二.真面目そうなのに意外と
前回の続き。
・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。
・伊舘緒紀那*高校一年生。小動物めいた幼い風貌。料理が得意。
・加賀屋蓮*高校一年生。春樹の中学からの友人で体が大きい。
テスト期間中はお昼までに終礼を迎える。
帰り支度に手間取っていたら、スタートダッシュが遅れてしまった。少し考えてから、僕は椅子に座りなおした。いま帰路につけば生徒の帰宅ラッシュに巻き込まれる。人が多いのは嫌いなのだ。一番前が駄目なら一番後ろである。
そんなわけで時間つぶしにケータイでニュースを眺めていると、藪から棒に女子の安堵の声が頭に降りかかってきた。
「よかったー。花川くん、とっくに帰ってると思ってた」
少しだけ顔を上にあげるだけで彼女と目が合った。相手の背が低かったのだ――その幼さを残した可愛らしい顔は、彼女のサイズ感にぴったりだと思う。
「な、どうしたんだ。伊舘」
フルネームを伊舘緒紀那――僕の『知り合い』だ。こうやってしっかりと言葉を交わすのはこれで二回目だろうか。八組の子だから、どうやら僕目当てにわざわざ尋ねてきてくれたらしい。
「花川くん、いま、いいかな時間。あ、今すぐがダメだったら待つけど。でも、できたら今日中にお話に付き合ってほしいの。ダメかな。ごめんね、急に。私たちはただの知り合いの関係なのに、こんな風に友達みたいに尋ねてきて」
伊舘は恥ずかしさからか、返答する隙を与えず次から次へと話を進めてしまう癖があるようだった。
……ええっと。
「順番に答えさせてもらうと、今すぐで構わないぞ。それからただ僕を尋ねてくるだけのことに気を揉む必要はないからな」
「そっか。優しいね。ありがとう」
伊舘がふわりとやわらかく微笑む。彼女は僕の隣、堺さんの席に腰かけた。
「それで、お話と言ったか」
話を促すと、伊舘は頷いた。
「そうなの。お話っていうか、相談かな。あ、別に構えないで。花川くんは軽い気持ちで、友達とお喋りするつもりで気軽に話してくれていいから。――あ、ごめん、友達と、だなんて。私はただの知り合いなのにね。図々しいよね、ごめんなさい」
やたらに『知り合い』を強調してくる。ここまで言われると前回のやり取りを根に持っているんじゃないかと思えてくる。
「……いいぞ。お喋りしようじゃないか。それで。どんなお話をしてくれるんだ」
テスト期間は掃除もないから、教室にはもう生徒も楠井先生も残っていない。僕と伊舘のふたりだけだ。
伊舘が切り出した。
「花川くんって凄く賢いんだってね。よくお友達の相談に乗っているとか」
「……そうだな、どこから否定するか。賢いっていうのはまず違う」
「そうなの?」
「今日のテストは散々だった。試験時間はずっと優等生の頭の構造について考えていたし」
「頭の、構造……?」
伊舘は小首を傾げた。
「とにもかくにも、僕は賢くはないと言いたいんだ。テストの点数はいつも下の中くらいだ」
「そうなんだ。私もそうだよ。おそろいだね」
平然と言うから、謙遜なのかどうか読み取りづらい。伊舘は真面目そうな外見をしているから成績も高そうだが。
「それから、よく友人の相談に乗っているつもりはないんだけどな。結果的にそうなっているのかもしれないが、本当は成り行きか、もしくは乗せられているだけだ」
「口車に?」
「無理やり相談に。自主的にはほとんどそうした覚えはない」
おだてに乗せられることも無きにしも非ずだけれど。
「あと訊きたいんだが、その話は誰に聞いたんだ」
「加賀屋くん。花川くんのお友達だよね」
あいつめ……。伊舘と加賀屋は二人とも八組でクラスが同じだから、彼女らに面識があってもおかしくはない。そして、加賀屋が僕のあらぬ噂を吹聴していると聞いてもおかしくはない。
「加賀屋くんを信じて、花川くんに相談するね」
頷く。
「私のお話というのはズバリ、カンニング行為を暴いてほしいの」
「ほう……」
一抹の不安が頭をよぎる。もしかしたら伊舘も、どこかの誰かと同じような、困っている人を放っておけない人種なのではないか――困っている人を助けられるのなら花川くんの犠牲もいとわないと言い出しかねない人種なのではないか――伊舘緒紀那、これからの行動には注視しておこう。
