思わぬ来客
アラベスク侯爵邸前に到着すると、事前に帰りを伝えていたせいなのか、何やら門の辺りが騒がしい。
「公爵家の馬車で、しかもランス様と一緒に帰ると伝えたので、バタついているのかもしれません……騒がしくて申し訳ありません」
「いえいえ、お気遣いなく。もうすぐ家族になるのですから、そんなに気を遣っていただかなくても構いませんと侯爵にもお伝えしなくてはいけませんね」
「ふふふ。そうですね」
門を入ると、そんな平和な会話をしている私たちの前に、予想だにしないものが姿を現した。
「……え? 王家の馬車……!?」
「なぜそのようなものがここにあるのです……?」
ランス様に問われ、私は大きく首を横に振る。
「どういうことでしょう。一体なぜうちの邸に……」
そう考え始めたところで、馬車からよく知る人物が降り立つ。
その姿に私は思わず目を見開いた。
「殿下……!?」
私の元婚約者であるヘンリー王太子殿下。
王立学園の卒業式後の舞踏会で、大衆の前で私に婚約破棄を告げた男。
私は七歳から王立学園を卒業する十七歳まで、彼の婚約者として過ごしてきた。
(魅了が解けて、普通に戻り元気に過ごされていると聞いていたけれど、その彼が一体なぜわざわざうちの邸に? しかもなぜこのタイミングで? 嫌な予感しかしないわ……)
馬車から降りた殿下は、家令のヨーゼフに案内され、屋敷の中へと消えていった。
その様子を呆然と見ていると、ランス様がそっと私の肩に手を回し、自分の方へと抱き寄せる。
「大丈夫です。ロベリアは私が守ります。それに、私はもう、あなたを手放すつもりは全くありませんからね」
「ランス様……」
「とりあえず、屋敷に入りましょう。話はアラベスク侯爵に会ってからです」
「そうですね」
互いに頷いた後、私たちは馬車を降り、屋敷の中へと入っていった。
◇
応接室に案内されると、中ではなぜか、お父様とヘンリー王太子殿下が待ち構えていた。
「お父様、これは一体どういうことです?」
思わずお父様を睨みつけてしまう。
けれど、お父様は平然と私の質問を無視して、ランス様に挨拶をする。
「ハーティス公爵、ようこそお越しくださいました。そして、長い間娘がお世話になり、ありがとうございました」
「アラベスク侯爵、堅苦しい挨拶は結構です。それよりも、これは一体どういうことか、ご説明いただけますでしょうか?」
笑顔でそう訴えるランス様の圧が強い。
(この笑顔の圧、ルイーゼ様にそっくりだわ……)
その圧に、ちらちらと殿下を見ながら様子を伺うお父様。
「わかった。では、私から説明しよう」
奥のソファに腰を下ろしていた殿下が立ち上がり、徐にこちらに向かって歩いてくる。
殿下の動きに合わせるように、ランス様が私を庇おうと手を伸ばした。
ところが殿下は、私の目の前まで来るとぴたりと足を止め、突然頭を下げる。
「ロベリア、いや、ロベリア・アラベスク嬢。今日はこれまでのことを謝罪しに来たのだ。魅了に侵されていたとはいえ、婚約者である君を蔑ろにし続けた上、大衆の前で罵倒し、冤罪で修道院送りにしようなど……本当にすまなかった」
「い、いえ、あの……」
「何も言わなくていい。ただ、私が謝りたかっただけだ。本当に申し訳なかった」
「殿下……」
(そうだ、この方は……殿下は、元々はこういう実直な方だったのだ……)
私は七歳の時、抗ったにもかかわらず殿下の婚約者に決まり、それをゲームの強制力だと思い込んだ。
自分の運命から逃れたくて、死にたくなくて必死で……彼の婚約者として、彼に寄り添おうとしたことなどなかった。
どうせ王立学園に入れば、ヒロインに夢中になるのだから、と深く関わることを避けた。
にもかかわらず殿下は、そんな私に「何か悩みがあるのではないか?」と声をかけ、寄り添おうとしてくれた。
なのに、私は自分の殻に籠り、ただただ死亡ルート回避だけを目指し続けた。
(私があの時、殿下に話せていたら、もしかしたら未来は変わっていたのかしら……? けれど、きっとあの頃の私に、そんな選択はできない……)
考えに耽り、黙り込む私を殿下はじっと見つめ、思い出に浸るように微笑みながら告げる。
「君は昔からそうだったな。いつも何か思い悩んでいるのに、私には決して話してくれない。ずっと苦しそうに何かに怯える君を救ってあげたいと、幼な心に思っていた」
「殿下……」
「けれど、そんな君を救えるのは、どうやら私ではなかったようだ」
「え……?」
衝撃の告白に驚きつつも、殿下の視線につられて少し振り向くと、ランス様がとても心配そうな表情で、じっと私を見つめている。
「ハーティス公は、君を救ってくれそうか?」
優しく述べられた言葉に、一瞬戸惑い、それからゆっくりと頷く。
「……ええ。もう救われましたわ」
「そうか。なら、私の用はもう終わった。邪魔をしてしまったな」
そう言うと、殿下は清々しい表情になり、応接室を出ていこうとする。
慌ててお父様が立ち上がって追いかけようとするが、手で制されてしまい、ヨーゼフだけが殿下の見送りに向かっていった。




