おまけ:守りたい人(太陽×星良)
「星良、帰ろう」
帰り支度を整え、ランドセルを背負うと隣のクラスの星良を迎えに行く。それが小学校5年生の太陽の毎日の習慣だった。
「お待たせ、太陽」
ランドセルを背負いながら、小走りに太陽のいる入り口までかけてくる星良。いつもと変わらぬ笑顔の幼馴染に、太陽もニコリと笑んだ。
星良とは、同じ日に同じ病院で産まれたらしい。そこで母親同士の気が合い、家が近いこともあって仲良くなった。
太陽が幼稚園に入り母親が職場復帰してからは、幼稚園が終わると星良と共に神崎家に行き、母親か父親の仕事が終わって迎えにくるまで一緒に過ごすようになった。
それは今も変わらない。
星良と一緒に帰り、道場で稽古をしたり、遊んだり、勉強をしたりして放課後を過ごしている。太陽にとって星良は一番の友達で、まるで家族のように近しい存在で、誰よりも大切な人。
危なっかしいほどに正義感が強い星良を、太陽は尊敬もし、心配にも思っていた。
「あ、そう言えば先生に用事頼まれてたんだった」
自分の下駄箱を前にして、星良は唐突にそう呟いた。
「じゃあ、終わるまで待ってるよ」
先に靴を履いて玄関に立っていた太陽は、脱ぎ掛けた上履きを履きなおした星良にそう声をかけたが、星良は短い髪を揺らすほどぶんぶんと首を横に振った。
「いいよ、先に帰ってて。何時になるかわからないし」
「別にいいよ。教室で本でも読んでるから」
どうせ先に帰っても、星良がいなければ神崎家で同じことをするだけだ。道場での稽古も、宿題をするのも、星良と一緒にするものだと太陽は思っている。だが、星良は頑なに首をふった。
「いいって。本当に遅くなるかもしれないから、先に帰っておやつでも食べててよ。じゃあね」
太陽が次の言葉を返す間を与えず、星良は踵を返すと校内へと走り去っていった。
太陽は困惑した顔でその場に立ち尽くす。どうやら星良は、待っていてほしくないようである。でも、太陽としては待っていたい。一人で帰るより、星良と帰る方がずっと楽しいからだ。
「あれ? 朝宮くん今日はひとりなの?」
どうしたものかとその場で悩んでいた太陽に、可愛らしい声がかけられた。目を向けると、星良のクラスの下駄箱の前に数人の女子がいる。その中の一人が声をかけたようだ。
「よかったら、一緒に帰ろう」
笑顔でそう言ったのは、長い髪をピンクのシュシュでゆるくまとめて胸のあたりまでたらし、赤のチェックのワンピースに白いカーディガンを羽織っている小柄な女の子。
まるで少年のような星良とは対照的に、華奢で女の子らしい笑顔の可愛い子だ。太陽のクラスの男子の中でも可愛いと噂になっていた気がする。
「あー、えーと……」
「朝宮、オレと一緒に帰る約束してるから」
星良を待つか悩んでいた太陽が口を開きかけた時、彼女たちの後ろから聞き覚えのある声が響いた。彼女たちの横をすり抜けて靴を放り投げ、つっかけるようにして履くと太陽の隣に並んだのは、昨年まで同じクラスだった勇太。
そんな約束をした覚えのない太陽がきょとんとしていると、強引に太陽の肩を抱いて歩き出した。背後から女子たちの不服そうな声が響いたが、勇太は無視してずんずんと歩いていく。
「いつ一緒に帰る約束なんてしたっけ?」
「いや、してねーけど」
彼女たちから離れてから訊ねると、勇太は手を放して小さくため息をついた。それ以上何を言うでもなく、眉間に軽く皺をよせて隣を歩く勇太には何か事情があるのだろう。太陽も同じく何を言うでもなく歩きながら、その事情を考えてみる。
