第112話 幸せでありますように
先日の時間が終わってからも、悠也達は集まって登校していた。
咲茉がいつ襲われるか分からない。そんな不安から始まった彼等の日課は、今もまだ続いていた。
「もう何度も言ってるけどさ。わざわざ迎えに来なくても良いんだぞ?」
今日もまた一緒に肩を並べて歩く雪菜達に、もう何度目かも分からなくなった話を悠也が告げる。
拓真が捕まった時点で、咲茉が襲われる心配はなくなった。こうして悠也達が集まって登校する必要もないはずなのに……どうしてか今日も集まっている。
「そんなこと言わないでくださいよ、悠也さん。もうみんなで学校に行かないと落ち着かなくなったんです」
「集まって登校するのも一か月くらい経ってるよね~。急に今更1人で登校するってのも、なんか味気ないじゃん?」
「私は咲茉と一緒に登校したいだけだし」
そんな彼の話に雪菜達が苦笑交じりに答えるのも、見慣れた光景だった。
強制されているわけでもなく、彼女達が望んでしていることを無理矢理やめさせるわけにもいかない。
「私はみんなと一緒に学校行けるの、すっごく嬉しい! でも……みんなが大変なら集まるのもやめた方が良いのかな?」
「なにも手間ではありませんよ。むしろ私達が咲茉ちゃんと一緒に学校に行きたいから集まってるんですから」
「そういうこと~。だから気にするだけ無駄無駄無駄ぁ~」
「そう? えへへ、それなら良かった!」
結局は悠也も、咲茉が喜んでいるなら気にする必要もないことだった。
だから一度だけ指摘すれば、もう悠也が言うこともない。
「ところで悠也さん、肩の調子はどうですか?」
「まだ本調子じゃないけど動かす分には問題ないよ。でも医者に無理するなって言われてるから、体育の授業とかはしばらく見学だな」
「ゆーやっ! 今日も私が食べさせてあげるからね!」
「ふふっ、相変わらずお熱いですね」
「……恥ずかしいからやめろって言ってるんだけどな」
「やだっ!」
他愛のない世間話をしながら、ゆっくりとした足取りで学校に向かう。
そんな話を悠也達がしていると――
「そう言えばだけどさ……あの男、全身不随の重症らしいね」
ふと、まるで世間話のように乃亜が呟いた。
その話題が出た途端、悠也達の足がピタリと止まる。
その人物が誰か、それは聞くまでもなかった。
「あぅ……」
先程まで明るかった咲茉の表情が暗くなる。
その些細な変化に悠也がムッと眉を寄せると、自然と彼の目が乃亜を睨んでいた。
「おい、乃亜。その話、咲茉の前で出すなよ」
「どうせ2人とも最近のニュース、見てないでしょ? アイツがどうなったか知ってた方が安心できると思うけど?」
そう言われてしまえば、悠也と咲茉も返す言葉がなかった。
2人が困ったと目を見合わせていると、乃亜は一方的に話し始めていた。
「まだ裁判も始まってないけど、今回の件でアイツに実刑判決が出るのは確定みたいだね。あの男の仲間達の身柄も全員揃って刑事事件として扱われてるから、ちゃんと豚箱行きになりそうだよ」
彼等が全員逮捕されても、すぐに裁かれるわけではない。諸々の紆余曲折を経て、裁判で判決が出るまで時間が掛かる。
だが、それでもしっかりと彼等が裁かれる。それを知った咲茉が安堵のあまり胸を撫で下ろす。
その様子を悠也が横目で見ていると、乃亜の話に雪菜が反応していた。
「彼等が刑務所に入るのは分かりますが……あの男が全身不随の重症ですか?」
「みたいだよ〜。もう一生動けないままだって」
そう乃亜が答えると、怪訝に雪菜が眉を寄せていた。
「私もあの男が捕まる姿を見なかったので分かりませんが……あの時の警察から話を聞く限り、そこまでの容態になっているとは思いませんでした」
悠也も思い出す限り、彼の手足の骨を折ったが、全身不随になるほどの怪我を負わせた記憶はなかった。
悠也以外で拓真に怪我を負わせた人間は、1人でしか居なかった。
「乃亜……お前、あの時やり過ぎたんじゃ?」
「あ……そう言えばあの時の乃亜ちゃん、バットとスタンガン使ってなかった?」
あの場に居た悠也と咲茉の2人が、思わず指摘してしまう。
その指摘に、雪菜も小さく頷いていた。
「乃亜ちゃん? 確か背中を殴ったんですよね?」
