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法陣遣いの流離譚  作者: 空館ソウ


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06_19 ザートの過去


 浴場で身体を念入りに洗ってから自室のソファでミュスカをつまみながらテイを飲んでいると、過去の記憶がよみがえってくる。



——『ヴェーゲン商会の名を残すなら道は二つ。君が魔術の最高学府から技術を持ちかえり、我々に提供するか、さもなくば、我が次男をヴェーゲン商会に婿入りさせるか、だ』


——『大丈夫だよ。お兄ちゃんは神童なんだから』


——『一族が金を出すということはどういう事か、よく考えなさい』


——『百回試して九十九回成功してもね、一回間違えたら信用なんて吹き飛ぶんだよ。スキルが無いって言うのはそういうことだ。君を信用することはできない』


——『間に合わなかったね……でも待ってるよお兄ちゃん……』



 バルブロの名を聞いてからずっとこうだ。

 第三十字街に戻り、クリーンをかけ、浴場で執拗しつように身体を洗っても頭の中まではきれいにならない。


 両親が死に、業務遅滞による賠償金で傾くヴェーゲン商会を支えたのはバルブロ商会だった。

 おかげでヴェーゲン商会はまだ存在している。


 ただしバルブロ商会の実質子会社として、だ。

 バルブロ商会は初めから乗っ取るつもりでいたし、僕もわかった上で条件に同意していた。

 ただ、貴族であるシルバーグラスの力で、僕が高等魔術学院を卒業するまでは完全な子会社化は保留させていた。


 卒業し、相応の利益をバルブロに提供する。

 それで問題ないはずだった。

 けれど、僕が落第したことによりその可能性が消し飛んだ。


 だから、妹はバルブロの次男と結婚した。

 


 以前から政治に首を突っ込んでいる政商だったバルブロ商会が、海に強いフランシスコ商会と合同とはいえ、戦略物資の運搬という事業を請け負うのは自然な流れだ。

 向こうは商売をしているつもりだろうけど、僕からしたら敵陣営の補給部隊だ。

 ヴェーゲン商会もそこに名を連ねているだろう。


「……潰したいな」


 スキルをとれなかった自分が悪い。

 契約を守れなかった自分が悪い。

 一族の名を汚した自分が悪い。

 すべてを奪われても文句を言えない。


 表向きは、神妙な顔をして卑屈に他人の言葉を受け入れて来た。

 けれどもうしなくて良い。


 今の僕は強くなった。

 大切な人が出来て、彼女と共に歩めるくらいには強くなった。

 それどころか、独立戦争の重要な駒にもなりつつある。


 例え世界から私怨だと言われても、バルブロ商会を潰したくてたまらない。

 妹を取り戻すにはどうすればいいか、具体的な事まで考えてしまう。

 自分の本心、らしいものをひとしきり並べて、腹を熱くさせた後、急に馬鹿らしくなって握りしめた拳を投げ出した。


「はぁ……力を手にした途端、これか」


 力が無かったときは憎しむそぶりも見せなかったくせに、戦えるとわかったら憎くてたまらなくなり、最初から憤怒こそ本心だったと記憶を改ざんしている。


 自分すらあざむく怯懦きょうだな心がいっそ笑えてくる。

 いや、こうして自虐をしていれば言い訳になると思っているのだろう。


 自責と自虐が描く不毛ならせんに身を委ねていると、ドアをノックする音がした。


 深く深呼吸し、表情を整え、いつも通り、声を整える。


「——はい、大丈夫ですよ」


返事をしたけれど、誰も入ってこない。

 幻聴ではなかったはずだけどな。


——カチャ


 ドアを開けると、扉の前でミワが耳を伏せて立っていた。

 こちらを見る目には、怯えの色がみえる。

 僕からなにか悪い雰囲気を感じ取ったんだろう。


 なにか弁解しても逆効果だろうな。

 僕はめをつぶり、そっとため息をついてから努めて優しくミワにいった。


「どうしたんだ?」


「あ、あの……ご飯もってきました。エヴァちゃんが、持っていってあげてって」


 ミワの後ろには食事がのったワゴンが置かれていた。

 他人に不調を悟られたくないから閉じこもっていたのに、エヴァのやつ……

 ミワは最初は目を伏せていたけれど、意を決したかのようにこちらを見た。


「あ、あの! 団長さん、なにがあったかはきかないですけど、悪い気持ちに呑まれないで下さい! いざとなったら私の所に来て下さい。ナムジにはそういうのを祓う術もありますので!」


 一息に言い切ったミワの耳はまっすぐに立ち、目には強い光が込められている。

 人を守る事を生業にしてきた一族の誇りが感じられた。

 こんな目をされたら、無下にはできないな。


「……ありがとう。いざというときには頼らせてもらう。料理はそこに置いてもらえるか。食べ終わったら厨房に返しに行くよ」


 すこし気が軽くなったので、笑いかけると、こちらの余裕が伝わったのかミワもほっとした笑顔を返してくれた。


 言いたいことが言えたようですっきりして帰って行くミワの後ろ姿をみおくり扉を閉じ、ワゴンに乗せられた料理をみる。


 モスマトンの照り焼き、チーズで池のようになっているブレッドボウルグラタン、ブッシュボアのモツ煮込み……その他、胃がもたれそうなものばかりだ。エヴァ、これ食欲の無い人間に対するいやがらせだろ……


いつもお読みいただきありがとうございます。


主人公は実家を立て直そうとしましたが果たせず、妹と実家の商会を取られてしまった。

面目が潰れたシルバーグラス一族はザートを追放せざるをえなかった。

というのが物語の前日譚です。



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