「あー、もしかしてさっきの子が好きとか?」
思いついたことをつい口に出してしまうと、勇太は顔をひきつらせて首を振った。恥ずかしくて事実を隠しているというよりは、本気で嫌がっているように見える。
「それはない。いくら見た目が可愛くても、あれはない」
「?」
そんなに嫌がられるような子に見えないので不思議そうに勇太を見ると、勇太は足を止め、ふうっと息を吐いた。つられるように足を止めた太陽を、意を決したように見つめる。
「止められてたけど、やっぱ言うわ」
「何を?」
さっぱりわからず訊ねた太陽に、勇太は眉間に深い皺を刻んで口を開く。
「朝宮、神崎がいじめられてるって気づいてるか?」
「――え?」
突然の事に、太陽はすぐに言葉の意味を理解できなかった。星良には無縁の言葉に思えたのだ。正義感の強い星良が誰かをいじめることもなければ、心身ともに強い星良がいじめられることもない。太陽はそう信じているのだが、勇太の表情は嘘でも勘違いでもなさそうだ。
「ど、どういうこと?」
動揺して、声が上ずる太陽。勇太は嫌なものを吐き出すように息を吐くと、辺りを見回して人がいないことを確認した。それから、重い口を開く。
「うちのクラスの女子が、集団でやってんだよ。無視したり、物隠したり、落書きしたり。主犯格はさっき朝宮に声かけた奴」
「なんで?」
思わず責める様な強い口調になる。すぐに勇太のせいではないのにとハッとなるが、勇太は気にするなという様に小さく笑んだ。それから再び嘆息する。
「さっきの集団の一番後ろにいた女子覚えてるか?」
「……いや、ゴメン。わからない」
記憶をたどったが、太陽の記憶には直接声をかけてきた子の姿がかろうじてあるだけだ。
「覚えてなくてもいいんだけど、最初はそいつがいじめられはじめたんだよ、突然」
そこまで聞けば、太陽もピンとくる。
「それを星良が止めて、代わりにいじめられてるってこと?」
「まあ、そんなとこ」
星良なら、自分のクラスのいじめなど絶対に見逃さない。真正面から注意するだろう。だが、勇太の表情から察すると、まだ他に理由がありそうだ。
「他にも理由があるのか?」
「んーーー」
真っ直ぐに見つめる太陽から目を逸らして悩ましい声をあげる勇太を、太陽は辛抱強く見つめる。星良の一大事を、きちんと知りたかったのだ。少しすると、勇太は観念したかのようにため息をついた。
「オレから聞いたって、神崎に言うなよ?」
「もちろん」
即答すると、勇太は腕組みをし、深々とため息をついてから太陽を半眼で見つめた。
「理由は、朝宮だよ」
「――?」
思いもよらぬ理由に太陽がフリーズすると、勇太はすぐに補足する。
「いじめを注意されて、言い返したかったけど、神崎の方が正論だったから他に何も言えなかったんだろうけどさ、『神崎さんだって、朝宮くん独り占めしてずるいじゃない』ってさ」
「――は?」
説明されても、太陽にはさっぱり意味がわからない。それが顔にでているのか、勇太は苦笑いを浮かべた。
「自覚はないだろうけど、朝宮はモテるんだよ。だから、普段から神崎は嫉妬されてるわけ。で、そんな神崎に注意されて、逆切れしたって感じ?」
「……意味がわからない」
大事な人を傷つける人間を好きになる人間なんていない。それなのに、何故そうなるのか?
