犯人は誰
「犯人聞きそびれた……」
昼休み、太陽とひかりと昼食をとりながら、星良はややふてくされ気味にそう呟いた。
朝はまだ寝起きだったことと、月也が目覚めたことの安堵が大きく、それ以外に頭が回らなかったが、今頃になってようやくその事実に思い当ったのだ。
「しょうがないだろ、星良。まずは診てもらう必要があったんだし、家族でもないのにいつまでもいるわけにもいかないし」
「そうだけど……」
おにぎりをほおばりながら、星良は眉間にしわを寄せる。 朝は冷静な判断ができなかったが、今考えると少しおかしい。いくら月也とはいえ、誰かに襲われて数日ぶりに目覚めたというのに、あの口撃。自分を動揺させて、事件に意識を向けないようにさせられたと思えなくもない。
「それに、月也が犯人を見てるなら、警察が捕まえてくれる。星良が焦って聞く必要はないだろ?」
「……それも、そうだけど」
頭ではわかっているが、でも納得はできない。月也を傷つけた犯人を、自分の手で捕まえたいと思ってしまう。
「でも、樹くんのことは止めなかったのに……」
じとっと太陽を見ると、太陽はからあげを咀嚼しながら苦笑を浮かべた。お茶で流し込んでから、太陽は口を開く。
「あの時は、月也の意識が戻ってなかったからだよ。犯人の手がかりを見つけるのに必要ならと思って止めなかったけど、月也が犯人わかるならもういいだろ」
「……そう、だけど……」
なんとなく太陽の態度にも釈然としないものを感じ、ふて腐れ顔の星良。自分を事件に触れさせないようにしている気がしてならない。警察の邪魔をしないようにと思っている可能性もあるが、やはり犯人が自分に関わる人間で、それに気づかせないように月也と結託している可能性も考えられる。
それを見極めるべくじぃっと太陽を見つめていると、隣のひかりからふっと小さな声がもれた。ひかりを見ると、ひかりが目を細めて星良を見つめていた。
「星良ちゃんは、本当に誰かの為だと一生懸命になれるよね」
「?」
きょとんとする星良に、ひかりは笑みを深めた。
「自分の痛みはできるだけ我慢するのに、誰かの痛みを感じたら止まっていたくないんでしょ。星良ちゃんらしい優しさだなって」
「そんな……優しいってわけじゃ……」
星良は頬を少し赤らめ、照れを誤魔化すようにかぷりとおにぎりにかぶりついた。そんな善人じゃないと自分では思うが、ひかりの嘘のない笑顔と共に言われると、なんだかくすぐったいような気持ちになる。
ひかりも月也の意識が戻ってホッとしたのだろう。ここ最近で一番可愛らしい笑みを前に、憎き犯人の推察をしようという気も失せ、とりあえず昼食を楽しむことにする星良。話がそれて太陽がホッとしたような表情を垣間見せたのが気にはなったが、事件のことは放課後、月也に会いに行くまでは置いておくことにした。
「ねぇ、たぶん意識戻ったっぽいけど、本当に大丈夫ぅ?」
他には誰もいない教室の中、電話に向かって甘ったるい声を発している女生徒が一人。返ってきた返事に、艶のある唇に笑みを浮かべる。
「だよねぇ。それにぃ、あれだけされて、身の程わきまえないほど、バカじゃないかぁ」
人を小馬鹿にしたような、楽しげな声。甘いしゃべり方とは裏腹に、冷たい響きが含まれている。
「今日? いいよぉ。また手伝ってあげる。あれ、意外と楽しかったしぃ」
ゆるく巻いた長い髪をいじりながら、ふふっと笑う。 美しい顔立ちで浮かべる笑みは、醜く歪んでいた。
「だーかーらー、目が合っただけでからまれたんだってば」
ベッドの上で困り顔の月也は、何度目かになる同じ台詞を吐いた。だが、ベッドの隣に置かれた椅子に座る星良は納得の色を浮かべることなく、疑いの眼差しで月也をじとっと見つめていた。
犯人は誰かという問いに、月也は初対面の男たちだと答えていた。星良と関わった人間ではないかという心配にも、それはないと断言している。 ただ、よろしくない連中と目が合って、因縁をつけられただけ。
だが、それで納得できるはずがない。
「だったら、樹くんは何であんなことしてたのよ」
さも心当たりが沢山ありそうな行動をしていた樹。初対面の人間が相手では意味がないことだ。
「それはまぁ、襲われる心当たりがゼロじゃないから、万が一の時はあぶり出すようにお願いしてあったからだけど、今回はそのリストの中の人間じゃなかったんだよ。樹には無駄なことさせて申し訳なかったな」
