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3-26 俺が望んでいたこと





「今度は俺が相手だ」

 リュッカの正面に立ち、俺は不敵に微笑んだ。

 満身創痍で、ただ立っているのがやっとという俺に対し、「……」リュッカは目を細めてみせた。お前に何ができる。そう目が言っていた。

 できるさ。

 お前を殺すことぐらい、わけはない。

 リュッカが俺を葬るためにファイティングポーズを取る。つま先で地を蹴ってステップを刻む。トッ、トッという音が、まるで死神の足音のようだった。

 俺は握っていた拳を突きだし、開いてみせた。

「!?」

 途端、リュッカの目が見開かれる。

 二度目だぜ、その顔を見るのは。

 俺が笑みを濃くした、まさにその瞬間。

 手のひらに乗せていた『信号弾』が爆ぜた。先日、街道警邏隊を襲ったときに失敬したものだ。俺の手を中心に、暗闇を昼間に変えるほどの激烈な発光が、四方八方にほとばしった。世界が一瞬で白一色になる。

 目くらましだ。

 だが、ただの目くらましじゃない。人間はいきなり強い光を浴びると、脳が正常に働かなくなり、数秒間、全ての感覚が麻痺するという性質がある。それは化け物でも同じはずだ。

 もちろん俺自身も、ただでは済まない。

 信号弾を握っていた手が焼けただれる。

 強烈な光は熱線となり、至近距離にいた俺の顔と、そして角膜を焼いた。とっさに顔を背けたが、何の効果もなかった。

「ぐ、ぐぅぅ」

 頭から熱湯を浴びせられたような熱と痛みに、思わず唸った。目から一切の光りが消える。だが意識は手放さなかった。

 向かいにいるリュッカに、動く気配は無い。

 あのステップの音もしない。

 ――――成功だ!

 俺は眼球と引き換えに、リュッカから数秒の時間をもぎ取ることができたのだ。

 震える手で懐からダイナマイトを取り出す。口で横に咥えると、火をつけた。俺の懐には、ダイナマイトがあと3本忍ばせてある。リュッカが戦闘に集中している時、気付かれないように部下の死体から回収していたのだ。これが誘爆すれば、いくらリュッカでも生きてはいられないはずだ。

 ラウの死は無駄じゃない。

 俺がつなげてやる。あいつの死を、俺の死でつなげてやる。

 さあ。

 覚悟しろよ、リュッカ・フランソワーズ!

 と、その時だった。

 俺の右頬に、ビュッと突風が吹きぬけた。

 それと同時に、導火線が縮んでいく、あのジジジという音が掻き消えた。

(……まさか)

 頭の先からつま先にかけて、電流のように戦慄が走る。

 俺は恐る恐ると、咥えていたダイナマイトの端を触った。指が虚空に触れた。

 先が無くなっていた。

 そんな。まさか。

 リュッカはあの光りを確かに浴びたはずだ。なのに……何ともないのか……?

 その答えは。

 次の瞬間に襲い掛かってきた衝撃によって、知ることとなった。





 これは夢だ。

 途切れた意識の合間に見る、夢だ。

 俺の目が、過去の自分を見ていた。

 ドロンフォード国陸軍、野営地。

 そのテントの中心で、俺は立ちすくんでいた。

 足元では数人の男が、血を流して倒れていた。

 この男たちは、俺の上官だった。そして、どいつもこいつもクソ野郎だった。こいつらの無責任な作戦のせいで、未来のある若い部下達が、何人も何人も何人も無駄死にさせられた。俺の目の前で、虫のように死んでいった。その数を、こいつ等は賭けてやがったのだ。だから殺した。なるべく長く苦しむように殺してやった。

 上官殺しは死罪だ。俺が生き延びるには、この国を出るほかない。

 しかし逃げれば必ず追っ手がかかる。無事に国を出る保障なんてない。だがもう、どうでもよかった。俺は、自分が何時死んでも良いと思っていた。どこでどうやって死んだって同じだ。それがたまたま今日だっただけだ。たまたまこのクソ野郎共の賭けを知って、カッとなって刺し殺した。それによって俺のクソみたいな人生が終わる。それだけだ。そこに何の意味も価値もない。

