第85話 前進と転進
第85話 前進と転進
ジュミルノ半島 都市リバーテ
連合軍総司令部
「・・・バイート少将等との連絡が途絶えた?」
総司令部の屋敷にある庭園で紅茶を嗜んでいた若き司令官であるジルヒリン議員もとへ高級参謀からそう報告がきた。
「はっ、数日前よりセンゲル平野に駐屯するバイート少将以下すべての部隊からの連絡が途絶えました。」
「全ての部隊にだと・・・叔父殿の部隊にも連絡がとれんのか? 何かあったというのか?」
その内容の報告にジルヒリン議員は持っていたカップをテーブルの上に置いた。
2個旅団規模の部隊からの連絡が突如として途絶えるなんぞ明らかに異常事態だと考えても良いだろう。
しかしジルヒリン議員の心配はバイート少将等の部隊ではなく自身の親戚であるロモルディ大佐に対しての言葉だった。
「恐らくはこの大陸特有の魔力嵐による可能性が高いです。 上陸した当初も小規模ですが、同じような現象が起きておりました。」
それにジルヒリン議員は整えられた指先で艶のある前髪を撫でるように触る。
魔力嵐・・・大陸下には魔力流と呼ばれる膨大な魔力が流れておりそれらの一部が地表上に出現することで魔法の発動に著しい影響を及ぼす自然現象を魔力嵐と呼ぶ。
それ事態は大して珍しくもない現象ではあったが、数千のもの部隊の連絡を途絶えさせる程の魔力嵐はかなり事例が少ない。
幾つかの疑問は晴れないものの、それ以外に挙げられる理由も出ないのでジルヒリン議員は取り敢えずそれで納得する。
「ふむ……わかった。バイート少将からの連絡が来たら知らせろ。」
彼はそう言い終えると片手をヒラヒラと振った。意図を察した高級参謀は無音でその場から下がった。
庭園で1人だけとなったジルヒリン議員は、再びカップを手に持って紅茶を嗜みつつ思考を巡らせた。しかし表情はその整った眉を僅かに傾けていた。
作戦の進捗状況としては芳しくない。それが現在この大陸に存在する上位列強連合軍の最高指揮権を持つ1人である彼はそう評価した。
(……あの老害がっ!…………これだから根っからの軍人な嫌なんだ。)
もう1人の最高指揮権を保有するガーハンス鬼神国の老将 ボーン中将に対して負の感情を向けた。
思わずカップを握る手に力が入りカップ中に入っていた紅茶が揺れる。
カップ内に入っていた紅茶があと少しで零れそうなタイミングで彼は気付き、軽い呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻してカップを再びテーブルの上に静かに置いた。
僅かに荒ぶった気持ちを切り換える為に大陸中からかき集めたであろう多種多様の植物をゆっくりと見渡していると、この都市リバーテの上空を飛行する戦闘機が目に映った。
上空には我らがジュニバールが誇る帝王国空軍の主力機であるアブターⅡ戦闘機が編隊を組んで空を舞う。
その堂々たる姿はジュニバール人ならば誰もがその威容溢れる光景に心が熱くなるに違いない。
事実、ジュニバール帝王国内でも有数の名家出身であるジルヒリン議員もその姿を目にし、先ほど迄の負の感情は完全に払拭されていた。
「…………いい機会だな。この際、偵察に向かわせるとしよう。」
本音を言うなら身内である陸軍にいるロモルディ大佐に大陸内にいる日本軍を攻略させて華を持たせようと考えていた彼だったが不足の事態だと諦める。
そう決めたが最後、付近に待機しているであろう側近に命令を出そうと椅子から立ち上がった。
そう言えば…………最初に日本軍を攻撃した部隊がいた筈だ。どうせなら彼等に向かわせるとしようじゃないか。
自身の待機命令を破った件について思うところはあったが、一向に進まない作戦に大きな切っ掛けを作ったのだ。彼等に対しての謹慎処分を解く判断をする。
そう思い立った吉日、彼はテーブルの上に置かれた鈴を鳴らして側近を呼ぶ。
同都市近郊 ジュニバール帝王国空軍基地
空軍基地内に建設された建物内の通路を1人の空軍パイロットが歩く。
しばらく道なりに通路を進んでいくとやがて目的の部屋の前にまで着いた男は、そのまま扉を開けるが、既に部屋にいた男達から声をかけられる。
「遅いぞ……ベボ。」
「悪い悪い。まぁ、勘弁してくれや。」
ベボと呼ばれたジュニバール帝王国空軍の第91飛行大隊所属の小隊長 アズラ・ベボ少尉は適当に返して、その日焼けした健康体の大柄な身体を大きく揺らしながら空いていた椅子にドガリと座り込んで周りを見渡す。
呼び出しを受けたから来てみれば、どうやら自分と同じ飛行大隊の全小隊長が召集されているようだ。
ベボ少尉はそう考えるがその時に頭に微かな痛みを感じて辛そうに呟く。
「いつつ……流石に飲み過ぎたか?」
そんな同僚の言葉に同飛行大隊小隊長のカトラ少尉は呆れた表情を見せる。
「おいおい……まさか、謹慎中なのにまた酒を飲んだのか?」
三日前も遅くまで飲んでいたのを知っていたカトラ少尉は隣のベボ少尉に非難の目を向けた。それにベボ少尉は頭を掻きながら応える。
「そう堅いことを言うなよ。 こちとら日課の遊泳飛行すら禁止されてるだぜ? 飲む以外にやることなんてあんのか?」
「仮にも公務中だろうが。 自分が小隊を任されている隊長だという自覚を持って行動しろ。 部下達に示しがつかないだろ。」
カトラ少尉の言葉に他の小隊長達も同意と言わんばかりに頷いた。それにベボ少尉はばつが悪そうに言った。
「だあぁ~分かった、分かったよ。 今後は抑えて飲むよ…………っで? 今日は何で呼ばれんたんだ? わざんざ小隊長全員が呼ばれるなんてよ。」
話題を摩り替えたベボ少尉に対してまだ何か言いたそうな顔をするカトラ少尉だが、せっかく仕事モードに入ったのにそれを邪魔するのは愚策と考え本題に入ろうと命令書を出した。
「それもそうだな。先ほど大隊長から偵察任務を承った。場所はセンゲル平野……………言わずとも最前線だ。」
カトラ少尉の発言に、周りの小隊長等からの雰囲気が一変したのを彼は肌で感じた。
現にベボ少尉は獰猛な笑みを浮かべていた。
「おうおう! それはまた随分と急な話じゃないか。 先日まで謹慎しろだとか言ってたのになぁ!」
部屋全体に響き渡る程の声量で放つベボ少尉。これに他の小隊長もベボ少尉程では無いが、興味津々にカトラ少尉の言葉に耳を傾けた。
