◇執念
魔術師団棟を出て王宮への渡り廊下に入った途端、以前にも嗅いだことのある甘い匂いに包まれた。
「魅了香……」
「ええ。ですが、前に来た時よりも薄くなっている気がします」
「なるほど。魅了香に、魅了魔法……あの子が好きそうですね……」
納得しながらそう呟く辺境伯の顔が、笑顔なのにとても怖い……。
物凄い殺気を放っているのが私の目にも一目瞭然だ。
「にしても、国を掌握して、あの男爵令嬢は何をする気なんでしょうね?」
「それは――」
(『ランズベルト様を自分のものにしようとしてます!』なんて言えない……)
「――わ、私には見当もつきませんわ」
誤魔化しながら告げると、ランズベルト様にじっと見られる。
(やっぱりここに来るまでにちゃんと話しておけば良かったわ。気まずい……)
無言でしばらく見つめられた後、ふっと寂しそうな表情になり視線を逸らされた。
その表情に胸が痛む。
気まずい状態のまま、謁見室の前に到着すると、ノルン辺境伯は全く躊躇することもなく、その扉を勢いよく開けた。
その途端、ランズベルト様は前に一歩出て自身と辺境伯で私を隠す。
二人の隙間から開いた扉の先を覗くと、玉座に座りぼーっと焦点が合わずにこちらを向いている陛下と、傍で玉座にもたれかかりながら、マリアが宰相や大臣たちを跪かせているのが見えた。
そして、その少し後方から楽しそうにマリアを見守る黒いローブ姿の男――クレリオ様の姿があった。
予想通りの状態に呆気に取られていると、陽気なマリアの声が響いた。
「え!? ランズベルト様!? やだ~~、狙い通りじゃない!?」
ランズベルト様の姿を認めたマリアは嬉しそうに玉座からこちらに駆けてくる。
ところが、一番前にいる銀髪のイケメンを認識すると、マリアは不思議そうに、けれど女豹のように獲物を狙う目つきになり、ノルン辺境伯に猫撫で声で話し掛けた。
「銀の髪の美しい方、どこのどなたかしら? そんなにイケメンでモブなわけはありませんわよね? でも私が知らないルートなんてないはずなのに……」
わけのわからないマリアの言葉にノルン辺境伯が冷たい笑みを向ける。
けれど、彼女にはその冷たさが全く伝わっていない。
「ん~こんなキャラいたかしら? やっぱりモブ……? にしては、整い過ぎているような……」
ぶつぶつと考え込むマリアに、辺境伯の冷たい笑みが増す。
それなのに、空気が読めないのか、マリアは突然驚きの提案をし始めた。
「まあ良いわ! イケメンは何人居ても良いもの。あなたもわたくしの取り巻きに入れてあげる!」
その瞬間、明らかに辺境伯の空気が変わった。
「私はアーサー・ノルンと申します。愚息を連れ戻しに参っただけですので、お誘いは遠慮させていただきます」
「アーサー・ノルン……え!? まさかクレリオのお父様!? 嘘!? 何で生きてるの!? しかも若くない!? こんなイケメンとか聞いてないんだけど!!」
もはや取り繕うことさえしなくなったマリアに、悪魔が微笑む。
しかもやはり、その笑顔を勘違いするマリア。
「え!? 笑顔ってことは私の取り巻きに入ってくれるの!?」
そう言いながら、マリアは魅了魔法を展開して、辺境伯に詰めよる。
けれど、辺境伯はそんな彼女を鮮やかに躱し、玉座へと視線を向けた。
辺境伯に魅了が効いていないことに驚きつつ、マリアは慌てて彼の視線の先、玉座の方を振り向いた。
ところが求めている人物が見つからないのか、キョロキョロ辺りを見回す。
「お探しの人物でしたら、玉座の裏に隠れているようですよ? ねぇ、クレリオ?」
ドス黒い笑顔を浮かべ息子に呼びかける美笑の悪魔様は、レインを出現させ、自身の魔力と合わせてブワッと一帯に聖魔法を展開して、瞬時に浄化する。
不意打ちを喰らったマリアは全身に聖魔法を浴び、悲鳴を上げながらその場に倒れ込んだ。
彼女からは薄っすらと煙のようなものが立ち込めている。
「え……マリア様は、どうなったのですか?」
ランズベルト様の後ろから覗き込んで見ていた私は、一瞬の出来事に、唖然としつつ思わず問いかける。
けれど、美笑の悪魔様からの返答はなく、恐る恐る近づいたランズベルト様が、彼女の様子を伺う。
