16. ひげの功罪
朝食の席では、商会長の一家もシモンとユリスの大変身に驚いた様子を見せた。
商会長夫妻が一番驚いたの点は、やはり年齢だったようだ。男爵を相手どってリンダの件を解決した手腕や肝の据わり方を見て、てっきりもっと上の年齢だと思っていたらしい。
「や、こんなお若いかただったとは……」
「踊り比べで活躍なさるのも、道理だわ」
夫妻が口々に驚きを言葉にするのを聞いて、やっとシモンは「ひげがなくても、見られないほどひどい顔というわけではない」と納得したようだ。
アンジーとミリーの言葉では納得しなかったくせに、とアンジーは少し面白くない。いくらかすねた顔で、まるで告げ口するような口調で商会長に話しかけた。
「シモンさんは、ひげがないと自分の顔は地味すぎるって言うんですよ。そんなことありませんよね?」
「まったくありませんね」
アンジーの言葉に、商会長はちらりとシモンを見やってから当然のようにアンジーの意見を肯定する。自分が槍玉に挙がったことに当惑して、シモンは目をしばたたいた。
アンジーは商会長の同意を得て得意そうに鼻を鳴らし、さらに追撃する。
「絶対、ひげがないほうがいいですよね」
「うーん。それは時と場合にもよりますから、一概には何とも」
しかしこれに対しては、商会長は言葉をにごした。同意が得られなかったことに、アンジーは不満そうな顔になる。アンジーの表情を見て商会長は笑い声を上げて、理由を説明した。
「たとえば、男爵邸で対応してくださったあの場では、ひげは有効だったと思いますよ」
前々日の男爵とのやり取りを思い浮かべ、やっとアンジーは納得した。
あのときは身分を笠に着てでも男爵を威圧する必要があった。確かにそういう目的であれば、ひげをたくわえている見た目は有利に働いたかもしれない。
「確かにそうですね。でもシモンさんは、女性の気を引くのにもひげがあったほうがいいと思ってるみたいなんですよね」
「ひげ、だめですか……?」
二人のやり取りを見て、商会長は「ふむ」と言葉を切って考え込んでから、シモンに向かって質問した。
「シモン卿は、芝居をご覧になったことはおありですかな?」
「はい、数回程度ですが」
「なら、思い出してみてください。劇中でヒロインの相手役となる俳優にひげはありましたか? 劇中でひげを生やしているのは、どんな役柄の役者でしたか?」
シモンは顎に手を当て、視線を上方にさまよわせながらしばらく考えた。
劇中でひげを生やしている役というと、だいたいは学者、軍人、王や宰相といった壮年の貴族などだ。一方で、白馬に乗って姫を救いに現れるような王子さまがひげをたくわえていることは、まずありえない。
そう気づいて、シモンは瞠目した。
その表情の変化を見てとった商会長は、肯定するように微笑んでうなずいた。
「おわかりですか? それが人々の頭の中にある、典型的な人物像なんですよ」
「なるほど、そういうことか。理解しました。ありがとうございます」
アンジーは商会長に純粋な尊敬の眼差しを向けた。
「すごい。いくら説明してもわかってくれなかったのに」
「第三者の視点からだと、理解しやすいのかもしれませんね」
商会長は、人好きのする笑顔をアンジーに向けた。
その商会長の顔を、ふとアンジーはしげしげと眺めた。
「商会長さんは、おひげがないんですね」
「商売人は、原則的にひげはご法度ですよ。うちみたいな小さいところは、特にね」
「そうなんですか?」
「そういうものです。商売人が偉そうに見える必要はありませんし、何よりご婦人受けが悪くなるのが痛いですねえ」
アンジーは「へえ」と相づちを打ちながら聞いていたが、視界の端でシモンとユリスが死にそうな顔をしているのに気づいた。
「どうしたの、二人とも。具合悪い?」
「いえ。ご婦人受けが悪かったのか、と思っただけです……」
衝撃をまったく隠せていない青年たちに、商会長は苦笑いする。
「あくまで商売人の話ですから。貴族のかたは、また別かと思いますよ」
「お気遣い、痛み入ります……」
アンジーは青年たちを気の毒そうに見やって、慰めの言葉を口にした。
「だから、ほら、ヒルデ嬢と会う前にわかってよかったじゃありませんか。ね?」
「うん、そうですよね……。アンジー、助言ありがとう」
「どういたしまして」
商会長は客人たちの様子を観察しつつ、そつなく話題を変えた。
「ところで、皆さんの今後のご予定はもうお決まりですか?」
アンジーは「うーん」と首をかしげながら、シモンに向かって尋ねた。
「次はクライスベルクに向かうのがいいんじゃないかと思ってるんですけど、シモンさん、どう?」
「クライスベルクですか。何がおいしいところなのかな?」
クライスベルクを選んだ意図をまったく理解していない様子の質問に、アンジーは呆れた顔を見せた。
「食べ物で選んだわけじゃありませんよ。クライスベルクと言ったら、ケスマン商会の本部がある町じゃないですか」
「あ、ああ。なるほど」
ケスマン商会とは四大商会のひとつで、織物問屋として知られている。そしてクライスベルクは、織物の町だ。
商会長は笑いながら、とりなすように口を挟んだ。
「どの商会の本部がどこにあるかなんて、貴族のかたには自領のことでもなければ、どうでもいいことですからね。ご存じないかたのほうが多いものですよ」
シモンは、やや気まずげな顔でうなずいた。
「勉強不足で面目ない。アンジーたちがそれでよければ、クライスベルクでお願いしたいな」
「もちろん!」
アンジーは確認するようにミリーを見やり、彼女がうなずくと、シモンに向かって快諾した。
その日、アンジーたち四人は旅を続けるための準備をしたり、祭りが終わって落ち着きの戻った町の中を散策したりしてのんびり過ごした。
そして翌日の朝、別れを惜しみつつクライスベルクを目指して出発したのだった。




