3-27 第1ラウンド終了
ようやく僕らは、ドミニクのすぐ傍まで近づく事ができた。
しかし一刻の猶予もない。
ドミニクの障壁は、一目でわかるほど縮小していた。僕だって魔力の給油ランプが点灯しっぱなしだ。岩場に牽制射撃をしつつ、案山子のように突っ立っているドミニクに向かって、僕は大声を発した。
「ドミニク、おいドミニク! 聞こえるかっ! 助けに来たぞっ!」
「…………オ、オガミ?」
気付いたドミニクが、錆びた鉄のような動きで、こちらへと首を巡らす。その顔は幽鬼のように青白く、目の下には隈ができていた。チッと舌を打つ。魔力欠乏症の初期症状だ。このまま嘔吐、失禁となれば、自分で動くことさえ困難になる。本気で時間がない。
「う、うう、俺……俺ぇ……どうしようぅ」
僕とロジャーさんの姿を認めたドミニクは、その顔に、安堵と後悔と悲嘆がぐちゃ交ぜになった、ひどい表情を浮かべた。まるで親を見つけた迷子の子供のような幼い表情だ。
「しっかりしろ! 今すぐ逃げるぞ!」
「どうしよう、俺、俺のせいで、ゾーイが、ハッシュが」
「そういうのは後にしろ馬鹿野郎! 今すぐここから逃げるんだよ!!」
「に、逃げる?」
「そうだ! 2人を置いて、はやくこっちへ来い!」
「……ダ、ダメだッ!!」突然、ドミニクは火がついたように叫びはじめた。「ダメだ! 2人を残していくなんてダメだ!」
「いいかドミニク、その2人はもう手遅れなんだ。だから――」
「手遅れなんかじゃねえ! こ、こいつらはまだ生きてるんだ! 医者に見せたら助かるんだよ! でたらめ言うんじゃねええ!」
「ドミニク、聞け!」
「うるせええ! 俺はここで2人を守るんだ! くそお、ちくしょう! 邪魔するな! あっちへいけえ!」
耳から入る言葉を拒絶するかのように、ドミニクは頭を振った。
錯乱して言葉が通じない。
時間も余裕もないってのに、くそったれ。
おまけに――――
ロジャーさんの構えている障壁に、ガンッと矢がノックする。
「オガミ君、10時方向! 苔の生えた岩陰、おそらく3人だ!」
グズグズしている間に、敵が態勢をととのえ、攻撃を仕掛けてきた。
刹那、ゾワリと後ろ髪が逆立った。
ええい、くそ。
どいつもこいつもおおおおおお!!
障壁に銃眼をブチ開け、発砲。銃口から火が吹き、M4A1が吠える。いま矢を放った野郎の腕をライフル弾で撃ち抜いた。肘の付け根が半分以上吹き飛び、前腕が、皮一枚で繋がっただけの状態でぶら下がる。男が金切り声を上げる。その口に1発。胸に1発。男が後ろにひっくり返る。
次っ。
銃口で虚空を斬るように、すばやく照準を移動。
(見えてるぞ!)岩陰からすこし出ているヒザを撃ち抜いた。岩の向こうから「ギャッ」と悲鳴が上がる。バランスを崩して転倒し、男の上半身が、こちらから丸見えになった。チャンスだが、そいつは後回しだ。
転倒した仲間をあわてて助け起こそうとする、二人目の男――その頭部に、ACOGの十字レティクル(十字照準線)をぴったりと収める。引き金をしぼり、2発の牙を撃ち放った。一発が命中。男の頭が水風船のように爆ぜた。ボルトが後退し、空薬莢が銃身から弾き出される。
銃口をツッと下げ、倒れたままの男の首元に2発弾丸を叩き込む。首がねじ切れ、男の頭部がサッカーボールのように吹っ飛ぶ。
と、ここで、M4A1の内部でカチンと金属音がした。
ボルトが後退したまま停止して、ストッパーが下りた音だ。銃から完全に弾が無くなったときのサインになる。タクティカルベストから最後のマガジンを取り出して装填。銃の左側にある「ボルトリリースレバー」を押すことで、後退したボルトが前進し、この動きにあわせて、先ほど装填したマガジンの最上部にある弾薬を薬室に送り込み、ふたたび撃つ事ができるようになる。