「私の身長だと背格好しか殴れなかったからね〜。私が駆けつけた時、悠也が刺されそうになってたから無我夢中で殴り掛かったんだよ」
乃亜がそう答えると、ゆっくりと歩き出してしまう。
その小さな背中を悠也達が追うと、雪菜の表情が僅かに歪んでいた。
「もしかしたら……当たったところが悪かったのかもしれません。背中の脊髄が傷つくと、神経麻痺が起きるって習いました」
「……そんなこと誰に教わるんだよ」
「武術の先生にですよ、凛子ちゃん」
引き攣った笑みを浮かべる凛子に、雪菜が端的に答える。
そして雪菜が乃亜を見つめると、心配そうに表情を曇らせた。
「それにしても……後から過剰防衛だったとなったら、少し困りますね」
その可能性を、雪菜は心配していた。
襲われた時に反撃する行為は、基本的に罪にならない。それが正当防衛と言われている。
しかしあまりにも過剰な反撃をすれば、やり過ぎと見なされ、罪に問われることも稀にある。
「おい、雪菜……それをお前が言うなよ。私達も警察に死ぬほど怒られたの忘れたのか?」
その時、また凛子が苦笑混じりに告げていた。
しかし彼女が指摘しても、雪菜は不思議そうに首を傾げるだけだった。
「確かにとてつもなく怒られましたけど……別に問題なかったじゃないですか?」
「お前なぁ……」
そんな雪菜に、思わず凛子が頭を抱えていた。
その反応の理由も、悠也は知っていた。
外で暴れていた雪菜と凛子。彼女達が相手にしたのは50人にも及ぶ少年達だった。
襲い掛かる彼等の顎や手足を折り、全員を昏倒させた後の光景は、警察達を騒然とさせたらしい。
実のところ、一歩間違えれば雪菜と凛子が過剰防衛で捕まる寸前だったらしい。しかし今回の事件の内容を踏まえて、その危険性からお咎めなしと運良く言われていた。
「そのあとこっそり勧誘されたくらいだぞ? 私達、かなりヤバイことしてたんだからな?」
「あぁ、そう言えばされてましたね」
「はぁ……お前ってホント肝が据わってるわ」
凛子の意味深な話は、ちょっとした小話だった。
あの大人数を相手にできた雪菜と凛子の実力に惹かれたのか、事情聴取を受けている時、2人は勧誘されたらしい。
学校卒業後、良ければ警察に来ないかと。
そんな勧誘を受けたが、当然だが2人が受けることはなかった。
「ともかく、乃亜のことをお前が責める資格はねぇよ。必死にコイツは悠也を守ろうとしたんだ。それでアイツが動けなくなったのは、単純に運が悪かっただけだろ」
「責めているつもりはありませんよ。ただ私は乃亜ちゃんが過剰防衛で捕まったりしないか心配だっただけで――」
「なにも言われてないなら、それで良いじゃねぇか」
珍しく凛子が乃亜を庇っていた。いつも口喧嘩ばかりしているというのに。
「ですが後から何か言われる可能性だって――」
「あれから一週間も経ってれば大丈夫だろ? それに乃亜がニュースで見たってことは、アイツが動けなくなってから時間が経ってるんじゃないのか? じゃあ心配する意味なんてないだろ?」
「ですが――」
そんな言い合い凛子と雪菜がしていると、ふと二人の足が突然止まった。
互いに目を吊り上げて、唐突に二人が向き合う。
「あ、こりゃマズイ」
「ふ、二人とも……落ち着いて」
二人の様子を見た悠也と咲茉が揃って慌ててしまう。
そうして今にも一触即発の二人が動き出そうとした途端――
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。もう警察に確認してるし」
少し先を歩いていた乃亜が、気怠そうにそう話していた。
彼女から告げられた一言に、凛子と雪菜がムッと眉を寄せる。
その二人の視線に苦笑しながら、乃亜は続けた。
「私も心配になったから警察に訊いてみたんだよ。そうしたら私の場合は正当防衛になるって言われたよ。そもそも、あの男が全身不随になったのも別の原因があるらしいよ」
その詳細を乃亜が語ると、悠也が怪訝に眉を寄せていた。
「……別の原因?」
「これも聞いた話だけど、突然あの男の脳とかの神経に異常が出始めたんだって。元々、半身不随みたいな容態だったらしいけど、調べたら病院でも知らない薬品が投与されてたみたい。それがトドメを刺したっぽい。おそらくあの男に襲われた被害者の犯行かもって言われてるらしいよ」
