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星と月と太陽  作者: 水無月
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おまけ:ヒミツ(かおる×月也)

 誰もいない階段を、かおるは逸る気持ちを顔に出さず、ゆっくりと上っていた。手には鍵が握られている。


 かおるは階段を最後までのぼりきると、屋上に続く扉をガチャリと開けた。屋上は立ち入り禁止ではないが、扉には鍵がかかっている。職員室に行けば鍵が借りられるので、教師の信頼を失ってさえいなければ立ち入ることができる。だが、そのひと手間が面倒であり、さらに南棟は教室から離れているのであまり人は来ない。


 つまり、鍵を借りて南棟の屋上までくれば、たくさんの生徒が溢れる校舎の中で一人きりになれるのだ。


 かおるは吹き抜ける風にふわりと髪をなびかせながら、誰も入ってこないように外から鍵を閉めた。階下にも人の気配はなかったので、これで一人きりだ。


 かおるはすぅっと息を吸う。初夏の新緑の香りが少し気持ちを和らげるが、それだけでは苛立った気持ちは抑えられなかった。



「嫌味を言うなら、私より努力してからいいなさいよ!」


 かおるのよく響く声は誰にも届くことなく、風に溶けるようにすぐに消える。もう一度息を吸うと、かおるは再び口を開く。


「妬む暇があったら、自分を磨けばいいじゃない!」


 脳裏に浮かぶのは、クラスメイトの女子たちの姿。褒めているように見せかけながら、嫌味や妬みをぶつけてくる。


『かおるはいいよね、頭いいから』


『恵まれてるよね、美人でスタイルいいだけでモテるし』


『私たちの苦労なんて、何でも持ってるかおるにはわからないよね』


 成績がいいのは、幼いころからきちんと勉強してきたから。今も予習復習はかかさない。


 見た目だって、食事に気を付け、ストレッチや運動を欠かさず、肌の手入れも手を抜かず、化粧をしているかわからない程度の綺麗に見えるメイクも研究しているし、仕草や表情も綺麗に見えるように気を使っている。


 最初から持っているものなどない。今の自分は、努力して手に入れているのだとかおるは思っている。


 だから、彼女たちの前では顔に出さずにうまく対応しているが、それが日に何度も重なるとさすがに苛立ちを隠しきれなくなる。


 だが、そんな自分を他人に見せたくはない。自分で誇れる自分しか、他人には見せたくないのだ。


 だから、王様の耳はロバの耳のように、誰もいない屋上に吐き出しに来る。心のうちにためているよりも、言葉に乗せてどこかに飛ばしてしまう方が気持ちを落ちつけられるからだ。


「努力せずに何でも手に入れられる人間なんて、いやしないのよ!」


 何かを望むのなら、それ相応の努力を対価として支払わなければならない。それが当然だとかおるは思っている。だから、大した努力もしないのにただ望むだけの人間にとやかく言われることが嫌いだ。


 でも、そんな彼女たちを軽く受け流しきれずにこんなところで叫んでいる自分も、嫌いだ。誰かに見られたら、みっともないのはわかっている。理想の女性像にはほど遠い。


 ふっくらした唇をきゅっと噛みしめた時、頭上からぱちぱちと手を叩く音がして、かおるは心臓が止まりそうなほど驚いた。


 おそるおそる音がした方向に振り向くと、自分が入ってきた扉の上に人影があった。ドアは開いていない。かおるが来る前から、扉のある建物の上にいたのだろう。


 全く気付かなかった。


「さすが先輩、良いこと言いますね」


 眼鏡の奥の瞳を三日月型に細めてそう言ったのは、どうやら一年生らしい男子。どこかで見覚えがあるような気がして、かおるは脳内を検索する。数秒で、入学早々イケメンだと噂され、上級生からも一番人気の朝宮太陽の友人だと思い出す。だが、彼の名前は思い出せなかった。


