1-6
弛緩しかけた僕の緊張は、
「うわあぁぁぁぁ」
谷底に消えていく人間の断末魔によって、ふたたび引き締められることになった。
慌ててあたりを見回す。声の出所はすぐに分かった。
僕のいる場所から、すこし離れた所。
そこには、RPGゲームなどでよくみる帆馬車が数台並んでいた。その周りを、剣や槍を持った男たちが、守るようにして立っている。ヨーロッパ風の彫りの深い男たちは、金属の胸当て小手などを装備していた。
そしてその男たちを囲うようにして。
トカゲの怪物たちが襲い掛かっていた。
僕が森で聞いたのは、悲鳴と怒号だったのだ。
人を襲っているトカゲは、コモドオオトカゲによく似ていた。しかしそのサイズは異常なほど大きい。頭の位置は人の目線と同じくらい。体長はゆうに3mはありそうだ。
アスファルトのような材質の皮。人の肉なら簡単に引き裂きそうなカギ爪。
全身が筋肉の塊であることは、ここからでも十分わかる。
特に、トカゲの首の力は相当なものだった。
体格のいい男の足を咥えると、易々と空中へ放り投げたのだ。男はまるで人形のように数メートル吹っ飛び、背中から岩に激突。肉と背骨がひしゃげる音が、ここまで響いてきた。谷底に落ちた人も、同じ目にあったのだろう。
「うるぁああ!」
咆哮をあげながら、一人の男が剣を振り下ろす。しかしその刃は鱗にはじかれ、肉を裂く事ができなかった。トカゲは筋力だけでなく、頑丈さも持っているようだ。
男がバランスを崩した所を、トカゲは反撃とばかりに頭突きをぶつける。それを腹へ食らった男は、声も出せず両手を地につけてうずくまり、口からすごい勢いで血を吐き出していた。その頭を、トカゲは太い前足でグシャリと踏み潰した。
風に乗って、生ぬるい血の匂いがした。
数はトカゲのほうが少ない。
だが、個々の戦力は明らかにトカゲのほうが上だった。
あたりまえだ。あんな化け物みたいなトカゲ相手に、剣や槍なんていう原始的な武器が何の役に立つっていうんだ。
なんとかトカゲを倒している場面も見受けられるが、明らかに人間側が劣勢。
このままいけば、全滅も時間の問題だろう。
(ど、どうしよう)
幸いなことに、距離が離れているから僕の存在には気付かれてはいない。
いますぐ逃げるべきだ! 僕の体は警鐘を鳴らすが、しかし次々に他人が死ぬ光景を前にして、なかなか動き出すことができなかった。
そうやって立ち尽くしていると、
「……?」
ふと視線を感じ、僕は顔をめぐらせた。
帆馬車の荷台。その隙間から子供が、こちらを見ていたのだ。
ちいさなその顔は、可哀想になるぐらい恐怖に歪んでいた。母親とおぼしき人の手が、子供の頭を抱えている。
胸をギュッと掴まれたような光景だった。
――助けられないかな。
突然出てきたその言葉に、自分自身で驚いた。
ついさっき死ぬほどの目に合ったばかりだというのに、いったい何を考えてるんだ?
自分を何様だと思ってるんだよ。自惚れるなよ、弱いくせに。
トカゲに噛まれたらどうするんだよ。
さっきのを見たろ? あんな悲惨な目に合うのはごめんだ。
さっさと逃げるべきだ。
そう思う。思うんだけど……。
でも、見てしまった。
子供はたしかに、その小さな目で僕にSOSのサインを出した。
それを見てしまった上で、関係ないと見捨てるのは……何かが違うような気がする。
善意とか正義感じゃない。僕はそんなカッコいい性格をしていない。
ああこの、ムズムズするような気持ちは何と言えばいいのだろう。うまく言葉にできない。でも僕は、ここで逃げずに戦わなければいけない。
そういう気がしてならないのだ。
しかし、どうやって助けるんだ?
助けるって事は、男たちに加勢するって事だよな。
僕にそんな真似が出来るのだろうか? 人とトカゲがごった返しているあの場所に銃弾を放って、もし人に当てたらどうするんだ?