「話を続けるぞ? 数日前からセンゲル平野に展開している前線部隊の『一部』の部隊が突如として途絶えたらしい。 我々はその部隊の安否の確認そして、敵部隊を発見したらその掃討任務も兼ねている。」
カトラ少尉の説明を聞き終えた彼等はその表情を(特にベボ少尉が)好戦的な笑みが支配した。
この空軍基地には彼等の第91飛行大隊以外にも多数の飛行部隊が駐屯している。
そして勿論、陸上だけでなく海上には空母艦隊に所属する海軍の艦載機だって含めれば今回の戦争に参加する航空機の数は数千にもなる。
当然ながらその数千の航空機に編成される部隊は数え切れない数だ。
しかしその部隊の殆どが戦闘任務を与えられずに何もない洋上や辺境への偵察任務 (中にはそんな偵察任務すら受けられずに待機室で無意味に時間を潰す部隊すらあった。) だけをこなすだけだった。
そんな中で、悪い言い方をすれば問題行動をしたこの第91飛行大隊に最前線への、しかも掃討任務を兼ねるような大役を回すなんて異常だ。
それを意味するのは決まっている。
「総司令部も粋な事をしてくれるじゃねぇか! 俺達で始めたなら最後までケツを拭いてこいって訳だろ! 最高だな!」
ベボ少尉はそう言って拳を叩いた。他の小隊長等もベボ少尉のように意気揚々と声を上げる。
最初の作戦では自分達空軍を追い出して陸軍に先鋒の役割を就かせたのには嫌気がさしていたが、これは恐らくはそのお詫びであろう。
「そうと決まったなら、俺はもう行くぜ! ボケ~としてる部下共のケツを締めてくる!」
ベボ少尉はそう言うと勢い良く部屋から出ていく。他の小隊長等も各々の小隊達に出撃準備指示を出すために部屋から出る。
そして部屋にはカトラ少尉だけとなった。彼は持っていた命令書に目を通す。
特になんの変哲もない、普通の命令書だ。だが彼は違和感を感じ取っていた。
・・・可笑しい。どうにも妙な感じがする。
そう思ってもう一度だけ命令書を読んでみる。書類の内容は『前線で連絡の取れなくなった一部の部隊の安否確認。そして可能ならば敵部隊の捕捉、そしてその掃討。』
・・・安否確認?一部の部隊の為に、わざわざ遠く離れた自分達が向かうのか?
センゲル平野はそこまで広い平野ではない筈。後方にいる自分達を使わずとも、同じ平野にいる他の部隊がいるじゃないか。
最初の作戦で空軍を外して後方に置いたのに、今度は確認の為にわざわざ前線まで引っ張っていくのか……
命令書を細かく読んだカトラ少尉の頭にはそんな疑問が浮かんできていた。
暫く悩んでいるカトラ少尉は、やがて1つの考えに辿り着く。
「…………まさか一部ではなく、前線の全部隊が消えたとか?或いは身動きが取れなくなった?」
それなら追い出した空軍をわざわざ呼び戻すのも納得できるが、それは有り得ないと頭を振った。
そんな馬鹿な……たった数日で数千の部隊がそんな被害を受ける訳が無い……列強だぞ?
結局なんの答えも浮かばなかったカトラ少尉は考えるのを諦めて部屋から出た。自分も小隊達に出撃準備を取らせなくては。
同都市 ジュニバール帝王国 作戦本部
バリアン大陸のジュニバール帝王国側の参謀達が都市リバーテに設置された作戦本部内の建物で仕事をしている最中、ある男が部下からの報告に声を強張らせた。
「前線部隊からの連絡が途絶えた? それは本当か?」
有り得ない内容を前にして思わずそう聞き返した男 ジュニバール帝王国陸軍の第48師団の第266歩兵連隊の連隊長 モリック・スロイス大佐の言葉に部下は困惑した表情をする。
「はい。気候部からの話では、この大陸特有の強力な魔力嵐による影響で連絡が取れなくなった可能性が高いとのことです。」
部下の説明にスロイス大佐は思考を巡らせる。
「……前線には少なくとも2個旅団相当の部隊が配置されていたな? その規模の通信を遮断させるだけの魔力嵐が現れたと?」
絶対に有り得ない程ではないが、それでも魔法石等の魔力の籠った資源に乏しいこの大陸で、しかもこのタイミングで発生するなどとうしても考えにくい話だ。
「既にジルヒリン議員閣下の命令で空軍が偵察に向かうとのことです。」
「……分かった。ご苦労だった、もう下がっていいぞ。」
幾ら考えても違和感が拭えないスロイス大佐だったが、部下を下がらせて業務に戻る。
自身に充てられた執務室の机の上に置かれた書類の山に次々と目を通していき、その書類に署名をしていくのを何回か繰り返していく。
そうして机に積み重ねられた書類の束を減らしていくスロイス大佐だったが、先ほどとは別の人物が部屋に入ってきた。
新たに入ってきたその人物は、執務机の前に座って書類仕事をしていたスロイス大佐を発見すると彼のもとまで近付いた。
「すげぇ量の書類だな?スロイス。」
そう机の上に築かれた書類の山を見つめながら親友に声をかける男は第55師団 第26投擲大隊の大隊長ボイガン・ブァイド・デリック中佐であった。
そんな気楽そうなデリック中佐に対してスロイス大佐は疲れた表情を見せながら、目の前の彼に口を開いた。
「一体何の用で来たんだ? 今日も会食があるんじゃなかったか? 脱け出して来たんならせめてお前も手伝ってくれ。」
「勘弁してくれ……こんな量の書類を相手にするのは俺の性に合ってない。ところで…………」
デリック中佐はそう手を横に振りながら言った。そして彼は机の上に両手を置いて真っ直ぐに見つめてスロイス大佐に慎重な声で囁いた。
「前線部隊との連絡が途絶えたらしいじゃないか? それが魔力嵐のせいだって?」
その言葉にスロイス大佐は走らせていたペンを置いて、デリック中佐と同様に真っ直ぐに見つめた。
「お前も怪しいと思うか?」
「当然だろ? こんな大陸に大規模な魔力嵐なんて起きるとは考えにくい。 だがな、俺はそれとは別に妙な情報が入ったんだ。」
「妙な情報?…………一体どんなのだ?」
意味ありげな言葉にスロイス大佐はそう聞き返した。デリック中佐は念のために周りを確認しながら慎重な様子で口を開いた。
「さっきの会食で師団長等が話していたんだがな……ガーハンス鬼神国の部隊が秘密裏にセンゲル平野に向かわせたらしいんだ。」
「ガーハンス鬼神国が? それも秘密裏に?」
それは確かに妙な話である。あの国にはセンゲル平野付近の都市国家に1個師団相当の部隊を置いてあった筈だ。
我が軍が対峙する日本軍の戦力から見てもそこから更に追加で部隊を送る必要は現段階ではないであろう。その上……秘密裏に?
