所にいた隊員が叫ぶ。
「右側に民間人!誤射に気を付けろ!」
その方向を見れば広場中央に植えられた大木の根元付近に怯えた様子で固まっている女性達がいた。彼女等が生き残りの村人なのだろう。
「野治分隊はこのまま奴等と対峙しろ!岩木分隊は彼女等の保護だ!済藤分隊は01小隊と合流を急げ!」
小隊長の指示に、03小隊は分隊単位で別れて行動した。
1個分隊は今も遠方で援護射撃を続ける02小隊の支援のもと、一気に広場の敵との距離を近付けた。
広場の敷地内へと入るとそのまま10台程度の停車していたトラックの影へと入る。敵側が壁としているトラックとはあと数台先の位置にいた。
敵が1発撃ってその都度装填をしていく。隊員達はその隙をついて確実に距離を狭めていく。
互いの距離が縮まるに連れて敵側は広場中央で固まる村娘達の事など気にする余裕が無くなっていた。
岩木分隊はそのタイミングで一気に彼女等の元まで走る。
やがて彼女等と会話が出来るほどまで近付くが、彼女等は怯えきった様子で叫ぶ。
「いやあぁ!来ないで!」
「どうか殺さないで下さい!」
そう両手を自身の顔の前に付き出して必死の表情で懇願する彼女等に岩木分隊の隊員達は落ち着くように静かに言う。
「落ち着いて。我々は通報を受けて救助にきました。ゆっくり息をして。」
その言葉に彼女等も少しばかりの落ち着きを取り戻して互いに顔を見合せる。まだ信頼は出来ないが、これまでの兵士達と違う様子に躊躇が生まれていたのだ。
そこへ彼女等の1人が隊員達の肩に付けられた国旗を見て言う。
「その赤い丸…………ひょっとしてニホン人ですか?」
その声に隊員は顔を頷いた。
「えぇ。そうです。我々は日本国防軍…………いや、日本の兵士です。君達を保護します。」
それに彼女等からある程度の信用を得たのか、ゆっくりと座り込んでいた身体を起こして立ち上がる。
そんな彼女等を隊員達は守るように囲んで動く。
「このまま広場から脱する!建物からの銃撃に備えろ!」
そう周囲を警戒しつつ、広場から脱しようとする隊員達の背中へ1人の村娘が声をかけた。
「あ、あの!サリナとリナ達がまだ向こうに連れてこられていまして!」
その知らせに、分隊長である岩木が応える。
「安心しろ。全員救出する。今は自分達の身の安全を考えろ。敵はまだいるんだ。」
冷たく鋭い声に彼女達は思わず息を呑んだ。
時間が経つにつれて、広場に隠れるガーハンス鬼神国兵からの攻撃が徐々に散発的になってきていた。
恐らくは彼等の持つ弾薬の手持ちが厳しくなってきたのだろう。正確に言えば壁にしているトラックの荷台には掃いて捨てる程の量があるには違いないだろうが、悠長にそこから取る程の隙を隊員達が与える筈がない。
「一気に突入するぞ!吉田と笹木はカバーしろ!」
分隊長の指示に、突入を覚悟した隊員達は持ち回りの良い9mm拳銃へと取り替えた。
そしていざ敵が隠れているであろうトラックへと回り込もうとしたその時、そのトラック側から敵の声が聞こえた。
「ま、待ってくれ!降参する!頼むからもう撃たないでくれ!」
そう声が投降する内容の聞こえるとガーハンス鬼神国兵は次々と武器を捨てて両手を上げてトラックの影からでてきた。
「そこで止まれ!両手はそのまま上げて動くな!」
隊員達はそれでも油断の隙を一切見せずに銃口を彼等に向けたまま近付く。
そんな隊員達の鋭い視線と声を前にまだ若いガーハンス鬼神国兵達は懇願の声を出し続けた。
「頼む!撃たないでくれ!本当に反抗するつもりなんて無いんだ!信じてくれ!」
「黙ってろ!」
彼等の叫びにも近い声にも隊員達は聞き耳をたてつつ、数人1組で確実に1人ずつ投降したガーハンス鬼神国兵を拘束していく。