「あ、あなた、どうやってここに入ったの? 鍵、かかってたでしょう」


 秘密を聞かれたかおるは、恥ずかしさを隠すかのように怒りがこみ上げた。生徒に貸し出される鍵は一つしかない。それをかおるが持っているということは、彼は不法侵入をしたということだ。


「これくらいの鍵なら針金一本で開けられるという特技を持っているので、鍵を借りに行く手間を省かせていただきました」


「それって、犯罪じゃない?」


 悪びれない彼にかおるが眉をしかめると、彼は小さく肩をすくめた。


「もとから立ち入り禁止だったら、さすがに鍵をあけませんよ。手続きをちょっと省略しただけです」


「でも、そのせいで……」


 言いかけて口をつぐむ。そのせいで自分の恥ずかしい姿をみられたとは、面と向かって言えない。あんな自分を見られてどう取り繕ったらいいのか、かおるはすぐに答えを見つけられずに黙り込む。


 かおるの動揺に気づいたのか、彼は自分の身長よりも高い場所からひょいっと飛び降り、軽やかに着地する。運動神経はなかなかのようだ。


 平静を装うとするが装いきれないかおるの前まで歩いてくる新入生。傍までくると、思ったよりも背が高く、顔もなかなかにイケメンだった。いつもそばにいる親友のレベルが高すぎて損をしているなと、混乱した頭の片隅で冷静にそう思う。


「すみませんでした」


 突然礼儀正しく頭を下げられ、かおるは驚いて大きな目を見開いた。ゆっくりと顔をあげた彼は、思ったよりも澄んだ瞳でかおるを見つめた。


「盗み聞きするつもりはなかったんです。僕も、一人になりたくてここに来ただけで」


 『僕も』ということは、かおるが一人になりたかったことは理解してくれているようだ。かおるは黙って彼の言葉に耳を傾ける。


「で、誰もいないと思っている先輩の言葉を、これ以上黙って聞いてるのは失礼かと思って声をかけさせていただきました。ごめんなさい」


 もう一度頭を下げられ、かおるは戸惑う。屋上に無断で侵入した以外、彼に罪はない。誰もいないと思い込み、学校内で愚痴を吐き出していたかおるも悪いのだ。素直に謝られたら、これ以上責めることなどできない。


「も、もういいわよ。私も、悪いんだから……」


 そう、自分が悪い。あんなことくらいで苛立ちを隠せない、器の小さな自分がいけないのだ。


「そんな顔しないでくださいよ、先輩。気持ちはわかるので、誰にもいったりしませんよ」


 安心させるつもりで言ったのだろうが、かおるにはカチンときた。気持ちがわかる? 私のことをよく知りもしないくせに?


「何がわかるの?」


 大人げない。そう思いながらも、荊のある声が口から飛び出してしまった。みっともないと後悔しても、一度出てしまった言葉は取り消せない。


 彼は少し驚いたようにかおるを見つめたものの、落ち着いた様子で口を開く。


「こうでありたいと望む自分と、実際の自分とのギャップ。誰にも見せたくない、己の汚さや弱さ。それらを隠したいのに、徐々に心に澱がたまって隠しきれなくなる。それをどうにかしたくて、一人きりになりたくて、この場所に来る。違いましたか?」


 遠くはない答えに、かおるは彼に興味をもった。


「あなたは、だからここにいたの?」


 かおるのことというより、自分自身のことを言ったように見えた彼に尋ねると、彼は哀しげな微笑を浮かべた。


「そうですね。でもって、先輩の言葉はグサグサと胸に刺さりました」


「え?」


「本当に望むなら願うだけじゃなくて努力しなきゃいけないって、わかってはいるんですけどね。

羨むならその相手以上になれるように努力すればいいのに、最初から諦めて戦おうとすらしない。諦める努力だけして、なのに諦めきることもできないなんて、どうしようもないですよね」