怪奇的な表情を見せるスロイス大佐にデリック中佐は畳み掛けるようにして追加の情報を教えた。
「かなり不確かな情報なんだがな……ガーハンス鬼神国側の前線部隊に被害が出たらしい。」
「なに?」
「確証は無いぞ?師団長等も何らかなの誤報だと思ってる。何でも諜報部の連中の中でかなり慎重派と呼ばれてる奴がいるんだとよ。この情報もソイツからの筋らしい。」
「なんだってそんな奴がこの作戦に参加出来たんだ?」
率直な質問をスロイス大佐はぶつけた。どの国家でもそうだが、過度な慎重派なぞ邪険にされるのが常だ。
更には今回の様な空前絶後の作戦で、しかも師団長クラスの者達の耳に入れるだけの立場のある者がいるなどかなり珍しい。
そんな彼の疑問はデリック中佐の言葉によって解決することになる。
「そいつはどうやら、駐在武官として日本にいたらしいんだ。 今回の作戦ではそいつの知識も活用しようと、それなりのポストに入れられたらしい。」
「成る程な……」
スロイス大佐は納得する。確かにそれは貴重な情報を持つ男なのだから重宝はされるだろう。
「だが問題はそこじゃないんだ。 そいつは最後まで日本との戦争に反対していたらしい。
…………あの国は極めて進んだ技術を持っている大国だって、総司令官部に何度も直談判したんだとよ。」
「……よく更迭されなかったな?」
総司令部はそんな寛大な者達だったか?そんな考えが過る。
「軍部では貴重な日本滞在者の1人だ。無下にも出来ないのさ。 戦後の重要地域の確保の為にも日本の地を把握している者は欲しい。」
「そいつは今どこにいる?」
スロイス大佐はそう言うと壁にかけてあった軍用コートを羽織った。
「おいおい……会うのか? 言っとくが同じ諜報部の連中ですらも煙たがってるんだぜ?」
「そうだとしても、ガーハンスの動向は気になる。 彼の言葉から何か掴めるかも知れん。
何よりも……」
彼はそこでデリック中佐の方を振り返った。
「妙な胸騒ぎがする・・・こんなことは初めてだ。」
場所は変わってガーハンス鬼神国の前線部隊が駐屯している都市国家へと続く道を進む部隊がいた。
ガーハンス鬼神国陸軍の第52歩兵師団配下の歩兵連隊と砲兵大隊からなる戦闘部隊だった。
3000名以上になるこの部隊は前線部隊からボーン中将等のいるガーハンス側の総司令部の元へもたらされた情報を受けて、この先にある都市国家へと進軍していたのだ。
センゲル平野にいたジュニバール帝王国軍との定期連絡が途絶えたという報告を受けてから数日後に追加の報告が来たのだが、その内容はボーン中将等を筆頭とした司令部に詰めていた将校全員を驚かすものだった。
センゲル平野へ偵察に向かわせた騎兵部隊との通信が途絶、そのすぐ後に前線部隊が駐屯する都市国家の上空から突如として謎の飛行部隊から強襲をうける。
その飛行部隊は機体上部を薄い板を高速を回している回転翼機という全くの新型兵器だと推定、更にその機体から日本の国旗を確認したことから日本軍だと断定。
この日本軍からの攻撃により都市に詰めていた砲兵戦力と師団本部が壊滅状態になる。
そして少なくない数の歩兵にも被害が出ており前線部隊は一時的にだが混乱状況に陥る。
この時の都市にはガーハンス鬼神国陸軍の第32師団がおり、2個歩兵連隊と1個砲兵連隊に3個戦闘装甲大隊がいた。
その後の報告で都市近郊に日本軍の地上部隊を発見、多数の戦車を確認したことから日本軍の主力だと断定、生き残った師団司令部はすぐさま動かせれる全ての部隊を纏め上げて反撃に出た。
第32師団で貴重な戦闘装甲大隊の全てを前面に出しての大規模の反撃はそのまま、圧倒的な数で愚かにも近郊で待機していた日本軍を包囲殲滅するかと思われた。
だがそんな第32師団司令部の思惑を裏切るように日本軍はあっさりと撤退を開始した。
呆気にとられた師団司令部だったが、師団のトップであるグラヴィー・ウルズ・モイテル少将はすぐさま追撃命令を出す。
「このまま奴等を逃がしては我が鬼神国の一生の恥である! 第32師団はこれより日本軍への総攻撃を開始する!」
その命令は忠実に各部隊へと伝令が送られ、全ての部隊の追撃準備が整った。やがて日本軍はセンゲル平野の更に奥にあるハマ山岳にまで撤退していることが判明した。
「戦闘装甲大隊を先頭に、歩兵連隊もそれに続くのだ! 1人も生かして帰すな!」
そうモイテル師団長による追撃戦が始まったという報告を最後に通信は途切れたという。
やがて歩兵連隊を主力としたの増援部隊は第32師団が拠点にしている都市へと到着し入都したのだが、その悲惨な有り様に驚愕する。
「こ、これは一体っ!?・・・」
都市の至る所で建設されたガーハンス鬼神国陸軍基地や事務所等はその多くが爆撃によって破壊されており、現在でも黒煙が蔓延していた。
更には1万を越していた筈の第32師団も過半数以上の部隊が再編成が不可能なまでの甚大な被害を被っていた。
師団直属の治療魔術大隊では足りず、都市内にいた魔術師等を総動員しても手が全く足りないであろう大量の負傷者、臨時に建てられた診療所は完全にパンクしており、その光景は増援に来た彼等が狼狽えるには充分過ぎた。
更にあろうことか、センゲル平野に駐屯していたジュニバール帝王国軍の生き残りまでもがこの都市にまで逃げ延びていたのだ。彼等は既に何日も前から日本軍を前にして敗走していたらしい。
すぐに増援部隊の指揮官である連隊長は第32師団の指揮官へと連絡を取ろうとするが更なる情報が彼等を驚かした。
「モイテル師団長閣下等はどうした?」
「師団長以下、副師団長や参謀長等の将校と各連隊長は全員が壮絶な戦死を遂げました!」
事実上の第32師団司令部が崩壊したことを告げられる。
「何があったと言うんだ…………」
連隊長の言葉が力なく彼等の耳に入った。
同都市 主要通り
ガーハンス鬼神国の増援部隊が駆け付ける少し前に時間は戻る。
日本の戦闘ヘリコプター部隊による襲撃によって都市の各地に設けられた軍事基地はいま現在でも黒煙を上空に昇らせていた。
更にはこの都市の憲兵の役割を担っていた筈のガーハンス鬼神国の兵士達が街から出たと思ったら、大した日数も経過しないうちにボロボロの状態で帰還してきた。
先の謎の襲撃と満身創痍になって戻ってきた列強国の兵士達…………この街の噂の的になるには充分すぎた。
この都市の大通りの1つにある酒場で大勢の群衆が集まっていた。
