調査
翌朝、星良はぼぅっとした頭でいつもの通学路を歩いていた。
昨夜は病院で太陽と手を握り合いながら、月也の意識が早く戻ることをひたすら祈っていた。少し前までは太陽に触れるだけで心臓が壊れそうなほどドキドキしたのに、そんな想いはかけらも思い出さなかった。ただ、月也のことだけで頭がいっぱいだった。
夜も更けたころ、仮眠をとって戻ってきた水樹に家に戻って休むように勧められ、まだ傍にいたいと思う気持ちを我慢して家に戻った。だが、眠れるはずもない。ベッドに横になり身体の疲れは多少とれたかもしれないが、意識はずっとあった。
結局眠れないまま日が昇り、星良はベッドから起きだした。食欲はなかったが、母親に強引に朝食を取らされた。そのまま病院に向かおうとしたが、迷惑だから放課後に行くように言われ、学校に登校させられて現在に至る。
授業が頭に入る気がしないが、むしろちょうど良い睡眠に時間になるのではと考えながら、ぼぅっと歩く。
そんな星良の前に、待ち伏せていたのか、数人の男たちが道の陰から現れた。反射的に身構える星良。寝ていなくても、身体は動く。
月也を襲った犯人たちが星良も狙いに来たのかと考えたが、彼らの怯えたような表情を見て、思い違いだとすぐに気づいた。
「お、俺たちがやったんじゃねーからな!」
「あ、アリバイもあるぞ!」
警戒を解いた星良に、男たちは突如身の潔白を示し始めた。星良は一瞬キョトンとし、それから訝しげに眉をひそめた。
「……それ、月也のことを言ってるの?」
「そうだよっ! とにかく、俺らじゃねーからなっ‼︎」
「ちょっ……」
星良が次の問いを発する前に、男たちは踵を返してしまった。追おうと思ったが、道の陰にバイクが停めてあったらしく、彼らはそれに乗って一目散に姿を消してしまう。残された星良は、首を傾げた。
月也が襲われたことは、報道されていない。昨夜のうちにその情報を知っている人間はそう多くないはずだ。今の彼らは見覚えがあるので、おそらく星良が一度懲らしめたことのある人間だろう。ただそれだけの繋がりで、何故月也の事件をすでに知っているのか……。犯人ならば、わざわざ顔を見せにくるはずがないが、関係もないのに言い訳しにくるのも腑に落ちない。
考えながら、再び歩き出す星良。
この手のことに頭が回る月也は不在。ひかりには余計な心配をかけたくないし、相談するなら太陽しかいない。学校につく前に連絡をしておこうと携帯電話を手に取ろうとしたとき、再び人の気配を感じて星良は足を止める。警戒した星良の前に現れたのは、先ほどと違う複数の男。彼らもまた、自分たちは月也を襲っていないと怯えた顔で告げた後、慌ててその場を去って行った。
ますます訳が分からなくなる星良。それは学校に着くまでに、あと数回繰り返されたのだった。
「うーん……」
星良の報告を聞き、太陽は天を仰いだ。心の中の心境とは真逆に、雲一つなく気持ちの良い青空が広がっている。
星良と太陽は朝のホームルームに出ることなく、屋上にいた。鍵は、月也が勝手につくった合い鍵を星良が借りたまま持っていた。
「どう思う?」
登校時に星良を待ち伏せ、自分たちの無罪を訴えて去って行った男たち。校内ですらまだ噂になっていないのに、彼らがそれを知っているのが謎だった。しかも、怯えながら星良に無実だと告げにくる意味がわからない。だが、太陽には思い当たる節があるようだった。
「とりあえず、あの先輩方にも話を聞いてみようか」
「あいつらが、何か知ってるの?」
ひかりを襲った彼らが月也の襲撃にも関係していたら、星良は手加減できる自身はない。殺気立った星良に、太陽は苦笑を返す。
「いや、彼らは月也の事件には関係ないと思う。でも、無実を訴える理由は知っているかもしれない」
「どういう事?」
「とりあえず、行ってみよう」
ちょうど、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。1限の授業が始まるまで5分ある。彼らの教室に行く余裕はあった。