眉間に皺をよせて呟く太陽に同意するように、勇太はこくりと頷く。
「オレも意味がわかんねーけど、まー、そういうことになってんだよ」
「でも、星良がいじめられっぱなしなんて……」
相手が年上だろうと、自分が正しいと思えば真っ向勝負で向かっていく星良。いじめられっぱなしで大人しくしているとは思えない。あっさり制圧しそうなものだ。
「まあ、神崎が本気だせば女子もびびってやめると思うんだけどさ、別にいいって本人が」
「星良が、そのままでかまわないって言ってるってこと?」
太陽の問いに、勇太はコクリと頷く。
「自分に向かわせときゃ、他の子をいじめることはないだろうからってさ。先生とか親に言おうかって言ってみたんだけど、そう断られた。でも、見てて気持ちいいもんじゃねーし、何もしないで放っとくのも嫌だなって思ってて。そしたらあいつら、平然と朝宮に帰ろうとか言ってるから、ムカついて……。朝宮も、知らないままって嫌かなって」
「ありがとう」
勇太の気遣いに、太陽は感謝する。こんな風に心配してくれるクラスメイトがいるからこそ、星良はひとりで耐えられるのだろう。太陽の言葉に、勇太は重荷をおろしたかのようにホッとした表情を浮かべた。
「あとは朝宮に任せる。女子怖いし、オレ、何もできないから」
「うん。教えてくれてありがとう。星良のところに戻るよ」
勇太に手を振ると、太陽は校舎に向かって走っていった。
「せめて水性ペンとかにしてくれないかなぁ。いじめの証拠のこすとか、バカじゃないの?」
人気のない水道でひとりぶつぶつ文句を言っている星良を、太陽はようやく見つけ出した。ばしゃばしゃと水音をたてて、何かを一生懸命洗っているらしい。
「手伝おうか?」
「いや、ひとりで大丈夫……って、わぁ!」
ひょいっと横から覗き込んだ太陽に普通に答えてから、一拍遅れて驚く星良。慌てて洗っている物を隠そうとして、袖までびしょびしょになっている。
「ど、どうしたの? 帰っていいって言ったのに」
「やっぱり星良と一緒に帰りたいと思って」
ニコリと笑んだ太陽に、星良は背後に何かを隠しながら少し照れたような困ったような顔をする。もじもじと不器用に隠し物をする星良の隙をつき、太陽はひょいっと星良の隠し物をとった。
「あっ!」
慌てた星良が伸ばした手を交わしながら手に取ったものを見て、太陽は眉をひそめた。星良の運動靴に、たくさんのひどい言葉がマジックで書かれていたのだ。
「――これを隠すためにひとりで帰ろうとしたの?」
太陽の声のトーンが変わったからだろう。めったに怒らない幼馴染が怒りを露わにしているのを見て、星良はおずおずと口を開く。
「いや、うーんと、そもそも下駄箱に運動靴がなくって」
「え?」
さらに声が固くなった太陽に、ばれてしまっては仕方がないと言う様に星良は話し始める。
「どっかに捨てられたかなと思ってゴミ箱さがしたら、やっぱり教室のゴミ箱に捨ててあったの。ご丁寧に落書きまでして。暇な人たちだよね」
大したことではないというように、明るく言い切る星良。でも、嫌じゃないわけがない。いくら星良が強くたって、少しも傷つかないなんてことはない。それでも笑顔を浮かべるのは、太陽に心配をかけたくないから。
「星良、オレにできることはある?」
漆黒の瞳をまっすぐに見つめてそう言うと、星良の瞳が一瞬揺らいだ。何かを堪えるようにきゅっと唇を噛んでから、少し潤んだ瞳で微笑む。
「いつもみたいに、頭撫でて」
たぶん、これが星良の精一杯の甘えなのだろう。太陽は微笑むと、星良の短い髪をくしゃくしゃと撫でる。
星良は少しくすぐったそうに、でも嬉しそうに笑んだ。
「もう、大丈夫」
「本当に?」
心配で訊ねた太陽に、星良は頷く。
「うん。大丈夫。太陽は何もしなくていいよ。騒ぎ大きくしたら仕方なく向こうの味方してる子たちも困るだろうし、平気な顔してたらそのうち飽きるでしょ。我慢できなくなったら、ガツンと言うしさ」
教室での平気な振りは、星良をかばったら自分がいじめられるかもしれないと恐れている子たちへの気遣い。きっと凛とした背中で、自分は平気だから気にするなと語っているのだろう。
それが星良の正義。
太陽はそれが誇らしくも、不安でもある。自分の信じる道の為なら、己が傷つくことを厭わない星良。そんな星良が大好きだからこそ、傷ついてほしくないと心から願う。
そのために、今のままの星良をまるごと守れるほどの強さが欲しい。知識が欲しい。優しさが欲しい。まだ何もできない子供の自分が、悔しい。
「それに、あたしには太陽がいるから何があっても平気なの」
キラキラと輝くような星良の満面の笑みに、太陽は眩しそうに目を細めた。
この輝きを、ずっとずっと守りたい。
「うん。何があっても、オレはずっとずっと星良の一番の味方だよ」
自然に心から零れ落ちた言葉に、星良は嬉しそうに微笑んだ。
落書きが消せず、落書きを塗りつぶすように柄を書き加えた濡れたスニーカーを履いて帰る星良と太陽。
それでも、久しぶりに手をつないで二人で歩く帰路は二人にとって幸せな時間だった。




