01_30 干上がった川底で魔獣がしんでる
ぬかるむ道を二頭立ての足が速い馬車で進んでいく。
御者は慣れているというリオンに任せ、道にはみ出た牧草の上を進んでいく。
左手に牧草に覆われたなだらかな丘、右手に浅く広がる平瀬をのぞんでいると、川の対岸にいたサギのような水鳥が一鳴きして飛び立った。
水鳥は自らの羽と同じ、薄墨色の空に紛れてすぐに見えなくなってしまう。
残されたのは馬の蹄が泥に踏み込む音と馬車に乗せた借り物の仕事道具がぶつかり合う音だけだ。
「魔獣がでないのは良い事だけど、平和というよりは少し寂しい雰囲気だな」
「うん、そうだねー」
生返事をしながらリオンは御者台の上で左右に揺れている。昨夜はあまり眠れなかったらしい。
「やっぱり代わろう。魔獣がでないうちに荷台で十五分も仮眠をとれば眠気もましになるぞ」
「そうだね……よし、じゃあよろしく」
手綱を受け取って素早く御者台に飛び乗る。リオンはすでに荷台の隙間に敷いてある毛布の上に横になろうとしている。やっぱり眠かったんだろう。
そしてしばらく道なりに進む。
堤防補修の依頼をリオンと二人で受けてから数日、準備を整えた僕達は目的のフィールドである湖水地方に到着していた。
ブラディア地方の地理について改めて思い浮かべる。
ブラディア辺境伯により開拓が始められたこの地方は、領都ブラディアを起点として南東部のレミア海、西部のブラディア山系に挟まれた扇の形をしている。
ブラディア山系からレミア海までは何本か川が流れているけど、領都から見て一番手前にあるのがここグランドル子爵領を貫くタリム川だ。
川の両岸は起伏に富み、丘と湿原が拡がる。
中流には竜の背中と呼ばれる板のような岩が並び、川を複雑に分断している。
開拓前は氾濫を繰り返していたらしいけど、先人は丘の間に巧みに堤防を築き放牧地を確保した。
堤防は緩やかな坂になっているので分かりづらいけど、その高さは実に十ジィ。
氾濫を防ぐにしても普段六ジィ程度の水位が十ジィ近くまで上がるんだろうか?
そんな疑問をもちつつ、今回僕らが補修に行くのはその放牧地を守る堤防だ。
春先にジャイアントモールの大発生があったとかで堤防のいくつかが決壊し、放牧地が湿地に変わってしまったらしい。
リズさんによれば、補修は急を要するわけではなかったけれど、雨期になって水位が上がると堤防が本格的に崩壊するので補修する事にしたらしい。
けっこうのんびりしているな。
のんびりしているのは僕も一緒なんだけどね。
代わり映えのしない景色を見るともなく眺めていると正面にゆっくりと這ってくる影が見えた。ジャイアントフロッグだ。
『ファイアボルト×4』
長い舌で攻撃される前に遠距離で仕留めると道に凝血石を残して消えた。
『クレイ&ブリーズ』
凝血石を土魔法と風魔法ではじいて空中でつかむ。
「ほぇー、ザートは魔法も器用なんだねぇ」
「なんだ、リオン起きてたのか」
荷台からリオンが興味深げにのぞいていた。
「言ったろ? 身体強化と魔力操作には自信があるって」
何をやってもスキルが得られなかったので結局体力と魔力を伸ばすしかない、と、万人がもっている二つの下位どころか基礎スキルとも呼ばれる二つのスキルを磨いてきた。この二つだけは他人に負けない自信がある。
「あ、グランドルの古城が見えてきたよ」
リオンが指さす先には出城と同じ、台形を基本とした、石造りの古城が見えてきた。
「ああ、作りかけのまま放棄されたっていう城か」
「うん、魔素だまりが生まれたせいでね。もしかしたらダンジョンになってるかも、だってさ。さすがに堤防あたりまでダンジョンにはなってないだろうけど」
リオン、無自覚にフラグを立てないで?