「分隊長、広場に投降した15名の拘束が完了しました。」
やがて投降したガーハンス鬼神国兵の拘束を終えて、人数を数えた後に分隊長へと報告した。
それを聞いた分隊長は小隊長へと赴く。
「小隊長。ガーハンス兵の拘束が完了しました。投降した数は15です。」
分隊長の報告に、小隊長は1列に並べられていく捕虜となった彼等を見る。
「そうか。一先ずはそこの中央の大木に集めろ。制圧が完了次第に本部まで撤収だ。トラックの回収も忘れるなよ。」
「はっ。」
小隊長の指示に分隊長は敬礼してその場から離れる。そのタイミングで村の東側で交戦中の01小隊に向かった済藤分隊から無線が入る。
『済藤分隊より小隊長へ、01小隊との合流!敵は東北側の建物まで後退して抵抗を続けています!』
「小隊長より済藤へ、負傷者の容態は?」
『出血は激しいものの、意識のやり取りはあり。速やかに担架で移送します。』
「小隊長より了解。我々も急行する。」
小隊長はそう言うと小隊長間の周波数で無線を起動させて高台で援護射撃を担っていた02小隊の小隊長へ繋ぐ。
「02、敵の残存部隊は東北以外で確認できるか?」
『いいや、全体を見通してもそれらしき存在は確認できない。さっきまでの銃撃音であらかた集まっていたんだろう。他に民間人らしき者も確認できないから、ドローンの使用許可を本部に要請するか?』
「あぁ、頼む。」
『了解…………トラ隊より本部へ、目標Vの大部分の制圧が完了。民間人の保護も終えており、攻撃ドローンの使用許可を求む。』
本部からの返答はすぐにきた。
『本部よりトラ隊へ、上空から確認している…………だが北東の倉庫付近に3人の民間人を確認している。爆発物が主武器のドローンの使用許可は出せない。現状の武装で解決せよ。』
『トラ隊より本部へ、その民間人は確かなのか?勘違いで危険は侵したくない。』
『本部よりトラ隊へ、村民の衣服の着用を確認している。遺憾ながら攻撃ドローンの許可は出せない。民間人への被害が出る可能性がある以上は許可出来ない。』
『トラ隊より本部へ…………了解した。現有の武装で対応する…………だそうだ。我々も場所を移動して最大限援護する。』
「了解した。」
小隊長はそう言うと無線を切って動かせる戦力を選出して広場から出た。
奇襲に等しい日本軍からの攻撃に村を制圧していたガーハンス鬼神国兵は村の端まで追い詰められていた。
村の北東側には本来、周囲の畑から収穫した穀物類を保管する為の倉庫が並んでおり、生き残りのガーハンス鬼神国兵、52名以下3名の村民が持ち堪えていた。
「あの倉庫の脇にバリケードをおけ!それと後方の連絡を急いでとれ!このままでは全滅すふぞ!」
生き残っていた部隊の副官が周囲の部下へと指示するが、そんな彼等の動きは堅い。突然の事態の悪化に彼等はそれを受け入れるのに遅れていたのだ。
動きの悪い彼等の背中を蹴り上げるように副官が怒鳴った。それに倉庫の端に放置されるように座り込む3人の村娘は互いに身を寄せあって震えた。
「貴様等、今の状況が分かっているのか!死にたくなければさっさと動け!」
先任指揮官となった副官はそう部下達を暴力で鼓舞する。それと同時に日本側からの連続の発砲音が彼等の耳を刺激させる。
「臆するな!ここには弾薬と武器が備蓄されている!援軍が来るまで充分に持ち堪えれる!」
副官はそう言って先ほど倉庫から引っ張り出してきた弾薬箱を叩く。
そこへ日本側は今度は拡声器を使って投降を呼び掛ける。
『ガーハンス鬼神国兵に告げる!諸君等は包囲されており、指揮官も戦死したのを確認している!既にこの村の大部分は我々が確保した!
これ以上の抵抗は無意味である!だが我々は諸君等の健闘を讃える!いま投降すれば諸君等の身の安全を保証する!
