第94話 駆け引き
第94話 駆け引き
バリアン大陸
第2戦闘団 本部駐屯都市
池田大佐指揮下の第2戦闘団が駐屯する都市のとある区画に、戦闘団所属の隊員達がいた。
そこは都市の周辺農地から集められた農作物といった食糧品を都市が管理・保管するための倉庫区画であり、現在はその大部分を日本国防軍が一時的に借用していた場所である。
その倉庫区画一帯は外周を高いレンガの壁で一般人の侵入を制限し、幾つかの出入口ゲートには武装した隊員が警備を行っているのが見える。
そして現在、その出入口ゲートで数台の輸送トラックが手続きを終えて倉庫区画に入ろうとしていた。
簡易な造りのゲートが開かれ、輸送トラックの車列は倉庫区画へと入っていく。暫く区画の道を走らせ、目的の倉庫群へと到着した車列は路肩へとトラックを再び停車させる。
輸送トラックが停車すると付近で仕事をしていた戦闘団の整備員と現地の作業員が倉庫内から現れ運転者の隊員等と一言二言話すとすぐに輸送トラックの荷台へと向かって中の荷物を下ろしていく。
彼等が倉庫に運んでいったのは、日本本土より生産され大陸西部のノル・チェジニ軍港より運ばれてきた待ちに待った軍事物資……ではなかった。
トラックの荷台にはノル・チェジニ軍港から下ろされたパレットの上にビニール膜で丁寧に包装され積まれた物ではなく、現地で入手した粗い作りの木箱の中に入れられ、土や血で汚れた大量の銃火器や弾薬に食糧品・日用品・衣類・装備品、各トラックに種類別で載せられていた。
彼等の取り扱っている荷物は本土からの物ではなく、先の交戦でジュニバール・ガーハンス軍の敗残兵が戦地に残した軍需品であった。
数度の戦いで敵から得たその量は全てが莫大なものであり、数週間にも渡って倉庫への収用が行われているが、その全体量の半分を終えたところであった。
その量は日本国防軍側がこれから使用する軍需品よりも押収した敵の軍需品の方が多い有り様であり、借用している倉庫の過半を占めていた。
倉庫区画にいる彼等隊員は、その押収した敵の軍需品を仕分け、倉庫に保管していたのだ。
しかし最後の戦いから幾分もの日数が経過しても一向に終わる気配がしない日々に隊員達は身体的な疲労を大きく感じていた。
そんな彼等は今日も朝から来た輸送便トラックを受け入れ、その運転者等と共に倉庫へとしまっていく。
銃火器や弾薬といった危険な物品は隊員達が区画の中でも奥側の警備の厳重な倉庫にしまい、その他の危険物では無い物資は主に現地で雇った大陸の人間がそうではない倉庫へと運んでいく。
「………これも汚れが酷すぎる。洗濯所行きだな。」
「分かった。」
その過程で輸送トラックから下ろしたばかりの木箱の中身を確認した隊員が、その汚れの酷さから指示した。因みにその中身は血塗れのジュニバール帝王国陸軍の軍服とブーツである。放置すれば倉庫内で蛆虫や異臭騒ぎになってしまう。
その指示を受けた別の隊員が木箱を持って倉庫の脇に設置された仮置き場用のパレットへと置いた。
その時には既にパレット一杯の状態であった為、隊員はその横に停車しているフォークリフトに乗って一杯のパレットを別の場所へと運んでいく。
何列にも建てられた倉庫の列をすり抜けて倉庫区画から出た隊員が向かったのは、この都市の西側にある川の流れる区画であった。
その区画は現地の住民が暮らす生活区画の近くであり、その川では住民達が飲料水の確保や洗濯、釣り等を行っていた。
隊員はそんな住民等が乱雑する未舗装の道を進み、とある2階建ての建物の前で停車して降りた。
その建物は普段は街の女性達が川の水を利用した共用洗濯所として使っている所であり、これまでは彼女等の家族の衣服等を洗っていたが現在は日本国防軍が給金を支払って汚れが酷い物資の洗濯を行う洗濯婦として働いていた。
フォークリフトの音で建物の外に隊員が来たと気づいた洗濯所の管理人がすっ飛んできた。
「これは兵隊様、わざわざありがとうございます。」
管理人はそう言って笑顔で会釈する。隊員はそれに慣れた様子で応えた。
「あぁ。追加分だ。今日もあと何便か来るからそれも頼む。」
「勿論ですとも!いやぁ兵隊様方のお陰様で私どももたいへん儲けさせて頂いておりまするから女共も喜んで洗濯させてただきますよ。」