酒場内には入り切らず、通りにまで人だかりが集まっており、酒場始まって以来の大盛況だった。
平時ならばこの時間帯では、呑んだくれ連中ぐらいしか居ないが、今この場には屋台の主や行商人、粉挽や陶工、鍛冶等の各職人やその下男達に他の酒場の主や吟遊詩人に娼婦果てはこの都市の有力者等までのあやゆる職種の者達がこの酒場に集っていた。
ここまで人々がこの酒場に集まっている理由は酒場内の一角に座る1人の老人の話を聞くためであった。
何十もある丸テーブルに座る者達は勿論のこと、カウンター席や酒場の窓から身を乗り出してまで彼等は室内にいる1人の老人の話を聞き逃さないように耳を澄ましていた。
「…………わしは、あの時……ガーハンス軍からの命令でハマ山岳の道案内をしていた。
あの場所は何十年も通い続けていたから自分の庭のように分かるのじゃ。」
どうやら老人はハマ山岳に詳しい様で、列強人から半ば強制的に道案内をさせられたようだった。
老人の話は続く。
「ハマ山岳は険しい場所じゃ。……じゃが、ガーハンス軍が使役する鉄の乗り物はそれがどうしたと言わんばかりに易々と悪路を進んでいった。 あれは正に列強に相応しかった……特に鋼鉄の鎧を身に纏う乗り物は怪物だ。
確か…………連中はあれをセンシャと呼んでおったな。」
ゴクリと誰かが唾を飲み込む音が聞こえる。
この世界に生きる者ならば誰もが耳にする列強国。その列強国が誇る地上の覇者、戦車は他の国々の地上軍の全てを圧倒する超越した存在だ。
こうして固唾を飲んで聞いている彼等もこの都市にいる戦車を見ており、その圧倒的な存在感に肝を震わせていたのだ。
しかし今やその圧倒的な力の象徴である筈の戦車の殆どがこの都市では姿を見せずにいた。
更には同じ列強国であるジュニバール帝王国軍と思われる一部の軍隊が満身創痍の状態で都市に入るのを見たと言う目撃情報が相次いだ、
そして何処からか流れた出所不明の情報が彼等の耳に入り困惑した。
『列強ジュニバール軍とガーハンス軍の誇る戦車は全てが破壊された。新たなる列強国の……しかも魔法の使えないあの日本国によって。』
そんな平時ならば荒唐無稽な只の噂として消え去るようなものだったが実際にに姿を見せず、しかもこの街にいるガーハンス鬼神国の兵士達が負け戦をしたかのように意気消沈としていた。
何があった? 彼等をあそこ迄追い詰める者がこの世にいたのか? では、一体誰が?
多くの疑問が尽きない最中、この酒場にその一部始終を知る老人が現れたという情報は瞬く間にこの街を駆け巡った。
誰もが彼等に打ち勝った者達の話を聞こうと集まった。その物語を聞こうと我先にこの酒場へ押し掛けて来たのだ。
話を戻そう…………老人の話は続く。
「それだけじゃない……センシャ以外にも鉄の鎧を身に纏った乗り物は多くいた。
彼等はそれらを使いこなして、悪路を次々と突き進んでいった…………ガーハンス人の1人がこう言った。『日本軍は我等に恐れをなして無様に逃げたのだ。』っとな。 実際にわしもそう思っていた……あの時までは、な。」
そこで老人の言葉が止まった。どうしたのか、と聞いていた彼等は老人の姿を見て言葉が詰まった。
老人は震えていたのだ。顔には両目をこれでもかと大きく開かせ、細いその両腕で今も震えている自身の身体を必死に押さえつけようとしていたが、それでも震えは止まらなかった。
「だ、大丈夫か!? じいさん?」
群衆の中にいた1人の若者がそう声をかける。しかし老人は震えたままだ。
老人の様子を見た彼等は互いに顔を見合わせる。一体何を見たら、あんなに震えるのだろうか?
やがて幾らか落ち着いた老人は大きく息を吹いだ。
「っ!……すまない…………ふぅ……」
それでもやはり恐怖心までは払拭しきれていないようで、老人の顔は汗で溢れていた。
そんな老人を見ていた群衆の1人が急かすように声をかける。
「い、一体なにを見たんだ? 教えてくれ!」
その言葉をかけた者を老人は真っ直ぐに見つめてすぐに視線を何もない方向に戻した。その姿はどうやらあの時の光景を思い出しているようだった。
「…………あの時、わしが案内した場所はハマ山岳の中では比較的に緩やかな道じゃった。
しかしそれでも人の手が加えられていない獣道のような場所じゃ……じゃが、あの時から違和感を感じていた……ゴホッ!ゴホッ!すまぬ、み、水を……ゴホッ」
老人はそこで咳き込んだ。水を求める声に慌てて近くにいた男が水を持って老人に飲ませる。
男から受け取った水を飲んだ老人は呼吸を整えて話を続ける。
「ふぅ……その獣道じゃが、前に来た時とは様子が違ったのじゃ。 彼処には無かった岩が来た時にはあって、生えていた木々は刈り取られており、平らだった場所は……丘になっていた。
そして変だったのは何よりも……」
老人の躊躇うような様子に周囲は前のめりになって集中する。
「獣がいなかった。 それどころか生物の気配が全くと言っていい程に感じらなかった。」
「それじゃあ、獣は何処かに行ったって事か?ニホン軍と仲良く一緒に逃げたってか? 魔法も使えないのに見事なもんじゃないか!」
茶化すように言う1人の若者の言葉に周囲の人々は笑い声をあげた。日本人が魔法が使えない事実は彼等が下に見るには充分な理由だった。
だが、これに対して老人は全く笑っていなかった。そんな老人の反応に群衆も気付き、徐々に笑い声は収まっていく。
やがて完全に静寂が酒場を支配したのを確認した老人は再び、静かに話を続けた。
「……ガーハンス人達も今のお主達のように楽観的な考えをしておった。 じゃが、わしはどうしても嫌な予感がしてならなかった。
それでも案内を止める事は叶わぬ。だから諦めて道を進んでいった先に……あの悲劇が起こったのじゃ……」
そこで老人は自身の周りを取り囲む群衆を見渡した。そしてその時の光景を鮮明に思い出していく。
「突然の事だった。 わしの後ろを歩いていた鉄の乗り物の1台が爆発した……続けて、その周りにいた他の乗り物も次々と吹き飛んでいった……まるで地上の全てを破壊できるような見たことの無い強烈な爆発があそこを、大地を震わせた。
わし達はそこで初めてニホン軍の罠にかかったのだと気づいた。
だが何もかもが遅すぎた…………彼等の守り神であるセンシャとやらも、そのすぐ後に訳の分からん爆発で全てを失った。 しかし、地獄はまだ終わらなかった。」
老人は再び身体を震わせ始めた。その姿に周りも緊張する者が現れる。