まるで動揺も見せずに答える月也。星良は眉間にさらに深い皺を刻む。
「……心当たりって、何?」
「相手をおとなしくさせるために、相手の弱みを握るってよくあるでしょ?」
「ない」
笑顔で答えた月也に、唖然として言葉を失った星良を代弁して半眼の太陽が即答する。あれー? と、すっとぼけた声と笑顔で誤魔化そうとする月也を見て、星良は深々と溜息を吐いた。
「なんでそんなことしてんのよ」
自分が襲われる可能性を考えて、後輩による保険を考えているのだ。危ない自覚はあるのだろう。心配と呆れと怒りの混じった複雑な眼差しで星良が見つめると、月也は小さく肩をすくめた。
「自分なりの正義を貫くために?」
本気とも冗談ともつかない口調。浮かべる微笑みからも、真っ直ぐに自分を見つめる瞳からも、月也の真意は読み取れない。それが悔しく、もどかしく、星良は唇を尖らせた。
「はいはい。正義の味方は弱み握って脅さないし、星良も人のこと責められないから、とりあえずこの話はここまで」
星良が言葉を発する前に、太陽が話を終結させる。 確かに、自分なりの正義を貫くために、ケンカを買いまくったり売りまくったりしている自分が責める権利はないかもしれない。それに、もしかしたら……。
「あ、別に星良さんは関係ないからね? 僕個人の趣味だから」
月也の行為が自分の尻ぬぐいではという不安が顔にでたのか、月也はあっさりとそれを読み取って否定した。太陽も表情の曇った星良の頭をくしゃっとなで、心配するなとその温もりで伝える。
自分はかなり甘やかされていると自覚して、嬉しいような、情けないような、恥ずかしいような、変な気分だ。
星良が落ち着いたのを見て、太陽は話を本筋に戻す。
「月也が裏で何してたか追求するのは、後々でもできる。今は、今回の犯人がどこの誰かって話をするんじゃなかった?」
「うん。そう。それ」
月也の発言が疑わしくて話がそれたが、一番知りたいのはそこだ。
誰が月也を襲ったか。
警察も目撃者すら見つけられていない今、犯人を特定する情報は月也だけが頼りだ。とりあえず、月也の発言を信じるしかない。
「初対面でも、何か犯人見つけ出す特徴とかなかったのか?」
太陽の問いに、月也は唇の片端を持ち上げた。
「あったよー。わかりやすく。ちゃんと、警察の人にも伝えたから、今日中には捕まるかもね」
「へ?」
予想外の答えに、星良は間の抜けた声をあげる。 月也から情報を聞き出し、警察よりも先に犯人を見つけ出して制裁を加える気満々だったのだ。あっさり見つかりそうだとは思いもしなかった。
「それは、どういう?」
固まった星良の横で、太陽がさらに尋ねる。月也は目を三日月型に細め、口角をあげた。
「最近、ここらで幅をきかせはじめた連中だよ。暴力団まがいの結構な悪さしてるみたいだよ。ご丁寧に、お揃いのタトゥーしてるからわかりやすいよね。本人たちは、それで怖がらせたいみたいだけど、身元割れやすいってわかってるのかなぁ」
「「…………」」
ふふっと笑う月也を、星良と太陽は無言で見つめた。
そんな団体様に命の危険があったほどにボコボコにされたというのに、笑顔で話せるハートの強さは称賛に値するかもしれない。普通は、報復を恐れてそのグループの名を警察に告げることすらできなかったりするのではないだろうか……。
「だから、星良さんは何もしなくていいからね。これは事件として警察が動いてるんだから、素人の出る幕じゃないよ」
「……うん」
真面目な顔でクギをさされ、星良はしぶしぶと返事をした。
わかってはいるが、大事な人を傷つけた人間を、この手で捕まえることができないのは悔しい。月也がされたことを犯人にやり返したいという復讐心は我慢しても、せめて自分の手で警察に突き出したかった。法で裁かれるとわかっていても、気持ちは収まらない。
「あのね、星良さん」
唇を噛んでうつむいた星良に、月也が柔らかな声をかける。顔を上げると、月也が優しく微笑んでいた。
「星良さんならあいつらをボッコボコにできるとは思うけど、そんなことよりも、目が覚めた時、星良さんがそばにいてくれたことが僕はすごく幸せだったんだよ。だから、犯人に捕まえる時間あるなら、そばにいてくれる方が嬉しいな」
「っ……」
月也のストレートな言葉に、星良の頬が朱に染まる。何も言えずにいる星良を、月也がずっと見つめ続けるので、耐えられずに目を逸らすと、ぽんっと頭の上に太陽の手がのせられた。