屋上の施錠はせず、足早に2年生の教室に向かった。1年生の有名人である太陽と星良が2年生の教室がある階を歩いているだけで、注目は集まった。その為か、彼らを呼び出す前に、彼らが教室から飛び出してきた。そして、星良たちを人気の少ない階段の方へ呼び寄せる。
「俺たちじゃないからな」
今朝待ち伏せしていた男たちと同じことを、彼らは小声で言った。怯えた顔で星良たちを見る目も同じだ。
「それは分かってますけど、なんで月也のことを知ってるんですか? 学校からの報告はないはずですが」
家族の意向で、騒ぎを大きくしないために生徒たちには月也の事件を知らせない方針になっている。彼らの顔を見るとまだ怒りが込み上げるのか、冷淡な口調の太陽に、彼らはびくっと身を震わせてから、困惑した表情で互いの顔を見合わせる。
「理由は、何?」
星良の苛立った声に、彼らは慌てたように自分たちの携帯電話を取り出し、何かの画面を開いた。
「これ、お前が送ったんじゃないのか?」
びくびくしながら、携帯電話の画面を星良たちに見せる。そこには、1通のメールが開かれていた。
『月の光を奪おうとしたのは誰? 月の使者が来るまで、あと7日。それまでに犯人が暴かれなければ、あなたは闇に落とされる。 かぐや』
「何、これ?」
文面を読んで、眉をひそめる星良。
おそらく、月の光を奪おうとしたというのは、月也を襲ったという意味だろう。犯人が7日以内に見つからなければ、メールを受け取った人間に不幸が訪れるということだろうか?
「何って……月の使者って、神崎じゃないのか?」
「違うけど……」
「オレでもないですよ」
星良と太陽の答えに一瞬ホッとした彼らだったが、すぐに不安に満ちた瞳になる。
「じゃあ、月の使者って、かぐやって誰だよ……」
怯えたように呟いた彼らだったが、授業の開始を告げるチャイムに、慌てて教室に戻って行った。星良と太陽は顔を見合わせると、再び屋上に戻る。途中すれ違った教師に注意されそうになったが、月也の事件を知っているからか見逃してもらえた。
「太陽、あのメールに心当たりあるの?」
眉間にしわを刻んだ星良に、太陽は微苦笑を浮かべた。
「たぶん、ね。月也の周りで、こんなことできる人物って一人しか思い浮かばない」
「?」
心当たりのない星良が首を傾げると、太陽は携帯電話を取り出して誰かにメッセージを打ち始めた。
「まず、昨日の月也の事件を知っていること。そして、月也を襲う理由がある人物を把握し、その彼らの連絡先を知っていること。その上、おそらく追跡不可能なメールアドレスを使えて、彼らを闇に落とせる情報を持っている人間」
メッセージを打ちながらヒントを与えてくれる太陽だが、星良にはそんな人物は全く心当たりがない。そんなちょっと怖い人間、身の回りにいるとは思えない。
「水樹さん?」
よく知らない相手だけに、彼なら出来るのではと名を挙げてみるが、太陽は小さく首を振った。そして、すぐに来た返事を見て、苦笑を浮かべて視線を上げた。
「星良も知ってる子だよ」
「子?」
年下を指すような言葉と、太陽の不自然な視線を不思議に思いつつ、太陽につられるようにして背後を向く星良。自分が入ってきた扉の上に、ぷらんと二本の足が見えた。
「おはようございます、朝宮先輩、神崎先輩」
塔屋の上に座り、ニコッと微笑んでいる小柄な少年には見覚えがあった。
「樹くん⁉︎」
「橘……どうやってここまで入ったんだよ」
在校生ですら鍵を持っていないと入れないこの場所に、まだ中学生の樹がいることに驚きを隠せずにいると、樹は自分の身長よりも高いその場所からひょいっと飛び降りた。軽やかに着地すると、くりっとした瞳を細める。
「敬愛する月也先輩の教えに従いました」
「どんな教えをしてるんだ、月也は……」
状況が把握し切れていない星良と、半ばあきれ顔の太陽の前まで歩いてきた樹は、笑顔を消し、まだ幼さの残る顔に苦渋の表情を浮かべた。
「って、笑ってる場合じゃないっすよね。月也先輩が目を覚ますまでに犯人突き止めないと、合わせる顔がないっす」
「犯人突き止めるって……あの変なメールを送ったの、樹くんってこと?」
