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星と月と太陽  作者: 水無月
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守りたい

 星良と月也が去って二人きりになると、ひかりは慌てて太陽に背を向けた。とめ終わっていなかったボタンをかけなおしているようだ。乱れているというほどではなく、制服をラフに着ている女子と同程度だったが、今のひかりには気になるのだろう。いつも通りにきちんと服装を整えているらしい。太陽はひかりから視線を外し、ひかりが支度を終えるのを待った。


 ややして、ひかりが再び自分の方を向いた気配を感じ、太陽はひかりを見つめた。


「俺たちも、場所を移そう」


 あまり人が来ない場所なので誰とも顔を合わせなくてすむという利点はあるが、自分が襲われた現場の傍になど、いつまでも居たくはないだろう。


 太陽はエスコートするようにひかりに手を差し出した。『男』が怖くて触れるのは嫌だろうかという懸念もあったが、ひかりは少しためらってからそっと太陽の手に触れてくれた。ひかりの冷たい手を、太陽は真綿で包むように優しく握りしめた。



 どうして、あんなことができるのか――。



 自分とはまるで違う華奢なつくりのひかりに触れ、太陽は再び灼熱の炎のような怒りが込み上がってきた。


 男として、ひかりに魅力を感じるのはわかる。年頃の男子なら、触れてみたい思うことはあるだろう。だが、複数で襲い、深く傷つけるような事ができる心情はわからない。わかりたくもない。


 怒りで顔が強ばりかけた太陽だったが、それを表面に出さないように押し殺す。今、一番優先するのは怒ることではない。ひかりを安心させることだ。


「俺と二人で大丈夫? 星良、呼び戻そうか?」


 歩き出しながら、太陽はそう尋ねた。星良がいた時よりも、ひかりが緊張しているように見えたからだ。


「大丈夫だよ。ありがとう」


 微笑みを浮かべるものの、ひかりの顔色はまだ青い。仲違いしていた星良が助けに現れ、救いだし、再び友達に戻れたことで、一時は嬉しさが上回り恐怖を忘れることができていたのだろう。だが、星良が立ち去り、感情の高ぶりが落ち着くと、襲われた恐怖がぶりかえしてきたのかもしれない。


「星良ちゃんに、気を遣わせちゃったね」


 申し訳なさそうに、でも少し嬉しそうにひかりはそう言った。星良ことを考えると、今は気持ちが明るくなるのだろう。少し顔色がよくなる。


「そうだね。でも、久しぶりに星良のいい笑顔が見られたよ」


 切なさは垣間見えたが、晴れやかな星良の笑みを太陽は思い浮かべた。ひかりを大切だという思いが、色々なものを吹っ切れさせたのだろう。


「うん。私も星良ちゃんが笑ってくれて嬉しかった。いっぱい、傷つけちゃったのに、やっぱり星良ちゃんは優しい……あっ!」


 突然声をあげて立ち止まるひかり。太陽がきょとんと見つめると、星良は心配そうに太陽を見上げた。


「ガラス、割れたまま来ちゃったけど大丈夫かな?」


 傷という単語が、星良が破った窓ガラスを思い出させたのだろう。思い出したくないはずの場所の心配をするひかりに、太陽は優しく微笑みかける。


「大丈夫だと思うよ。あとの処理は月也がうまくやってくれるはずだから」


 自分がと言えないのは情けないところだが、この手の事は親友に任せるのが一番だという絶大な信頼感がある。わざわざ頼まなくても、抜かりなく手筈してくれるはずだ。


「誰か、ケガとかしないかな?」


「あれだけ派手に割れてたら、気づかない人はいないよ。あの状況であそこを使おうと思う人はいないんじゃないかな」


 片づけた方がいいとは思うが、ひかりを再びあの場所に連れていきたくはない。かといって自分だけが片づけに行ってひかりを一人にするのも嫌だった。誰もケガしないことを祈るしかない。


「そうか……な?」


 まだ気になるようだが、ひかりは納得してくれたらしい。再びゆっくりと歩き出す。


「……学校見学も、大丈夫だったかな? 誰に代わってもらったんだろう」


「後で月也に聞こう。代役の人に、明日お礼しないと」


「そうだよね。すごく急だったし、迷惑かけちゃったよね。あ、星良ちゃんの道場の人にも迷惑かけちゃったんだった。師範代さんにもお礼しないと……」


 次々と誰かを気遣い始めたひかりの横顔を、太陽はじっと見つめた。そして、立ち止まる。旧体育倉庫はもう見えない位置にいた。周囲から声は聞こえるが、まだ近くに人はいない。