流れ弾が人に当たる姿を想像して、ゾッとした。
射線を考えて動く必要があるのか。距離が遠いから、まずは近づかないといけない。
音はどうする? 射撃音はかなり派手だから、まず間違いなくトカゲは注目するだろう。一発撃ってトカゲに取り囲まれましたなんて絶対ごめんだ。
あぁくそ、うまく考えがまとまらない! どうすりゃいいんだよ!
僕は素人なんだぞ!
「……」
あれこれ悩みつつ、僕はベルトにさしていたベレッタM92Fを抜いた。
マガジンリリースボタン(マガジン取り出しボタン)を右親指で押す。銃本体から取り出されたマガジンを左手で受け止め、マガジン背面についた穴から、中に何発入っているかを確認。4発。銃身に1発あるから計5発。
確認を終えた僕は、ふたたびマガジンを差し込む。
そして撃鉄を起こした状態で安全装置をかけておく。
次にズボンのポケットに手を入れて予備マガジンの数を確認。2つ。すぐに取り出せるように、予備マガジンの1つを、ズボンの入り口に引っ掛けておく。
迷いとは裏腹に、僕の体は戦う準備を進める。その動きは驚くほどスムーズだった。
準備が整っていくにしたがって、鼓動が早くなってくるのがわかる。
グリップを握る手に力が篭る。体は殺す気まんまんだ。
するとここで、思いもよらぬことが起こった。
「えっ、ちょっと待てよ」
なんと子供が帆馬車から飛び出したのだ。
思わず目を剥いた。
おいおいおい、うそだろ!
後を追うように母親も飛び出すが、これは隣にいた男の手によって防がれた。
その間も、子供はこちらに向かって走り続けている。
表情から子供が錯乱状態に陥っていることがわかる。恐怖で限界を迎えたのだ。
トカゲが、それを見逃すわけが無い。
一匹のトカゲがのっそりと首をめぐらし、一直線に子供の背に向かって走り出した。
早い! 横移動はとろいが、直進に向いた体なのか。
僕の中で、一切の迷いが無くなった。
子供を助ける。
そこからは迅速だった。
子供とトカゲとの距離はまだ十分にある。
僕は子供のもとまで駆け寄ると、その小さな体を自分の背に回した。
トカゲと僕との間には、まだ20mほど離れている。
僕は右手を突き出すようにベレッタを構える。グリップを握る右手の人差し指から、銃弾が出るようにイメージして姿勢を整える。
そして左手を、右手を包むようにする。こうすることで照準が安定し、同時に、反動でブレるのが軽減されるのだ。映画で習った。
さらに両肘をすこしだけ曲げる。安全装置解除。準備完了。いつでもどうぞ。
トカゲとの距離は15mほど。
その胸部に狙いを定め、細く息を吐き、
「すぅぅぅ、ふっ!」
息を止めたタイミングで引き金を絞った。狙い通りの場所に命中。
強烈な銃声に、ズボンを握っている子供の体が跳ねるが気にしない。
一発撃ち、わずかにズレた照準を戻し、さらに一発。
あっという間に4発を撃ち、銃身に一発残した状態で予備マガジンに交換。
さらに4発撃った。
計8発。
すべての弾を胸部へ集中させることができた。
が、しかし、ここで困った事態に陥った。
弾がまったく通用しなかったのだ。思わず舌打ちする。
トカゲの胸部は背中よりも色素が薄いので、たぶん脆いだろうと考えていたのだが、完全に当てが外れた。皮膚の浅いところで止められた銃弾が、ポロポロとこぼれ落ちる。狼の骨を打ち砕いた弾丸でも、その皮膚を貫通させることは出来なかった。
しかし、少なからず内部にはダメージを与えたようだ。
トカゲは動きを止め、荒い息を吐いている。口元から緑色の体液が垂れていた。被弾の衝撃で、内臓を傷つけたようだ。でもそれだけだ。殺すには至らない。
(……どうしよう)
ここで僕の目の前に、2つの選択が突きつけられた。制限時間は数秒しかない。
ひとつは、子供を抱えて逃げるか。
ふたつは、このまま立ち向かうか。
馬車のほうを見ると、母親と思しき女性が悲痛な表情で、しきりに手を振って何かを叫んでいる。「はやく行け」というサインだろう。
こちらの攻撃が通用しない今、それが正しい。
――いや違う、それは間違いだ。
正直僕に体力なんてほとんど残っていない。
子供もまともに走り続けられるとは思えない。
いま背を向けて走り出しても、けっきょく追いつかれて終わりだ。
仮に、森の中に逃げ込めばどうなるかなんて、身に染みてわかっている。
最初っから戦うしか選択肢は無かったんじゃないか、くそったれめ。
トカゲはダメージから復帰したのか、ブルブルと頭を振り、こちらへ目を向けてきた。
なんの感情も写さないガラスのような瞳は、怖いというより不気味だった。
もう時間がない。
ここで再び、アドレナリンが脳内から滲みでるのを感じた。
頭が冴え、思考回路がニトロを点火させたように高速回転をはじめる。
さぁどうする。
拳銃では歯が立たなかった。
あと何発撃てばいいかわからないが、もしかしたらそのうち死ぬかもしれない。
でもその前に、トカゲに距離を詰められたらおしまいだ。
どうする?
