一.ウミガメのなんとやら
十一月の中旬。定期テスト、その英語の答案が返却される。花川春樹はおおよそ予想通りの点数であったが、彼はおかしな行動をした。「返却された答案に間違った答えを故意に書き込んだ」のである――。
・花川春樹*高校一年生。面倒臭がりで推理小説が好き。
・堺麻子*高校一年生。黒髪眼鏡の優等生。茶目っ気もある。
坂月高校は、年に五回のテストが実施される。うち、六月と十一月に定期テストが、七月と十二月、二月に期末テストが設定されている。
そこで疑問に感じた。テストが多すぎるのではなかろうか?
注目すべきは、十一月と十二月のテストラッシュである。二か月も連続してテストを行う意味が分からない。テスト前には部活動も停止されることだし、そんなに逐一試験を行っていては、部活動に精を出している連中も集中が途切れてしまうだろう。
十一月の半ば。
その考えを堺麻子に伝えると、彼女は別の視点からの意見を提示してくれた。
「多すぎるのも事実かもしれませんが、その分、一回のテスト範囲が狭くなりますし、こっちとしても大助かりなのでは?」
堺さんは、黒縁眼鏡と一度も染めたことのなさそうな黒髪から連想できるような、真面目で、大変頭が冴える人物である。実に彼女らしいコメントと言えよう。
そして続けざまに言った。
「教員側も、範囲が狭ければその分だけ掘り下げた内容をテストに盛り込むことができますよね。そういう意味でも、その回数は妥当なのではないでしょうか」
「なるほどねえ」
そこまで言われても、あまり納得はしていなかった。
僕は自分の机上にある、裏向けにした解答用紙に目をやる。赤インクがすけて、バツ印ばかりなのが一目瞭然である。
このような話をしていたのも、十一月の定期テスト、その英語の答案が返却されたからである。僕はといえば、案の定、赤点だった。
試験の解説が終わり、授業が早めに切り上げられる。点数の話で、教室はいつもより騒がしかった。
「花川さん」
隣の席の堺さんが僕の名前を呼ぶ。
「テストの出来はいかがでしたか」
「可もなく不可もなしだな」
「そうなんですか? バッテンが多かったように見えましたけれど」
「…………」
知っているんじゃないか。
「僕の妹は学力はそこそこ高いんだけど、兄妹で何が違うのか、僕はとても成績が悪いんだよな」
「妹さん。確かに賢そうな顔、してますもんね」
「僕は思うに、両親の、僕たちに対する扱いの差が原因なんじゃないかなと」
「具体的に言いますと?」
堺さんが合の手を入れる。
「両親は妹に対しては甘いんだ。悪い点をとってもあまり怒らないし、お小遣いもよくやる。その反面、僕に対しては厳しい。成績が悪ければ追及するし、お小遣いも滅多にくれない」
堺さんが憐れむような目を僕に向ける。
「はあ。花川さんがひねくれるのもわかる気がします」
……やっぱり、ひねくれてるって思われてるんだな、僕。
今度は僕から問うことにした。
「堺さん、やけに解答用紙にペンを走らせているようだったけど、今回は点数悪かったのか」
「可もなく不可もなし、ですね」
「そうなのか?」
言いながら、堺さんの机の上を覗き見る。点数は――、98点。毎度毎度、ほぼ満点に近い点数をたたき出す彼女に例外はなかった。今回も学年トップ争いをしているのだろう。僕からしてみれば別次元の競り合いである。
「……謙遜かよ」
控えめな態度は、日本人の美徳だと思うが、それが時に失礼になるということを堺さんは学ぶべきだ……。
堺さんは言う。彼女は嫌味を言っているつもりは皆目ないらしい。
「ペンを走らせていたと言っても、間違い直しをしていたのではないんですよ。先生が言っていた今回のテストの注意点、重要な点をまとめていただけで」
「その点数をとれている時点で、あんたは十二分に要点を押さえられていると思うんだが……。落とした二点だって、どうせケアレスミスだろ?」
言うと、堺さんは口角をひょいっと小さくあげて自嘲気味の笑みを作った。さすがに否定はしなかった。図星らしい。
「ところで、花川さんのこと、馬鹿にしているわけではないんですけど」
変な前振りで堺さんが話を変える。その台詞がすでに失礼なのである。
「先ほど、答案が返ってきてからの話ですけど。花川さん、必死に解答用紙に答えを書き込んでいたじゃないですか。それが花川さんらしくないなって思いました。真面目っぽいその行動が」
普通に失礼だった。
「僕が不真面目って言いたいのか」
「だって、花川さん。この英語のテストの間、ほとんど居眠りをしていたじゃないですか?」
「…………」
このひと、本当によく観察しているなあ。その通りだ。
「それで、花川さんの頑張りに茶々を入れるつもりはないのですが、失礼ですが、アドバイスとしていいですか?」
まだ失礼を重ねるつもりらしい。
「答えを解答用紙に書き込む時は鉛筆ではなくて、朱色のボールペンの方がいいですよ。そちらの方が目立ちますからね。それに加えて、チラリと目に入ったんですが、記号問題ですか? 書き込んでいた答えを間違っているように見えました。答えを書き忘れている空欄もありましたし」
