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第41話 愛してるわ


「……そんな風に思ってたの?」


 脊髄反射が紡いだ悠奈の疑問に、俯いた咲茉えまが小さく頷く。


 申し訳なさそうに、そして今にも泣き出しそうな表情で俯いている咲茉の横顔が――ひどく辛そうで。


 こんな顔をさせてしまった自分があまりにも情けないと思いながら、悠奈は訊かずにはいられなかった。


「咲茉ちゃんにとって、私は他人だったの?」

「ううん。そんなこと、一度も思ったことない」


 悠奈の問いに、即答した咲茉の首が左右に動く。


 そして悔しそうに表情を歪めると、彼女は俯いたまま震えた声を漏らしていた。


「私にとって悠奈さんは、もう一人のお母さんだよ。私のお母さんと同じくらい、すっごく大好きなもう一人のお母さんだって友達に自慢できるもん」


 そこまで慕ってくれているのなら、なぜ大事にされていないと思ったのか?


 そう思う悠奈だったが――


「でもね。私が、そう思っても……」


 どうやら、その先は言えなかったらしい。


 咲茉が泣きそうな顔で言い淀むと、おもむろに彼女の目が不安そうに悠奈を見つめていた。


「……」


 その目に、思わず悠奈は息を呑んでしまった。


 不安に満ちた表情を見せる咲茉の顔を見ているだけで、不思議と悠奈は分かってしまった。


 悠奈に好きだと言えるのに、大事にされていると思えなかった。


 そう思ってしまった咲茉の奥底にある疑問は、とても単純なことだった。



 どれだけ自分が好きでも、相手から好かれているか分からなかった。



 それは親が子供に決して思わせてはいけないことだった。


 その疑問を少しでも咲茉に思わせてしまった自分自身を、悠奈は心の底から殴りたくなった。


 湧き上がる自身への怒りが、無意識に悠奈の口を動かした。


「そんなわけ――」


 ない。と言う寸前で、咄嗟に悠奈の手が自身の口を抑えていた。


 今も怒られると震えている咲茉に、自分が怒る資格などあるわけがなかった。


 子供にそう思わせてしまった時点で、悪いのは子供ではなく親でしかない。


 悪いのは咲茉ではない。この場で責められるべきなのは、自分でなければいけない。


 そう思った悠奈は、痛感してしまった。


 疑わせてしまった時点で、足りなかったのだと。


 自分の娘だと言葉で伝えても、行動で示しても、咲茉を疑わせてしまった。


 たとえ彼女から“もう一人の母親”と慕われても、きっとどこかで疑われていたのだろう。


 どうあがいても、所詮は悠奈にとって自分は赤の他人であると。


 まるで分別のある大人のように、子供らしくもない悲しい思いを咲茉にさせてしまった。


 そう少しでも思わせてしまった自分が、たまらなく悠奈は恥ずかしかった。


「……そんな風に思わせちゃったなんて、母親失格だわ」

「そんなことない! 私が全部悪いの!」


 必死に否定する咲茉だったが、悠奈は苦笑すると首を振っていた。


「違うわ。これは、咲茉ちゃんにそう思わせた私が悪いのよ」


 冷静に悠奈が考えれば、咲茉の考えも別におかしくなかった。


 息子の悠也を愛しているように咲茉を愛していても、それだけでは足りないに決まっていた。


 悠也には、絶対に家族であるという血の繋がりがある。それがあるからこそ、愛情が伝わりやすい。


 しかし咲茉の場合は、そうではない。どれだけ家族と公言しても、悠奈と咲茉は赤の他人である。


 それは悠奈の夫である達也にも言えることだが、血の繋がりがない人間同士で愛情を伝えることは簡単なことではない。


 言葉にしても、態度で示しても、疑おうと思えば疑えてしまう。


 そして明確な分別ができる人間なら、弁えてしまう。他人だから、どう思われているか分からないと。


 その不安も、疑問も、全て消え失せるほどの愛情を示さなければ意味がない。


「まだまだ私の愛も、大したことないのね」


 その事実が恥ずかしくて、自然と悠奈は失笑してしまった。


「違うの。私が疑ったのが悪いの」


 そんな彼女に、咲茉が震えた声を漏らした。


「好きな人に嫌われるのが怖かったの。好かれてるって、愛されてるって頭では分かってるのに……もしかしたら嫌われてるかもって思う時があるの」


 そう言うと、悠奈の前で唐突に咲茉が頭を抱えていた。


「昔は一度も思ったことなかったのに……悠奈さんも達也さんも、お母さん達も、悠也も、みんなに私のことを知られれば知られるほど、怖くなるの。もしかしたら私のこと嫌いになるかもって……そう思ったら、すごく嫌なの。大好きな人達に嫌われるのが怖くて」


 嫌でも疑いたくなると語る咲茉の様子は、奇妙なほど異様だった。


 泣きそうになりながら頭を抱えている彼女が、どうしてそんな疑問を抱いているのか?