そう語って、わざとらしく乃亜が肩を竦める。
そして彼女の話を聞くなり、凛子が失笑していた。
「そりゃアレだけのことすれば復讐のひとつもされるだろ。いい気味だ」
「凛子ちゃん、そういうことは思っても言っては駄目ですよ」
「そんなの関係ねぇよ。それでアイツが動けなくなったってことは、もう咲茉のところに来ることもないってことだろ?」
「それはそうですけど……」
凛子の話に反論できず、雪菜が言い淀む。
実際、拓真が動けなくなったことに喜ぶ半面、良識のある雪菜だからこそ人の不幸を安易に喜べなかった。
そんな彼女達に、苦笑交じりに乃亜が口を開いた。
「被害者の恨みも相当買ってそうだからね。いつ殺されても不思議じゃないよ」
「……被害者、ねぇ」
被害者と聞いて、悠也の表情が歪む。
そして彼に続いて、咲茉の顔も少しだけ強張っていた。
「私は助かったけど……襲われた人達ってどうなるんだろ?」
「それもかなり騒がれてるよ。警察の方で大掛かりなカウンセリングするみたい」
乃亜がそう言うと、その詳細を話し始めた。
今回の事件で被害者となった人達は、その心に深い傷を負った。
警察に通報した女性もいるが、被害にあったことを言えずに塞ぎ込んでいる女性も当然いるだろう。
それを考慮して、警察と病院で協力して事件の被害者達に向けたアフターケアを考えているようだった。
「これも世間の声が強い話だよ。襲われた女性達に対するケアをどうするかって問題はしばらく長引きそうだね」
「誰が襲われたかなんて分からねぇし、誰かに言おうとも思わねぇよな」
「その辺りも訪問ケアとかも考えてるらしいから、頑張ってる方だと思うよ」
なにげない凛子の返事に、乃亜が神妙な表情で答える。
その時、なぜか突然――咲茉が俯いた。
「私だけ、助かったのも……誰かに恨まれたりするのかな?」
その不安は、きっと助かった彼女だからこそ思うことだった。
学校でも、もしかすれば被害にあった人間もいるかもしれない。
そう考えれば、自分が助かったことが知られてしまえば、恨まれる可能性もあった。
「それを咲茉が思う必要なんてないよ。だってタイムリープしたアイツがいる時点で、誰かが被害に遭うのは止められなかった。襲われた人は、単純に運がなかっただけの話だよ。アイツに出会ってしまったのが、運の尽き。それは咲茉も分かるでしょ?」
「そうだけど……」
それを言えば、咲茉も運がなかった。自身も一度、彼に襲われた人間だ。
拓真と出会わなければ、襲われることもなったのだから。
そう思いながら俯く咲茉に、乃亜は小さく首を振っていた。
「私達は、英雄でもヒーローでもないんだよ。親友を助けるだけで精一杯だった子供の私達が、他人まで救えるなんて身の程知らずもいいところだよ」
「……そうだな」
その話に、悠也が素直に頷いてしまう。
そして今も繋いでいる咲茉の手を強く握ると、悠也は優しい声色で彼女に声を掛けていた。
「咲茉は助かったことを喜んで良い。それだけで良いんだ」
「でも……」
自分だけ助かった。それが咲茉の心を苦しめているのだろう。
その思いを悠也も察することはできた。
「助かっても、お前は一度アイツに襲われた側の人間だ。だからこうして助かったことを素直に喜んで悪いことなんてないだろ?」
「そうそう。実際、この事件で誰が被害に遭ったかなんて分からないし、自分から言いでもしない限り誰も分からないよ。咲茉が助かったことも、誰にも知られることもない」
悠也の話に、乃亜も頷いていた。
悠也達も、今回の事件の被害者が誰かなど分かるはずもなかった。
それと同時に他の人間から見ても、咲茉が助かった側の人間あるかなど分かるはずもない話だった。
「これは助かった側の私達だから言える話かもしれないけど、二度と動けなくなった犯人達も捕まった。被害者達のアフターケアも、これから始まる。性犯罪に対する見方も変わって、ニュースでも法律の見直しとか考えてるって言ってたし……それでもう良いじゃん?」
そして乃亜がそう言えば、咲茉も頷くしかなかった。
今回の事件の後始末は、しっかりとされている。
ならば、もう彼女が不要な心配をする必要などどこにもなかった。