「……」
その様子を、ドミニクは信じられないという顔で見ていた。
すこし落ち着きを取り戻したようだ。いまなら話を聞きそうだ。
僕は感情を抑え、安心させるような声音で言った。
「いいかドミニク、おちついてよく聞け」
口を開けたまま、ドミニクが腹話術人形のように頷く。
「その2人を助けられるぞ」
「ほ、本当か!?」言葉に反応し、ドミニクの目がカッと見開かれる。
「ああ、助かる。お前がちゃんと動けばな」
ズキリと胃のあたりが痛むが、無視する。
残酷な手かもしれないが、もう手段を選んでられる状況じゃない。僕は続ける。
「今からロープをそっちに投げる。間違っても障壁で弾くなよ? ロープの先にフックが付いているから、それをベルトに固定しろ」
「わ、わかった」
ロープを投げ渡すと、ドミニクは指示通りにベルトに固定した。
「よし、じゃあ頭を下げて、衝撃に備えろ。絶対に頭を上げるなよ」
「お、おい。本当に助かるんだな? だいじょうぶなんだな?」
「僕を信じろ」
眉一つ動かさず、内心の疼痛をこらえた。
ドミニクが頭を下げたのを確認し、僕は笛を取り出すと、空に向かって吹いた。
「ピイイィィィ」という笛の音。
それを合図に、待機していたボナンザが、巡航ミサイルのように駆け出した。ボナンザは、僕がここに来る途中に隠しておいたロープの所まで一気に走ると、ロープの先を口で咥え、くるりとUターン、再び馬車にむかって全力疾走で戻っていった。えらいえらい、ちゃんと指示通り行動できている。
僕の足もとで、弛んでいたロープがしゅるしゅると音を立てて短くなっていく。そしてロープがピンッと張った瞬間、ドミニクの体がくの字に曲がり、残像を残すような速度で後方へと引っ張られていった。
「上手くいきましたね。いざという時に用意してた『一本釣り作戦』」
へたくそな凧揚げのように、地面をバウンドしながら小さくなっていくドミニクを見つつ、僕は言った。
「……あんな奇抜な手を、よく思いついたもんだな」感心と呆れを半々にした様子でロジャーさんが言った。「ともかく、じつに見事な手際だったぞ、オガミ君」
「ありがとうございます。では目的は達成しましたので、急いで戻りましょう」
「了解だ。エスコートは任せたよ」
そういって差し出されたロジャーさんの拳に「はいっ」自分の拳をコンッとぶつけた。
ドミニクを無事に回収。
目的を達成し、後退を始めると――1人の男が、岩場から街道へと躍りでた。
男、というよりは少年だ。
「いっ!?」「なにっ!?」
その少年が手にしている物を見た瞬間、僕らは瞠目した。
少年が番えている矢。その先に、火のついたダイナマイトが結わえてあったのだ。こいつが何を狙っているのか瞬時に理解し、全身に戦慄が走った。
脳が最大級の危険信号を発する。
生命の危機に直面した、その瞬間。
スペルブックの表紙。そこに描かれている灰色の狼が吼えた。その深く長く引っ張った声が、脳の中央で立体音響のように木霊し、鼓膜を内側から揺らした。
刹那。
激烈な反応が、頭蓋の内側でおこった。
交感神経が落雷を受けたかのように活性化し、脳内でアドレナリン(神経を興奮させる神経伝達物質)が大量に放出された。瞳孔が開き、血管が拡張されて筋肉に酸素が取り込まれ、心拍が一気に回転数を上げる。まばたきひとつの時間で、身体的パフォーマンスが爆発的に高められた。
通常ではありえない程の集中力。