つい先ほど広場にいた諸君等の同胞も我々に武器を預けて投降した!
いま諸君等が武器を捨てても何の恥ではない!』
日本側による降伏勧告。これに抗戦体制を整えていた彼等は一瞬動きを止めた。しかしすぐに副官が再び1人の背中を蹴る。
「貴様等!まさか降伏等という恥知らずな事を考えてないだろうか!?
上位列強が1つ、我がガーハンス鬼神国軍が敵国に降伏なぞ決してあってはならぬことだ!
我がガーハンス鬼神国が負ける事など有り得ない!援軍が来るまで持ち堪えれば我々の勝利である!さぁ動け!」
その罵声にも等しい命令に彼等は再び震えた動きで抗戦態勢を整える。しかし訓練通りの動きを取り戻すにはまだ時が必要としていた。
だがそれを日本側が悠長に待つ事は無かった。
「小隊長、降伏勧告に応じません。」
拡声器を持って勧告をしていた隊員が後ろの小隊長に言う。
「再三の勧告をしたいところだが、これ以上相手に時間を与える訳にはいかんな…………やむを得ん、狙撃手、屋根から指揮官を狙えるか?」
小隊長は付近の建物の屋根に登った狙撃手に無線で問う。返答は返ってくるがその内容は彼の期待に反するものであった。
『駄目です。射線が合いません。バリケードを構築中の兵士なら狙えます。』
「そうか…………仕方ない。30秒後に攻撃を再開する。各員時計合わせ!」
小隊長の指示に各隊員が腕時計のボタンに指をかける。
「5.4.3.2.……合わせよし!散会しろ。」
小隊長の指示に隊員達が一斉に攻撃に最適な場所へかける。
そして所定の時間に達した時、屋根にいた狙撃手の発砲音がなり、それを合図にして地上に待機していた隊員達も動く。
隊員の1人がガーハンス鬼神国兵がバリケードを構築していた通路へと進む。そこは既に先の狙撃で倒れた敵が見え、腰の高さ程度までに作られた板張りのバリケードを血で汚していた。
「陣地へ入る。カバーしろ。」
先頭にいた隊員が後ろを追従する同僚へ言う。彼は機関銃を手に早足で陣地へと片足を踏み込んだ。
するとすぐに陣地奥の倉庫の影に隠れていた数名の敵からの銃撃をくらう。
「11時方向に3!」
先頭にいた隊員はすぐに近くの影へと身を隠して敵の所在と人数を後ろの仲間へ知らせる。
「援護する。」
瞬時に真後ろにいた同僚がバリケードに片足を乗せて機関銃をその方角へ撃ち込む。彼の後方にいた数名はその隙に次々と陣地へと入っていく。
訓練通りの良い動きを彼等は実戦でも遺憾無く発揮出来た。仮に教導官がこの場にいれば間違いなく評価欄に『可』と記載していたであろう。
『羽生班、右側から入る。誤射に注意しろ。』
隊員間の無線からそう入る。それと同時に突入した彼等の右側の通路から別の班も入ってくるのを目視する。
「奥の倉庫に3を確認!更に奥側からも気配あり!」
「了解!右側より迂回する。援護頼む!」
先頭にいた隊員達2人が手短に情報を共有し、後から入ってきた班はそのまま迂回するように動いた。
「敵を撃破!このまま前進する!」
その間に倉庫にいた3人の敵を撃破したようで彼もすぐにその場から移動した。
3人の死体を踏み越えて倉庫に侵入して中を制圧する隊員達。しかし内部は運び込まれた山積みの木箱だけで敵兵はいなかった。
「クリア!次に移動する。」
短く言って倉庫から出る。出たタイミングで後続の班が続々と陣地へ入ってきたのを見た。
『こちら狙撃班、敵は奥側の倉庫群へと後退中。』
『民間人は何処にいる?』
屋根にいた狙撃手と小隊長のやり取りが聞こえる。
『民間人は奥の倉庫群におり、いまだ付近に敵兵がいます。彼女等に構っている余裕は無いようで置物同然です。』
『指揮官の狙撃は可能か?』
『スコープに収めましたが、動きが激しく当てるのは困難です。』
