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第65話 守ってあげて


 抱きついて頑なに離れそうとしない咲茉と一緒に悠也が待合室の長椅子に座ると、話す間もなく、いつの間にか彼女は意識を手放していた。


 まるで悠也に身体を預けるように、咲茉が倒れ込む。


 そして咲茉の身体が横になると、自然と悠也の膝を枕にして、そのまま彼女は眠っていた。


 悠也のズボンを掴みながら、安心しきった表情を浮かべて、心地良さそうな寝息を漏らす。


 その姿に驚いた悠也が目を大きくしてしまうが、彼よりも遥かに驚きを隠さなかった咲茉の両親達が息を呑んで驚いていた。


「なに言っても寝ようとしなかった咲茉が、こんなにあっさり……」


 眠ってしまった咲茉を見つめながら、彼女の母――涼風すずかぜ紗智さちが唖然としてしまう。


「まさかここまで簡単に寝るとは僕も思わなかった……やはり悠也君を呼んだのは正解だったか」


 そして彼女と同じく新一郎も、眠っている娘の姿に驚きを隠せなかった。


「……咲茉」


 悠也も会うなり咲茉が寝るとは思いもしなかった。


 膝上で眠る彼女の寝顔を見ると、本当に安心していると分かる。以前に起きたラブレターの件と似たような反応だった。


 極度のストレスを受けてから安心すると、その安堵のあまり眠ってしまうことがあると雪菜が話していた。


 その話が本当なら、先程まで咲茉は相当なストレスを感じていたのだろう。この異常な眠りの早さが、その証明だった。


 ただ自分が傍に居るだけで、咲茉が安心している。


 その事実が嬉しいと思える悠也だったが……その反面、ここまで彼女に辛い思いをさせた原因のひとつが自分にもあると考えてしまうと素直に喜べなかった。


「……ごめんなさい」


 その思いが、無意識に悠也の口から謝罪の言葉を吐き出させる。


 唐突に悠也が謝ったことに、紗智と新一郎の二人が怪訝に眉を寄せていた。


「……なんで悠也君が謝るの?」

「昨日、俺がもっと早く駆けつけていれば……咲茉は怖い思いもしませんでした。昨日の夜、俺が咲茉に電話のひとつでもできていれば、怖い夢も見なかったかもしれません。もっと、俺がちゃんとしていれば……」


 もうこれは過ぎてしまった可能性にしかならないが、あり得た未来を考えると、悠也は謝るしかできなかった。


「本当に、ごめんなさい」

「悠也君。この場で君が謝る必要が本当にあると思ってるのかい?」


 悠也の謝罪に、新一郎が淡々と言葉を返す。


 その声に咲茉の頭を撫でていた悠也が顔を上げると、新一郎が僅かに目を吊り上げていた。


「昨日の件は警察から聞いてるよ。それに娘からも話は聞いている。君は友達と私達の娘を守る為に、できることをしたんだ。それがどんな結果であっても、娘を守ってもらった君に僕達が怒る筋合いはない」


