7.さいご
前回の続き。
・白石先生*春樹たちのクラスの副担任で、先生の中では若いほう。生徒指導担当。
・鳴神明衣子*白石先生の学生時代の先輩。生徒会長。
・南森早苗*白石先生の学生時代の同級生。生徒会役員。
次の日の朝、目が覚めて、俺はのどに違和感を覚えた。冷えた空気に向かって音を出してみる。
「……まずいな」
のどがイガイガする。眠気と入れ違いに頭もくらくらする。熱はどうだろう。まだないだけかもしれない。昨夜、くしゃみをした鳴神先輩を心配した奴とはとても思えない。まさか俺が体調を崩してしまうとは。笑える話だ。
起き上がって、ふらふらしながらリビングに向かう。やはり、風邪なのは間違いない。
体温計で測ってみると、微熱。今日は小テストがあったはずだ。先生は慮ってくれるだろうけど、できることならちゃんと受けたい。
のどを乾燥させないようにマスクをつけ、温かくしていきなさいという母親の言葉に従って制服の上にコートを羽織った。
徒歩で通学路を進む。こうやっていざ風邪を引いて周りを観察してみると、俺と同じ学生だけじゃなく、スーツのサラリーマンや主婦も、予防か風邪を引いているのか、マスクをしていた。
咳払いをする。
まあ、学校に行って、ちょちょいとタバコでもふかしていたら気怠さも吹っ飛ぶだろう。テストは二限目だから、そこまでは頑張りたい。
気持ちが途切れてしまったからか、二限目が過ぎたあたりから頭が重くなり熱も出てきたようで、俺は早退することになった。残念ながら、タバコは効果がなかったか、逆効果だったようだ。いつもより不味かったし。
ひとりで南門から学校を出る。普段この時間に学校の外に出ることはないから、新鮮な気持ちではある。
これだけで、学校を離れていってしまうのが名残惜しい。もし放課後まで頑張っていたら、鳴神先輩とすれ違うことくらいはできたかもしれないのに。昨夜、俺なんかが鳴神先輩をちょっとでも独り占めしたからバチでも当たったのか。
「……こほっ。こほっ」
咳払い。
それにしても、まるで呼吸をするように自然と鳴神先輩のことを考えている自分に、今更ながら驚いてしまう。あの人の、腰まである艶やかな黒髪の後姿を見かけただけで、その日は夜まで晴れやかな気分でいれてしまうのだ。
次の角を曲がれば通っている坂月高校は見えなくなる。
ふと、なんとなく、俺は学校を振り返った。道路のまっすぐ百メートルほど先に、立ち塞ぐようにして校舎が鎮座している。窓が横に四列で等間隔に規則正しく並んだ無表情の壁。南門がある側は、敷地に入ってすぐに校舎があるから、迫ってくるような感じがする。
俺のほぼ正面に位置する、遠くの窓のうち、ひとつをなんとなく見る――次の瞬間、目を見開いた。そこから、人間大の大きなナニカが、地面へ落ちていったから。
ナニカを覆っているような黒い糸の束が尾を引くようにして、ナニカは下に下にと引き寄せられていく。
地面に落ちるのに要した時間は一秒もなかったろう。衝撃音はこの距離ではしなかった。学校の塀に阻まれ、今はその姿を見ることはできない。でも、その人間大のナニカが本物の人間で、長い黒髪の女子生徒だということは、頭が勝手に判断した。
そしてその頭が判断する前に、俺の足は来た道を戻って走り出していた。コートで身体が動きづらかろうが、風邪を引いていようが、関係ない。
気づいた。
あの窓のあった部屋は、生徒会室だ。
そして今、落ちたのは――――。
鳴神明衣子の転落死は事故として処理されたようだった。
連続して同じ高校の女子生徒が亡くなったとして、マスコミが先月の比にならないほど高校生に集まってきた。彼らは規制されているのか生徒を狙っているのか、学校の周りで張っているのをよく見かける。登下校の際に生徒に群がるように集まっていく。
更に南森・鳴神の両名は共に生徒会に所属していたことを掴んだマスコミは、どこから情報を得たのか、俺たち生徒会それぞれの家にまで押し掛けたこともあった。
ワイドショーにも大々的に取り上げられるようになってしまった。鳴神先輩の件は事故だと警察も言っているのに、「学校側は何をしているんだ」はまだしも、真相はどうの真実はこうで、とコメンテーターがちんちくりんな発言をしている。大抵が「実はいじめがあった」説だ。
学校側は南森さんの時とは違い、生徒に鳴神先輩についてのアンケートを配ったりしていないから、どうやら警察の意見を素直に受け止めたらしい――もしくはそうするのが楽だと思ったか――。
中心的な存在であった生徒会長を失った俺たち生徒会は、今期の活動を停止することになった。南森さんの時同様、鳴神先輩について、学校側は事故死だということ以外、何も説明してくれなかった。鳴神先輩は本当に事故死だったのだろうか、とマスコミではないが疑いたくもなる。
生徒会顧問の先生が俺たちだけにしてくれた話では、鳴神先輩が事故だと断定された要因のひとつは、あの時間、生徒会室は内側から鍵がかけられ、窓も閉められていて密室だったから(もちろん、密室とはいえ、彼女が落ちた窓だけはもちろん開いていたが)、だそうだ。鳴神先輩が鍵をかけた理由はわからない。
鳴神先輩の死から一ヶ月間――。それから俺はずっと彼女のある言葉が引っかかっていた。
最後に俺が鳴神先輩と喋ったあの夜の散歩での会話。
――これが私なりの責任の取り方なの。
なんの責任? どれが責任の取り方なのか?
嫌なことを考えてしまう。鳴神先輩は死を選ぶことで、何かの責任を取ろうとしたのか? もう鳴神先輩はいなくなってしまったから、本当の意味を知ることもできない。
――でも、もしあれがただの事故ではないと言うのなら。自ら選んだ死だったら。
ちょうど一か月後の木曜日。俺は、生徒会室にいた。
彼女の最期の場所。鳴神先輩が遺したメッセージがあるとすれば、ここだろう。
先輩の死が関係したのかはわからないけど、生徒会室は二階の空き教室へと移動することになった。だから、何かを探し出すとしたら、今のうちだ。
改めて、散らかった生徒会室を見渡す。
教室よりも大きくない部屋。真ん中に鎮座しているテーブル。ひとつだけの出入り口。曇りガラスでできた廊下側の窓。上半身が写るくらいの鏡。キャスターがついたホワイトボード。黒板。壁に貼られた文化祭のポスター。住宅街を覗ける窓と、並べられた小さなロッカー。部屋の隅には段ボールの山。今は使われていないスピーカー。観音開きのロッカーがふたつ。夏に大活躍した扇風機。ラックにはブルーシートが何枚も積まれている。
「――さて」
隠し場所はいくらでもある。今日中に見つかれば上出来だろう。
とりあえず俺は、最後の生徒会会議直前、鳴神先輩が腰かけていた窓側のロッカーから手を付けた。
絶対に彼女の意向を見つけ出してやる。どんな方法をとろうとも。
続きます。