『それで構わん。指揮官を黙らせろ。』
『了解。やってみます。』
最後の陣地としていた倉庫群の奥へと徐々に後退していくガーハンス鬼神国兵、副官の予想を超える敵の強さに焦りが限界まできていた彼はいまも動きの鈍い部下達を暴力で鼓舞する。
「これ以上の後退は出来ん!ここで何としてでも持ち堪えろ!一歩でも下がる者がいればソイツは鬼神国に有らず!射殺されると思え!」
副官はそういうと持っていた拳銃を上空に空撃ちしてこれが威しではないと警告した。
「降伏は認めず!我が隊は援軍の到着までここで戦い抜くのだ!」
そう部下と自分自身を鼓舞するために声高らかに言う副官をスコープの照準に合わせる狙撃手。
ガーハンス鬼神国の兵卒を蹴って動き回る男を狙撃手は照準を定めるのに困難を極めたが、彼は何とかタイミングを合わして引き金を引いた。
M24 SWS狙撃銃の銃口から7.62mm弾が弾道を描いて倉庫群の奥にいる副官へと向かうが、その銃弾は男の耳を掠るに留めた。
「糞っ、狙撃手、外しました!」
狙撃手はすぐにボルトを引いて次弾装填をするがその間に耳から出血した箇所を抑えて射線から逃げてしまった。
「っ、小隊長。目標が視界から外れました!」
『落ち着け。敵全体の動きに変化は?』
「目標が離れて動揺が広がってます。」
狙撃手のスコープからは、指揮をしていた男が奥に隠れてしまった事により下がっていった方向を何度も振り返って動きを止めている兵達の姿が見えていた。
『民間人はまだ放置か?』
「はい。一番左側倉庫の壁際に身を寄せあってます。」
『了解した。これから一気に突入する。お前は民間人付近の敵を一掃しろ。』
「り、了解。」
狙撃手はもうミスはしないと決意して、次の目標を定め再び発砲する。
それと同時に味方が一気に崩壊寸前であった敵の防衛線を突破して動揺の収まらない敵兵を次々と撃ち倒していく。
まだ感じる耳の痛みに汗を流しつつも、明確な命の危機を感じ取った副官は息も絶え絶えに、最後に残された自軍の陣地奥へと走る。
「こんなの私が望んだ戦いではない!」
そう自分に言い聞かせるように彼は叫ぶ。彼が思い描いた戦いとは、自軍の誇る精鋭達を前に逃げる事しか出来ない貧弱な日本軍を蹂躙して日本兵の死体の道を進み行く栄光の歴史を築きあげていく勇敢な自身と指揮するその部下達、歴戦の名指揮官としてその名を刻む筈が、気付けば、逃げてるのは自分であり、手駒である筈の部下達は全く言う通りに動かずほぼ全滅しかかっている有り様であった。
「ふざけるな!こんなの……絶対におかしい!なぜ私がこんな目に!」
援軍さえ来れば、あんな奴等など一捻りだ。そう副官は続けて言うが、彼が走っていくその先は村の外周にある柵があった。
いつの間にか自身はそのまで逃げていたのだ。
このままでは敵前逃亡となってしまう。それでは不味い。何とか生き残りの部下を見つけて反撃しなくてはならない。
そう男が考えていた時、柵の向こう側からあの日本兵が突如として麦畑から現れた。高台で援護していた02小隊であった。
「な!?」
突然の出現に男は驚愕するが、相対する日本兵はその手に持つ小銃をこちらに構えて冷淡な声で言う。
「両手を上げて跪け。」
「少しでも不審な動きをしてみろ! すぐに蜂の巣にしてやる!」
一瞬で半包囲されてしまった彼は少しずつ後退するしか出来なかったが、すぐに再び日本兵から怒鳴りに等しい声を出してくる。
「動くな!次動けば発砲する!」
その声に男は止まるものの、腰に下げた拳銃の存在に気付く。
もしここで投降した場合、やがて味方がこの日本軍を撃破して救助された際に、自身がこれまで必死に築き上げてきた軍歴が崩壊すると考える。