彼女等に支払う給金は洗濯した量によって変化するため、大量に洗濯すればそれに見合った金額を日本側は支払っているのでこの依頼はかなり良い評判を受けていた。
洗濯婦である彼女等も然ることながら管理人である彼にも使用料という名目で収入を受けており、この街での平均収入から考慮しても高い待遇となっており、さらに日本側は支払いを全く渋っておらず、他の列強の様に横領等もしないのも評判を上乗せしていた。
そんな彼と事務的な会話を一通りした後、建物から出てきた他の管理人や洗濯婦達が今はもう見慣れたフォークリフトに載せられた木箱を次々と中へとは運んでいき洗濯をしていく。
それを見送った隊員は再びフォークリフトに乗って倉庫区画へと戻る。
「ニホン軍だぁ。」
「こっちに来てぇ。」
道中、街の子供達が彼を見つけて手を振って走ってくる。馬とも馬車にも違う乗り物に、子供達は興味津々だ。
隊員もそれに気付くが軽く手を振り、速度を上げて子供達に追い付かれないようにする。
最初こそ、興味心深い子供達が日本国防軍の隊員達に近付いて来て、それを大人達が必死の様子で叱る光景が続いていたが、横暴な態度を取らない隊員達を前にこの都市では大人達も余程の粗相を仕出かさない限りは静観をしていた。
しかしある時、彼とは別のフォークリフトを操縦する隊員が子供達の願いを受け入れて乗せて上げたところ、誤ってアクセルを踏んでしまい、事故りかけた事例が発生してしまい、それ以降は子供達に触れさせないように通り過ぎるようになったのだ。
それで尚も見えなくなるまで追いかけ続ける子供達を背景に隊員は倉庫へと戻った。
フォークリフトを再び元の位置に停車させて荷物の受け入れを再開する。今度のトラックの荷台に載せられていたのは銃火器であった。
銃火器といった危険物の入ったトラックは現地の作業員の目に触れないように、すぐさま奥の倉庫へと整備員が誘導して、停車すると次々と長方形型の木箱を各倉庫に置かれた電動ハンドリフトを使って下ろしていく。
電動ハンドリフトを使ってパレット上に載せられた木箱を先と同じ要領で倉庫の中へと入ると、そこには既に数人の隊員が届けられた木箱の中身を確認して各棚へと置いていた。
「今日の便が届いたぞ。」
「あいよ。」
電動ハンドリフトで運んできた隊員に机の上に置いた小銃を分解していた隊員が応える。
彼は分解作業をしていた隊員の元へと近付いて話し掛ける。
「これは使えそうなのか?」
「一応はな…………だがあまりお勧めできん。」
分解していた隊員はそう言うと手際良く組立直していき、本来の小銃の姿へと戻すと、ボルトを引いてガチャと金属音のような装填音を倉庫内に鳴らす。
「………ジュニバール帝王国陸軍のライ・マーボス歩兵小銃。
軍需重工業会社マーボス社製のライ小銃シリーズで、陸軍歩兵の主力小銃であり、口径は7.8mmで全長は1320mm。
高威力であるが全長が長いため体格の良い軍人でなくては集弾率は低く、重量も8.6kgと重いため取り扱いに難あり。
また、ボルトの回転角度も50度前後と装填は慣れていても手こずる………録な銃火器のない列強以外の連中には充分だが、俺等を相手にするには改良が必要だな。」
組立を終えた隊員はスラスラと机端に貼り付けた銃の詳細表を読み上げ、自身が触れてみた感想を述べる。
「他のもそんな感じなのか?」
電動ハンドリフトのハンドル部に肘をかけて問う彼に、組立をしていた隊員は側に置かれた小銃棚に視線を向けて彼も同様にそこを見た。
多種多様の小銃が小銃棚に陳列されていた。まるでアメリカの個人経営の小銃店のように乱雑に置かれていた。多分だがこの棚はこの隊員の自作だろう。
「あそこにあるメッツⅢ型騎兵小銃………ラポッツ・リード歩兵単発式小銃…………チュリ小銃にベリフィリ散弾式小銃…………使い勝手の良い物もあるにはあるが、調整が効かない物ばかりだ。銃弾の口径だってマチマチだぜ?」
そう言うと今度は小銃棚とは反対の方へと視線を変える。そこには大型の棚に大量の木箱が置かれていた。
2人はあの棚に置かれた木箱の中身を知っているため会話を続ける。
「あれは棚毎に種類別されているんだよな?」
「そうだ。さっきの7.8mm弾や他の口径、ざっと40種類近くの銃弾が入ってる。」
「40!? そんな大量にあるのか?」
彼は驚いて思わず隊員の方へ振り向いた。それに隊員は呆れ顔で応える。