よく観察している。今度は僕が自嘲気味な笑みを浮かべる番だった。
「助言ありがとう。でも、別にそれでいいんだ。鉛筆で書いたのも、答えを間違えていたのも、全部わざとだから」
「わざとですか?」
堺さんは目を小さく見開き、きょとんとした顔をする。それからおもむろに難しそうな表情を作った。
「ミステリーですね……。返却された解答用紙に間違った答えを書く少年……」
「大げさだ」
席に座ったまま、堺さんが前かがみになって、距離を詰めてきた。
「では、どうしてそのようなことをしたのですか」
眼鏡の奥、黒い瞳が僕を見つめる。
それを知って、どうなるというのか。
「これを教えたら、また堺さんに馬鹿にされかねんからな。教えない」
僕の面白くなさそうな顔を見てあまり踏み込むのはよくないと考えたらしいが、それでも好奇心を抑えられなかったらしく、彼女がとった妥協策。
それは。
「ならば、私が推理して当ててみせましょう」
また変なことを言いだした……。
「謎の前提と致しましては、『なぜ返却された解答用紙に間違いを書き込むのか』です。――では花川さん。以上を踏まえたうえで、質疑応答をさせていただきます」
堺さんは居住まいをただす。そもそも推理するのなら当ててもいいと許した覚えはないんだけれど。
「まあ、僕が答えたくないものじゃなければ」
堺さんは右手の人差し指を天井に向かって立てた。
「じゃあ、まず一つ目。花川さんのテストの点数はいくらだったんですか」
いきなりそれか。僕は口を尖らせた。
「答えたくない。赤点なのは確か」
「ふむ……。四〇点以下なんですね」
独り言のように言う彼女。ほぼ満点をとる堺さんが相手だから、素直に頷きたくはない。
「なるほど、それならその解答用紙」
堺さんが僕の机の上を指差した。裏向けの答案が置いてある。
「見せていただくことはできないんですか」
「駄目だ。点数を教えることと同義だからな。それに、見れば謎の答えもわかってしまう」
「そうなんですか? なるほど……。テストが英語なのは関係がありますか?」
「いや、ないぞ。どの教科でもありうる。
――堺さんがずっと質問し続けるのも、ずるいな」
彼女はゲームのつもりなのだろう。それならば、ルールを付与しよう。――良いことを思いついた。
「堺さんは、僕に対して、イエスかノーで答えられる質問しかしてはいけない。その代わり、僕は嘘をつかない。質問できる回数は10まで。でも、すでに堺さんがふたつ質問をしたから、あと8つ。これでどうだ?」
堺さんが彼女に似合わない挑戦的な笑みを浮かべた。
「いいでしょう」
ゲーム開始だ。
堺さんは細い体を抱きしめるように腕を組む。僕のお腹あたりを向いた眼鏡の奥の瞳は焦点が合っていない。ピントを合わせないまま、堺さんが呟くように言葉を吐いた。
『質問1。その行動により、花川さんの成績は変化しますか』
『ノーだ』
堺さんが目だけをこちらに向けた。
『質問2。加えた書き込みは『全て』、間違えていますか?』
『イエスだ』
間髪いれずに、堺さんが問いかける。
『質問3。間違った答えを書き込む時、黒鉛筆でないといけませんでしたか?』
『イエスだ』
「ふむ……。朱色では都合が悪いんですね……」
考え込む姿勢を見せたかと思うと、すぐに堺さんは次の質問へうつった。
『質問4。書き込まずに空白の欄を残しておいた箇所に、意味や共通点はありますか?』
『ノーだ』
「特に考えることなく、テキトーに書いていったんですね。なるほど……」
「そうなるな」
堺さんは机の上にひじをついて、頬杖をつく。彼女の視線が、天井をあちらこちら走り回る。
「そうですね……」
堺さんが僕を見る。
『質問5。もし私が花川さんの立場であったのなら、私はその行動をしていますか?』
『ノーだ』
『質問6。その行動により、花川さんへのメリットはありますか?』
……ふむ。この質問は答えづらいな……。
『ノーだ。だが、デメリットを回避するために行ったから、そういう意味ではイエスになる』
僕がそう言った途端、堺さんの頬に笑みがにじみ出てきた。手堅く答えに近づいているようだ。余計な一言だったか。
自信ありげな表情を伴って、堺さんが問いを投げかけた。
『質問7。英語のテストの最中、花川さんが眠っていたのは、テストをはじめからする気がなかったからですか?』
『ノーだ。情けないことに、睡魔に負けてしまったんだよ。ちょっと目を瞑るだけだったのに、気づいたらテストが終わっていた』
「あと一つだな。堺さん、既に結論を出しているんだろ?」
彼女は力強く頷いた。
「ええ。ですが、答えを完全に補強できる質問をするのもつまらないですからね。推理小説ではあるまいし、パズルのように少しずつ確実に逃れようのない証拠を突き付けて犯人を問い詰めるよりも、ぐらついた回答を提示する方が、スリルがあります」
そうして彼女がした最後の質問は、
『質問8。もし花川さんが私の立場だったら、今の時点で答えに辿り着けていますか?』
鳥渡の間だけ、考えてみる。頭の中で推理の過程を改めて確認してから、僕は頷いた。
『イエスだ』
続きます。