 自嘲気味に唇を歪めると、彼はふぅっと息を吐きだして青空を見上げた。自分の愚痴で、いたいけな新入生を傷つけてしまったのかとかおるは後ろめたくなる。が、再びかおるを見つめた彼は先ほどの表情が嘘だったかのように、胡散臭く感じるほどの爽やかな笑みを浮かべていた。


「と、落ち込む気持ちを気づかれたくないので、僕は時々青空を独り占めしにくるんです。先輩みたいに口に出すと、誰かに聞かれる恐れがあるので」


「な……それって、私がうかつってこと⁉︎」


 さすがに怒りが滲んでしまったかおるに、彼は胡散臭い笑みを崩さない。


「ですね。壁に耳あり障子に目あり。ダメですよ、先輩。聞かれたくないことを公共の場で口に出したりしたら」


「うっ……」


 正論と言えば正論なので、かおるは反撃の言葉を失う。そう、わかっているのだ。自分がうかつだったことは。だが、他人に言われると悔しいし、恥ずかしい。


「だ、誰かに言うの?」


 自分でも驚くほど弱々しい声がでた。今更ながら、秘密を知られたことが怖くなる。だが、彼は今度は優しく微笑んだ。


「だから、誰にも言いませんって。言ったところで、僕に何の得もないし」


「……得がなくっても、他人の事バカにして楽しむ人っていっぱいいるけど」


 人に文句があるのは構わない。自分に対してもあるだろうし、自分にだってある。好き嫌いがあるのはしょうがないし、価値観の違いで分かりあえないのも理解できる。だが、かおるは集団で誰かの悪口をいい、楽しげに盛り上がっている姿を見るのは嫌いだった。


 その仲間に入ることも、その悪口の対象になることも嫌だ。でも、そういう人間は実に多い。彼がその一人でないという保証はない。


「まぁ、それはそうですけど。でも、損することはしないですよ、僕」


 クスッと笑う彼の言っている意味がわからず、かおるは困惑の眼差しを向けた。彼は悪戯な笑みを浮かべる。


「いつも誇り高い先輩の可愛い姿、独り占めする方が得じゃないですか」


「なっ……」


 思わぬ言葉に、言葉を失うかおる。からかわれた怒りか、照れてしまったのか、自分でもよくわからないが頬が赤くなってしまう。


「ば、バカにしてるの? 愚痴ってる姿が可愛いわけないじゃない」


 なんとか言い返すが、彼は余裕の笑みで切り返す。


「まさか。本気で思ってますよ。理想の自分でいるために努力を惜しまない先輩も素敵ですが、年相応の弱さも持ってる方が、僕は人間らしくて好きです。人前では出さないでこんなところで一人で吐き出してるのも、健気で可愛いですよ。他の人に教えるなんて、もったいない」


 これがついこの間まで中学生だった人間の吐くセリフかと唖然とする。だが、眼鏡の奥の彼の瞳はとても澄んでいて、彼の言葉は嘘ではないと告げていた。少なくとも、誰にも言わないというのは真実なのだろう。その理由づけに関しては、真実は怪しいものだが……。


「本当に、言わない?」


 それでもつい念を押してしまったかおるに、彼はにこっと笑みを浮かべた。


「もちろん。その代り、不法侵入は先生に黙っててくださいね、先輩」


「交換条件ってわけ?」


「僕も逃げ場所を奪われたくないので」


 そう言う割には、あまり危機感を感じない。たぶん、自分に気を使ったのだとかおるは気づく。知られたくないヒミツが自分にもあるから、あなたのヒミツも言いませんよ、と安心させるための交換条件だ。