「私の斜め前の席の男の子、いちおうAくんとしておくね――彼の話なんだけど」
伊舘の教室にいけば誰かわかるから匿名にしても意味は薄いのではないかと思ったけれど、マナーとしてプライバシーを最低限慮ったのかもしれない。
「今日はテストが二限分あったけれど、終礼が始まるまで少し空き時間があるよね」
伊舘が話してくれたのは盗み聞きしたらしい男子生徒たちの会話だった。そして、加賀屋の評価が下がってしまった、とも。なんでも正直に行動すればいいものではないだろうけど、彼を不憫に感じた。
僕は誰もいない教室を見渡した。
「それで、あいつは? 伊舘に任せておいて加賀屋は帰ったのか」
「帰ったのは事実だけど、私が花川くんに話を通しておくって言って帰ってもらったの。説明役にふたりも必要ないし」
それはそうか。それに加賀屋より伊舘の方が状況説明は得意そうだ。
「花川くんと久しぶりにお喋りしたかったし」
「……そうなのか」
反応に困る発言は控えてほしいのだけど。
「本題にうつるけれど。伊舘の目から見て、Aは、カンニング行為をするようなひとなのか?」
伊舘は手を口元に添えて、考える仕草をした。
「そうだね……。肌は焼け気味で運動神経が良い、ザ・体育会系の人だけど、勉学は得意じゃないみたいで体育以外の成績は芳しくないようだったし、カンニングする動機はあると思う。カンニングしそうな人かって聞かれると、そのひとのことはあまり知らないから何とも言えない。クラスの中心人物で顔が良いから女子には好かれているし、友達も多いみたい。悪そうには見えないから、意外と言えば、意外かなあ」
「なるほどな。僕とは正反対の好青年か」
「薄々気づいていたけれど、自虐癖があるよね。花川くん」
そうかな。まあ少なくとも彼はひねくれものではないだろう。
不正行為が露見すれば、全教科の点数は零点扱いになる。今期の成績は壊滅的だ。そこまでのリスクを冒してカンニングをする無謀さが彼にはあったのか。
そのことを伊舘に伝えた。
「うーん、あくまで印象でいえば、Aくんは考える前に行動するタイプだと思う。そんなリスクなんて考えてもいなかったんじゃないかな。クラブでは期待の新人として先生からもスポーツマンとして一目置かれているようだったし、カンニングがばれたとしても、先生に頼み込んで強引に全教科零点を回避しようとする魂胆だったのかも」
「……僕じゃとても思いつかない手だ」
カンニングしかり、教師への手回ししかり。ひとに好かれているというのはそれだけで優遇されるものなのだろう。カンニングなどしなくても、クラブ活動を頑張っているからと座学の成績に恩情を受けることもあるのかもしれない。
「でもこうして、彼の安易な発言で疑惑がかかったわけだが。彼のカンニングが成功したと仮定して、Aはどのような手を使ったのか。問題はそこだな」
「それがわかれば先生に告発できるよね」
彼女の相槌で、カンニング手段に向かっていた頭が別の方へ興味を引かれた。
「本当に伊舘は教師陣に告発するのか? Aの仕業を」
「具体的な方法がわかったらね。こうやってわざわざ花川くんにも考えてもらっているわけだし。悪いことをしていたら見逃せないし、カンニング手段がわかれば先生方もこれから対策を練られるでしょう。このままでは加賀屋くんも救われないままだし」
「正義感が強いんだな」
そんなことないよ、と伊舘は平然と否定した。本当に自らの正義感が強いとは思っていないようだ。
「……さてと」
腕組をする。どうやってAは他人の回答を得たのか。
「正直言うと、カンニングをする方法はいくらでもあると思うんだ」
「そうなの?」
不安げな色を灯した上目遣いで彼女が僕を見る。
「生徒を監督する教師は一クラスにつきひとりだ。それは伊舘のクラスでも同じだったろう? テストの補足をしてまわる担当教師がやってきたときだけ二人になるけれど、ひとりの時間帯の方がはるかに長い。教師ひとりに対して、生徒は四十人弱。大人とはいえ、人間ひとりの目を盗むことなんて造作もないと思う」
「そうなんだ……残念」
少女が嘆息する。だがまだ、ため息をつくには早い。