 その疑問から周囲を疑ってしまう咲茉に、悠奈は怪訝に思いながらも首を振っていた。


「そう思わせてる私達が悪いわ」

「違うの。これは私が悪いだけなの。みんなに隠し事してる自分がどうしようもなく嫌で、きっと言ったら嫌われるって思ったら……怖くなるの」


 気づけば、咲茉の身体が震えていた。


 小刻みに、尋常ではない震え方をしている彼女の姿に悠奈が驚いて駆け寄る。


 そして咲茉の肩に悠奈が手を添えると、直に感じた彼女の震えに目を大きくしていた。


「咲茉ちゃん? 大丈夫?」

「だ、大丈夫……いつものことだから」

「いつも……?」

「悪いこと考えたり、男の人のこと考えたら、こうなっちゃうの」


 震えながら苦笑する咲茉に、訳がわからないと悠奈は困惑していた。


 自分の知る彼女と今の彼女の違いに、ただ困惑してしまう。


 ここ最近で、咲茉は変わってしまった。


 少し前までは活発で明るい子だったのに、ここ数ヶ月……というより、4月辺りから見違えるほど大人しくなった。


 まるで何かに怯えてるように。それは間違いなく彼女の抱えている男性恐怖症が原因だろう。


 とは言えど、やはりあまりにも変わり過ぎている。


 その時、悠奈の頭にある言葉が過った。


 それはたった今、咲茉の告げた言葉だった。


『昔は一度も思ったことなかったのに』


 昔というのが、どの時期が悠奈も分からなかったが、おそらく何処かのタイミングで咲茉に何かあったのだろう。


 彼女の考え方や意識が大きく変わるほどの出来事。


 ずっと咲茉の成長を見届けていた悠奈も、彼女の全てを知っているわけではない。


 しかし、ここまで変わってしまった彼女に何かがあった時期は見当がついた。


 やはりそれはどう考えても、ひとつしかなかった。


「それってやっぱり……前に見たって話してくれた夢の所為なの?」


 ビクッと震えた咲茉の身体が、その答えだった。


 悠奈は察すると、そっと咲茉の身体を優しく抱き寄せた。


「大丈夫よ。不安になる必要なんてないわ」


 腕の中で震えている咲茉に、悠奈が耳元で囁く。


「みんな、咲茉ちゃんのことを嫌いになるわけないじゃない。こんなに可愛い子、嫌う人なんていないわよ」


 そして彼女の頭を撫でながら、悠奈が囁いていく。


「私も、悠也には負けちゃうかもしれないけど咲茉ちゃんのことは――」


 その時、ふと言いかけた言葉を悠奈が止めていた。


 今から告げる言葉は、きっと自分にとっても、咲茉にとっても、大切な言葉になる。


 そんな大事な言葉を伝えるのなら、呼び方も相応しくしなければならない。


 そう思うと、悠奈は幸せそうに微笑んでいた。


 彼女に伝える初めての言葉に、心の底からの愛を込めて。


「咲茉、愛してるわ。たとえ悠也と別れたって、咲茉は一生私の娘よ。あなたが疑えないくらい、いっぱい愛してあげるから安心しなさい」

「……悠奈さん?」


 震えていた咲茉が驚いた表情で悠奈を見つめる。


 しかし悠奈は気にする素振りもなく、咲茉に微笑んでいた。


「悠奈さん。なんて呼び方は、もうしなくて良いわよ。もっと、呼びたいように呼んで良いのよ」


 それが何を促しているか、咲茉はすぐに分かった。


 本当に言って良いのかと咲茉が不安そうな表情を浮かべるが、悠奈に見つめられると、自然と彼女の口が動いていた。


「……お母さん?」

「ふふっ、いつか言ってほしいってずっと思ってたのよ。やっぱり分かってたけど、嬉しいものね」


 そう言った悠奈が咲茉を少しだけど強く抱きしめていた。


 いつの間にか、咲茉の震えが止まっていた。


「ずっと愛してるわ。もう悠也にあげないわよ」

「ごめんなさい。私、ゆーやのなの」

「嫉妬しちゃうわぁ」


 ムッと眉を寄せた悠奈が、更に咲茉を強く抱き締める。


 思っていた以上に抱きしめられて息苦しいと思う咲茉だったが、不思議なくらい心地良かった。


 キョトンと呆けた表情を見せる咲茉に、悠奈は頭を撫でながら言葉を紡いだ。


「悠也が武術で咲茉を守ってくれるなら、私は愛であなたを守ってあげるわ。どんな時だって、私は咲茉の味方よ。だから、もう怖がらないで安心しなさい」

「……ぅっ」


 今度は咲茉が、悠奈を強く抱きしめていた。


 娘から抱きしめられて、悠奈は嬉しくてしかたなかった。


 子供をあやすように優しく娘の頭を撫でれば、ぎゅっと服を掴んでくる。


 はたして、今までの言葉が正解だったのか分かるはずもない。


 しかし声を殺して胸の中で泣いている娘を見れば、きっと正解だったのだろう。


 これがきっと可愛い娘に良い変化を生んでくれると願いながら、悠奈は何度も咲茉の頭を撫でていた。


「……ふふっ」


 ふと、悠奈が庭にいる悠也に視線を向けると、思わず笑ってしまった。


 先程から、妙なほど静かだと思っていた悠也がいつの間にか庭から居なくなっていた。


 息子に気を遣われたのか。もしくは彼氏としての役目を譲られたのか。


 きっと両方なのだろう。


 珍しく気の利く息子には、後でちゃんと礼をしておこう。


 そう思いながら、悠奈は咲茉が離れようとするまで、何度も彼女の頭を撫でていた。

読了、お疲れ様です。


悠奈と咲茉のこのエピソードが後々で効いてくると思ってます。


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