「……地上の覇者たる鉄の乗り物が蒼白い炎を出していく中で、生き残りのガーハンス兵士達が懸命にニホン軍へ反撃しようとしたらしいが、ニホン軍は全く姿を現さなかった……だと言うのに攻撃は収まる様子が無かった。
次々とガーハンス兵士達が撃ち抜かれていく最中、わしはただその場で這いつくばってこの地獄が終わるのを待つことしか出来なかった。
そうして時が過ぎるのを待っていると、いつの間にか周りが静かになったのに気付いて頭を上げたら……そこはガーハンス兵士達の死体で地上を埋め尽くしておった。誰も生きていなかったのじゃ。」
老人はそこで話を区切ると、周囲は驚愕した反応をした。
あの列強国の軍隊が話を聞く限りでは一方的に追い詰められていたのだ。話を聞いた誰もが驚くのは無理もない。
「お主達の反応も分かる……わしも信じられなかった。 そうして周りを呆然と見ていると、そこで漸く姿を現したのじゃよ……ニホン軍がな。」
その言葉に群衆の1人が老人に聞く。
「ど、どんな姿だったんだ!? や、やっぱり化物みたいにデカかったのか!?」
「いや、この街に来ていたニホン人を見たことあるが……あれは普通の人間だったぞ。」
「兵士は違うかも知れないだろ! どんな姿だったんだよ!?」
思い思いの言葉を投げかう彼等に、老人は話を続ける。
「少なくともわしが見たニホン軍は至って普通の人間じゃった。彼等はその身体中を泥や葉で塗りたくっておった。
最初見た時は逃げる時に付いた汚れかと思ったが、本当はそれが巧妙に隠れる為にあえて自分達で着けたものだと分かった……あれなら確かに混乱してる中で見つけるのは至難の業だろう。」
話を続ける中で老人はあの時の光景を思い返した。
正規軍が自分の手で姿を汚すなど想像もしなかった事だ。しかも世界の支配国である列強国が行うなど到底信じられなかった。
そう思い耽っていると、またもや若者が質問を投げ掛けた。
「他のガーハンス兵はどうなったんだ? じいさんの所以外にも沢山いた筈だろ? そいつらが助けに来るだろ!」
「確かに耳を澄ませばわしの所以外にも戦っている音が聞こえたが、どの音も爆発音だった。恐らくは同じようにニホン軍の待ち伏せで一方的な戦いになっていた筈じゃ。………実際にこの街に戻って見れば、それは正解じゃったな。」
「じゃ、じゃあ、ここにガーハンス兵士があまり見ない理由も……」
「……この街に戻る道中で、数多くのセンシャが平原で燃えているのを見た……兵士達の死体も見たよ。 数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程のものだった。」
「じ、じいさんは殺されなかったのか?」
「ニホン軍はわしが奴等とは無関係だと理解してくれた様でな、わしを安全な所まで丁重に保護してくれたんじゃ。 その点で言えば傲慢なガーハンス人達とは雲泥の差じゃ。
…………あぁ! そうそう……そこでニホン軍の将軍とも会えたんじゃよ。」
その言葉に周囲は目を見開かせた。なんと目の前の老人は日本軍だけでなく、その将軍にまで会ったと言うのだ、悉くこの老人の話は興味が尽きない。
「わしを保護してくれたニホンの兵隊は随分と丁寧な態度で接してくれたが、あの時の将軍も同じように年長者であるわしを敬ってくれたのを覚えている。 とてもニホン軍の将軍とは思えない程に腰の低い人じゃった。」
「そ、その人のお陰で助かったのか?」
「違う。わしが話したニホン軍の将軍とは別の将軍が現れたのじゃ。
話を聞く限りでは、ニホン軍には複数の将軍がおるらしい……詳しくは教えてくれなかったが、その内の2人が現れてな……しかし現れたその将軍がこれまた……傲慢な男でな。あの者だけはガーハンス人と同じような態度じゃった。
じゃが、あの男が将軍の中でも上位の立場にあると分かった。」
「なんでだ?」
「最初に話していた将軍が、恐らくニホン式の敬礼をしておってな、言動を見ても上位者に対しての様子なんじゃ。
そして何よりも……あの男が引き連れてきたのが何よりも問題じゃった……センシャじゃよ。」
「に、ニホンにもセンシャがあったのか!?」
「そうじゃ。しかし問題はその大きなじゃ。
わしが見たガーハンス軍のどのセンシャよりも大きくまがまがしかった。あれこそが真の地上の覇者なんじゃろう。あれではガーハンス軍も人溜まりもない。
そんな巨大なセンシャを幾つも引き連れておった。
今なら分かる! あの男の軍がジュニバール軍ガーハンス軍を撃退したのだ! あの威容な軍隊を見て確信した!」
「そ、その将軍の名はなんだ?」
聞いていた群衆の1人がそう聞いた。姿を見る限りは、吟遊詩人と思われた。恐らくは次の唄の題材にするつもりであろう。
聞かれた老人はゆっくりと答えた。
「わしも気になって恐る恐る聞いたら、答えてくれたわい。あの男の名は……イケダ・ケンイチと言う。」
「イケダ……イケダ・ケンイチ……」
群衆の1人がそう呟いた。やがて周囲を取り囲んでいた人々も応えるように次々とその名を口にしていく。
そこから老人は更なる爆弾発言をした。
「話はまだあるぞ。あの傲慢なイケダ将軍よりも上位者と思われる大将軍までもがわしの前に現れたんじゃ。」
その爆弾発言に群衆は更なる驚愕の声をあげる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! つまり、じいさんはニホン軍の大将軍とも話したのか!?」
本当だとしたらこの老人はどんな轟運を持っているのだろうか。九死に一生の経験をしたかと思えば列強2ヶ国の軍隊を蹴散らしたニホン軍の大将軍とも会ったなど、とんでもない話だ。
だがそれに対して老人は残念そうに首を横に振った。しかし、もはや先ほどまでの震えていた様子は無くなり、完全に余裕を取り戻しており意気揚々と答えた。
「話までは出来なかった……その大将軍が現れた所でその大将軍の護衛と思われる兵士達から追い出されたわい。
しかし、あの傲慢なイケダ将軍もあの大将軍を前にしたら流石に態度を改めておったわ……それでも少しおおらかな様子じゃったな。
……だがそれよりもあの大将軍は凄まじかったぞ?」
「ど、どんな理由で?」
「イケダ将軍やもう一人の将軍も軍人に相応しい顔立ちをしておったが、あの大将軍は違う…………あれは鬼じゃな。
とてつもなく恐ろしい顔をしておるわい。常に周りを睨み付けるような鋭い眼光、身体中から滲み出る強烈な覇気! そのどれを取ってもただの将軍では無いのは明白!