「そうだよ、星良。犯人を捕らえるのは他の人にもできるけど、月也がそばにいてくれて喜ぶのは星良だけなんだから」
「……ひかり、迎えに行ってくるっ」
二人の相次ぐ攻撃に、恥ずかしさに耐えられなくなった星良は病室を飛び出して行った。部活が終わったら見舞いに来たいと言っていたひかりを迎えに行く約束はしているが、本当はまだ早い。だが、少し前までは太陽が好きだったはずなのに、自分でも驚くほど月也にドキドキしたのを二人に気づかれたくなかったのだ。
月也が死にかけて心配したせいでおかしくなっているだけだと自分に言い聞かせながら、星良は学校までの道のりを足早に歩いて行った。
一方、病室に残された二人は互いに目を合わせ、ふぅっと息を吐いた。
「さすがに、あのまま犯人捜しに行かないよな?」
「大丈夫じゃないかな。奴らのタトゥーのデザインも言ってないし、樹にももし脅されてもしらばっくれろって言ってあるしね。さすがに、警察関係の知り合いは、いくら相手が神崎道場のお嬢さんでも口を割らないと思うし」
「ならいいけど……」
星良が出ていったドアを、太陽は少し心配そうに見つめた。
星良が犯人について月也に尋ねた時のことを、二人は深夜に相談済みだった。星良は間違いなく、自分の手で捕まえようとするだろう。星良が犯人グループのところに乗り込んだ場合、本気でキレている星良に怯え、犯人が月也を襲うように仕向けた人物の名前を星良に言ってしまう可能性がある。黒幕がどうなろうと知ったことではないが、そこから派生する色々な事が星良やひかりをさらに傷つける可能性があるので、そこだけは防ぎたかった。
実際に襲った犯人については嘘はついていない。警察が逮捕し、聴取をすれば黒幕の名前も出てくるかもしれないが、相手は未成年。情報は公開されず、星良の耳には届かないはずだ。
「……で、本当に今夜抜け出すのか?」
眉間に皺を寄せて尋ねた太陽に、月也がにっこりと笑む。
「当然でしょ。まだしばらく入院してろって言われてるし、退院待ってたらもう当分会えないからね。捕まる前にひとこと言っておかないと」
事情を一通り聞いている太陽は、諦めたように深々と溜息を吐く。
「身体は大丈夫なんだろうな」
「大丈夫だよ。歩くくらいはできる。入院長引かせたくないから、嘘はつかないよ」
「それなら、いい」
無理はさせたくないが、月也の話を聞いて黒幕を許せない気持ちは同じ太陽は、身体が平気なら止める気はなかった。星良やひかりに知られず、暴力的ではない制裁を加える月也をサポートするつもりでいる。
「じゃ、今晩よろしくね、太陽。くれぐれも、星良さんに気づかれないように」
「わかってるよ」
そう言って、二人の密談は幕を閉じた。
自宅のある住宅街周辺は、夜更けが近づき、人気が少なくなっていた。
ふわりと髪を揺らし、音楽プレイヤーで音楽を聴きながら歩く制服姿の女子高生の唇には僅かな微笑が浮かべられている。簡単な手伝いをしただけで、臨時のお金が手に入り、お気に入りのブランドの財布を買って帰ってきたのだ。思い通り事が運んでいて、楽しくないはずがない。
だが……。
「ずいぶんとご機嫌だね」
暗がりから聞こえてきた声は、イヤホンから流れる音楽をすり抜けるように耳に届き、彼女はハッと足を止めた。
聞き覚えのある声。知っているはずの人物。だが、ここにいるはずがない。
「何かいいことでもあった?」
言いながら電柱の影から姿を現したのは、所々に包帯を巻いた月也だった。彼女はハッと息をのむ。が、すぐに表情を取り繕った。心配そうな表情を浮かべ、上目遣いで月也を見上げる。
「高城くん、どうしたのぉ? 風邪だって聞いてたのに、そんな怪我して、大丈夫ぅ?」
「よく言うよ、水多。お前が奴らに襲うように依頼したくせに」
顔は微笑みの形を作っているのに、ゾッとするような冷たい瞳を向ける月也に、唯花はびくっと身体を震わせた。
「な、何のことぉ? 奴らとか、襲わせるとか……」
しらを切ろうとする唯花を、電柱に身をもたれかけさせてる月也は鼻で笑った。
「演技、下手だな。目が泳いでるよ、水多」
「そんなことっ……」
言い返しながら、唯花は必死に考えを巡らせた。ここを切り抜けるにはどうするのが一番いいのか、一瞬のうちに色々考える。
「弱みを握られたから、仕返ししたんだろ。自分の方が上だと言いたかったのかな?」
余裕の笑みを浮かべる月也に、唯花はしらを切ることを諦めた。媚びるような表情を消し、不敵な笑みを浮かべる。
