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星と月と太陽  作者: 水無月
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僕だけは

  まだ誰もいない教室の中で、星良はひとり、机の上に突っ伏していた。開け放った窓から入ってくる爽やかな風が優しく頬を撫で、朝練中の生徒たちの元気な声が心地よいBGMとなり、星良を眠りの世界に誘う。


 昨晩、ひかりは神崎家に泊まっていった。夜、ひとりになった時に襲われた時の恐怖を思い出すのではと心配だったので、星良が誘ったのだ。


 ひかりが泊まる準備をするために太陽に送ってもらい家まで戻っている間、星良と月也はひかりを襲った三人の稽古に付き合った。帰るだけの力しか残っていないヘロヘロになった彼らに、もう二度と同じ過ちを繰り返さないように釘を刺してから稽古を終わらせた。


 彼らとすれ違うことのないタイミングで、ひかりと太陽に神崎家に戻ってきてもらい、星良の母親に用意してもらった夕飯を四人で食べ、太陽と月也が帰った後は、翌日も学校があるにも関わらず、女二人で夜更けまでずっと話をしていた。他愛もないおしゃべりも、辛く悲しかったことも、たくさんたくさん話して――寝不足の現在に至る。


 朝練のあるひかりと一緒に登校したため、用もないのに早く教室に来ている生徒が他にいるわけもなく、現在は独り占め状態。眠るのにはちょうど良い。


 昨日は色々ありすぎて、心身ともに……というか、主に心というか脳が疲れている。本能的に休息を求めている星良は、すぐにスヤスヤと寝息をたてはじめた。



 そのまましばらく時間が経ち、星良が深い眠りについた頃、静かに教室の扉が開いた。そっと中を伺い、星良が起きる気配がないのを確かめてから中に入ってきたのは月也。音をたてないように自分の席に荷物を置いてから、星良が眠る席のとなりの机の上に腰掛ける。


「お疲れさまー、星良さん」


 囁くような声でそう言って、眠る星良の姿を見つめながら優しく目を細めた。


 部活をやっていない月也も、基本的には早朝に登校する理由はない。今日は星良の寝顔を見に来たわけではなく、校内の情報を探るためだ。一番は、昨日ひかりが襲われたことが噂になっていないかの確認。これは問題なさそうだった。あとは、太陽とひかりが堂々と手をつないで歩いていたこと、ひかりと星良が一緒に登校してきたことがどれだけ目撃されていたかだが、どちらも生徒たちの話題にのぼっていた。今日が終わる頃には、太陽とひかりが、星良公認で付き合うことになったと学校中が認識するだろう。


 たぶん、それはいいことだ。星良が認めたとなれば、ひかりを責める自分たちを正当化する言い訳がなくなる。どこからどう見てもお似合いの二人だ。これ以上は、責める側がみっともない悪者になる。


 だけど……。


 月也は眠る星良にそっと触れようとした。だが、寸前で思いとどまる。ぐっすり寝ていても、星良なら起きてしまいそうだからだ。手を机の上に戻し、月也は小さくため息をつく。他人を傷つけるのは簡単だが、傷を癒すのは難しい。


「……っ⁉︎」


 突如、星良がびくっと肩を揺らして起き上がった。どうやら、触れようとした気配だけで起きてしまったらしい。


「おはよー、星良さん」


「な、月也⁉︎ いつからそこにっ!」


 慌てて口元を拭っている星良を見て、月也はくすっと笑う。


「大丈夫だよ、星良さん。完全に顔を隠す姿勢で寝てたから、口元が緩かったのは見えてないよ?」


「でも……」


 顔は隠せても、寝姿をすぐそばで見られていたのが恥ずかしかったのか、少し頬を赤らめて軽く睨む星良。月也はメガネの奥の瞳を三日月形に細める。


「横向いて寝てくれてたら、寝顔激写したり、頬にキスしたりできたのになー」


「変態かっ!」


 星良の突っ込みに、楽しげに肩を揺らして笑う月也。冗談だとはわかっているが、寝起きの星良は不機嫌そうに月也を睨んだ。だが、月也がふと真面目な顔で見つめたので、星良はきょとんとする。