すると彼女の身体は聖魔法による浄化の影響で、放った呪いや魅了魔法の跳ね返りを受け、全身がただれ、見るも無惨な状態になっていた。
そんな状態になってもなお、マリアは近づいたランズベルト様に「ランズ、ベルト様は……私の、ものなんだから……」とすり寄る。
(マリアの執着心、ちょっと異常すぎて怖い……)
そんな彼女をランズベルト様が避けると、隠れていた私とマリアの目がしっかり合ってしまう。
途端に彼女は顔を歪め、私を睨みつけながら、苦しみつつ憎々しげに声を上げた。
「何でよ……何であんたが……ランズベルト様に、守られてるのよ……ヒロインは、この私なのよ……ふざけんじゃ、ないわよ!」
マリアの叫びと共に、彼女から黒い靄が立ち込める。
その靄が私に向かって一気に解き放たれた。
「っ!? いやーーー!!」
迫り来る靄に怖くなって思わずぎゅっと目を閉じる。
ところが体に来ると思った衝撃がなく、ゆっくりと目を開けると、目の前には靄に飲み込まれたランズベルト様の姿があった。
「ランズベルト様!!!!!!」
急いで駆け寄ろうとするけれど、靄に苦しみながらもランズベルト様が懸命に手を振り、それを阻む。
「(きては……だめ、だ……)」
「ランズベルト様!! そんなっ!!」
叫ぶ私をよそに、私の後ろに控えて居たリアとルドが手を繋いで、聖魔法を放ちながら靄に立ち向かっていった。
「クマー!!!!」
「グマグマー!!!!」
ところが二匹の聖魔法は、一瞬靄を小さくしたものの、そのまま靄に吸収されていってしまう。
何度も何度も聖魔法を放つものの、歯が立たず、先にルドが魔力を使い果たした時だった。
靄がルドとリアを取り込もうと伸びだす。
ふいをつかれたリアを救おうと、ルドはリアを突き飛ばし、靄の中に飲み込まれていった。
「クマー!!!!」
「ルド!? え!? 取り込まれた、の!? あ、リア、ダメよ!! 早くこちらへ!!」
助けに行こうとするリアを無理やり引き寄せ、靄から離れる。
今にも泣き出しそうなリアをギュッと抱きしめた。
(そんな……ルドまで! どうなってるの!? 「くま吉」たちの力で太刀打ちできないなんて……。なんとかしなきゃランズベルト様とルドが……! でも一体どうしたら……)
そんな中、突然マリアの笑い声が響き渡った。
「あははははは! いい気味!」
苦しんでいたはずのマリアは靄で力を得たのかいつの間にか回復して見下すように嘲笑う。
ドレスまで黒に変わり、禍々しい魔力を帯びた状態で私を睨みつけた。
「悪役令嬢のくせに守られて、ヒロイン気取りとか何様のつもりよ!! ヒロインは私なのに。ランズベルト様もロベリアなんか庇うからそんな目に遭うのよ」
「あなた……自分の思い通りにならないからって……人をなんだと思っているの」
怒りで上手く言葉が出てこない。
それなのに、どこから力を得ているのか、マリアの靄はどんどん濃くなり、力を増していく。
「私はこの世界のヒロイン様よ! この世界は私が幸せになるために存在しているの! だから、思い通りになって当然なのよ! なのに、上手くいかないなんておかしいじゃない!! そうよ、おかしいのよ……そっか、おかしいなら作り変えれば良いんだわ!」
まるでその言葉に反応するかのように、ランズベルト様たちを取り込んだ靄が濃くなり、さっきまで薄っすらと見えていた姿が見えなくなる。
そして、中からは苦しそうな叫び声が上がった。
「ゔあ~~~~!!!!」
「ランズベルト様っ!!!!!!」
その声に胸を引き裂かれそうになって、名前を呼ぶものの、それから急に静かになった。
嫌な光景が頭をよぎる。
(やだやだやだやだやだやだ!! ランズベルト様!!!!)
視界が滲んで前がちゃんと見えない。
(マリア…………絶対、許さないわ!!)
気づいた時には全速力でマリアへと向かい、リアとともにマリアの頬を全力で引っ叩いた。
その手には無意識に濃厚な聖魔法がこもっていたらしく、マリアは瞬時に浄化され、真っ白に光り輝く。
体からは一気に魔力が放出されるのを感じた。
その間、私の耳には何も聞こえない。
光は部屋全体に広がっていき、ランズベルト様とルドを取り込んだ靄も消えていくのが見えた。
それを見届けホッとした私は、そのまま意識を手放した。