「そうだ…………ここで降伏なんて認められない…………こんな奴等に…………私が…………有り得ない」
「おい!聞こえているのか!早く両手を上げて…………」
男が虚ろな瞳で独り言を呟く姿に隊員達はいよいよ警戒を最大限に引き上げる。
「奴は正気じゃない…………少しでも腰の拳銃に手を出したら撃て。」
小隊長の小さな言葉に隊員達は頷き、少しずつ距離を狭める。
「じ、冗談じゃない!貴様等なぞに私の未来を奪われてたまるか!」
突然、男はそう叫んで腰の拳銃へと手を伸ばした。半包囲していた隊員達は即座に構えていた20式自動小銃を発砲。囲んでいた副官を文字通り蜂の巣にした。
地面の一部を赤黒い血溜まりと肉片に染まった箇所を小隊長は見て隊員達に告げる。
「………排除を確認。このまま敵の背後へいくぞ。」
その後、最後に抵抗していたガーハンス鬼神国兵は指揮官の不在により投降を決断。
ガーハンス鬼神国軍が設営していた補給拠点は3個小隊の日本軍への強襲を受けて、100名以上の被害と40名の捕虜及び1個大隊分の物資を喪失した。
同大陸 ハマ山岳
「貴戸大佐!」
ノル・チェジニ軍港から第3戦闘団本部へと戻った貴戸大佐の元へ戦闘団本部の要員が駆け寄る。
「状況は?」
「はっ。先ほど敵が設営途中であった補給拠点を第12普通科大隊の部隊が攻撃をし、これを破壊しました。その際に拠点となっていた現地の民間人を保護しております。
ただ現場にいた部隊より緊急の報告がきております。」
「緊急だと?一体なんだ?」
「はっ、どうやらこの大陸にいた日本国籍の民間人が幾名かが敵に捕らわれ、敵の本拠地リバーテまで移送されたと捕虜からの調査で判明しました。」
「何?まだ大陸にいたのか? 確か渡航名簿では全員の所在が判明した筈だが………」
貴戸大佐はそう疑問に思う。外務省が作成したバリアン大陸の渡航者名簿では現時点で全員の所在が把握しているのだ。
救出に成功した者もいるが、中には間に合わずに死亡を確認し、死体も回収出来た者、残念ながらそれすら出来なかった者もいるが、その名簿に記載された人物は全員が確認がとれている。
「まだ裏は取れていませんが、恐らくは密入国です。輸送船等の貨物に隠れて各大陸に密航していると言うのは他でも確認できてます。」
「密入国だと…………全く余計な手間をとらせる。」
彼の言葉に貴戸大佐は息を吐く。念願の異世界の大陸を一目見ようと、まだ安全の保証出来ない大陸や島に国の許可を取ってない民間人が興味本位で密航する者は毎年のように出ており、検挙されているがそれでもあの手この手で密航に成功する者も一定数いた。
どうやら今回連れていかれたのはそういった類いの者であろう。
「すぐに師団長へ報告せねば。場合によってはこちら側で得た捕虜と交換という方法でいくしかない。」
まず交渉で返還は不可能と貴戸大佐は判断する。
貴戸大佐は後ろの部下へと連絡をとるように言うがそのタイミングで貴戸大佐等のもとに次なる報告が無線によって知らされる。
『ツバサ隊より本部へ、リュート森林よりガーハンス鬼神国軍の進攻を確認。同軍は師団規模であり、大隊単位に別れてハルバ平原へと進軍中。ハルバ平原付近の部隊は速やかに迎撃態勢を整えよ。』
リュート森林。いま貴戸大佐等が本部としているハマ山岳の北東部に位置する森林地帯であり、ハルバ平原はハマ山岳とリュート森林の間にある場所だ。
しかしこの地域に師団規模の部隊が使えるような整備された街道は存在せず、こちら側の虚を付こうとの考えだろう。
貴戸大佐は瞬時に戦闘モードに思考を切り替える。
「まったく西部もキナ臭いというのに…………後方から来る第6戦闘団に連絡しろ。我々は北部と西部の対応をする各戦闘団の支援を行う。」