「メーカー毎に口径が全く異なるんだよ。こっちには共通規格なんて概念は無いようだな…………というよりも各師団によって調達してる武器は様々のようだ。1社のメーカーで複数の師団を得意先にしてるってのがこの世界の軍事事情みたいだ。」
そう肩を竦めて言う隊員に彼はその木箱が大量に置かれている棚へと向かい1番上の木箱の蓋を開けた。
中身はやはり銃弾であり、開けた木箱の銃弾は小銃用であった。銃弾を入れた弾倉が隙間なく収用されていた。
「そっちのは死体から取った方だな。弾薬庫から持ってきたのは隣の棚のはずだ。」
隊員はそう言うと彼の開けた棚の隣へと歩き、手短な木箱の蓋を開けた。
開けた木箱の中身は更に箱が入っており、ガーハンス軍が使用している弾薬箱が入っており、隊員は更にその箱をあける。
「こっちは固定式の機関銃の弾だな。」
弾帯で詰められた銃弾を手に取って言う。
「棚一列毎にその種類で置いているからな。どう考えても置き場が足りない。」
隊員はそう続ける。彼が言った通りで既に多数の倉庫が満杯状態であり、倉庫管理者からは悲鳴を上げていたのだ。
本来であれば戦地で回収された敵側の軍需品はこの都市で各品目に仕分けた後、ハマ山岳にある第3戦闘団本部付近に建てられた倉庫を経由してバリアン方面隊最大基地であるノル・チェジニ軍港に集積後に、荷下ろしを終えた輸送船に入れ変えて日本本土に送るという計画が建てられていたが、そもそもの輸送船の荷下ろし事態が大きな遅延状態のため、未だに物資の殆どがこの大陸に置かれている訳だ。
恐らく2人がいるこの倉庫区画にある使用可能な物だけで、数千人分の武器・弾薬が保管されていた。
損傷の軽い物だけでその数だ。鉄屑同然までに破損した物も含めれば、これから仕分けする労力と倉庫の圧迫量を考えるだけで幻滅する。
「おいそこー。お喋りはそこまでにしていい加減手伝えよ。」
2人の精神が削られたタイミングで別の電動ハンドリフトを使って木箱を置き場に置いていた隊員が声をかけた。
それで漸く2人は本来の仕事へと取り掛かる。この単調な仕事がいつ終わりを迎えるのか、そんな事を考えないようにして無心に動く。
数時間に一度の頻度で輸送トラックが出入りする倉庫区画から離れて戦闘団本部となっている都市長の邸宅へと移る。
偵察衛星・高高度偵察機による情報によって北部戦線及び中央戦線からガーハンス鬼神国軍、ジュニバール帝王国軍の進攻を確認。
第2戦闘団の本部要員は速やかに想定される交戦区域への部隊派遣を決め、各地に展開されている部隊へ指令を通達していく……筈だが、第2戦闘団が相対するべき中央戦線のジュニバール帝王国軍は都市マロナイナの先にある都市を占領した後、付近の森林地帯で進軍を停止しそこで拠点の設営を行っていた。
これに第2戦闘団本部は速やかな戦闘部隊の派遣の必要性は無しと判断したものの、航空戦力による妨害作戦・工作を第1戦闘団本部へ打診。更に攻撃ドローン・対地ミサイル及び榴弾砲による継続的な攻撃準備を行っていた。
本部への指令により都市内の国防軍の管理区画にある倉庫から攻撃ドローンを載せた輸送装甲車・自走砲が護衛である戦闘車両と共に都市から出た。
彼等は森林地帯に拠点を造っているジュニバール帝王国陸軍 スロイス准将が率いる部隊への攻撃が可能な場所へと向かった。
都市リバーテ
旧都市長邸 現連合国軍前線司令部
スロイス准将が率いる混成師団部隊が日本国防軍が駐屯する都市を攻勢せず、数十km離れた森林地帯で進軍を停止した情報は早急にジルヒリン議員の元へと寄せられる。
当初、この報告を受けたジルヒリン議員は連合軍傘下にある準列強諸国の将軍等との会食を切り上げて自身の執務室へと怒り心頭の様子で戻った。
「モリック・スロイス!名門出身でもない、たかだか一介の大佐に過ぎない奴を将官に任命してやったと言うのに、その恩を仇で返して来たか!」
執務室の黒檀椅子に座ったジルヒリン議員は開口一言そう吐き捨て、側に控えていた秘書へ命令をする。
「直ちにブリットン軍法調査官に連絡をとれ。あの恥知らずを軍法会議にかけて帝王国の威信を守らせよ。」
「承知いたしました。」
秘書が執務室へ出ようとしたその時、扉からノックが鳴り声が聞こえた。
「ジルヒリン議員閣下。第22重師団フローブァイル中将と第55師団デリック中佐であります。」
その声に秘書はジルヒリン議員の方へ見合わせた。それにジルヒリン議員は一言だけ発する。