僕を構成する全ての細胞が、銃を撃つ、ただそれだけの行動に集約される。
「~~!!」
ロジャーさんが何かを叫ぶ。
少年が下げていた矢の先を、こちらに向ける。
僕は障壁に銃眼をあけ、同時に、照準を少年に向けた。
少年が弦を引きしぼる。
その口元には、ムカつく笑みが浮いていた。ああ、こいつなら殺しても良いやと思えるような、虫唾が走る笑い顔だった。――それをACOGの接眼レンズ越しに見ていた。
少年の指から弦が離れる、その遥か前に、僕の攻撃準備は完了していた。遅すぎなんだよ下手くそ。奇襲を受けたにも関わらず、極限まで高められた僕の反射速度が、少年から先手を奪い取った。
引き金をしぼる。
銃内部で魔力の激発が起こる。弾頭が発射ガスに押し出され、銃口から飛び出した。マズルフラッシュ。反動。きりもみ回転した弾頭は、少年の眉間に炸裂した。目と目の間に、ポッと穴が開き、内側に捲れるように空洞が生じる。そして後頭部から血が爆発した。
その手から矢が滑り落ちる。
撃たれた衝撃で、少年が空を見上げた。コンマ数秒の沈黙。やがて、背骨が溶けたようにバランスを失い、矢の上に覆いかぶさるように倒れた。
足元で、チンッ、と空薬莢が涼やかに鳴った。
なんとか危機を退けたようだ。
そう自覚した瞬間、ゆっくりと流れていた世界の速度が、急激に元に戻った。
同時に、ロジャーさんの怒号が耳に飛び込んできた。
「伏せろおおお!!!!!」
えっ。
あ、やば。
そう思った瞬間、導火線の火がダイナマイトの雷管に到達した。
爆薬が急激に燃焼、膨大な体積のガスへと変化し、衝撃波となって周囲に牙をむいた。
閃光。轟音。地響き。30mほど離れていても、その衝撃はすさまじかった。膨大な量の音と衝撃が、まるで波のように押し寄せてくる。一瞬前に、ロジャーさんが押し倒すように僕を庇ってくれなかったら、今頃、見えない手で脳みそをシェイクされていたことだろう。
ロジャーさんの分厚い体の向こうで、衝撃波が乱気流のように暴れまわっているのを感じた。
数秒後。
「……大丈夫ですか」と僕。
「……な、なんとかな。そっちは」
「こちらも大丈夫です」
互いに声を掛け合う。幸いにも怪我はなかった。
あの状況であっても、ロジャーさんは障壁を手放さなかった。そのおかげで爆風をやり過ごす事ができた。やはり熟達した人は違う。僕など、驚いて銃を取り落としてしまった。まだまだ修練不足だ。
口に入ってきた土を吐きながら、銃を引き寄せ、体を起こす。
目の前では、粉塵と土煙が濃霧のようにあたりを包んでいた。少年の体は爆発炎に飲み込まれて跡形もなく消し飛んでいた。周囲にそれっぽい破片がいくつか見受けられた。
風が流れ、徐々に粉塵が晴れていく。
岩場から人影がなくなっていた。人の気配も、向けられていた殺気も、火が消えたように感じられない。
どうやら今ので敵は撤退したようだ。
――――終わった。
これまで経験した中で、一番長い戦闘だった。乳酸が溜まった筋肉が、僕に休息を要求してくる。絶えず緊張を強いられていた神経が、解放してくれとせがんでくる。だが僕は、喉まで出かかった安堵の吐息を飲み込み、あたりを睨み続けた。
これで終わったとは、どうしても思えなかった。
灰色の狼が言っている。あいつ等は諦めていない。また襲ってくるぞ。
たぶんその予感は的中するだろう。
僕は腹に力を込め、賊の居なくなった岩場に視線をやり――――殺気を放った。
ああいいさ、来るなら来てみろ。
オガミ・シンゴは逃げも隠れもしない。いつでも相手になってやる。
だが覚悟しておけよ。
次、相まみえたその時が、お前たちの最後だ。




