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常闇の王 サイラス  作者: 礎衣 織姫
第五章 深緑のアラバスタ
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エピソード V

 未調査区域は集落よりおよそ六マイル先の北部だ。倒木が多く、エルフも滅多に立ち寄らない場所のため、荒れ果てて険阻である。森の入口から集落までの道のりも悪路だったが、ここへ至ればあれが最善の道だと納得できる。とはいえ、エルフの足運びは軽快だ。長年、森で暮らす者の勘であろう。そのあとをカイルが何とかついて行けるのも、騎士としての訓練の賜物だ。

「若輩とはいえ、副長を任されるだけのことはある」

 とエルデはカイルを評価した。そして杉林を抜け、拓けた場所に出ると一旦部隊の足を止め、遅れがちなアレイスを見やった。拓けた、といっても樹木がないというだけで、丸みを帯びた大小様々な石がゴロゴロと密集し、一歩踏み間違えれば足を挫きそうな、不安定な場所である。

「この作戦の間だけとはいえ、貴方を団長にしたのは正解だったか。まあ、その判断もあの男のものだが――実力はともかく、人を見る目はあるようだ。加護も視えているようだしな」

 とやや冷ややかに言った。カイルは苦笑いした。

「僕は幼少期から騎士になるための訓練を積んでいましたから。アレイスは伯爵家で育って、小さな村の用心棒をしたあと、一般騎士の応募から成り上がった人なので、こういう場所を歩くのは苦手なんだと思います」

「年のせいではないのか」

「え? まだ二十五ですよ」

「は? 貴方を若造と言っていたからてっきり。その割に声は若いと思っていたが」

「……すみません。紛らわしい人で」

「貴方の年は」

「二十歳です」

「二十五の長と二十歳の副長か。時代は変わったな」

「いや、それもアレイスが無理矢理決めたことで。僕ら二人とも正規騎士としては一年目の新米なのに」

「なんだと?」

「あ、でも実績はありますから、安心してください」

「……頼むぞ?」

 エルデが渋い顔をしてもう一度アレイスを見やると、倒木を乗り越える際、ささくれた樹皮にマントを引っ掛けてしまったようで、悪戦苦闘している。エルデはやや脱力し、呆れたように呟いた。

「本当に実績があるのか、彼は」

 アレイスが白いマントを纏っていることへの指摘である。(ふち)には金色の刺繡が施されていて、生地も妙に上等だ。エルデの言いたいことは分かると思いながらも、カイルは苦笑しつつ弁護した。

「すみません。適当なのがなくて、とりあえず持って来たのがアレなので」

「いや、そもそもいらんだろう」

「それがいるんですよ」

「どういうことだ」

「知らぬが仏です。あ、やっと来ましたよ」

 隊に追いついたアレイスは、大きく息をついた。目深に被ったフードのせいで表情は窺えないが、慣れない道で疲れているようだと、エルデは察した。

「思った以上に軟弱だな。大丈夫か」

 そのように声をかけてみたが、アレイスは応えなかった。なので、

「なんだ、返事も出来ないほど疲れたか」

 と続けて言った。するとアレイスは、

「カイルと二人で話をしたい。五分くれ」

 と返した。要は五分休憩が欲しいのだろうと、エルデはうなずいて承諾した。

 隊と少し距離を取ったアレイスは、カイルを引き寄せて言った。「……嫌な予感がする」と。

「私はこれ以上進みたくない」

 とまで言う、アレイスの口調は真剣そのものだった。

「どうして。何かあるんですか?」

「邪悪な匂いがする。良くない闇がある。それにこの森は、私が譲渡した森ではない。ナハトは、あのアラバスタを使わなかったようだ」

「は? 一体、何の話を……」

「以前、世界を滅ぼす前に、エルフの集落に身を寄せていたことがある。世話になった礼に、西大陸の森を封じた石膏を譲った。生き残ったエルフのために使えと。だが使わずに、既存の森を利用したのだろう。聖剣の加護も届かないこんな場所で、大災厄から免れた森を利用するとはな。険しいわけだ」

「……その、石膏に封じた森を使えば、こんなに険しい森にはなっていなかったんですか?」

「無論。そう思うから渡したのだ」

「で、何が問題なんですか?」

「聖剣の加護が届かない場所は邪気が払われないまま再生している。だから自然も厳しく、野獣が多い。魔の入り込む隙もできる。ここも届かない位置にあるから普通に考えればこれで正解だ。しかしあのアラバスタを使っていれば聖都と変わらぬ恩恵があったはず。そのせいでエルフの森の事情を聞いた時、違和感があった。集落に着くまでも、しばらくは半信半疑だった。現にこれまで猛獣も魔物も見ていない。グーロに至っては増えすぎて困っているという話だが、一匹も遭遇しなかった」