 新一郎も昨日起きたデパートの事件については、警察と咲茉から一通りの話を聞いていた。


 娘が襲われたと聞いた時は、生きた心地すらしなかった。もし自分の子供に取り返しのつかないことが起きたと考えるだけで、頭がどうにかなりそうになる。


 そのあり得た可能性からどんな形であろうと娘を守ってくれた悠也を、新一郎が責れるはずがなかった。


「でも――」


 だが、それを分かっていても、悠也は自分を責めるしかなかった。


 可能性の話だが、もし自分の行動が別の形だったならば、最善の未来があったかもしれないと。


 咲茉が拓真と出会わず、凛子も怪我をすることなく、何も起こらなかった可能性があったかもしれないと。


 その悠也の抱く後悔を新一郎が察すると、彼の目が鋭くなった。


 それは紛れもなく、不要な責任を負おうとする悠也に対する怒りだった。


「もしそれでも悠也君が自分を責めるなら、それは私達を責めてるのと一緒だ。それを言えば、そもそも僕達が娘を外出させたのが一番の原因になる」


 根本の話をすれば、そういうことになる。


 悠也が自身の行動を責めるのなら――それは当然、新一郎達すらも責めてることになる。


 娘を外出させなければ襲われることはなかったのだと。


 そこまで言われれば、悠也も黙るしかなかった。


 今回の事件が起きた責任を誰が負うか、その話自体が無意味なのだから。


「昨日の事件で責められるのは君じゃない。事件を起こした人間だ。ここまで言えば、今の悠也君なら分かるね?」


 悪いのは誰か、そんなことは決まっている。時間の犯人が最も責められなければならない。実に簡単な話だった。


「……はい。さっきは余計なことを言いました。ごめんなさい」


 新一郎から諭された話に、悠也が素直に頷いて、謝罪する。


 自身の間違いを認めた彼に新一郎は満足そうに頷くと、その場で戻ってしまった彼の口調を責めることにした。


「それで良い。あと、自分の親に敬語は使うのは間違ってるよ」


 無意識に出てしまった敬語を責められて、思わず悠也の表情が強張った。


「ここでそれを責めるのは反則だろ?」

「なにもおかしなことは言ってないはずだよ。息子に敬語を使われるのは、親としては寂しいからね」


 わざとらしく肩を竦めた新一郎に、悠也が不満そうに顔を顰める。


 その二人の会話に、咲茉の様子を見守っていた紗智が反応していた。


「ちょっと、なに私に隠れて悠也君のこと息子にしてるのよ。私だってまだできてないのに、ズルい」

「別に隠してたわけじゃない。さっき少し話してね。いつも礼儀正しい悠也君も、そろそろ砕けて接してくれても良いんじゃないかって」

「そんな大事な話、私も一緒の時にしなさいよ。それじゃあ私だけ悠也君に敬語使われちゃうでしょ。あなたも私だって悠也君のことは息子と思ってるの、知らないとは言わせないわよ?」


 話していくにつれて言葉の圧が強くなる紗智に、新一郎の表情が固まる。


 そして彼女から睨まれると、新一郎は困ったと苦笑しながら悠也に視線を向けていた。


「さっき言い忘れたが、紗智も君のことは息子同然と思ってるんだ。もし君が紗智のことを慕ってくれてるなら――」

「その言い方は反則よ。断れない言い方は新一郎の悪い癖、私が話すから少し黙ってて。それと私に黙って勝手にあなたが学校に行くはずの悠也君をここに呼んだこと……後でちゃんと話すから」

「……はい」


 返す言葉がないと、俯いた新一郎が肩を落とす。


 その姿に紗智が呆れた溜息を吐き出すと、気を取り直して、隣に座る悠也に向き合っていた。


「私の夫がごめんね、悠也君」

「いえ、別に――」


 思わず出てしまった敬語に、ハッと悠也が出かけた言葉を抑え込む。


 そんな彼に紗智が苦笑すると、優しい笑みを浮かべていた。


 彼女が笑うと、娘の咲茉にとても似ていて綺麗だと思わされる。それだけで咲茉が彼女の娘だと実感してしまう。


 ショートヘアが良く似合う、一際綺麗な美人。普段はとても優しいのに、スイッチが入ると途端に怖くなる。それが悠也の抱く紗智への印象だった。


「新一郎も言ってたけど、悠也君はよくやってくれたわ。自分を責めなくて良い、あなたはこうして咲茉が無事だったことを私達と一緒に喜んでくれるだけで良いんだから」


 そう言って、紗智が眠る咲茉の頭を撫でる。


 少しくすぐったそうに唸る娘に、嬉しそうに紗智は微笑んでいた。


「でも、少し悔しいわ。私達だけだと、咲茉は寝なかった。悠也君が娘にとって一番安心できる場所だって言われてるみたいで、ちょっと妬ましい。私達は娘に好かれてないのかもって」