「入れ。」
扉が開かれる。その間にジルヒリン議員は先ほどまでの怒りを落ち着かせる。
師団長と大隊長の2人、その両名の名前と顔はジルヒリン議員も良く知っている人物であった。
1人は先日の3軍統合緊急戦略軍事会議で反抗的な態度を示し、もう1人は自身のジョスブン家と匹敵するジュニバール帝王国軍でも屈指の名門であるウィンザー家の出身である。
両者共にこの国の陸軍内では大きな影響力を持つ軍人であり、如何に最高司令官であるジルヒリン議員であろうとも無下にすることが出来なかった。
だが妙なのはこの2人に面識があったのかという疑問だ。互いに影響力のある2人であるが、地方の現場で長年活躍し将官となった老将と、名家の出で首都への任官後に佐官となった青年佐官…………そんな両者の経歴を見ても接点など無い筈。
故にジルヒリン議員は事前のアポ無しにこの2人が揃って目の前に来たことに嫌な気配を感じていた。
しかしそのような様子を一切他者に見せることなくジルヒリン議員は穏やかな表情で2人に問う。
「まさか二人揃っての面会とは、どういった要件かな? 知っての通りに私は準列強諸国との会食や戦務参謀会議の予定が入っている………手短に済ませてくれると大変ありがたいのだがね。」
さっさと去れ、言葉こそは出さなかったが言外に強い意味を持たせて言い放つジルヒリン議員に対してフローブァイル中将は全く気にも止めない様子で口を開いた。
「勿論存じております。であるため、こちらの書類に目を通して署名をお願い致します。」
それにデリック中佐が脇に抱えていた書類の束をジルヒリン議員の執務机の上に置き、彼はその書類に目を通した。
机に置かれた書類の束の1枚目を読み終えたところでジルヒリン議員は静かに、だが怒りを含めた様子で問う。
「何だこれは?」
彼が読んだ書類の一番上の行には『第3次攻勢作戦書 修正版』と記載されており、今回のスロイス准将が発案された内容がそのまま載っていた。つまりジルヒリン議員やシャップス軍団参謀次長といった第2軍団の作戦参謀が考案した作戦書から大きく解離した内容であった。
前線司令部の最高司令官たるジルヒリン議員から発せられた圧力に側に控えていた秘書や、それに対峙するデリック中佐から息を呑むような反応を示すなか、フローブァイル中将だけはそよ風にふかれたように淡々と応えた。
「読んでの通りであります。
スロイス准将率いる混成師団は日本軍が駐屯する都市から50km離れたリュート森林にて前線基地を設置、そこを中心にして日本軍への攻勢を仕掛ける足掛かりとします。
その為に必要な資金及び人員に補給体制の整備案がそちらに記載されております。
同時に第3次攻勢作戦に携わる第55師団・第61歩兵師団を受け入れる施設も平行して設営を行います。
また、この攻勢部隊の一部部隊を指揮官不足が懸念されているスロイス准将の部隊への編入許可を頂きたい。」
「ふざけるな。こんな内容を私が許可すると思うか?
第一に、第55師団等の受け入れ施設だと?貴様等、軍団間の戦略をも変えるつもりか。一体何の権限があって勝手な事をする!」
ジルヒリン議員は机を叩いた。
第3次攻勢作戦の要である第55師団・第61歩兵師団の受け入れ施設をスロイス准将のいる森林地帯へ設置する。
それは即ち早期に日本軍を平定する作戦を否定して長期戦に備える構えを意味しているとジルヒリン議員は気付いた。
「攻勢部隊の受け入れ施設の設置なぞ必要ない。何故ならばお前達の拠点は後方ではなくて前線だ!日本軍の拠点を占領すれば良いだけだ!そんな意味のない場所に造る時間も物資もない!」
これまでの彼からは珍しく他者に明確な激昂を見せる反応に秘書は全身を震わす。しかしフローブァイル中将は尚も冷静に反論した。
「現実を見て頂きたい。我が軍は何度も日本軍相手に退けられました。我が国のみならずガーハンス鬼神国までもが手痛い反撃を受けたのです。最早彼等日本は貧弱な軍隊等ではなく、我ら上位列強諸国に遜色ない精強な軍隊を持つ国家だと認識するべきです。
軍団作戦参謀が考案した作戦は何の役にも立ちません。机上の空論なのです、閣下。」
「黙れ。それを何とかするのが貴様等軍人だろうが。何万という兵力と兵器を惜しみ無く投入しているというのに、出来ないと言えば解決すると思っているのか?