「言われてみれば」

「だが森の中は厳しく、荒れている。使っていないのは明らかだ。では猛獣や魔物はどこへ行った」

 カイルは口を半開きにして、しばらく考えた。が、分からなかった。

「……どこなんです?」

「この奥にただならぬ気配を感じる。おそらくそいつが猛獣や魔物を操っているのだろう」

「え、待ってください。だったらなんで、けしかけてこないんですか? 僕たち敵ですよね?」

「私を警戒しているのだ」

「……分かってるっていうんですか? 貴方のことを」

「深い闇にあれば、そういうこともある」

「使役できないんですか」

「お前は本当に分かっていないな。今の私は光明の王に近いのだ。魔物との相性は悪い。できないとは言わないが、容易ではない。もし困難でなければザインの兵から奪って村を守った」

「ああ、そうか。で、どうします?」

「私はここにとどまる」

「は?」

「とどまって結界を張る。親玉が出てきたら、おびき寄せろ」

「おびき寄せたらどうにかできるんですか?」

「分からん」

「ええっ!」

「どんな奴か見てみるまでは分からない。少なくとも結界まで来れば、お前たちの命の保証くらいはできる」

「ああ――そういう感じですか」

 と、カイルはエルデ率いる小隊を振り返った。

「今の説明します?」

「しなければ始まらんだろう。くれぐれも、私のことは伏せて説明してこい」

 カイルは待ち構える小隊の方へ向かうと、言われた通りに説明した。するとエルデが険しい顔でアレイスのもとへ歩いて来た。

「結界を張るだと? どのような魔物が潜んでいるかも不確定なこの状況で。視たところ、大層な結界を張れるほどの才は感じないが」

 アレイスは「ふん」と鼻で笑った。

「私は貴様らの尻拭いをしてやろうと言っているのだ。黙って従え」

「なんだと!」

「依頼の段階で詳細を知らされていれば、どのような掟があろうと聖剣を置いてきたりしなかった。あれさえあれば、このようなまどろっこしい作戦も無用だったのだ」

「なっ……、どういうことだ」

「狩ってもキリがないグーロ、それは巣窟が原因ではない。お前たちがどのように推測しようと、私には、闇の世界から何者かが呼び寄せているのだろうということ以外、考えられない。それはエルフか人間か、上級の魔物か。一番厄介なのは上級の魔物だ。この懸念が拭えない限り、聖剣は必須となっただろう。しかし状況を軽んじ、外を警戒するあまり必要な説明を怠ったため、やれることの選択肢が狭まった。そちらの落ち度だ」

 エルデは「くっ」と奥歯を噛み締めた。

「しかし聖剣など、どうやって持って来る」

「私は聖剣騎士だ。あれを持ち運ぶことなど造作もない。少しは外の情報も入れておけ」

 エルデは声もなく仰天した。その横でカイルは、依頼内容の詳細を聞いた時、妙に機嫌を損ねたのはそういう訳かと首肯した。話を聞いただけで、アレイスは大方の原因を把握してしまったのだ。前もって知っていれば最良の選択ができたという無念が、苛立ちに繋がったのだろう。

「……それで、勝機はあるのか」

 動揺を残したままエルデが尋ねると、アレイスは冷たく応えた。

「最悪な奴が来れば、最悪な方法でしか勝機は見出せない」

「最悪な――方法とは」

「聞くな。今はそれを使わないことを祈りつつ、言われたことをやってくれ。だがもし、使わなければならないと判断した時は、対価を貰う」

「対価? 何だ」

「深緑のアラバスタ」

 エルデは衝撃を受けて身体を硬直させ、目を見開いた。

「なっ――何故、その存在を」

「答える気はない。払うのか払わないのか、今すぐ決めろ」

「……払わないと言ったら?」

「残念だが、私も部下を死なせるわけにいかない。依頼は遂行不可能と判断し、撤退する」

 エルデはこめかみに一筋汗を伝わせ、唾を飲みこんだ。強力な神の加護を受けているカイルと、聖剣騎士――神皇帝がこれ以上ないという人材を派遣した事実が判明した今、エルフ側の不誠実さは慙愧に堪えない。この上アレイスの提示を退けるなど、あってはならないことだった。

