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第25話 キレそう


 週末の土曜日に行われた入学式から二日経ち、週明けから満を辞して新入生達の新しい日常が始まった。


 入学式当日は通学路も新入生しか歩いていなかったが、今日からは当然のごとく在学生達も登校を始めている。


 今まで憧れるだけだった高校生の中に自分も含まれている。それが少し前まで中学生だった彼等の胸をときめかせた。


 新しい学校。新しい出会い。何もかもが新しく見え、きっとこれから楽しい日々が始まるような気がすると。


 そう思って胸を踊らせる新入生が非常に多いが……いざ始まってしまえば、思っていたよりも呆気ないことに皆が気づいてしまう。


 それもそうだろう。少し前まで中学生だった学生が高校生になったからと言って、特別な変化など大してない。


 学校に通い、日中は授業を受け、放課後は部活動などに勤しむ。それが決して変わることのない中高生達の日常である。


 強いて変わったことがあるとすれば、今までよりも更に授業が難しくなり、高校によってアルバイトが許可されているくらいだろう。


 とは言っても、決して変化がないわけではない。


 これはその中で些細な変化になるが……新入生にとって大きな変化が何かと言われれば、それは高校から給食がなくなり、昼食は各自が用意しなければならないことだった。


「ようやく飯だぁ……ねみぃ〜」


 午前の授業が何事もなく終わり、昼休みとなった校内が一斉に騒がしくなると、啓介が気だるそうに背伸びをしながら悠也の元に歩み寄っていた。


 昼休みになれば悠也の教室も騒がしくなっていた。購買に行く生徒や持参した弁当を持ち寄って一緒に昼食を摂る光景は、彼のよく知る高校生活の日常だった。


「高校生になったからって思ってたほど中学の頃とあんま変わらんなぁ〜」


 そう嘆いた啓介が手に下げたビニール袋を悠也の机に置き、近くの席から椅子を借りて座る。


 その嘆きに、悠也は意外そうに目を大きくしていた。


「へぇ……凄いじゃん。すぐ授業も難しくなるってのにお前も勉強できるようになったんだな」


 あたかも勉強ができるような態度の啓介に、悠也がわざとらしく驚いて見せる。


 そんな彼に失笑した啓介が肩を竦めると、


「本当にそう思うか?」

「お前なぁ……」


 その言葉で、悠也は察してしまった。


「まだ学校始まって初日だぞ? 流石に今日の授業は大丈夫だよな?」


 初日の授業は先生からの挨拶と手軽なテストや中学生までの復習しかなかった。


 まだ高校の内容すら始まっていない授業で困ることもないと思う悠也だったのだが、その期待は啓介の返事で簡単に崩れ去った。


「うーん、微妙かも。ちょっと眠かったし」

「嘘だろ……今の時点で分からなかったら苦労するぞ?」


 この先が不安になる啓介の返事に、無意識に悠也の頬が引き攣った。


 啓介が勉強ができないことは昔から悠也達の周知の事実である。


 青彩あおさい高校に入学するために必要な偏差値が高いわけではないのに、彼が受験勉強で一番苦労していたことは悠也も覚えていた。


「今のうちに勉強しとけ」

「俺と同類のお前が偉そうに言いやがって……お前と凛子だって俺と同じだったじゃねぇか」

「お前ほどじゃねえよ」

「よく言うぜ。お前も咲茉ちゃんにめちゃくちゃ教わってたくせに」


 今思えば情けないことだったが、悠也もまた啓介と同じく勉強が苦手な一人だった。


 それは凛子も同じで、勉強の苦手な三人が頭の良い雪菜や咲茉に懇願して勉強を日頃から教わっていたほどだ。


「それは中学までだ。俺だってもう高校生なんだし勉強くらい真面目にやってやるよ」

「そんな決意なんて無駄だって。どうせすぐ俺達三人が乃亜に馬鹿にされる未来しか見えねぇよ」


 けらけらと笑う啓介がビニール袋からコロッケパンを取り出すと、勢い良くかぶりついていた。


「マジでおまうけど、なんべあんなに――」

「食いながら喋るなよ。行儀悪いと雪菜にぶっ飛ばされるぞ」

「あ、わふい。んっ……なんであんなに乃亜が頭良いがマジで分かんねぇわ」

「まったく……」


 行事の悪い啓介に呆れる悠也だったが、実際のところ彼の言う通りだった。


 悠也達の中で、意外にも最も成績が良いのは乃亜である。


 あの見た目と性格ならば頭が悪いものだと思いたくなるが、悠也は密かに知っていた。時折、彼女が見せる真面目な一面を。


『悠也。あの反応は異常だよ』