お前達……覚えておれ。あのニホンこそがこの戦争に勝利するであろうな。じきにこの街にニホン軍が押し寄せてくる……」
老人の話を一通り聞いた彼等は、これまでの自分達の考えを一変させるには充分な内容であった。
やがてこの老人の話は広まり、都市中の酒場や各組合所、行商取引所に娼館等にも話され、この都市だけでなく周りの都市にも人づてで広がっていった。
『鬼のニホン軍、ジュニバール帝王国、ガーハンス鬼神国軍を蹂躙。』
この情報がバリアン大陸中西部を中心に広がっていく。
バリアン大陸 ハマ山岳
ハマ山岳にまで追いかけてきたガーハンス鬼神国の1個師団相当の部隊を撃退し終えた第2戦闘団の池田大佐は隊員が連れていく老人の後ろ姿を見てから、隣に立つ上官へと向き直る。
「師団長がこんな前線にまで足を運んでくるとは、びっくりですな。」
池田大佐の通常通りの態度を見た貴戸大佐は、彼に不満げな視線を送るが、当の本人である鬼導院中将はそれに意を返さずに応えた。
「今後の作戦の為にも連中の様子を直に確認する必要がある。」
険しい表情でそう返す鬼導院中将に、池田大佐は軽く肩を竦めた。そこで貴戸大佐が先ほどの池田の言動について追求した。
「……池田大佐、あの民間人に対しての態度は些か問題かと思いますが?」
珍しく自身に明確に批判する姿勢を見せた貴戸に彼は面白そうに表情を変えた。
「へっ、そう堅いこと言うな貴戸よ。 奴がガーハンスの工作員だって可能性もあるだろ?
しかしあの攻撃で生き残れたとは運の良い奴だな。」
特科連隊を主軸とした第5戦闘団の数十門の火砲や自走砲による一斉砲撃を受ければ生存率は限り無く低い。
それでほぼ無傷なのだから、あの老人の幸運に池田は舌を巻いた。
そんな池田に貴戸は更に注意を促そうとするが鬼導院中将が先に口を開いた事で彼は口を閉ざした。
「貴戸、お前は直ちに部隊を率いて残党処理にあたれ。 既に奴等は自分達の頭を失っている今が絶好の機会だ。」
ハマ山岳に侵入した敵の司令部は既に青木団長の戦闘ヘリコプター部隊によって壊滅させており、敵の指揮系統は麻痺していた。
鬼導院中将の指令に貴戸は多少の不満はありながらもそれを顔に出す事なく、すぐにこの場にいた部下達を率いた。
それを見送りながら池田大佐は鬼導院中将に話し掛ける。
「あの若造はまだ俺に言いたげな感じですけど、良いですかい?」
「あの程度で任務に支障をきたす様であれば戦闘団を任せておらん。 あいつの能力はお前も知っているだろうが。」
「えぇそりゃあ、知ってますとも。」
池田は素直に同意した。そして彼はこの周囲を見渡す。
最初は殆ど手の加えられていない山岳が、貴戸等によって現在は全く違う景色となっていた。
ジュニバール諸国側から見ればハマ山岳は入る為の道は険しく、邪魔な木々は斬り倒されているので見つけられ易い。
それに対して自分達から見れば敵は見つけ易く、その敵を狙い撃ちし易い上に地中に通路が掘られ、安全に付近の戦闘区域にまでつけれるし、至る所に隠れ場所があるので敵から発見されにくい。
いま池田達のいる場所もハマ山岳全体を見渡せるように地形を利用した展望台や指揮所、弾薬等の物資の保管庫までもがセットで用意されていた。
「あの短期間でここまで手の込んだ拠点を造るたぁ、大したもんですよ……ただ、防衛戦術はアンタの入れ知恵でしょう?」
池田の言葉に対して鬼導院中将は特に反応は見せずにいた。
「山岳といった急斜面を利用しての反斜面陣地防衛……あれを貴戸にやらせたんでしょ? この大陸に来てすぐに地質を調べたアンタはすぐにその戦術を教授した。」
通常の丘の頂上に防衛陣地を設置するのではなく、根本に陣地を設置して反対側の敵に迫撃砲等で敵の視界外から攻撃を行う反斜面陣地……かつて沖縄戦で米軍を苦しませた要因の1つだ。
かつて沖縄での赴任経験のあった鬼導院中将はその戦術を研究しており、それを知っていた池田はそう推理した。そしてそれはどうやら当たっている様子。
(貴戸といい、この禿げ野郎も、充分に使える奴等だ。)
少なくとも初戦では完全に敵の初動を抑える事には成功した……敵の航空戦力が無傷なのが懸念点ではあるものの、次の展開次第ではそれも解決する。
池田がそう考えていると鬼導院中将は現場の確認が済んだのか、近くのヘリコプターへと乗り込もうとした。
「おや、もうお帰りですかい?」
ローター音を奏でるヘリコプターに片足を乗せつつ、鬼導院中将は池田の方へ振り返った。
「お前は残党処理を終えたら、このまま連中の都市を落としてこい。」
ごもっともな命令だ。これで大陸西部は完全に日本側の勢力圏となる。この言葉に池田はニヤリと笑う。
「りょーかい。 さっさと潰してきますよ。」
池田がそう言い終えると、鬼導院中将は完全にヘリコプターに身を乗り込んで上昇した。
上昇気流で周囲の草木を揺らせながら上空に飛び立つヘリコプターを見送った池田は、付近に待機させた部隊を引き連れていく。
「林田の戦車中隊を起こしてこい。こっちの戦闘団を主軸に一気に巻いていくぞ。 ガーハンスもジュニバールも俺の獲物だ。」
懐から水筒を取り出して一口だけ飲んだ池田は機動車に乗り込んでそう通達した。
池田の乗り込む機動車の車列が進んだと同時に、また何処かで迫撃砲の爆音が戦場を鳴り響かせた。
ガーハンス鬼神国の増援部隊が消耗した第32師団の都市へ到着してから十時間程度の時が経過していた。
都市内では増援としてきた第52歩兵師団の歩兵連隊を中心に破壊された基地の修復を行っている光景が映っていた。
元はこの都市の衛兵駐屯地だったこの場所をガーハンス鬼神国の陸軍基地に再利用していたが、現在は見るも無惨な有り様だった。