 生きても、死んでも、意味は無い。

 逃げるのも億劫だ。

 このまま居座って、憲兵に叩き殺されるのもいい。そうしよう。

「あーあ、とうとうやっちまったなー」

 隣に立つラウが、笑いながらそう言った。

 いますぐここから離れろ。知らなかった、見なかったと言え。

 たしかそんな事を言おうとしていた。

 だがそれより先に、ラウがこう続けた。

「んで、これからどこに行くよ? 俺ぁ、温かい所がいいなぁ。寒いところは飯もまじいし、なにより人間が小さい奴ばっかで虫が好かねえんだよ。へへ。あと女な。温かい所の女はいろいろと具合がいいっていうじゃねえか」

 その時の俺は、ただただ驚いていた。

 コイツに責任は無い。すべて俺がやったことだ。

 一緒にいれば死ぬことぐらい分かっているはずだ。

 俺は、なぜ、と尋ねた。

 するとアイツは、すこし寂しそうにこう答えた。

「つれねえ事言うなよ。俺とお前は相棒だろ? 生きるも死ぬも一緒じゃねえか」

 ああ、そうだ。

 そうだったんだ。

 俺が、なんで、こんな――――。





 意識が戻る。

 しかし瞼をあけても、目に映るのは光のない暗闇だった。

 一瞬、洞窟の中にいるのかと錯覚したが、すぐに思い出した。そうだ。たしか信号弾の光りで目が潰れたんだった。背中に冷たい地面の感触。いま俺が倒れているという事は……そうか、失敗したか。ここまで相手が強いと、悔しいとさえ感じないものなんだな。

 俺の耳が、リュッカの足音を拾った。

 その音が俺の傍らで止まる。そして、剣を振り上げる気配。

 俺は、しぼりだすように声を発した。

「トドメは、さ、ささないで……くれ……」

 音で、リュッカの手が止まったのがわかった。

 静かな、染み込むような声が、頭上から降ってくる。

「もう助からないわよ」

「あ、ああ」

「ムダに苦しみが続くだけだって、自分でもわかってるでしょ? だったら」

 その”優しい”言葉に、俺は口元に微かな笑みを浮かべた。

「それで、いい。グッ。このまま、苦しみながら……死んでいきたい……」

「……あっそ」

 納得したリュッカは、剣を引くと、ザッザと草を鳴らして離れていった。

 俺は、ひとつ息を吐き、右腕を伸ばした。

 いま自分がどの位置にいるのかはわからない。だが、腕を伸ばした。

 ラウを捜すために。

 もうどれだけ時間が残っているかわからない。

 せめて、ラウの手を握りたかった。握ったまま死にたかった。しかし俺の腕は虚空を掴むだけで、なかなかラウを探し当てる事ができなかった。

 するとやがて、遠くのほうで「はあ、もう、まったく!」リュッカが大きな嘆息をついた。そして乱暴な足音を立てて戻ってくると、俺の腕をグイッと引っ掴み、ラウの毛深い獣の手に重ねてくれた。

 俺は驚いた。

 こんな意外な事までしてくれるのか、この少女は。

「すま、ない……」

「フンッ!」

 リュッカは苛立たしげに鼻を鳴らすと、その場を去っていった。

 フフ。本当に、ウソだらけの女だ……。

 なぁ、そう思わないか、ラウ。

 俺はラウの手をグッと握った。

 その時、冷たくなっていたラウの手が、俺の手を握り返してきた。そんな気がした。

 意識がすぅっと遠くなっていく。

 もう何も感じない。

 痛みも。熱も。音さえも。感じない。

 何もない闇の中を、体が漂っているかのようだ。

 だが俺は、不思議と満ち足りた気分になっていた。ようやく思い出したのだ。なぜこんな汚い世界に居続けたのか。なぜ理由もなく戦いに身を置き続けたのか。

 こいつと共に居たかったからだ。ラウと共に戦い、そして、共に死にたかった。

 ずっと心のどこかで、こんな最ごをむかえることをのぞんでいた。

 命のともしびがきえかかっている。

 もうすぐだ。

「……ッ」

 からだのなかにのこった、さいごのちからをかきあつめて。

 もういちど、ラウのてをにぎった。

 

 なぁ、ラウ。


 きこえるか?


 おれは。


 おれは、な……。


 こう、して……おまえと……しね……て……。


 ほ……んもう……だ……。


 …………。


 ……。









 へへ。

 俺もだぜ、相棒。

















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