精強な軍隊を持つ国家だと?それが何だ。東世界を支配する我らが帝王国軍がその程度で引き下がる理由にはならん!
あらゆる力を行使してでも短期間で日本軍をこの大陸から駆逐せよ。」
「バイガン特将閣下等の到着前にですか?果たしてファルジニ上級大将等はこの事態を把握しているのでしょうか?
軍団間の定期魔信を議員閣下が規制命令を下していましたが、閣下は他の軍団長へこの事を報告をしましたか?」
「貴様………」
禁句に等しい事を躊躇なく言い放ったフローブァイル中将に流石のデリック中佐も心配そうに壮年の師団長を見つめた。
「バイガン特将閣下等への報告は戦果の確定が進んでからだ。それが貴様等陸軍からみても良い筈だろう?」
元を辿れば貴様等陸軍が負けなければこんな事にならなかったんだ。ジルヒリン議員はそう言うが、当のフローブァイル中将は首を振った。
「いけませんな。作戦の大幅な修正が必要なまでに事態は急変しております。速やかに詳細を説明するべきです。」
「フローブァイル中将!それが貴様等陸軍の総意であるか!? 私は貴様等陸軍の名誉の為に情報規制を掛けているのだぞっ!あれだけ無様な敗北を喫した責任は誰が負うというのだ!?答えろ! 帝王国陸軍の英雄!フローブァイル中将!」
我慢限界に来たジルヒリン議員は遂に椅子から立ち上がってフローブァイル中将を問い詰める。しかしフローブァイル中将は尚も態度は変えなかった。
「はい、閣下。他の師団長等もシャップス軍団参謀次長の考案した作戦には反対の意を出していると言質を取りました。
どの道、前線を知らぬあの軍団参謀次長の言い通りにしても何も事態は好転しませんぞ。悪戯に兵をより喪えばあやつを推薦した閣下にも飛び火しましょう。」
「…………ならば貴様であれば違うと言うのか?」
「少なくとも日本軍を苦しめさせるのは間違いないです。仮にこの作戦が失敗したならば私を罷免して下さい。」
「…………全責任を負うと言うのか?貴様が?はっ、老人1人の首を飛ばした所で何になる?」
ジルヒリン議員はそう言って笑った。生け贄となるには弱いと、彼は言ったのだ。そこへこれまで沈黙を貫いていたデリック中佐が口を開く。
「恐れながら議員閣下。私、ウィンザー・ブァイド・デリックもこの首を捧げる覚悟であります。」
その言葉にジルヒリン議員は止まった。そしてデリック中佐の前へと歩く。
「…………第55師団 第26投擲大隊 大隊長。その言葉は本心からか?」
この問いにデリック中佐は少し訂正して発言した。
「はっ!このウィンザー・ブァイド・デリック中佐、全身全霊を持ちましてこの作戦に従事させて頂きます!」
ジルヒリン議員はその返答に口を閉ざす。隣に立つ老将フローブァイル中将もデリック中佐の表情へと視線を移す。
1人は絶好の獲物を得た反応を、1人は青年の覚悟に感嘆の反応を。両者の心境は別であった。
ジルヒリン議員は最後の確認をとる。
「ウィンザー・ブァイド・デリック中佐。たった今、己の発言した意味を理解した上の発言か? 第55師団 投擲大隊 大隊長としてではなく、ウィンザー・ブァイド・デリックとしての発言か?」
「はっ!言葉の通りでございます!閣下!」
そこでジルヒリン議員は2人の前では初めて心の底からの笑顔をした。
デリック中佐は大隊長としてでは無く、帝王国陸軍 近衛軍団司令官 ウィンザー家の立場で責任を負うと発言した。
仮にこの2人の作戦を採用して、再び攻勢が失敗をした場合、それも致命的な失敗を犯した場合は陸軍の英雄と陸軍屈指の名家がその失敗の責任を負うという。
帝王国の陸軍内で幾つもの派閥が存在する。その派閥の中でも大きな勢力を持つウィンザー家に汚点が生まれた場合、他の派閥は一気にその攻撃を行うだろう。
そしてその影響は陸軍単体だけの話ではなくその派閥に関与する財閥界・政界にもその影響は響くであろう。
彼等の言葉をそのまま受け取れるならば、今回の大陸平定作戦の全責任を司令官であるジルヒリン議員にでは無く、この2人に転換する絶好の機会を得たのだ。
ジルヒリン議員の持つ全ての人脈・能力を行使すれば、この失態は第2軍団 軍団長の失態から帝王国陸軍を経由してフローブァイル中将、ウィンザー家へと変える事など雑作も無いことだ。