広い敷居内に開けた訓練所と4つの建物が建てられ、平時ならば1000名程度の兵員を配置できた筈の基地は4つ全ての建物は倒壊し、謎の航空攻撃によって訓練所は爆発によってクレーターがた大量に発生し、とても使える状態ではなかった。
そして何よりも問題は、この基地に配置した砲兵連隊の壊滅だろう。
建物倉庫と訓練所に置いてあった全ての大砲と弾薬は消失、それを扱う砲兵800名の多くが戦える状態では無かった。
今も倒壊した建物から砲兵の遺体を懸命に運んでいく部下達を横目に第52歩兵師団 歩兵連隊の指揮官であるダイヴォード連隊長は、眼下に広げられた光景を目に焼き尽くす。
「これは……酷い…………っ!」
布を被せて並べられる大量の遺体を前にしてダイヴォード連隊長はそう吐き捨てるように言うしか出来なかった。
彼がそうしている間にも、部下達が次々と新たな遺体が並べていきその上に布を被せていく。
「……本部にはまだ繋がらんのか!」
すぐに側にいた通信兵を問いだたす。それに通信兵は困惑しながらも応えた。
「何度も繰り返していますが、やはり駄目です。」
どんなに繰り返しても通信兵が持つ魔信機器からはノイズ音が響くだけだった。これにダイヴォード連隊長は忌々しげに表情を歪ませる。
「えぇい!……この状況を一刻も速くボーン司令官に伝えねばならんのに!」
そう嘆くと、ダイヴォード連隊長の視界の端で数人の男が見え、その彼等を見た連隊長はすぐに表情を戻して彼等のもとへ走る。
「これは……怪我の具合は大丈夫か?」
「ご心配をお掛けした……だがこの通り、問題はない。それよりも現状の把握をしたい。」
ダイヴォード連隊長が話している相手、それはジュニバール帝王国の生き残りの指揮官達であった。
指揮官とは言ってもガーハンス側と同様に主だった指揮官の多くが戦死、ダイヴォード連隊長の正面に立つこの男は最先任指揮の中佐に過ぎなかった。その彼も頭に包帯を巻いてあり生々しく血が滲み出ていた。
階級の差はあるものの、国が違うため互いに敬語は使わずに会話をする。そもそも、そんな事を気にしているほど彼等に余裕なんて無い。
両者の思惑が一致し、彼等は互いの機密が触れない程度に情報共有をする。
「して、日本側には我々の知らない航空兵器があると聞く。貴官は何か知っているか?」
ダイヴォード連隊長はこの目の前に広がり惨状を作った存在を聞いた。この世界にヘリコプターのような回転翼機は存在しなかった。これに中佐は無念そうに頷く。後ろに立つ彼の部下達も同様の表情をしていた。
「連中は全くの新兵器を使っていた。 あの攻撃で私の部隊は壊滅された……これが奴等の航空兵器だ。 見覚えは?」
中佐はそう言うと、紙に書いたヘリコプターの絵をダイヴォード連隊長に見せる。これに彼は心の中で呟く。
…………成る程、これは初めて見る。
機体上部に特徴的な翼を取り付けた絵を見たダイヴォード連隊長はそう評価する。真顔で絵を見つめるその反応に中佐は口を開く。
「やはりそちらも見覚えはないか……」
「残念ながら。そちらの部隊は? 本当にこの都市にいるので全員か?」
「連絡をとろうにも魔信はあの有り様……貴官もそうでしょう?」
これにダイヴォード連隊長は静かに頷く。実を言うと連絡手段が完全に絶たれた訳では無かった。
ガーハンス鬼神国には特殊な魔信手段を保有しており、第32師団からの報告もその特殊な魔信によってボーン中将の元まで届いたのだ。
鬼神族が扱う強力な原始魔法……これを元に製造された魔信機械があった。幾つかの師団にこれが付与されていた。第32師団本部もこれを使用したのは明白。
それを使えばこの謎の通信遮断現象ー恐らくは魔力嵐ーであろうとも問題ないのは解った。あとは第32師団本部からそれを探せば連絡は取れるのだ。
問題はその師団本部の建物もここと同様に壊滅していることにある。
十中八九、その通信機器は損傷しているだろう。しかし希望を抱くにはまだ充分な可能性があるのも事実。
それを表情に出さずにダイヴォード連隊長は話題を変える。
「つまりそちらの司令官も消息は……」
「既に殉職したか、もしくは捕虜になったか……全くもって不明だ。」
重苦しい空気が辺りを包み込む。結局のところこの都市にある戦力で出来る事は限られている。
残された手は部隊を纏めて速やかに後方へ下がる事だ。何よりも負傷兵を癒す治療魔術師が圧倒的に不足している。
この連隊に所属している僅かな治療魔術師や都市にいる者達を総動員しても治療が間に合わずに死亡する者が後を絶たない。
都市リバーテにいる従軍治療魔術師を呼び寄せるか、自分達が向かわねば死者は増していくだけ。そして呼び寄せる手段が無い以上はここで待機する事は出来ない。
撤退する…………この決断しか残されていないが、それは上位列強諸国が、新興列強国の日本から敗走する事を意味した。
その情報は大陸中に広まるだろう。そしてそれは世界中にも流れる事を意味する。
それは両者の最高司令部が許さないだろう。間違いなく自分達は軍法会議に懸けられる。
両国にとって軍法会議に懸けられる事は即ち、死刑を意味していた。
気が付けば自分達は崖っぷちに立たされている事を自覚した。
迷っている時間はない。しかしどの選択も選ぶ事は出来ない。
もし、この状況で日本軍が攻勢を仕掛けてきたら?
ここで満足に戦える部隊は増援として来る歩兵連隊と砲兵連隊の3000名だけ、そのうちの歩兵部隊の多くは負傷兵や破壊された基地の修復で手一杯だ。
ここまで考えたダイヴォード連隊長は自身の身体が震えている事に気付いた。
武者震い? 違う。これは……恐怖か!?
軍に入って20年……輝かしい軍歴こそ少数だが、それでも劣勢に立たされた事など皆無だった彼を恐怖が襲った。
(震えるな! 考えろ! 何かまだ手があるだろ!)
