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ハルハニズム~この秋雨を忘れない~  作者: 幕滝
スペシャルアメージングバレンタインデー
36/45

四.三限目後・加賀屋蓮

前回の続き。


・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。

・加賀屋蓮*高校一年生。春樹の中学からの友人で体が大きい。


 三限目終わりの休み時間、今度はちゃんと用を足しに行くためにトイレに向かった。

 僕は友人が少ない。クラス内ですらほとんどいないのに、クラス外の友人はひとりかふたり程度なのだ。だからトイレで手を洗っている時に後ろから声をかけられたときは結構驚いた。

春樹はるき、チョコレートはもらったか?」

 鏡を覗くと、僕の肩越しにニヤニヤと笑みを浮かべる加賀屋かがやれんがいた。彼は一年八組でクラスが違うが、どうして接点があるのかというと、中学時代からの友人なのだ。僕の身体の後ろから大きく彼の体格がはみ出しているのは僕の痩せ気味だけが原因ではなく、彼が筋肉質なせいだ。

 水を止めて彼に蛇口を譲った。

「加賀屋……! どうしたんだ? 車にでも轢かれたか」

 彼の問いに素直に答えなかったのは、喋るのが気恥ずかしかったからではない。彼の右頬に引っ付いていた、四角い顔を半分も覆う程の大きな湿布に興味を引かれたからなのだ。顔の半分も隠れていればいくら仲の良い相手でも、後ろに立たれて声をかけられるまで気づかなくても不自然ではない。

 加賀屋はまるで重要なことではないと言うように、平然と答えた。

「これか。体育の持久走で一位争いをしていたら転倒してしまったんだ。擦った程度だから気にしないでくれ」

「……競争心たくましい奴は大変だな。こけたってことはつまり、負けてしまったんだな。一位争い」

 加賀屋蓮は中学時代、陸上部で短距離選手として活躍していたが、長距離走も得意なのだそうだ。中学三年生の頃はこんな無骨な奴でも陸上部のエースということで学校で人気者だった。かたや僕は運動部どころか文化系クラブにも所属したことがない。教室ではいつも端っこにいた。……今も、だけれど。

 加賀屋は彼特有の、パリッとした子どものような笑みを浮かべた。

「いや、勝った。ゴールしてから勢い余っての転倒だ」

 怪我をしたとしても一位を取ることができて本望だ。そういう笑顔だった。

「ちなみに笑おうとしたら頬っぺたがズキズキ痛いんだ」

 じゃあ笑うなよ。とは無理な話か。

「話が逸れてしまったな。チョコレートはもらえたのか?」

 どうしても加賀屋はバレンタインチョコを受け取っていない僕を嗤いたいようだ。残念ながら加賀屋の期待には応えられそうにない。

「ひとつだけもらった」

 鏡の中の加賀屋が驚いたような顔をした。

「本物の女の子か?」

「匿名だった」

「じゃあ義理だな」

 名無しが義理を渡す意味がわからない。どの義理を果たしているというのだ。

「そういうお前はどうなんだ」

 とっくの前に手を洗い終えていた加賀屋は、ようやく洗面台の前から退いた。ハンカチで手を拭いながら、彼にしては珍しいシニカルな笑顔をした。

「ゼロ」

「僕の勝ちだな」

 そんなことを言うが、僕はこのチョコレートのせいで今頭を悩ませているのだ。

 加賀屋と続いてトイレを出て行く。

「そうだな。でもいいんだ。俺がチョコレートをもらいたい相手はこの学校にはいないから。……なんだその顔は。ブラックチョコレートを食べたような顔をしてるぞ」

 つまり僕は苦虫を噛み潰したような顔をしてしまっていたようだ。

「……わかった、お母さんからもらいたいんだな」

「面白いジョークだな」

 彼がバレンタインチョコをもらいたい相手はわかっている。だがその相手がここ最近チョコレート作りをしている場面は目撃していない。望み薄だろうが黙っておこう。

「そのもらいたい相手とやらと会う約束はあるのか」

「ああー。ないな。メールをしても返信は遅いし、中々忙しいようだ」

「そうなのか」

 きっとうまく躱されているんだなあ。

「……それにしても、匿名でチョコレートってどういうことだ」

 話が戻ってきた。……彼に話しても変に広まったりはしないだろう。話してみるか。

 そんなわけで一部始終を話すと、加賀屋は「――心当たりはないのか?」と問うてきた。

「あったら苦労はしないんだけど」

「違いない」

 わはは、と笑う加賀屋。他人事だと思って。

「これでも努力はしてるんだけどな。授業そっちのけで考えているくらいだ。だけど、もらったカードのメッセージやフタ裏に書いてあった詩くらいしか特定する手がかりはないし……」

「そうかそうか」

 加賀屋が不意に、丸太のように太い腕で僕の背中を叩いた。脳震盪を起こすんじゃないかと思った。

「推理で人の恋心までわかるのなら、苦労はしないと思うんだがな。とりあえず一番大切な事実はわかってるじゃないか」

「なんだよ」

「お相手が春樹に対して本気だということだ」

 詩を書くくらいな、と加賀屋。

「ああ、そうだな」

 ここ数年恋愛脳になりつつある加賀屋先生のお言葉だ、素直に受け取ろう。

「まあ、またなんか力になれることがあったら言ってくれよ」

「そのときはよろしく頼む」

 とっくの前に六組の教室近くまで戻ってきていた。加賀屋は手を振って、八組の教室に戻っていった。

続きます。

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