「了解!」
貴戸大佐の指示にこの場にいた要員達が動く。彼自身もすぐに部隊の指揮所へと急いだ。
バリアン大陸 西部戦線
ジュニバール帝王国軍側
激戦の痕跡が未だに残る街道の爆発穴を第29・48師団の残存部隊は進む。
急拵えで再編成された戦闘部隊は臨時混成師団指揮官 スロイス准将の指揮のもと、彼等はかつての地獄を産み出した戦地へと舞い戻った。
しかし彼等の表情は暗く、その足取りも重かった。例え身体が癒えようとも、その精神は、自信に溢れた自分を戦友達を無慈悲に砕いた日本軍の猛攻撃は数週間程度では決して癒してはくれなかった。
書面上は2個師団。だが度重なる激戦と都市マロナイナに残した負傷兵等を除けば、実際の戦力は3個旅団と2個旅団程度に過ぎなかった。
更に士官及び下士官は本来必要な人数の2割以下しか存在せず、これで組織的な軍事作戦を実行するのは不可能だと誰の目で見ても明らかであった。
その無慈悲な実態を僅かな士官達でなくとも兵卒でも理解していた。それを知っていても彼等は進む。進むしか無いのだ。逆らえば敵前逃亡としてより苛烈な作戦に従事させられるだけだと理解している。
そんな最悪な士気で臨時混成師団 師団長スロイス准将は部隊に停止命令を出した。
「ここで止まれ。」
馬に乗るスロイス大佐の指示にその背後を進んでいた副官及びカーネル上級軍曹は怪奇な表情をした。
「大佐……准将閣下。まだ日本軍のいる戦線までは距離がありますが?」
「それは分かっている…………我が軍はここで全体の再編成を行う。このまま突進しては先の二の舞だ。それだけは回避したい。」
「それは…………ごもっともですが、司令部は納得しないかと。」
カーネル上級軍曹は言いにくそうに発言する。しかしスロイス准将は意思を変えない。
「カーネル。この師団の指揮官は私だ…………それに司令部には根回しをした。」
「根回しですか?いったいいつ頃に?それに一体どなたへ?」
「デリックだ。私の学友であり戦友でもある。司令部には彼の父親派閥の者も多い。それに最近になって司令部の諜報部の人間との面識を持っていてな。」
スロイス准将はバルソンスール大尉の顔を思い返す。それに副官が納得した。
「第55師団のデリック中佐殿ですか。確かにあの方の父君は陸軍近衛団 大将閣下です。あの方が動いて下されば以下に名門ジョスブン家のジルヒリン議員でも下手な事は出来ません。」
副官はそう言って微かに希望の光が見えたのを認識した。
「しかし准将閣下。再編成には賛成ですがその後は? それだけではあの日本軍相手には不十分です。何か策があるのですか?」
「策と言うよりかは、方針だな。我々はこれよりこの先に広がる森林地帯に拠点を設置する。」
スロイス准将はそう言うと視線の遥か先に広がる広大な森林地帯を指差す。
先の激戦地から少し手前に位置する森林地帯。背の高い木々が一帯を支配し、昼間でも中は影が多くを占める深い森にスロイス准将は活路を見いだした。
「日本軍の脅威であるあの小型無人機。あの森林であれば多少の動きに制限をかけれる筈だ。少なくともこんな拓けた場所と比べれば格段に生存率は高まる。
あそこを本拠地として徐々に日本軍に圧力をかけるのだ。後続から来る主力部隊の補給拠点としても使える。総司令部にはデリック達がそう支持してくれるさ。」
「成る程。確かに一理ありますね………」
カーネル上級軍曹はそこで口ごもった。しかしスロイス准将はそんな彼の意図を汲む。
「まだ弱い。と言った具合だな。」
「っ!失礼しました!私はただ…………」
「良い。それに安心した。貴官も同じ考えだとな。あの場には拠点を造るが、地下室も平行して造らせる。」