無理にでも震える身体を一喝して思考を巡らせる。そんな彼の元へ部下が駆け寄った。そしてそれは彼等の心臓を突き刺す内容のものだった。
「緊急事態です!連隊長!」
部下は息も絶え絶えに必死に口を開く。
「せ、センゲル平野方向から再び、日本軍を確認! 付近にいた偵察隊は全滅! 奴等はここを攻撃するつもりです!」
何かが落ちる音がした。それは自分達の生命線が堕ちる音だろう。
ダイヴォード連隊長は即決する。全てが遅すぎたが、何としてもこの報告だけは持ち帰ればならない。
「外にいる砲兵連隊を防衛に付かせて食い止めろ! 動ける部隊は直ちに転進! リバーテへ引き返すんだ!」
足の遅い砲兵を犠牲に、残りの戦力を引き連れて撤退。それが彼が下した決断だった。
そして呆然とする中佐達へと振り返る。
「貴官達もすぐに準備なされよ! ここで死ぬつもりは無いだろう!?」
その言葉に弾かれたようにして中佐達は動く。彼等の生へとすがり付く希望が彼等を突き動かした。
それを見送ったダイヴォード連隊長は部下にも指示を飛ばす。
「動かせれる負傷兵も出来るだけ車両に乗せろ! 動かせれん者は……砲兵と共にここで食い止めさせるんだ!」
都市内の基地が使えないので都市近郊に待機させていた第52歩兵師団の砲兵連隊は大急ぎで戦闘態勢に入る。
連隊の扱う中型野砲を10人掛かりで丘の上にまで移動させて、薬包と砲弾を載せた輸送車両が現場に到着するのを待つ。
「照準合わせ!」
やがて定位置に設置し終えた中型野砲を砲兵達は照準を合わせていく。目標は日本軍が通ると思われる平地だ。
砲身を手回しハンドルで大急ぎで回して角度を平地へ傾ける。
「装填しろ!」
中型野砲の装填部扉を砲兵が開けて、到着した輸送トラックから薬包と砲弾を持ってくる。
「急げ!」
砲兵長の怒号に応えるように砲兵が装填部へ薬包を手で押し込む。
その後に※8ヤック砲弾を押し込み、2人掛かりで更に奥へと入れて、装填部扉を急いで閉める。
※60mm
これらの手順を終えた10門の中型野砲と20門のキャノン砲の計30門もの大砲が数列に並んで日本軍を待ち構えた。
上位列強国による30門の大砲! これは準列強国や高度文明大国程度であればこれだけで一蹴できる戦力だ。
ここにいる数百の砲兵達もそれらの国々に対して何度も砲撃を繰り返した実戦経験のある者達ばかりだ。あとはいつものようにひたすら砲撃をするだけ。
しかし今回の彼等が相手にするのは、自分達の仲間を圧倒的な力の暴風で凪払った謎多き日本軍。その情報は彼等に緊張を高めるには充分過ぎた。
そして何よりも彼等の前方で雑な戦列を組んでいく集団が更に動揺を誘わせる。
この自分達のいる丘から前方200m先に展開する3000前後のガーハンス鬼神国の第32師団の生き残りだ。しかしそのほぼ全員が負傷している。
彼等はこの都市からリバーテまで移動するのが不可能と判断された負傷兵達だった。
リバーテまで戻る本隊の時間稼ぎの為に自分達と同様に戦場に送られた哀れな者達。
痛々しげに血が滲む包帯で身体を多いながらも小銃を手に持ち、日本軍が視界に現れるのを待つ彼等を丘から見下ろす砲兵連隊のヤイチ上等兵は隣の同僚に話し掛ける。
「アイツ等も気の毒にな。うちの糞みたいな連隊長のせいでよ!」
そう吐き捨てるヤイチ上等兵に、中型野砲の照準機を操作していた同僚が応える。
「馬鹿が! 俺等も同じだろうが。 俺達は捨て駒なんだよ!」
糞っ、ツイてねぇよ。そう呟く同僚にヤイチ上等兵は地面に唾を吐き捨てる。
やがて暫く緊張の時が経過していると遂にその時が来た。
「っ!」
丘にいる彼等は土煙を撒き散らしながら重厚な戦車の群れと多種多様な戦闘車両がその砲身をこちらに向けて突進してきた。
(あれが……仲間を?)
「まだ撃つな! もっと引き付けるんだ!」
灰色の大型戦車の群れに目を弾いていたヤイチ上等兵は砲兵長の言葉に意思を取り戻した。
それと同時に前方の第32師団の歩兵が動いた。彼等は散らばって少しでも時間を稼がなくてはならない。
距離はまだ遠い。ヤイチ上等兵は深呼吸をして気持ちを落ち着こうとしたその瞬間、視界の先にいる日本軍の戦車から砲撃の光が見えた。
それと同時に彼の40m右にいたキャノン砲が爆発四散した。
爆発したキャノン砲の残骸が数十m以上も飛び上がっていく。
突然の砲撃にヤイチ上等兵だけじゃなく、彼の周囲にいた仲間も爆風や落ちてくる残骸から身を守ろうと列から離れる。
「砲撃だ! 離れろ!」
誰かがそう大声で叫ぶ。これにヤイチ達は混乱した。慌てて上官がそれ以上の怒号を飛ばす。
「馬鹿者! 持ち場を離れるな! 配置に戻るんだ! 自分達の職務を忘れたか!?」
そう言って戦意を維持しようとするが当のヤイチ達はそれは効果が無かった。
持ち場に戻れ?ふざけるな!あんなの反則だ!
どう見ても自分達の大砲では届かない距離から初弾命中をしてくる日本軍に彼等は全てを完全に理解した。
奴等は戦ってはいけない連中だ。自分達が相手にしてきた奴等とは格が違いすぎる。
今までは狩る立場だった自分達が今度はその自分達が狩られる立場になったのだ。
それを理解したヤイチ達だが、他の者達と同様にそれに気付くには遅すぎた。
そうしてる間にもまた別のキャノン砲が吹き飛んだ。次は数両の大砲と同時にだ。
前方を見れば、動こうとした歩兵達も同じように砲撃を受けていた。まともに走る事すら出来ない負傷兵だ。生存率は絶望的だろう。
だがヤイチ達は違う。まだ走れる。距離もまだある。逃げるなら今しかない。
そう思い立ったヤイチ達は走った。持ち場も任務も全部放り投げた。
双眼鏡を持っていた者は投げ捨て、大砲を固定していた者はそのまま走り、薬包と砲弾を持っていた者も放り捨てる。
更には指揮をとる各砲兵長達も指揮棒を手に持ちつつ丘から掛け降りた。丘には無人となった大砲だけが残った。
これで丘に展開していた砲兵連隊は戦線離脱した。これにより背後からの支援を失った前方の歩兵達は日本軍への有効な攻撃手段を喪失した。
これを中央後方部の90式から見ていた第3戦闘団の池田団長は指示を出す。
「丘の木偶の坊は消えたぞ。 周囲の敵影を見逃さずに追撃しろ。 だが敵の本隊は放っておけ。 俺達の仕事は都市の確保だからな。」
(それに俺達だけじゃねぇからな。)
池田はそう呟くと、上空からジェット機特有の爆音を響かせながら飛行する8機のF-15Jが音速で通り過ぎた。
遂に対空レーダーから連合軍側の航空戦力が飛び立ったのを確認したのだ。
そして識別された機影の鑑定結果により先日の民間人虐殺を行った部隊であると特定出来た。
彼等は逃亡する敵部隊の攻撃をした後、この航空戦力と対峙する。
日本の天空の槍が、横暴な脆刃を砕く為に向かう。