その時、ふと乃亜が咲茉に声を掛けていた。
「だからさ……咲茉」
「なに、乃亜ちゃん?」
おもむろに名前を呼ばれて、俯いていた咲茉が顔をあげる。
「だから……もう君は、なにも気にせずに悠也と一緒に生きて良いんだよ」
「……」
そう言われて、咲茉の目が少しだけ大きくなった。
「君が抱える不安の元凶も居なくなった。自分だけが助かった引け目なんて感じなくても良い。もう咲茉は、十分苦しんできたんだから……もう自由に生きて良いんだよ」
落ち込んでいると言いたげに目を伏せる咲茉に、乃亜は微笑みながら告げていた。
「もしそれでも不安って思うなら、悠也と私達が傍にいてあげる。その不安も、私達が拭ってあげる。それに……そんな不安なんてどうでも良いって思えるくらい、悠也が君のこと幸せにしてくれるんだから」
乃亜に見つめられた咲茉の目が、ゆっくりと悠也に向けられる。
その目を見つめながら、悠也も微笑んでみせた。
「ずっと一緒にいるよ、咲茉」
「あぅ……」
咲茉の頬が、ほんのりと赤くなる。
そしてそんな彼女に、乃亜が笑みを浮かべたまま訊いていた。
「ちゃんと聞いたこと、なかったね。咲茉はさ……これなら何がしたい?」
「え……?」
「失った10年の時間、悠也とやり直すんでしょ? ならやりたいこともたくさんあるでしょ? 教えてよ? 私達も混ざって良いなら、一緒に全部やろ?」
唖然とする咲茉に、乃亜が優しく促す。
そして乃亜に見つめられていた咲茉が、ゆっくりと口を開いた。
「……夏祭り、浴衣着て、行きたい」
「そろそろあるらしいな。咲茉、一緒に行こう」
小さな声で呟いた咲茉に、悠也が笑顔で頷く。
「……海、みんなで行きたい」
「水着、一緒に買いに行きましょう」
「もし咲茉の言い寄ってくる奴がいても、私達がボコボコにしてやるからな」
また呟いた咲茉に、今度は雪菜と凛子が笑って答える。
そんな彼等の言葉に、咲茉の表情が少しずつ歪んでいた。
「……花火大会も行きたい」
「夏休みに行こ〜、私がバッチリ調べとくよ〜」
乃亜の言葉に、咲茉の目が少しだけ潤む。
「……文化祭とか体育祭も、みんなとやりたい」
「全部全力で楽しもうぜ、私も咲茉が居ないとつまんねぇからな」
凛子の声に、自然と咲茉の口から嗚咽が漏れる。
「……もっとたくさん、みんなと遊びたい」
「ふふっ、たくさん遊びましょう」
雪菜の笑顔に、いつの間にか咲茉の目から大粒の涙が溢れていた。
「……あど、もっとゆーやど一緒に居たい」
「ずっと一緒に居るよ、咲茉」
そして聞こえた悠也の優しい声で、もう咲茉は我慢できなかった。
これから楽しいことが、たくさん待っている。
今まで諦めていたことが、できる。
あの男に襲われるかもしれない心配も、もうしなくていい。
これからの人生で、やりたいことがたくさんある。
「ひぐっ……みんなぁ、ありがどっ……!」
空いていた片手で口元を抑えると、声を殺して咲茉は泣いていた。
「ほんどうに……ありがど」
「もう咲茉ちゃん。可愛い顔が台無しですよ」
そっと咲茉に寄り添った雪菜が、彼女の涙をハンカチで拭う。
「そんなに泣いてたら、この先何回も泣くぞ。泣かないで笑えって、私は咲茉の笑顔が好きなんだからな」
凛子の手が肩に添えられると、咲茉が何度も頷く。
「……咲茉っち、そんなに泣かないの」
いつの間にか咲茉の背後に移動していた乃亜が、そっと彼女の背中を撫でる。
「咲茉……絶対、幸せにしてやるからな」
そして最後に悠也から頭を撫でられて、更に咲茉は泣いてしまった。
雪菜が何度も涙を拭っても、咲茉の目から涙が溢れる。
声を我慢しようとしても、やはり口から勝手に嗚咽が出てしまう。
これからのことを考えるだけで、嬉しさが込み上げてくる。
その込み上がる気持ちが、泣いている彼女の表情を笑顔にしていた。
自分でも酷い顔だと思っても、なぜか笑ってしまう。
そんな彼女の姿に、自然と悠也達が微笑んでいた。
これから始まる咲茉と過ごす日々に思いを馳せて、これからも楽しい時間がずっと続くと信じて。
泣いている彼女が泣き止むまで、悠也達は寄り添いながら、彼女の幸せを想い続けた。
これから先も――ずっと大好きな咲茉が幸せでありますようにと。