 口を尖らせる紗智だったが、それがわざとだと悠也も分かっていた。


 不満そうに悠也に眉を寄せる紗智に、彼は苦笑混じりに答えていた。


「……咲茉がよく言ってます。お母さんとお父さんが大好きだって」

「でも、それって悠也君に対する好きより低いでしょ?」


 それを言われると、悠也も返せる言葉が出なかった。


 不安だった咲茉が傍に居るだけで安心して眠れる人間が自分しかいないと分かっていれば、何も言えなかった。


「ふふっ、冗談よ」


 困り果てる悠也に、紗智が小さな声を漏らして笑っていた。


「こんなに安心して眠れるほど咲茉が心を許してる。大好きだって言ってくれる私達よりも、悠也君のことが好きで好きで堪らないのね。まぁ、今の悠也君は良い男になったから……それも当然かもね」

「昔は違った、みたいに言いますね」

「言っておくけど、少し前までは咲茉の方が大人だったわよ? 落ち着きのない子供って感じ?」


 改めて言われると、実に恥ずかしい話だった。


 子供の頃の自分が思われていたか、それが悪い方面なのだから悠也も恥ずかしくなってしまう。


「だけど、そんなあなたでも……私には可愛くて仕方なかったのよ。きっと小さかった頃からずっと見てたからからね。もう私にとって……あなたは私の息子みたいなものよ」


 捧げた愛情は咲茉に負けるけどね、と言って紗智が恥ずかしそうに微笑む。


 その顔を悠也が見つめていると、紗智は真っ直ぐ彼の目を見ながら、その言葉を口にした。


「だからね、悠也。私の可愛い娘の咲茉のこと、これからも守ってあげて。私達が守れない部分も、私の息子のあなたが隣で守ってあげるの……わかった?」


 ハッキリと認められることが……ここまで胸に刺さるとは、悠也も思わなかった。


 よく冗談混じりに、似たようなことを彼女から言われた記憶はある。


 だが今の言葉は、そんな冗談など微塵もない。本心から出た、真摯な声だった。


「でも、俺……咲茉のこと守れなかった」

「怪我しても無事なら良いわよ。これから同じことをしなければ良いの。きっと咲茉も同じことを言うわ。でもその分、傷ついたこの子の心を守ってあげて。それは私達にはできない、咲茉が大好きな悠也にしかできないことよ」


 それがどれほどの信頼が込められた言葉か、考えるだけで悠也の目の奥が熱くなるような気がした。


 膝上で眠る咲茉の素肌を見れば、所々に湿布が貼ってある。昨日、蹴られて怪我をした所為だ。


 こんな怪我をさせた原因のひとつである自分に、そこまでの信頼を向けられる資格はない。


 そう思う悠也だったが、それでも紗智は良しと言った。


 同じ過ちを繰り返さなければ、それで良いと。自身を見つめ直す機会を与えてくれた。


 ならば、その信頼にどう答えるか。


 その証明として、まずは家族である彼女達に伝えなければ――


「うん。うんっ……お義母さん……俺、守るから、咲茉のこと……ずっと守るから」

「悠奈から聞いてたけど、いざ言われると嬉しいわねぇ……良い気分ね。じゃあ悠也、そこまで言ったならちゃんと男見せなさいよ」


 紗智から頭を撫でられれば、限界だった。


 咲茉の頭を撫でている手に、何かが落ちた。


 顔から流れ落ちるソレを拭う気にもならない。


 今も手にある彼女を二度と失わない為にも、今一度決意しよう。


「俺、頑張るがら……咲茉のごど、守るがら」


 出てくる嗚咽を噛み殺しながら、何度も咲茉の頭を優しく撫でる。


「はいはい、頑張れ。私の可愛い息子」


 そう言って、目の前で声を殺して泣く男の子の頭を、紗智は嬉しそうに撫でていた。




「なんで悠也がここにいるのよ……」

「悠奈さん、僕が呼んだんです。詳しく話すので僕とこちらに――」




 そして少し遅れて到着した、なぜか居るはずのない息子が泣いていることに困惑している悠奈を、さりげなく新一郎が2人から離していた。


 その時、ちらりと見た紗智と悠也の2人は……彼から見ても、まるで親子のようだと思えた。

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