困惑の表情で尋ねた星良を、樹は半眼で見返す。
「この状況で、他の可能性があるっすか?」
「……ないよね」
何を当り前のことをと言いたげな樹に苦笑いを浮かべ、星良は小さく息をついた。月也のことで頭がいっぱいで、全然頭が回っていないようだ。 俯きかけた星良の頭に、そっと大きな手が乗せられた。
「で、月也からどんな教えを受けて、どう動いてるんだ、橘?」
落ち着かせるように星良の髪をクシャっと撫でながら尋ねた太陽に、樹はくりっとした瞳をまっすぐに向けながら、唇に人差し指を当てた。
「それは秘密っす」
「……へぇ」
にこりと笑んだように見える太陽から何か感じたのか、樹は同じポーズのまま一歩後退る。
「あ、あれ? 朝宮先輩、笑顔が怖いっすよ?」
「月也が襲われて、犯人もわからなくて、オレの機嫌がいいと思う?」
「同じく、機嫌がいいと思う?」
月也に追随するように星良に黒い笑みを浮かべられ、三歩四歩と後退っていく樹。たらたらと冷や汗を流している。
「いや、これはぼくの意思じゃないっす。月也先輩が、余計なことは言うなって……」
「じゃあ、なんでオレらの前に顔出した? 気づかれたくなきゃ、姿現す必要ないだろ?」
穏やかな太陽しかしらない樹は、追及の手をやめない太陽にびくびくしながら後退るのをやめる。困ったような上目遣いで、おずおずと口を開く。
「調査っす。あのメール見て神崎先輩に無実を訴えてくるような小心者は、犯人から除外して大丈夫なんで確認確認しにきたっす。そしたら、たまたまお二人が屋上にきただけっす」
「なんで?」
樹の発言がさっぱりわからない星良が問うと、樹は小さく息をつく。
「月也先輩に手を出したら神崎先輩に報復されるのは目に見えてるっす。メール見て、神崎先輩を思い浮かべてビビるくらいなら、最初からやらないっすよ」
「それは言えてるな」
納得した太陽の声に、樹はこくりと頷く。
「朝宮先輩にビビるのも同じことっす。なので、メール送ってお二人に言い訳しに来た人間を確認してたっす」
つまり、朝から星良を尾行していたということだろう。そのまま、周囲の様子を観察するために、屋上に潜んでいたというわけだ。
樹が月也に言われた通り、容疑者にメールを送り、その反応を確認しているのはわかった。だが、襲われる前からそんな指示をするようなどんなことを月也がしていたのか、星良には想像がつかない。やはり、自分に対する報復のために月也が狙われて、月也はいつかそんなことが起こることを予測しながらも、自分の傍にいたのだろうか……。
そんな暗い顔をしていると、樹はポリポリと頭をかいた。
「ちなみに、神崎先輩への報復じゃないと思うっす。バレたら倍返しされるだけって思うようなやつしか、神崎先輩成敗してないでしょ?」
「うーん……」
星良自身は、誰かを傷つけたり、脅したりしていた人間にしか、報復される思い当たりはない。それにもう二度と関わりたくないと思われるくらいの恐怖は与えている。確かに、友達を傷つけられた星良がどうなるか想像したら、そんなバカなことはしないかもしれない。
だが……。
「じゃあ、なんで月也は襲われる心当たりがあるの? それも、容疑者絞らないといけないくらい……」
星良の問いに、くりっとした樹の目が泳ぐ。
「それはっすねぇ……」
秘密といいたい所だが、星良の怖いほど真剣な眼差しにそうは言いにくいらしい。後ろで組んだ手を、どうしたものかともぞもぞ動かしている。
「樹くん、理由、知ってるんでしょ?」
月也は悪ふざけはするが、誰かに襲われるほどのことをするような人間ではない。本当はすごく優しいと星良は知っている。納得がいかない。ぐしゃぐしゃとした感情が、怒りに火をつけそうになる。 だが、再び太陽にぽんっと頭に手を置かれ、昂りかけた気持ちが少し落ち着いた。
「月也が隠したかったことは、月也が目が覚めてから聞こう」
太陽の言葉に、星良ははっとなる。確かに、気にはなるが、他人の口から聞いてしまうのは月也に失礼かもしれない。
しゅんとなった星良がこれ以上の追求を諦めたと見てホッとしかけた樹だったが、太陽の微笑みに顔がひくっとひきつる。