「だけどな。たとえ教師ひとりにばれずにカンニングをするのは容易だとしても、他の生徒に全く勘付かれずに行為を行うのはかなり難しいと思う。Aが何かしら動きをしていたのなら、周りの人間なら気づけるはず……。伊舘はAの斜め後ろに座っていたんだよな。伊舘もテストを受けるのに必死だったろうけど、Aに何か、動きはなかったか?」
「何か、動き……」
伊舘が小さな頭を小さな手で抱えて、集中するようなポーズをとった。
数学のテストが終わってからまだ三十分強。記憶も新しいはず。多く思い出せるとしたら、今しかない。
「普通と違うことがあればどんな些細なことでもいい。キョロキョロと周りをよく見渡していたとか」
「ううん……、周りを見渡しているようではなかった。むしろ、傍から見たら一生懸命試験に取り組んでいたと思う」
助け舟になれればと、僕は例を挙げてみせた。
「……先生に何か質問をしていたとか。頻繁にせきをよくしていたとか。イライラと机をたたいていたとか」
伊舘が頭を抱えたまま小首を傾げた。
「せきだったり机を叩くことがカンニング行為に繋がるの?」
僕は冗談を言うみたいに、シニカルな笑みを作ってみせた。
「『教えてもらった』とAが言っていたんだろう。その言い方から察するに、誰かと共謀して行為に走った可能性がある。例えば……『せきを五回すれば問五について。机を三回たたけば選択肢三』みたいな。秘密の暗号をふたりで共有していたとか」
「そういう方法もあるんだね……」
「まあ、そんな頻繁に物音を立てていたら教師に不審がられるし、リアリティに欠けるけどな。あくまで可能性のひとつだ」
僕は昔、あまりに成績が悪かったので、何を血迷ったのか、勉強せずにテストの答えを知る方法を模索している時期があった。暗号共有はその時に思いついた方法だったけれど、現実的でない以前に、実行する相手がいないことに僕は気づいた。結局カンニングという馬鹿な手段をとることはやめたが。
「ふうん……あっ」
ふと弾かれたように、伊舘は顔をあげた。
「参考になるかはわからないけれど、彼、消しゴムを落としていた」
「消しゴム?」
伊舘が肯く。
「私の視界の隅の床まで転がってきたから覚えてた。一般的なよくあるプラスティック消しゴム? 長方形で、ケースに入っているやつ」
「ふうん……」
そういえば僕も同じ時間帯に消しゴムを落としていた。消しゴムを拾ったあの教師の、僕に対する扱いを思い出したらなんだか無性に腹が立ってきた。
「あ、ごめんね。関係ないことだったよね。つまらないことを言ってごめん。謝る。消しゴムの件は忘れて」
「んん。別につまらないことだとは思わなかったけど」
本当に? 伊舘は様子を伺うように訊く。
「花川くん、怖い顔してたから。私がしょうもないことを言ったせいなのかなって」
「ああ……、気づかなかった」
僕って意外と表情に出るタイプなのかもしれない。今度からは気を付けよう。
「……可能性がひとつ、浮かんだ」
「え、本当?」
肯く。
「伊舘は消しゴムが転がってきたのを見たんだよな。Aが消しゴムを落としたところそのものは見ていない」
「そう、だね」
当時を振り返るようにしながら、彼女は肯定した。
「誰が落としたのか伊舘は見ていない……。仮にAの協力者Bが消しゴムの本体のケースに隠れる部分に答えを書いて教師にばれないよう床に落とし、Aが消しゴムを落としたと挙手する。そうすれば、教師はその消しゴムがAのものではないと疑うことなく拾って渡すだろう。あとはケースをずらしてBからの答えを確認すれば立派なカンニング行為の完成だ」
なるほど、と伊舘が何度も頷いた。
「監視している先生はひとりだけだし、隙をつこうと思えば、きっとできるね」
「そう。それに、消しゴムにシャープペンシルで字を書くのってなかなか難しい。素材によるけどうつりづらいからな。だからもし消しゴムに字を書くつもりだったなら、Bはボールペンを使用したはずなんだ。ボールペンは試験に持ち込むことができるから。そして、ボールペンで文字を書けば今度はなかなか消えづらい。この仮説があっているならば、その消しゴムを確認すればまだ答えが残っているだろう」
ふんふんと伊舘。