ふと先ほどの光景を思い出す。トカゲを仕留めた人は、短い槍に全体重をかけるようにして、トカゲの皮膚を突き破っていた。
それはどこか、スコップを地面に刺す動作に似ていた。
重くて、尖っていて、長細い穂先。
次の瞬間、ふたたび電流が僕の脳内を駆け巡った。
僕にベレッタM92Fを与えてくれた、あの落雷だ。
それは暴力的なまでの鮮烈なイメージだった。
暴力と機能美を兼ね揃えたフォルム。音速で疾駆する5,56mmの牙。85cmのコンパクトな全長。様々な要求に応えられるピカティニー・レール。
いける。
拳銃を生み出せるんだ。他の物だって生み出すことはできるはずだ。
だってここはファンタジーのデタラメ世界なんだから。
「シャァアア!」
トカゲが威嚇するように大きく口を開けた。長い牙はないが、細かな歯がびっしりと内側に生えている。あれで肉をすりつぶすのか。
怖いとは思わない。ひたすらムカつくだけだ。
お前が先に食うのは子供か? それとも僕か?
どっちにしろ、僕はお前なんかに食われるつもりはない。もちろん子供もだ。
逆だ。
僕がお前を食ってやる。
自分の顔が醜く歪んだのが、なんとなく分かった。
拳銃に安全装置をかけて腰に突っ込み、空いた右手に全神経を集中させる。
すると僕の要求に応えるかのように、拳銃のときとは比較にならない量の光の糸が、右手から噴き出した。グリーンライトの噴水だ。
まるで僕の血液が化学反応を起こし、光線へと変化しているかのような光景だった。
まばたき1つの時間を経て。
光の粒を撒き散らしながら現れたそれは、米軍正式採用のカービン銃。
M4A1だった。
この局面で、最高の銃を生み出すことができた。
でもこのままじゃ撃てない。
チャージングレバーを引っ張り、初弾を薬室に送り込む。これで引き金をひけば弾が出る。ストック(銃床)を右頬に密着させ、バット(床尾)を右肩の窪みにしっかり当てる。左手でハンドガードを持ち、銃全体を下から支える。立射という構えをとる。
セレクターを単発射撃にセット。安全装置を解除。
反動を殺すためにすこし猫背に。
はじめての動作なのに、誰かに教わったかのようにスムーズにできた。
こちらの準備が整のったときには、トカゲはすぐそこまで接近していた。
照準をトカゲの胸部に定め、引き金をひく。
ズバンッ!