あっという間に軍事的失態は政治の話となり、これまでの敗北の責任は負わされる筈のジルヒリン議員はこれで有耶無耶に出来るだろう。
そこまで考えたジルヒリン議員は落ち着きを取り戻して再び椅子に腰を落として腕を組んだ。
「………スロイス准将及び指揮下の混成師団はリェート森林に新たな前線基地を設営並びに長期戦を見据えての第3次攻勢部隊の受け入れ施設の設営だな?」
「もう一つ、第3次攻勢部隊の中からスロイス准将の部隊への配置転換は、此方のデリック中佐の部隊に。」
「なに? デリック中佐を?」
ジルヒリン議員はデリック中佐へと視線を向ける。やや緊張の色が見える自身と大差ない年齢の男の表情からは緊張以外にはその心の内は図れなかった。
「スロイス准将とデリック中佐は同期の間柄です。故に部隊間での問題も起こりにくいでしょうし、管轄の師団長等も同意してます。」
その説明にジルヒリン議員は納得した。ウィンザー家としての家柄を持つ部下なぞ、他の師団長等からすれば扱いに困る存在だ。
第55師団や第61歩兵師団の司令官連中は強硬派に属する者達だ。そんな彼等が如何にシャップス軍団参謀次長の作戦案に反対するとは言えども後ろ楯であるジルヒリン議員に楯突く程の度量のあるとは思えない。
そこへこのフローブァイル中将は扱いの悩みであるデリック中佐の配置転換を餌に味方に着けたのであろう。
(成る程………戦場しか脳にない老人と思っていたが、政治も出来るか。あのボーン中将とは雲泥の差だな。)
ガーハンス鬼神国陸軍の同じく老将と見比べたジルヒリン議員は組んでいた腕をほどいて、執務机のペンを掴んだ。
渡された書類内容を隅々まで確認したジルヒリン議員。そして今度は各書類の最終命令承認者の欄へと署名を記入していく。
やがて全ての書類に署名を終えたジルヒリン議員はその書類の束をデリック中佐へと投げ渡した。
「あっとっ!」
投げ渡された書類にデリック中佐は慌てつつも何とか落とさずに受け取った。
それを確認したフローブァイル中将は敬礼をする。
「ありがとうございます最高司令官。」
それにデリック中佐も書類を脇に挟んで同じく敬礼して共に部屋へと出る、のだが、直前にジルヒリン議員の静止の声がかかる。
「あぁ、待ちたまえ。」
その声に2人の動きは止まり、フローブァイル中将が問う。
「何でしょうか?」
やや警戒気味に問うフローブァイル中将に、ジルヒリン議員は微笑みを浮かべ、更に警戒度を上げる老将。
「そんなに警戒しないでくれたまえ。どちらかと言うとデリック中佐に用がある。」
「わ、私でありますか?」
突然の指名にデリック中佐は困惑する。それにジルヒリン議員は頷いた。
「そうだ。スロイス准将の部隊が深刻な指揮官不足なのは理解した。支援として君がその配置となる場合、君の階級では釣り合わない事が懸念される。」
その言葉に2人は硬直する。まさかこの期に及んで承認を却下する積もりなのかと。
スロイス准将の率いるのは書面上では2個個師団級であるが実際は1個師団増強が精々だろう。しかし朝聞かされた報告によると佐官は元中佐から大佐へと昇進したカーネルやスロイス准将の副官であった男であり、その他では生き残りの士官を臨時で佐官にして無理やり指揮官にさせたりの様子でマトモな佐官は居なかったのだ。
そんな状態で中佐階級であるデリックが来れば、恐らくは旅団級の指揮を任される。だがデリック中佐は大隊程度の指揮しか経験がない。
つまりデリック中佐では部隊指揮に著しい能力不足が懸念されるのだ。まぁ尤もの話、名目上2個師団の指揮を任されたスロイス准将ごそが最大の懸念点であるのだが。
そこを突いてスロイス准将の元にはジルヒリン議員の飼い犬でも付けるつもりなのか?2人はそう勘繰った。
しかしジルヒリン議員の言葉はその反対であり、2人の意表を突いた。
「だからこそだ。私からの贈り物を受け取って欲しい。」
ジルヒリン議員は秘書から1枚の上等紙を受け取ってスラスラと文字を走らせて最後に自身の印鑑を押して1枚の辞令書を作ってデリック中佐へと渡す。
それを恭しく受け取ったデリック中佐は内容を読んで目を見開いた。
「わ、私を大佐へ昇格…………っ!」