「イレギュラーな転がり方をする消しゴムを、コントロールよく投げることができる距離に座っていた彼の周りの誰かにあたりを付ければ、協力者もわかるね……。それが今のところ一番現実的な方法かな? 他に何かあったりする?」
「そうだな……」
少し時間をもらって、考えてみる。天井を見つめて、昔の愚かな花川春樹がカンニングを試みたときのことを、思い返す。まだいくつか方法はあったけれど、Aが怪しい動きをしていなかったというこの状況に合致する手段で最も現実的なのはそれだろう。
視線を落とすと伊舘のくりくりした小動物めいた双眸と目があった。どうやらずっと僕のことを見つめていたらしい。思わず視線をあさっての方向へ逸らしてしまう。
「びっくりした」
誰かにじろじろ見られていたなんて、思わずとぎまぎしてしまう。それが異性ならなおさら。
そんな僕を伊舘はおかしいと思ったらしく、からかうように笑った。
「ホントに? 花川くん、全然驚いたように見えなかった」
「よく言われる」
「ごめんね。肌、綺麗だね。思春期の男子にしては」
初めて褒められた。伊舘の方こそ、女子の中でも綺麗な方だろうと思う。
「そうだ、カンニングの話だったな」
あらためて話を戻す。
「他にはあるにはあるけど、どれもいまいちリアリティに欠けるから無視してもいいと思う」
そっか。と伊舘。
「ありがとう、花川くん。貴方に相談してよかったよ。お蔭で楽しい時間を過ごせた。証拠をつかむことができ次第、先生に告げ口することにする。結果はまた、メールで伝えるよ」
「伊舘、ちょっと待ってくれ」
洋々と腰を浮かす伊舘に、僕は釘をさす。
「今までのはあくまで仮説だからな。現物を見れば事実がわかるだろうけど、だからといって無理やりにAの消しゴムを確認しようとして予想が外れていたら、恥をかくのは伊舘だ」
「わかってる。こっそり、ばれないようにやる。私には加賀屋くんもいるし」
ふふ、と伊舘は笑った。
「それに、強引にカンニング行為を突き止めたら、彼に目をつけられちゃう。カースト上位の彼のお仲間にいびられるのだけは避けたいし」
それは、そうか。壁にかかった時計を見ると、結構良い時間だ。家に着いたあたりでちょうどお昼時だろう。僕も帰宅しようと、立ち上がった。
「ばいばい。ありがとう」
別れの挨拶を告げてから、彼女は思い出したように、言った。
「そうだ、花川くん。最後にもうひとつ」
「なんだ」
「坂月高校って、絶対評価だっけ。相対評価だっけ」
脈絡のない問いに、僕は自分の眉間にしわができたのを感じた。
「……絶対評価、だな」
公立高校は一様に絶対評価を採用していたはずだ。坂月高校も例に漏れず。
「そっか。残念」
彼女はじゃあねと告げてドアへ向かって歩いていった。
「伊舘。僕も最後にもうひとついいか」
教室を出て行こうとする彼女を引き留める。
「なあに」
「僕のところへ相談にきた本当の理由はなんなんだ。カンニング行為を絶対に許せないと思っているわけではないんだろう。僕は加賀屋のような馬鹿正直なタイプは少数派だと思っているんだ。話してみて、伊舘は加賀屋と同じタイプではなさそうだと感じた。何か、僕に隠していることがあるんじゃないか」
「うん?」
彼女はきょとんとした顔を見せた。でもそれは一瞬で、すぐにニコリと笑った。
「そうだね、花川くんの言う通りだよ。さっきも言った通り、私は別に正義感は強くないからね。勉強ばかりで息の詰まる思いをしていたから、カンニングを口実に、気分転換に花川くんとお喋りをしようと思ったんだ。楽しかったよ」
その答えを望んでいたつもりではないんだけど、どうやら彼女は話してくれるつもりはないらしかった。
「伊舘、あんたって意外とずる賢いんだな。色んな意味で」
彼女は自虐的な笑みを浮かべた。
「私、友達によく言われる文言がふたつあって。ひとつは『真面目そうなのに意外と頭が悪いんだね』で。ふたつめが『真面目そうなのに意外とずる賢いんだね』なんだ。また言われちゃった。ずる賢いけど、決して賢くはないところがキモだよ」
今度こそ、伊舘は手を振って教室を後にした。
……さて、この教室に残り続ける意味はなくなった。帰ろう。
続きます。




