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第17話 あの頃のままで


 着慣れたスーツではなく、また制服を着る日が来るとは思わなかった。


 懐かしいブレザータイプの制服は新品そのもので少し生地がまだ固く動きにくい。サイズもこれから身体が大きくなることを考えて買ったのか少しだけ大きく感じる。


「コスプレだなぁ……」


 玄関に置かれた姿鏡に映る自身の制服姿を眺めながら、妙な気恥ずかしさで思わず悠也は苦笑していた。


 子供が制服を着るのは当たり前のことなのに、どうにもコスプレ感が否めない。


 ブカブカの制服姿が新入生らしく可愛らしいが、大人の精神を持つ悠也からすれば何度見ても自分の姿がコスプレにしか見えなかった。


 とは思っても、今日から高校生になるのだからコスプレなどではない。


 これも見慣れるまで時間が掛かりそうだ。そう思いながら悠也は玄関に置いていたカバンを手に取った。


「……行くか」


 スマホで時刻を確認した悠也が溜息交じりに呟く。


 最後に鏡で制服が乱れてないことを確認しつつ、髪型も確認する。


 整髪料で髪型を整えるのも久しぶりだった。大人だった時は見るも無残な髪型でセットすることなど一度もなかったから、整えた分だけ見た目が変わるのが懐かして楽しいと思ってしまう。


 さっと確認し、問題ないことを確認。そして悠也が足早に家を出ようと思った時だった。


「…………いつまで不貞腐れてんだよ」


 妙な視線を感じで悠也が振り返ると、なぜかリビングの入口で母親が半分だけ顔を出して頬を膨らませていた。


「だって悠也、今日は私のご飯食べても泣いてくれなかったんだもん」

「うっ……もう良いだろ、その話」


 母の不機嫌の原因に、つい悠也の顔が強張った。


 思い出すだけで恥ずかしい話だったが、ここ数日間、悠也は母の料理を食べるたびに泣いていた。


 社会人だった頃の辛い日々は、コンビニ飯や栄養だけ摂れる健康食品だけ食べ続けていた。美味しいわけでもなく、ただ生物が生きる為の食事という義務だけを果たしていた悠也に母親の温かい料理は効果覿面こうかてきめんだった。


 一口食べた瞬間、あまりの懐かしさと美味しさに悠也は泣いてしまったのだ。


 泣き出した悠也に最初は悠奈も慌てたが、息子が泣きながらご飯をおかわりする理由が料理が美味し過ぎると知ると悠奈は小躍りするほど喜んでいた。


 それが数日も続けば、母親も息子が泣くのが当たり前だと思うのも無理もなかった。


「……私の作るご飯、もう美味しくないのかしら」

「今日も美味しかったって」

「だってぇ……」


 顔を強張らせた悠也が苦笑しながら答えると、悠奈は不満そうに口を尖らせる。


 まるで子供みたいに不貞腐れる母に、悠也は頭を抱えたくなった。


「何度も言ってるけど、あの時は改めて母さんの料理が美味しいって実感したから泣いただけだって……母さんの料理が美味しいと俺も困るんだから」

「むぅ……なにが困るのよ」

「他のところで飯食っても美味しくないって思うのが困るんだよ」


 実際、悠奈の作る料理は贔屓目なしでも上手いと悠也は思ってる。


 決してマザコンではない。事実として母の料理が上手いというのは、咲茉も周知の事実である。


「……ほんと?」

「ほんとだって」


 とにかく面倒な母親を落ち着かせるために悠也がそう言うと、悠奈はまんざらでもない表情を浮かべていた。


 そしてようやく納得したのか悠奈の表情が笑顔になると、悠也に向けて気さくに手を振っていた。


「なら良いわぁ~! いってらっしゃ~い!」

「はいはい、行って来る」

「後で私達も学校に行くから帰りは一緒に帰るわよ~!」


 玄関を出る間際に告げられた悠奈に頷きながら、悠也は足早に家を出て行った。


「まずい、早くしないと」


 家を出た悠也が腕時計で時間を確認するなり、小走りで目的地に向かう。


 待っている咲茉を迎えに、彼女の家まで徒歩で10分程度。少し走れば5分も掛からない。


 走りながら悠也が制服からスマホを取り出すと、すぐに咲茉えまにメッセージを送っていた。


『もう着く。遅れてごめん』

『大丈夫ー、むしろ早いくらいだよ?』

『早いくらいがちょうど良いんだよ。着いたらチャイム鳴らすから出てきてくれ』

『はーい』


 手早く咲茉に連絡した悠也が走れば、すぐに彼は咲茉の家に到着していた。


 彼女の家も、住宅街にある2階建ての一軒家だった。


 涼風と書かれた表札の下にあるインターホンを悠也が押す。


「はーいっ!」


 そうすると、嬉しそうな声と共に玄関の扉が勢いよく開かれた。


「ぅわ……」


 玄関から出てきた咲茉を見た途端、思わず悠也は息を呑んでいた。


 ふわりとスカートをひらめかせて、彼女の綺麗な黒い長髪が揺れ、白い肌が眩しくて、くりりとした大きな目が自分を見つめている。


 そして綺麗な顔を嬉しそうにほころばせながら、咲茉は悠也に駆け寄っていた。


「おはよ! ゆーやっ!」

「あ……あぁ、おはよう」


 制服姿の咲茉に、咄嗟に悠也が言葉に詰まりながら答える。


 その様子に、咲茉は不思議そうに首を傾けていた。


「ん? なんか今日の悠也、変だよ? どしたの?」


 一歩近づいて、悠也の目の前で咲茉が彼の顔を見上げる。


 見つめてくる彼女に、悠也は泣きそうになった。


 彼女の制服姿は、彼女が何度も見せびらかし来たからこの一週間で何度も見ているはずなのに。何度見ても、泣きそうになってしまう。


 なにげない仕草も、至近距離にある彼女の顔も、この制服姿も、あの頃のままで。本当に過去に戻ってきたのだと実感させられる。


「……咲茉がめっちゃ可愛くて、死ぬほど困ってた」

「なっ……!」


 悠也が正直に答えると、途端に咲茉の頬が赤く染まった。


 そして恥ずかしいと熱くなる頬に手を添えて、彼女はムッと眉を寄せていた。


「もうっ! 家の前でそんな恥ずかしいこと言わないでよっ!」

「だって本当のことだし、言わないと損じゃん」

「……損することなんてないでしょ?」

「言わないとお前の恥ずかしがる顔見れないだろ?」

「馬鹿なこと言わないの! まったくもう!」


 不満そうにそっぽ向く咲茉が歩き出し、悠也の横を通り抜けるが当然のように彼の手を掴んでいた。


「ほらっ! 早く学校行くよ!」

「おい! わかったから引っ張るなって!」

「悠也が変なこと言ったから離しませーん!」


 ぎゅっと手を握られて、彼女に引かれながら悠也が歩き出す。


 その時、なにげなく悠也が咲茉の家を見れば、彼女の母親が微笑んで手を振っていた。


 それに悠也が手を振り返すと、くすくすと咲茉の母は嬉しそうに笑っていた。


「もうゆーや! ちゃんと歩かないと転んじゃうよ!」

「悪かったって!」


 咲茉にそう言われた悠也は謝りながら彼女の隣を歩くと、また彼も繋いでいる手を優しく握りしめる。


「えへへっ……!」


 それに反応して嬉しいと咲茉が笑う表情を眺めながら、悠也は彼女の歩幅に合わせてゆっくりと学校に向かった。

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