「でも、捜査は一緒にできるよな? 橘の言う『余計な事』を話さなくても、オレらにできることはあるだろ?」
「えーとっすねぇ……」
「あるよな?」
「……あれ? 朝宮先輩ってこんなキャラだったっすか?」
太陽の静かな怒りに狼狽えている樹だが、太陽は別に樹に対して怒っているわけではない。月也を襲った犯人に対して、何もできない自分に対してだ。ただ、押さえきれないものが滲みでているだけ。
太陽と星良にじっと見つめられ、樹は仕方ないというように深々と溜息をついた。
「わかったっす。二人にご協力願うっす」
「何すればいい?」
急くように尋ねる太陽。一刻も早く犯人を捕らえたいのは、星良と同じだ。 すぐにでも行動したい星良と太陽だったが、樹の出した答えは思ったようなものではなかった。
「放課後、ボクの指示したルートを通っていただきたいっす。その反応で犯人を判断するっす」
「容疑者は教えてくれないの?」
不満そうに眉根を寄せた星良に、樹は深く頷いた。
「神崎先輩に教えたら、全員に殴り込みしそうだからダメっす。無実の人間も怖がらせてたら、神崎先輩には正義の味方でいてほしい月也先輩の意に沿わないっす」
「正義の味方って……」
バカにされたようで半眼になった星良だが、樹は真面目な顔で星良を見つめていた。ちらりと見れば、太陽は優しい顔で星良を見つめている。
「神崎先輩は自分からは手を出さない。誰かを助ける時だけ、その力をふるう。それが、月也先輩の神崎先輩に対するイメージっす。月也先輩、自分の為を思ってだとしても、神崎先輩が疑わしきだけで無実の人間を脅したりとかは望んでないっすよ」
「別に、あたしはそんな善人じゃない……」
脅すことが前提か……という突っ込みは飲み込んで、星良は呟いた。自分自身、深く考えて行動しているわけじゃない。目に入ってしまったら、ほっとけなくて間に割って入っているだけ。自分の行動が正義だとは思っていないし、絶対に自分からケンカを売らないとは言い切れない。
でも、月也のことで、月也の期待を裏切るのも嫌だった。
「それで、犯人は絞れるんだな?」
星良の背中をぽんっとっ叩きながら、太陽が樹に尋ねる。星良を支えなければと思いが、熱くなりかける太陽を冷静にさせていた。
「正直、あまり行動を起こされない方が助かるっす。犯人探してる体で歩いてもらうだけで十分っす」
樹の真っ直ぐな瞳に揺らぎはなかった。月也にどう頼まれているのかわからないが、信頼と自信に満ちている。無理矢理に手伝わせてもらっても、計画が台無しになるだけかもしれない。
それでも月也のために何かしたいと唇を噛んだ星良の気持ちを悟ったのか、樹はにこっと笑んだ。
「神崎先輩は頭脳派じゃないっすから、捜査よりも月也先輩の傍にいてあげるほうがいいと思うっす。その方が、月也先輩も早く目を覚ますはずっす」
最初の一言は余計だと思いつつも、そうだったらいいと願う星良。こんな自分を好きだと言ってくれた月也の為に何かがしたい。でも、犯人がつかまるよりも何よりも、早く月也に目覚めて欲しい。いつものように、軽口をたたき合いたい。三日月のような目で微笑んで欲しい。ただ、隣にいて欲しい……。
機械につながれて無機質な音が響く部屋にいた月也を思いだし、じわりと涙がにじむ。
「わかった。樹くんの言うとおりにする。詳しい捜査は、樹くんにまかせる。でも、無理はしないで。樹くんも同じ目にあったら、月也が悲しむ」
樹は僅かに微笑み、こくりと頷いた。
「大丈夫っす。ボクは影に徹するので、表にはでないっすから」
そう言ってから、樹は一歩横にずれると、太陽と星良に背後のドアを手で示した。
「そんなわけで、お二人は授業に戻った方がいいっす。ボクはもう少しここで観察したいことがあるっすけど」
「……わかった」
要は、邪魔だから出ていって欲しいのだなと察し、太陽は小さな溜息と共に承諾した。
星良の背中を優しく押しながら、屋上のドアに向かう太陽。犯人を見つけたいのは同じ気持ちだが、お前受験生なのに大丈夫なのかと内心心配しながら……。