空気が裂ける様な強烈な銃声。
銃口から火の舌が伸び、5.56mmの牙が飛び出る。
威力は想像以上だった。
弾丸はトカゲの頑丈な皮をあっさりと食い破ると、螺旋の軌道を描きつつ、内臓や筋肉をメチャクチャに引っ掻き回し、止めとばかりに背中部分から爆発するように飛び出していった。
貫通していることが正面からでも判るぐらいの、ピンク色の穴が開いた。
強烈な反動を上半身で押し潰し、さらにもう1発、2発と叩き込む。右耳の鼓膜が破れそうなほど痛いが、歯を食いしばって我慢。
3mほど離れているのに、飛び散った緑色の体液が頬に掛かった。
4発撃って弾切れとなったときには、トカゲは地面に体液をぶちまけ、両手足を広げてベチャリとつぶれた。
「やったか!?」自問を口にする。
トカゲは小さく痙攣するものの、起き上がる様子は見せない。本当に死んだようだ。
ふぅ、と安堵の息が洩れる。
そして次の瞬間、自分の体に異変が起こった。
「うっ!?」
全身に言いがたい悪寒が走った。
腸を見えない手でこねくり回される様な、強烈な不快感が僕を襲う。同時に、背中の水晶の牙がいくつも砕けるのがわかった。
なんだよ、何が起こったんだよ。
軽いパニックに陥り、ぐらぐらと視界が揺れる。
よろめきかけた僕の体を、後ろにいた子供が支えてくれた。
「……あ、ありがとう」
こみ上げてきた吐しゃ物を喉で堪えつつ、僕は礼を言った。
不快感はキツイが、まだなんとか耐えられる。
ふたたび顔を上げた僕は――舌打ちした。新たなトカゲが一匹近づいてきたのだ。
ドスドスと荒い足音を上げ、かなりの速度で迫ってくる。
おまけにM4A1は撃ち切ったばかり。クソまずい。
僕は慌ててマガジンリリーレバーを叩いて空のマガジンを外し、左手で新たなマガジンを生み出し、差し込もうとする。しかし手が震えてうまく入ってくれない。なんでだよ!嫌な汗が湧き出る。焦るな。落ち着け。グッと奥歯を噛み、左手に力を込める。ようやくマガジンが入る。よし。
ボルトリリースレバーを押し、ジャキンと内部で音が鳴り、ふたたび撃てる状態にまで持っていく。見ればトカゲは、手を伸ばせば触れられそうな距離。
銃口を上げる。
狙う余裕は無い。
「うわあああ!」
情けない声を上げながら引き金をひく。
1発目は外した。
だが2発目は運よくトカゲの右腹部に着弾。皮が裂け、中身の一部が飛び散る。
トカゲの全身が雷を打たれたように痙攣する。
いける!
そして3発目、照準を頭部にセットし、引き金を絞ろうとした。その時――
「うげぇぇぇぇ」
唐突に、僕は限界を迎えた。
口から蛇口を捻ったような勢いで吐しゃ物が飛び出し、構えていた左腕にかかる。
視界が大きく揺れる。
倒れるのは何とか踏み耐えたが、前かがみの態勢のまま、口から色んなものを地面に撒き散らした。股下も生暖かくなる。
味わったことの無い不快感に汗と涙が止まらない。
網膜が曲がったように、視界が歪む。思わず助けてと叫びたくなった。
吐しゃ物で鼻がつまり、寒くも無いのに体が震えだす。
でも、まだだ。
まだトドメを刺していない。このままではやられる。
僕は脂汗のしたたる顔を持ち上げ、なんとか銃を構えようとする。
だがトドメは、僕以外の手によって刺された。
「うぉぉぉおおらあああ!」
駆け寄ってきた男の斧によって、手負いのトカゲは首を切り落とされた。緑色のペンキのような鮮血が、首の断面から吹き出す。
「あんた大丈夫か!? 子供は!」
「……」
かけられた男の声は、しかし僕の耳には届かなかった。
そうか。
そういう戦い方があったんだ!
『あること』に気付いた僕は、上半身を起こし、攻撃を再開した。
かすむ目を凝らしながらトカゲの足を、腹部を狙い、引き金を絞る。
殺す必要は無い。動けなくさせれば、それで十分なのだ。なにせ数はこっちのほうが上なんだから。
するどい銃声が響くたびに、手負いのトカゲが生み出されていく。
やがて僕の狙いに気づいてくれたのだろう。
数人の男が、率先して動けなくなったトカゲを処理してくれるようになった。
その作業が繰り返されるたびに、手透きの人数が増えていく。
こうして連携が成り立ってからは、一方的な展開になった。
立てなくなった僕は、這うように前進しながらも銃撃を続ける。
吐しゃ物を撒き散らし、股間を汚しながら、それでも僕は装填・銃撃を繰り返した。
そうして半数以上のトカゲに弾丸を見舞った頃。
僕の意識は、突然ぷつんと切れてしまった。