 年下ながら、彼の方がきっと自分より大人だ。


「……あなた、名前は?」


「申し遅れました、一年の高城月也です。土屋かおる先輩」


 彼がそう微笑んだところで、携帯電話のアラームがポケットの中で震えた。もう鍵を返しに行かないと授業に間に合わない。かおるは小さくため息をつく。


「わかった。とりあえず、あなたを信じるわ、高城くん」


「信じていただいてありがとうございます、先輩」


 ニコッと可愛らしく微笑んだ彼は、かおるにならって屋上をでると、かおるが鍵を閉めるのを待ってから後について階段を降りてくる。


 職員室に続く階まで黙って二人で階段を降りると、かおるはふりかえって月也を見つめた。


「じゃ、私は職員室に鍵を返してくるから」


「はい。それではここで」


 ぺこりと頭を下げた月也を背にして、かおるは歩き出した。


 



 それから数日は、本当は少し不安だった。あの時は言うつもりがなくても、誰か一人くらいには話してしまうのではないかと思ったから。だが、一人に話すと、その人間がまた誰かに話し……と噂がひろまるものだ。そうなるのではないかと懸念したが、しばらくたってもその兆候はまったくなかった。


 周りの言動にだいぶ敏感になっていたので、気づかなかったということはないだろう。彼は本当に、誰にも話していないのだ。


 数週間たって、かおるはようやく安心できた。そして、なんとなく屋上に行ってみた。この前のようにストレスを吐き出しに行ったのではない。彼の姿は校内でよく見かけたが、いつも隣に親友の朝宮太陽かボーイッシュな女子がいるので話しかけることができなかった為、あの場所で二人きりで会えないかと思ったからだ。


 かちゃりとドアを開け、外から鍵を閉めるかおる。少し離れてドアの上に人がいないか見てみたが、見えないのか、いないのかよくわからない。


「ねぇ、いる?」


 恐る恐る声をかけてみるが、反応はない。かおるは小さくため息をつくと、今、心に溜まっていることを吐き出すべく息を吸う。


「もう! すれ違ったら会釈だけじゃなくて、ちゃんと挨拶しなさいよ!」


 あれからすれ違っても、彼は見知らぬ先輩に対するような軽い会釈しかしなかった。全く知らぬ他人のようなそぶりに、かおるは少し傷ついていたのだ。自分のヒミツを知られてしまった唯一の相手。情けない自分の姿を、フォローでも人間らしくて可愛いと言ってくれた彼。そして、約束を守って誰にも言わなかった信頼できるかもしれない人。他の誰よりも気になるのに、向こうは全然見て見ぬふりだ。


 一人拗ねて唇をとがらせていると、扉の上から押し殺したような笑い声が聞こえてきた。ハッとして振り仰ぐと、むくりと起き上がって上半身が見えた月也が必死に笑いを堪えている姿……。


「い、いたなら返事しなさいよ!」


「いや、名指しされなかったもので」


 楽しげに笑いながら、月也は上から飛び降りて頬を赤らめているかおるの前まで歩いてくる。そして、恭しく頭を下げた。


「ご挨拶しないで、失礼しました。赤の他人の方がいいのかと思ったもので」


「……どうして?」


 顔をあげた月也に訊ねると、月也は微笑む。


「だって、どこで知り合ったのか聞かれたら困るでしょ? 先輩、嘘つくの上手じゃなさそうだし」


「そ、それはそうだけど……」


 自分に気を使っていたのでは、何も言えない。そして、そこまで考えてくれたことに、嬉しさを感じる。ふざけたところもあるけれど、芯は誠実な人なのだ、きっと。


「また、落ち込んだりしてたの?」


 ここにいるのはそうなのかと尋ねと、月也は少し切なげに笑んだ。


「まぁ、気分転換程度ですけどね」


 どこか、寂しげな声。


 彼は彼で、何かを抱えている。それを、きっと親友にすら話していない。彼のこの弱さを知っているのは、もしかしたら自分だけだ。


 二人だけの、ヒミツ。


 そんなことを考え、かおるはくすぐったいような気持ちになった。





 それから、たびたび彼とここで会った。何度目でこの気持ちが恋に変わったのか、かおる自身にもよくわからなかった。


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