「分かった。条件を飲もう。ただ、私の一存だけでは約束が履行される保証などない。そのことだけは、理解してくれ」

「いや、お前の言葉だけで充分だ。私との契約を反故にできるほど、世の中は甘くない」

「は……」

 エルデが訝る瞳で目線を上げると、アレイスは胸の辺りで両手を合わせた。その瞬間、アレイスの全身から強烈な光が放たれ、柔らかい風が地表から舞い上がった。光のしずくを纏いながら螺旋を描き、空へ昇っていく風は、アレイスのフードを取り払い、陽光に輝く亜麻色の髪を乱した。その様は、見たこともないような美しい面差しも相まって、驚くほど神々しいものだった。

 聖なる光と清らかな風は一帯を包み、三百ヤード四方の石を砂に変え、なだらかにして草原へと一変させる。それは瞬く間の出来事で、間近で見たエルデは無論、少し離れた場所で見ていたエルフらも、アレイスをよく知るカイルさえも、絶句した。

 光と風による荒れ地の変革――それは「聖域」と呼ばれる非常に高度な結界だ。神皇帝と聖女が力を合わせなければ展開することは不可能とまで言われている技術である。

「……なるほど、聖剣騎士か。いやしかし、それにしても」

 エルデは意識して呼吸し、見開いていた目を瞬かせ、開いていた口をようやく閉じた。そして、この男が長で、多大なる神の加護を授かるカイルが副長であることの理由を、心の底から理解した。

 アレイスは手を合わせたまま、宝玉のような銀色の瞳でエルデとエルフらとカイルを見据えた。

「さあ、行って来い。行って元凶を連れて来い」

 命ぜられた面々は、息を飲み、各々うなずいて踵を返した。


 石の原を過ぎると、無数の小川が交差する密林へと(いざな)われる。蔓に覆われた木々の隙間を縫うように水が流れ、色とりどりの羽根を持つ怪鳥や小動物が暮らす、グリフォンの生息域だ。すでに上空で旋回している姿が見える。隊員は身を低くして息をひそめ、生い茂る草木に隠れつつ前進した。エルデはカイルと先頭を行きながら、問答を囁きかわした。

「あれは何者だ。あの力、まるで神そのものだ」

「うーん、どうなんですかね」

「なんだ、その生返事は」

「彼を神のように崇めている人は結構いますよ。どういう神経してるのか理解できませんけど」

「聖剣騎士というのは、確かなのだろう?」

「まあ。だけど、なんで聖剣が彼を選んだのかは甚だ疑問です」

「……そんなに問題あるのか」

「問題しかありませんよ。正直、もう関わりたくないです。見た目もあれだし、本当に――災難としか」

 災難としか表現しようがないと言いかけた時、「しっ!」とエルデが声を上げてより身を屈めたので、カイルも咄嗟に頭を下げて息をひそめた。林冠すれすれまで高度を下げたグリフォンが、木々を騒めかせつつ、ゆっくり過ぎていく。森の中の餌を物色しているのだろう。巨大な足についている強靭な爪か、鋭く固い嘴に少しでも引っ掛けられたら一巻の終わりだ。

 五分ほど身動きせずにいると、グリフォンは上空を遥か西に向かって飛び去って行った。木々の揺らぎも落ち着き、静けさを取り戻す。他にグリフォンはいないようだ。用心深く辺りを確かめた後、隊員らは肺にため込んだ息を吐き、エルデとカイルも胸をなでおろして再び歩を進めた。

「それで、どこまで話したか」

「いや、とにかく聖剣騎士っていうのは、聖女様によると神託と変わらないものらしいので、僕らが評価できるものじゃありませんよ。それに文句言いながらも、こんなところまで足を運んで、あんな大技を披露したってことは、エルフを助ける気はあるんでしょう。とりあえず言う通りにしておけばいいんじゃないですか?」

「なるほど」

 エルデはうなずいて苦笑した。そうなるとますますエルフは非礼を働いたことになるな、と。

 集落まで二人を案内して来た道は、実のところ最善ではない。最善の道が使えない時に利用する予備道である。あの程度の道を越えられないならお引き取り願おうと、わざと案内させたのだ。そして集落に着き、半日休ませたあとすぐに出立したのは、族長に謁見させないためである。遠方よりの客人だ。召喚したのも族長であるから、通常なら挨拶があってしかるべきだが、魔物討伐とは血生臭い仕事である。そのような不浄な仕事を生業としているような人間の騎士を、エルフの族長という高貴な地位にある者と会わせることに抵抗があったのだ。

 が、色々真相を明かされた今となっては、全てが過ちだ。これを正すため、任務が果たされた暁には、最低でも族長直々に謝礼を授与してもらわねば、エルフの面目は立たない。しかし――とエルデは神妙に目を伏せた。

 エルフ族の宝というよりは、族長個人の宝である「深緑のアラバスタ」を取引の材料にしてしまった失態は、償われるのだろうかと。

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