名前のとおり、巨大な生物の背骨とみまごう岩山と、その周囲の土をよこに見ながら馬車を進める。
今なお盤石な、開拓時代に優秀な魔道士がつくったであろう最後の石橋。黒ずんでなお崩れる気配のないアーチに登ってみた先は、湖に吸い込まれている。
堤防が決壊したせいで水に沈んだ放牧地は湖と言っても良いほど広大だった。
足首くらいまで水につかりながら馬と一緒に水音をたてて進む。
「予想以上に水が深いね」
足首を持ち上げるだけでも水が抵抗し、牧草がからまってくる。素早くよけたり懐に踏みこんだりは出来ないだろう。
「遠距離をメインにするべきだろうな。幸い僕もリオンも遠距離攻撃と索敵が使えるから、臨機応変に交代していこう。」
「異議なし。敵が多すぎたりしたら私が楯や足場をつくるよ」
方針も決まった所で丁度よく索敵に反応があった。水属性のウェト・サラマンダーだ。
『ファイアアロー』
指輪に魔力を込め、書庫で合成したファイアアローを数本放つ。
ウェトサラマンダーは水面で一跳ねした後水の下に消えていった。
リオンが馬車から飛び降りてサラマンダーが沈んだ辺りに向かう。
「はい、取ってきたよ」
ゴブリンやコボルトと同じくらいの凝血石があった。
「水の中なのによくみつけられたな」
感心するとリオンは一層胸をそらす。なんとなくデジャヴが……ああ、水鳥をとってきた狩猟犬か。
「じゃ、今後は索敵している方が戦闘後に石を回収するってことで」
「りょうかい」
作戦はうまくはまり、特に苦戦することもなかった。
後は目の前に再び顔を出した道を歩いて行けば目的地に続くはずなのだが——。
「スリップするな」
二人とも馬車から降り、何度か馬に登らせようとするけれど、足が泥で滑り登れないでいる。
私にまかせて、というなりリオンは坂の上に一瞬で舗装路のような石の板を作った。
馬はその上にのり、苦も無く陸に揚がってしまう。
「今のはロックウォールの応用だろう? すごいな」
「でしょ。土魔法は上位までスキルをもっているよ」
なんで冒険者なんか、という言葉をむりやり飲み込んだ。
「そうか。さすがギルドから堤防の補修を依頼されるだけはあるな」
胸にたまってしまう熱い泥はこの世の理不尽に対する憤りであって嫉妬じゃない。
そこまでの才をもつリオンがなぜ冒険者を選んだのか。訊くつもりはなくても、疑問に思わずにはいられない。
胸の奥の疑問を踏み固めるように足を動かし、石の混じる牧草地の丘を登り切ると、驚きの光景が広がっていた。
眼下には堤防が伸びていて、少し先に行ったところでは大規模にのり面がくずれていた。
土の下に詰まれた岩が露出し、隙間からまだ水が流れ出している。
その向こうの光景に僕らは息をのんだ。
普通、堤防がなくても川の水面は地面より下にある。
だから増水した水が氾濫しても川底なんて見えないはず。
それなのに、地面に立つ僕らの目線より上に川底があった。
これはいわゆる天井川だ。
川に土砂が堆積して川底が地面より上に上がってしまっていた。
干上がった川底には水棲の魔獣達が呼吸できずに瀕死の状態で転がっていた。
「ザート、戦利品ってこの馬車に積みきれるかな?」
「水中にこんなに魔獣がいたのか、水中に魔素だまりがあるなら海の難所にも説明が……え?」
「珍しい魔獣の凝血石が取り放題なんてすごい機会だよ! はやくいこう!」
あっというまに丘を駆け下りて早くしろとばかりにリオンは手を振っている。
リオンさん、意外と切り替え早いですね。
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