「星良さん、大丈夫?」


「何が?」


 いつものような冗談口調ではなく、真摯な声音に少し戸惑う星良。寝不足な時などたまにあることだし、そんな真面目に心配されるようなことではない。


「何がって言うあたりが心配なんだよねぇ」


 苦笑を浮かべる月也に、首をかしげる星良。月也は小さく息をつく。


「星良さんって、自分が傷ついてて、その傷が癒えてなくても、自分よりも傷ついた人がいたら身を挺して助けちゃう人でしょ?」


「そんなことな……」


「あるよ」


 星良の言葉をさえぎり、月也は優しい声で肯定する。


「昨日だってそうだよ。久遠のほうが傷ついたから、星良さんは久遠を守って、辛いこともすべて受け止めた。久遠を癒すために、自分のことは二の次にしてるでしょ」


「…………」


 何と言っていいのかわからず、星良はただ月也の優しい瞳を見つめ返した。


 昨日の件で、ひかりはやはり大事な友達だと気づかされ、守りたいと、その傷を癒したいと思っているのは確かだ。今はひかりの方が傷ついているから、自分の痛みを口に出してはいけないと思っているし、痛いと思うこと自体後ろめたい。ひかりに比べたら、自分の傷なんて大したことがないはずだから。誰でも一度は経験するだろう、ただの失恋だから。いつまでも、人を傷つけてでも引きずるべきではきっとないから……。


「自分よりも誰かを守ろうとするの、星良さんのいいところだと思う。久遠を癒してあげたいから、自分の痛みを見せないようにするのもわかるよ。でも、痛みは、誰かと比べるものじゃない。久遠の方が傷ついたからって、星良さんの傷がなくなるわけじゃないでしょ?」


 外では部活中の生徒の声が騒がしいほどに響いているのに、二人きりの教室で、月也の静かな声は星良の耳朶を優しく打つ。熱いものがこみ上げてきて、星良はきゅっと唇を噛んだ。


 そんな星良を見つめ、月也は優しく笑んだ。


「星良さんが自分で乗り越えて仲直りしたなら心配しなかったけど、今回は違うからさ。今、太陽も久遠が心配で気が回らないと思う。星良さんも、自分より久遠なのは変えられないでしょ。僕くらい、星良さんのこと一番に考えたっていいよね?」


「…………」


 月也がふざけていないから、怒ったふりをしてかわすこともできず、だからと言って素直にうんと言えるはずもなく、星良は目を伏せた。頬がほんのりと赤くなっているのが、自分でもわかる。


「誰にも言えない痛みも悲しみも苦しみも、愚痴も、なんでもぶつけていいよ。吐き出すことで少しでも楽になれるなら、自分で自分を嫌いになりそうな思いも吐き出して。遊びに行きたかったら、どこでも付き合う。稽古の相手しろっていうなら、体力続く限りは頑張るよ。癒してあげると言い切る自信はないけど、星良さんの思いなら何でも受け止める。僕は星良さんのこと、嫌いになることも、幻滅することもない自信がある。って、僕に嫌われても、星良さんはあんまりダメージないか」


 最後は少し冗談めかしに言った月也がいつもの雰囲気に戻っていたので、星良はそっと月也を見上げた。柔らかな眼差しが自分に向けられている。だがそれはすぐにいつもの悪戯な笑みに変えられた。机から降り、星良のすぐ横に立つ。


「ま、そういうことだから、照れずにいつでも僕の胸に飛び込んできていいんだよ!」


 そう言って、両腕を広げる月也。完全に星良の突っ込み待ちだったのだが、思いもかけず、星良の頭がぽすんと自分の胴体にもたれかかってきたので、動揺して硬直する。


「せ、星良さん?」


「……ありがと」


 恥ずかしいのか、ものすごく小さな声でつぶやく星良。徐々に校舎内もざわめきがましてきているが、月也の耳にはしっかりと届いた。思わず、頬が熱くなる。


「自分を一番に考えてくれる人がいるのって、こんなに嬉しいんだね」


 痛みをこらえて自分一人でしっかりと立っていなきゃと思っていたのに、それを支えようとしてくれる人がいた。今まで支えていてくれた太陽が他の人の一番になってしまったら、もう心から安心して自分を預けられる人などいないと思っていたのに。月也の想いを聞かされていたとはいえ、こんなにも大事に思ってくれてると思うと、改めて胸が熱くなる。


 一瞬硬直していた月也だが、星良が警戒心なく身体を預けているのを見て、そっと星良を抱きしめようとする。


 が――。


「おっはよー! 月也が早いとか、珍しくね?」


 ズガガガーンと派手な音をたて、瞬間移動のように椅子ごと数メートル移動する星良。声をかけたクラスメイトは、月也の陰でちょうど見えなかった星良の行動に驚いて後ずさりしている。


「か、神崎もいたのかよ。何? 天変地異が起こるの?」


「ひかりと一緒に登校したから早く来ただけ! なんか文句ある⁉︎」


「いや、ないっす」


 違う意味で顔を真っ赤にした星良にどなられ、びくびくしながら自分の席につくクラスメイト。月也は恥ずかしさが怒りに転換された星良を見て、くくっと笑っている。唇を尖らせる星良だが、瞳は朝ひとりでいた時よりも柔らかになっていた。

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