「っ!」
デリック中佐はそう口に漏らして驚愕し、フローブァイル中将は静かに目を大きく開けて、その意図を察してジルヒリン議員へと視線を向ける。
「後から正式な昇級に関する書面と階級章を送らせよう。おめでとうデリック大佐。本日より君は旅団級の指揮を任される。」
「あ、ありがとうございます!」
デリック大佐は突然の昇進に僅かだが気分を高揚させてしまう。
「…………行くぞ」
そこへフローブァイル中将は静かに言って2人は退出した。その時フローブァイル中将は受話器に手を伸ばすジルヒリン議員と目が合った。
執務室から退出した2人は総司令部の廊下を歩く。
「ふ、フローブァイル中将閣下!今回は誠にご協力頂き、ありがとうございます!このご恩は必ずや御返しします!」
デリック大佐はそう目の前を歩くフローブァイル中将へと頭を下げた。それに彼は手で制止した。
「気にするな。君の母親には昔世話になった身だ。それに………私とて無茶な作戦で兵士達が苦しむのは看過できんかったからな。君が居なくても何かしらの行動に出るつもりだった。」
兵卒から中将へと成り上がった歴戦の軍人の言葉にデリック大佐はより一層の感謝を述べた。
「喩えそうであったとしても、閣下のお力でここまで上手く事が運びました。これで前線にいるスロイスも…………准将等は大いに助かります。」
「上手く事が運んだ……かね。君はウィンザー家の出身には見えないな。」
「はい?」
デリック大佐は意図が分からずにいた。それにフローブァイル中将は言う。
「気を悪くせんでくれ。親しみ易いとも言えるな……あのジルヒリンという男は君を………ひいては君の一族に痛手を負わせる為の一手を投じたのだ。」
「ど、どういう事でしょうか?」
「………あの男の最後の言葉、恐らく君はスロイス准将の元で相当数の部隊の指揮を取るように念を押される筈だ。
我々が責任をとると言った手前、この作戦に失敗すれば我々は陸軍内外から大きな批判を受けるのは明白。
そこへウィンザー家の軍人が大部隊を率いていたと話になればジルヒリン議員は好機とばかりに君を祭り上げるだろう。師団長であるスロイス准将を差し置いてな。」
「っ!」
説明されてデリック大佐は漸く状況を理解した。
ジルヒリン議員は自身とその背後のウィンザー家そのものを今作戦の全責任を負わせるつもりなのだ。大隊程度を指揮していたとなれば、攻撃材料としては弱いが、数千規模の部隊を指揮する旅団長であれば失敗の責任を問うには充分である。
「奴の事だ………ジョスブン家とバイガン特将等も捲き込んで君の一族を弾劾する為の下準備を行うだろうな。既にバイガン特将には現在の報告ついでに今回の君の判断も報告しているだろうな。」
フローブァイル中将は最後に受話器へと手を伸ばしていたジルヒリン議員の姿を思い返す。
「君は独断でウィンザー家を捲き込んだ。この作戦に失敗すれば君は全ての味方を失うだろう。無論、私も全力でそれを阻止する。私には師団の独立指揮権を元老院より拝受されている。
何かあれば即座に君達の援護をする。あのジルヒリン共の妨害を受ける事はない。何かあればすぐに私を頼れ。」
「はっ!ご助力感謝します…………しかし、このような緊急事態でも政治争いを優先するとは、一体戦争を何だと………っ!」
デリック大佐は心の底から失望の念を感じた。
「私も若き頃は同じ憤りを感じた。安全で優雅な本土にいる政治家や資産家共には、分からんのだよ。戦争の本当の姿というものを。」
「本当の姿ですか?」
「戦争とは即ち殺し合いだ。どちらかが一方的に殺す殺戮ではなく、互いに同じ怪我を負うのが本来の戦争だ。
だが、我々はこれまで一方的な殺ししか経験してこなかった………しかし日本という国を相手にして漸く我らは本来の戦争を経験しようとしているのだ…………いや、下手すれば今度は我々が一方的な殺戮を受ける身となる可能性すらある。君が私に説明してくれた日本の科学技術とやらが高度な次元にあった場合、これまでにない新たな歴史を進むことになる。
つまり全くの未知なる世界を知る事になるのだ…………本当の戦争のあるべき姿を見た時、果たして我々は存在しているのか、正直私ですら想像できない。」