「わかってるのに、よく来られたわね。カレ、私の言うことなら何でも聞いてくれるのよ? 今度こそ殺されても知らないから」
使える男は魅了して利用する。それが、唯花の強みだ。自分を脅した月也を、二度と逆らう気がないように痛めつけて欲しいとお願いしたら、グループのリーダーであるカレはあっさり実行してくれた。ベッドの中で、別に殺してもかまわなかったと言っていたので、お願いしたら本当にやってくれるだろう。集団で襲われた恐怖が簡単に消えるとは思えず、その脅しは月也に十分にきくと思った。
が、月也の余裕の笑みは一ミリも崩れない。
「無理だと思うよ。彼ら、今晩中には捕まるから」
「え……」
「あ、あと水多もね。数日中には警察がくると思うよ。ご愁傷様」
にっこりと微笑んだ月也に、唯花は強がって笑った。
「何言ってるの? 私が襲うように頼んだ証拠なんてないわ。それに……」
「残念。彼らの逮捕は僕への暴行容疑がメインじゃないよ。水多への逮捕容疑も暴行の教唆じゃない」
唯花はハッと息をのんだ。とどめを刺すように、月也は手にしていた小型機械のボタンを押す。
『私、株式会社○○の鈴木と申します。そちらに、△社からのお葉書は届いてらっしゃるでしょうか? え? 届いてらっしゃる? えぇ、それは限られた方のみにキャンペーンで送られてくるんです。ぜひ、その商品をこちらに譲っていただきたいのですが…。そちらの商品はいいものですので、こちらで20%上乗せで購入させてください。えぇ、えぇ……』
自分の声が再生され、唯花はさぁっと青ざめた。カタカタと自分の歯が鳴るのがわかる。
「これ、いわゆる劇場型の振り込め詐欺だよね。で、この声は水多」
「なん……で、そんなもの……」
震える声で尋ねた唯花に、月也は笑みを浮かべたまま答える。
「盗撮されたのに、盗聴されたとは思わないわけ? 反省足りないなぁ」
くすくすと笑う月也に、唯花はぞっとした。
唯花がこれを手伝ったのは、彼らが月也を襲った次の日だ。願いを聞いてくれたお礼として、女性もいた方がいいと頼まれて手伝ったのだ。それも、今日を含めてたった2回。それなのに……。
「女優気取りで楽しかった? 分け前ももらったみたいだし、証拠もある。言い逃れはできないよ。残念だったね」
唯花はぎゅっと手を握りしめ、月也の持つボイスレコーダーを見つめた。月也の怪我は軽そうには見えない。電柱に背を預けないと、立っているのも大変そうだ。今の状態なら、ボイスレコーダーを奪える。月也を永遠に黙らせることも……。
危ういことを考えはじめた唯花を見透かしたように、月也の背後からすっと人影が現れた。見たこともないほど冷たい目で唯花を睨んだのは、太陽。全てを燃やしつくような炎が瞳の奥に感じられ、唯花は怯えて息を飲んだ。
「ねぇ、水多。僕、言わなかったっけ? 星良さんを傷つける人間を、僕は絶対に許さない。僕を痛めつけることによって、星良さんがどれだけ心を痛めたか……。ねぇ、太陽?」
「俺も、星良や久遠さんを泣かせる奴はたとえ誰でも許さない。親友を傷つける人間も」
「っ……」
普段は明るい顔しか見せない二人の刺すような視線に、唯花はかくんと崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。月也と太陽は、手を貸すことなくただ唯花を見下ろしている。
「復讐は考えない方がいいよ。これでも僕、手加減してるからね」
淡々としたその言い方が、背後に浮かぶ青白い月が、月也をよりいっそう恐ろしく感じさせた。大事な人を守るためなら、この人は自分よりもひどいことが平気でできる。適うはずがないと……。
「ま、もう会うことはないと思うけど、お元気で」
座ったまま涙を流しはじめた唯花に、月也はにっこりと笑ってそう言った。太陽はさすがに少し気まずそうな表情を浮かべている。
「人は罪を償ってやりなおせる強さがあると思う。自分がしたことちゃんと反省して、これからは自分にも人に誠実に生きて欲しい」
それだけ言って、唯花には手を貸さず、月也に肩を貸した太陽たちはその場を去って行った。
その晩の内に、犯行グループは月也の暴行容疑で逮捕された。同時に、詐欺容疑でも捜査が始まった。樹が唯花の持ち物に忍ばせた盗聴器によって録音された詐欺の電話が匿名で警察に送られ、数日後には唯花も補導され、学校中が大騒ぎとなったのだった。