「朝宮くん?」


 自分を見上げたひかりをまっすぐに見つめた太陽は、少しかがんで視線をひかりと同じ高さにした。


「久遠さん、こんな時にまで人のことばかり気遣わなくていいよ」


「あ……でも……」


 パチパチを目を瞬き、戸惑うように自分をみつめるひかりを、太陽は優しく見つめる。


「それとも、その方が楽?」


「……そう、なのかも」


 一瞬驚いたように目を見開いたひかりだったが、ややして微苦笑を浮かべてそれを認めた。自分自身の心を見つめると、恐怖が蘇るのだろう。他人を思うことによって、そこから逃れたいと無意識に思っていたようだ。


 太陽は両方の手でつないでいたひかりの手をそっと包み込んだ。


「人を気遣えるのは久遠さんのいいところだよ。でも、今は自分のことを一番気遣ってあげてほしい。すぐに治る傷じゃないとは思う。だからこそ、俺にできることがあるなら言ってほしい。一人になった時に、独りで痛みに耐えなくていいように。俺だけじゃない、星良や月也も、きっとそう思ってる」


 太陽の言葉に、ひかりの大きな瞳には涙が浮かんだ。嬉しいからだけではない。心を支配する恐怖が思い出されたからだろう。


 太陽はひかりの頬を流れ落ちた涙を、指でそっと拭った。


「俺は、怖くない? 遠慮しないで本当のこと言ってくれて大丈夫だよ」


 『男』が全て怖くても、ひかりが気を遣ってそう言わない可能性がある。だが、ひかりはさらさらと髪を揺らして首を振り、涙を拭った太陽の手に自分の手を重ねた。


「本当に、怖くないよ。朝宮くんの温かな手、安心する」


 涙目のまま微笑むひかり。そこに遠慮や嘘はないようで、太陽はホッとして笑みを返す。


「今、こうして傍にいる以外に、俺にできることはある?」


「…………」


 優しく見つめる太陽を、ひかりはまっすぐに見つめ返した。いろいろな想いがひかりのなかを駆け巡っているのを感じながら、太陽はじっと待つ。しばらくして、ひかりは一度目を閉じ、そして太陽を見つめて微笑した。


「今は、こうして手をつないでくれるだけで落ち着くよ。あとは……話を聞いてほしい。後で、星良ちゃんも一緒に」


「わかった」


 太陽はうなずくと、屈んでいた姿勢を元に戻した。先ほどよりもぎゅっと手を握り、ひかりに微笑みかける。


「じゃあ、教室に荷物を取りにもどろう。それから月也と合流して、星良のところに行くのでどうかな?」


「うん。そうしてくれると嬉しい」


 先ほどよりも少し落ち着いた様子のひかりに安堵しつつも、自分のできることの少なさに少し落胆する太陽。もっと頼られるよう、自分を磨かねばと心に誓う。



 校舎に向かっていると、向こうからランニング中の男子の集団がやってくるのが見えた。つないだひかりの手がぴくっと硬直する。


「久遠さん、大丈夫?」


 男の集団が怖いのかと思ってひかりの顔を覗き込むように尋ねると、ひかりは慌てたように小さく首を振った。


「あ、違うの。大丈夫……なんだけど……」


 言いながら、ひかりは戸惑うようにつながれた自分たちの手に視線を向けた。


「また勘違い……されちゃうかなって」


 隠し撮りされ、噂になったことを気にしているのだろう。それをきっかけに星良とギクシャクしたり、今回の事にもつながった可能性があるので、その気持ちはわかる。


 だが、太陽はつないだ手にそっと力を込めた。ひかりが驚いたように顔を上げる。


「俺が久遠さんを守るって、アピールしたらダメかな?」


 ひかりを見つめながら言った太陽に、ひかりは大きな目をさらに見開いた。頬にほんのりと赤みがさす。


「もとはと言えば俺の優柔不断が招いたことだし、今日も俺は何もできなかったけど……」


 自分で言って情けなさに落ち込みそうになるが、ひかりから目をそらさずに言葉を続ける。


「これからは一番近くで久遠さんを守りたい。久遠さんには俺がついてるって、みんなに思わせたい。どう、かな?」


 中途半端な態度が、嫌な噂を招いた。星良も受け入れてくれた今、自分と星良がひかりを大事にしていることをアピールすれば、それも払拭されるだろう。様々な伝説を残す星良と太陽を敵に回してまでひかりに手を出そうとする者がいるとは思えない。


 ひかりの返事を内心緊張しながら待っていると、ひかりはふわりと微笑んだ。


「ありがとう」


 そう言って、つないだ手をきゅっと握るひかり。思わず抱きしめたくなるほど可愛かったが、さすがに自重する。


 二人はしっかりと手をつなぎ、今までよりも距離を縮めて寄り添うように歩きながら、ランニングをしている集団とすれ違う。背後でざわめく気配を感じたが、気にすることはなかった。


 校舎の階段を上っているときに月也から連絡が入り、三人は合流すると、神崎家へ向かったのだった。

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