フローブァイル中将はそう言って先を進む。デリック大佐は重大さを再認識して鼓動が早まるのを感じた。
フローブァイル中将とデリック大佐が退出したのを見計らってジルヒリン議員は受話器を取り第3軍団長であるバイガン特将へと繋げた。
『おぉ、ジルヒリン殿か。定期連絡以外では初めてではないか。何用かな? もしや………大陸の日本軍の排除が完了したか。』
「その点に突きましてはバイガン特将閣下。是非ともお耳に入れたき事があります………」
上機嫌なバイガン特将の反応に、ジルヒリン議員は安堵の息を漏らしつつ続けた。
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バリアン大陸の詳細を聞いたバイガン特将の表情は険しい。
「…………そうか。そちらの状況は良く分かった。ジョスブン上級大将には私の方から報告しておこう…………確認だがねジルヒリン殿。この事はまだ大陸にいる資産家連中には知れ渡っていないだろうね?」
『無論です、バイガン特将閣下。現在は情報規制を掛けており、軍団の上層部しか把握しておりません。』
「そうかね。ならば良い…………フローブァイル中将等の件については任せたぞ。私もあの男には煮え湯を飲まされていたのだ。これはまたとない好機だ。」
バイガン特将はそう言って受話器を置き、こめかみに指をかけた。
「我が陸軍が何て様だ。良い恥さらしになる。貧弱な日本軍相手に連戦連敗………記者達にどう説明しろと言うのだ。」
広報担当官に根回しをしなくては、そう考えるが先にやるべき事をやらねばと切り替えてバイガン特将は受話器を再び手に取って、日本出兵作戦の最高総司令官であるジョスブン上級大将へと繋げる。
数回の呼び出し音の後に補佐官らしき人物が出て、バイガン特将は短く言った。
「すまないがジョスブン上級大将を頼む……あぁ、そうか。そっちでは深夜かね。だがジルヒリン議員よりバリアン大陸に関する重要な連絡を受けた。最重要機密故に内密に頼むよ。」
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ジュニバール帝王国 植民大陸
軍港 ジェロバ
数十万の軍勢の頂点に君臨する第1軍団 軍団長であるボルリドン・ジョスブン上級大将は私邸の寝室で寝ていた所を補佐官からの連絡で起こされていた。
寝室の寝台脇に置かれた専用受話器の手を取ってその魔信の先にいるバイガン特将へと言葉を投げ掛ける。
「………軍歴のない若僧に司令官の任を与えたのが間違いであったか。よもや今頃になって報告をしてくるとはな。」
数分の渡るバイガン特将からの説明を聞き終えると先程までの眠気は完全に吹き飛んでいた。
『全くその通りです。しかしそれでもジョスブン家の人間です。上手い事、あのフローブァイルとウィンザー家に致命的な打撃を与える下地を整えてくれました。
陸軍が敗北してしまったのは覆しようもない事実、しかしその全責任をあの者達に負わせれば我々への損失は実質無し…………寧ろ政敵を排除出来るため、メリットは莫大です。』
「フローブァイルか………確かにあの男は前から気に食わなかったのだ。
高々兵卒上がりの成り上がり者如きが我々と同じ立場にいるのが間違っている。こうなったからにはこの好機を決して逃してはならん。
だがバリアン大陸の日本軍を排除するのが優先だ。
バイガン特将、貴公は速やかにバリアン大陸へ進出し、大陸にいる日本軍を殲滅せよ。我々の顔を汚したのだ。捕虜も、交渉もいらん。必要であれば、魔道師部隊の投入も視野に入れよ。」
『承知しました。大陸の日本軍はお任せください。奴等には本当の戦争というものを見せてみせましょうぞ。』
「期待しているぞ。」
そこで魔信は切れた。受話器を元に戻したジョスブン上級大将は寝台に腰掛けていて身体を起こして補佐官を呼び出す。
「今から軍団会議を開く。参謀本部は勿論のこと、各師団長を召集するのだ。それと、ガーハンス鬼神国にいる諜報員に情勢の動向を探らせよ。奴等が何処まで情報を把握しているのかを知りたい。元老院への報告は………その後で構わんな。」
ジョスブン上級大将はそう言うとローブから将校用の軍服へと着替えて私邸を後にした。