「地下室ですか?」
「そうだ。あの森林地帯の各所に拠点を配置して敵からの爆撃を凌ぐだけの深さの地下を掘り、更にその拠点間をトンネルで繋げるんだ。」
「っ!それならばあの攻撃を…………ただ、それだけの規模となりますとかなりの人手と時間を食らいます。」
「無論。これはあくまでも最終的な形だ。トンネルとはいかずとも身体全体を隠せるだけの塹壕を放射線状に張り巡らせて部隊間の移動及び連携を密にする。
カーネル。貴官は連隊を率いてその構築に当たれ。必要であれば現地の人間を徴用するのも許可する。」
スロイス准将の命令に副官とカーネル上級軍曹は目を見開く。
「准将閣下…………それは…………」
「カーネル。師団長権限及び指揮官不足の状況を考え、本日より貴官を大佐へ任命する。
我が師団を、我が軍を、我が国を勝利へ導け。」
「は、拝命しました。私、カーネル大佐、この命を掛けてもこの任務に尽力を尽くします!」
カーネル大佐の言葉にスロイス准将は頷き、遥か西にいる日本軍へと彼は振り向いた。
ジュニバール帝王国の若き将官は確実に日本軍の姿を見いだしていた。
日本国防軍 第2戦闘団 駐屯都市
貴戸大佐と同じくノル・チェジニ軍港から戻った池田大佐が留守を守っていた坂部からの報告を受けた。
「なぁに?連中の進軍が停止しただ?どこで止まった。」
「こちらです。」
坂部はそう言うと印の付けられた地図を手渡し、池田大佐はその地点を見て眉を険しく傾けた。
「ちっ……厄介だな。俺等が手出し出来ないギリギリの境界線か。」
「敵はこちら側の内情を把握していると?」
「現時点ではただの偶然か分からんな。奴等が怖じ気づいたなら、まだ良いが…………あの若僧が居やがるのか?」
池田大佐の言葉に坂部は疑問気に首を傾ける。しかし池田大佐は無視して続けた。
「戦闘団が増えた以上。それを維持するための物資消費量も格段に増えた。この規模の部隊を撃滅するには大部隊を使いたいが、物資が足りねぇ。」
「攻撃ドローンを主力とした攻撃部隊はいつでも出撃可能です。ただこの森林地帯は他よりも森が深く、信号が通らない可能性があります。付近に新たな電波中継拠点を設置するべきかと。」
「対地ミサイルの発射陣地も増設させろ。あそこを一大拠点にされたらたまったもんじゃねぇ。」
2人がそう今後の展開について話していると彼等の前に1人の隊員が現れ敬礼をした。池田大佐は彼の顔を見てニヤリと笑った。
「おぉ、お前か。怪我はもう良いのか?」
「はっ、問題ありません池田大佐殿。」
隊員はそう言うと敬礼を解いて真っ直ぐと池田大佐を見る。
「第4偵察大隊中隊長 喜藤一嘉大尉 本日より第2戦闘団へ移団となりました。」
そうカーネル大佐に撃たれた肩が完治した喜藤大尉は言った。
「おう、結構結構…………どうやらお前さんの獲物は生きてるみたいだぜ?」
「それはどこの情報からですか?池田大佐殿」
「勘だ。だが、俺の勘は良く当たるぜ。それはお前も良く知ってんだろ?」
「…………」
喜藤大尉の試すような視線にも池田大佐は全く意に返さなかった。
「1つ警告だ。俺の戦闘団に入った以上は俺の命令に従え。お前に冷静な判断が出来ないと判断すれば俺は出撃を許可しない。分かるな?」
池田大佐は喜藤大尉の肩に手を置いて言う。
「仰っている意味が分かりません。」
「惚けるなよ。お前さん…………あの若僧共を忘れられないんだろ?その目が物語ってるぜ。」
池田大佐は覗き込むように視線を合わせる。それに喜藤大尉は目を逸らした。
「まぁ、頑張んな。近いうちにお前に任務を渡す。それまではお利光さんにしてろ。」
池田大佐はそう言うと坂部を連れて離れた。喜藤大尉はただ力強く拳を握り締めていた。