 入学式の日。乃亜が見せた一面は本当に稀にしか見ることがない。他の人達が知ってるのかすらも怪しいところだ。


 呑気な喋り方をすることが多い乃亜にも、あんな一面がある。


 あの姿なら彼女が頭が良いことにも納得できるが、普段の姿しか見ていない啓介なら疑いたくなる気持ちも分からなくなかった。


「いふぁいと、乃亜もふぁんにんぐしてふぁりな?」

「だから――」


 また行儀の悪い啓介を悠也が注意しようとした時だった。


 啓介の背後に立つ人間を見て、悠也は固まっていた。


「ゆふや? どふぉしふぁんだ?」

「随分と素敵な食べ方をしてますね、啓介さん?」


 いつの間にか焼きそばパンまで食べていた啓介が、その声を聞いた瞬間、ピタリと固まった。


 悠也の視線の先には、啓介の背後で微笑んでいる雪菜が立っていた。


「あら? 良いんですよぉ? 是非、その食べ方のままで続けてください?」

「……ゆーや、たすけて」

「無理」


 振り向くことができないと、啓介の身体が震える。


 そしておもむろに雪菜が啓介の頭を掴むと、強引に振り向かせていた。


「あらら? なぜ困った顔をしてるんですか?」

「……ひぇ」

「私に怯えているということは、自分が悪いことをしてる自覚があるんですね? なら……次また同じことをしたら、分かりますね?」

「は、はいぃ……ごめんなさい」


 雪菜の微笑みを至近距離で見せられた啓介が何度も激しく頷いて謝っていた。


 厳しく育てられた雪菜は、行儀の悪い行為を特に嫌う。見知らぬ人間に注意などはしないが、相手が仲の良い人間なら例外だった。


 作法や礼儀が悪いだけで周りから友人が低く見られてしまうことが何よりも許せないらしい。昔、彼女がそう語っていたことがある。


 その例に漏れず、雪菜の友人である悠也も何度か怒られたことがあった。その時の彼女の怖さは言うまでもなかった。


「乃亜ちゃんぱーんち!」

「あたっ!」


 そんな啓介を畳み掛けるように、乃亜が彼の肩を叩くとムッと頬を膨らませていた。


「え、急に殴るとかひどくない?」

「啓介っちが悪いに決まってるでしょー! 私がカンニングなんてしょーもないことするなんて言って〜!」


 怒る乃亜にそう言われて、聞かれてると思っていなかった啓介の顔が強張った。


「悪かったって、だからもう叩くな!」

「むむ〜!」

「だから悪かったって」

「そこまで言うなら許してやろ〜! 次はないと思え〜!」


 ポカポカと効果音が鳴りそうな可愛らしい殴り方で乃亜が何度も啓介を思う存分殴ると、満足したのかスッキリとした表情を作っていた。


「さて〜! 私もごはん〜!」


 そしていそいそと近くの椅子を移動させると、乃亜は嬉しそうに手に下げた弁当箱を悠也の机の上に置いていた。


「お前も俺の席で食うのかよ?」

「もちのろん〜! だってここで食べないと咲茉っちのアレ見れないしー!」

「アレ……?」


 乃亜の言葉に悠也が首を傾げると、いつの間にか凛子が近くの机を勝手に彼の机と繋げていた。


「良し、これでオッケー」


 そうなれば、もう悠也の席にはいつもの面子が集まっていた。


 凛子と雪菜も椅子を移動させて座り、弁当箱を広げる。


「ゆーや? 隣座っても良い?」

「俺が駄目って言うと思うか?」

「えへへ……ありがと」


 そして咲茉も、椅子を移動させると悠也の隣に座っていた。


「そういえば悠也? お前の昼飯は?」


 悠也の机に勢揃いしている弁当箱の中に、悠也の昼食がないと啓介が気づく。


 その疑問に悠也が咲茉の方を向くと、


「これがゆーやの分」


 そう言って、咲茉が手に持った二つの弁当の片方を悠也に渡していた。


 その弁当を啓介が見るなり、目を見開いた。


「咲茉ちゃん? まさかそれって……手作り?」

「うん。頑張って作ったんだ」

「な、なんだと……?」


 咲茉の返事を聞いた啓介が悠也を睨んでいた。


「……悠也、ちょっと表出ろ」

「今から咲茉の弁当食べるから無理」

「あっ、ヤバい。キレそう」

「勝手にキレてれば良いと思うのー!」


 辛辣な乃亜の一言に、啓介は悔しそうに悠也を睨みつけていた。

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[気になる点] >そう嘆いた悠也が手に下げたビニール袋を悠也の机に置き、近くの席から椅子を借りて座る。 嘆いたのは啓介、ではないかと。
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